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まとめ・東海道五十三次、日本橋へゴール!

2010-04-15 23:52:14 | 東海道五十三次
(4月13日の記録)
とうとう東海道五十三次ひとり歩きシリーズの最終日を迎えた。2007年4月14日、3年計画で京都三条大橋をスタートする時、最終日は、70歳の誕生日2010年4月13日と宣言をして、HPにすべての予定と経過を公開し続けてきたが、ほぼ計画通りに順調に楽しく歩き続けることができた。

あれから3年、30日目は「品川」から「日本橋」まで8キロ。これまでは、ひとり歩きというタイトル通り、ひとり歩きに徹してきたが、今回はお二人が同歩を申し出てきたので一緒に歩くことにした。


日本橋では応援を続けてくれたまだ見ぬ応援コミュニティの皆さんが待ってくれている、ゴールは16時30分とお知らせしてあるので、到着時間を約束したプレッシャーもあるが、それより会ったことのない皆さんに会える楽しみを思うと、新大阪9時37分の新幹線のぞみが12時16分に品川に着くまでわくわくわどきどきが続いた。

12時30分、背中に鯉のぼりをたてて、待ち合わせ場所タクシー乗り場横でりょうさんとスズさんと合流。スズさんは、ずっと応援をしてもらってきた一番古い応援団員?昼食代わりのパンを買っていざ出陣!スタート。


15号線をすすむ。やっぱり一人で歩くのとは違ってなんとなく自分のほうにぎこちなさがあって、泉岳寺へ行くまでは足も戸惑っていた。

最初に訪れた泉岳寺は、慶長17年(1612)、江戸城近くで創建されたが、寛永の大火で焼失、浅野家他、五大名の協力で寛永18年(1641)に現在地に移されたらしい。浅野家との縁はこのときに始まった。曹洞宗・江戸三カ寺のひとつ。赤穂浪士・浅野長矩と大石良雄をはじめとする義士の墓で知られている。境内には浪士の墓の他、浅野内匠頭切腹の際にその血がかかったという血染めの梅と石、吉良上野介の首を洗ったという首洗いの井戸が残っていた。47義士の墓前には線香の火が絶えることはないという。ゆっくりする間もなく去って行くのは気が重たかったが仕方がない。




高輪2丁目を過ぎ高輪神社へ寄った、いつものように今日の交通安全を祈願。少しすすみ道路右側にあるという高輪木戸跡を探す、高輪の木戸は宝永18年(1710)に江戸の南の入口として道幅約6間の旧東海道の両側に石垣を築き、夜は閉めて通行止めして、治安の維持と交通規制を持っていたところらしい。いまでも立派な石垣の一部が残っている。


このあたりが日本橋から6キロ地点。13時40分、スタートして約1時間、かなりのスローペース。内心やばいかな?
三田歩道橋、高輪郵便局を過ぎ左手にある八幡神社へ寄ってみた。和銅2年(709)創建の古い歴史を持った神社だ。このあたりから三田という地名、もともと朝廷に献上する米を作っていたために御田と呼ばれたのが由来で風光明媚な台地だったらしい。


さらにすすむと札の辻交差点に出た。
地図は、スズさんに渡した、えらそうに次の見所は?と指示をする。地図には見所に印をつけているので見逃さないようにとお願いをした、付いてくるならそれくらいの仕事しろ!というわけ。

田町駅前の交差点からより道をして息子が6年間学んだ大学へよってみた、院の卒業式に来てから何年振りか・・・レンガ造りの建物がなつかしい、図書館前の福沢諭吉像を訪ねてみたかったが、時間的なことと、そこまで二人をひっぱりまわすことはできないのでパス。


通りから東京タワーが目の前に見えた、ああ東京タワー。青信号を待ってあの交通の激しい道路のど真ん中で東京タワー撮影、二人には来ないように言って・・・これ、ランドセル撮影術なり。素人?はやらないこと。


元の東海道に戻るのに三人でもわからなくなった。初めて地元の人に尋ねた、三菱自動車角の薩摩藩鄭跡がみつかってほっとした。三人が1つの地図に額をよせて、どうじゃらこうじゃら・・・なにしろ手持ちの地図は日本橋から書かれていて、こちらは逆を歩いている、これがむずかしい。京都からずっとそれに悩まされ続けて歩いてきた。14時38分。ゴールまで2時間弱、すこしきついかなあ・・・心配になってきた。

西郷・勝会見の碑と薩摩藩邸のきれいな碑が立っていた。江戸城無血開城を取り決めた勝・西郷会談の行われた薩摩藩邸、当時は屋敷のすぐ裏は海に面した砂浜で、薩摩から送られてくる米などがここから陸揚げされていたという。


三田を過ぎ芝へ、やがて金杉橋へついた、川に屋形舟がたくさん停泊していた、花見シーズン、毎日、ここは夜になると風流な宴が繰り広げられるのだろう・・・神野美伽の歌に金杉橋、屋形船のくだりがあるのを思い出した。


次は増上寺へ、大門の交差点から左へ入ると増上寺の大きな山門が見えてきた。高校生の時、東京の伯母に連れられてきて以来50年余りになる、まったく記憶にない。
明徳4年(1393)、聖しょう上人によって開基、江戸幕府成立以降は、徳川家康の手厚い保護があり、徳川家の菩提寺として選ばれ、2代秀忠、6代家宣、7代家継、9代家重、12代家慶、14代家茂の6人の将軍の墓がある。


ご朱印をもらって東京タワーを背景にデジカメをかまえたら・・・・おっ、おっ!だれ?
目の前にマスクをして顔を隠した怪しい男がたちはだかった!あの人だ!また、やられた、箱根で待ち伏せされて以来、横浜でも待ち伏せに遭った山賊さんだ!



大門交差点に戻ると15時36分。残り時間は54分、距離は3.5キロ。普通に歩けば問題ないが、まだ見どころを何か所も残しているのできついかも。浜松町を過ぎ新橋5丁目、新橋駅手前、ごちゃごちゃして、漂うにおいが鼻をつく、こんな空気の悪いところで・・・JRのガードをくぐって表通りへ出た。ここでゴールまで2.5キロ。
15時57分。やばいなあ・・・。もう、日本橋で待ってくれているのだろう。
高速道路の下にあるという新橋の親柱さがし、三人で必死で探す、気の毒に鯉のぼりを背中にたてた変なおじさんと一緒では、りょうさんもスズさんも大勢の人からなんと思われるやら。親柱に銀座の柳碑を発見した。あたりは外人観光客がバス待ちして人があふれていた。ひどい悪臭がただよっていた。


このあたりから天下の銀座か、道路の色が違う、柳色なんだろうか。スズさんがゴールのメンバーに携帯で刻々と連絡をしてくれる。もう、みんな揃っているらしい。
ピッチをあげる、急げ急げ、しかし、見所は見逃すな!と言い聞かせて銀座の人波の中を松坂屋、銀座4丁目は16時9分になった。1.6キロ地点。うーん、時間がない!


4丁目交差点、三越、松屋、写真で見なれた景色もほっとけ!速歩、速歩。
きっと後ろの二人は、慣れぬ東海道歩きに戸惑っていることだろう!

マロニエ通りを過ぎ銀座発祥の地の碑前を通過。


高速道路手前の京橋親柱、すぐ見つかった。かってここには京橋川があり橋がかけられていたが昭和34年に埋め立てられ橋は撤去されたらしい。その親柱が残されていた。京橋は、日本橋を発って最初に渡る橋だったそうだ。日本橋と同じ慶長8年(1603)につくられたそうだ。


高速をくぐるとりっぱな江戸歌舞伎発祥之地碑が立てられていた。寛永元年(1624)、中村勘三郎が付近の中橋で江戸歌舞伎を始めた記念碑だ。


すぐ近くに京橋大根河岸青物市場蹟碑もあった。寛文4年(1664)以降、青物市場がもうけられていたところ。16時22分。時間との闘い、もう時間的に30分到着は無理。まずいなあ。ゴール日本橋までちょうど1キロ地点になった。あと少し。


八重洲通の中央分離帯にある八重洲の名前の由来になったヤン・ヨーステン記念碑に寄った。


丸善、高島屋の前を通過、前方を見ながら急ぐ、日本橋がはっきりと見える、向こうで背伸びするようにして手を振っている、こちらも帽子で応える、スズさんが鯉のぼりを振る・・・あっ、カメラをこちらに向けた・・・


お待たせしました!ありがとう!


向こうからこっちへ寄ってきた、ついに日本橋へ着いた!やった!16時38分。万歳!

応援隊の隊長、九州のよっくんさん手製の横幕の両端を持った二人に従って真ん中をすすむ、あいさつの度に立ち止まるのでとにかく橋を渡れとだれかが叫んだ。
初めて会う人ばかりなのでひとりひとりと挨拶もしたい・・・

ここまで来たらスターの行軍みたいなもの、人通りの多い日本橋をそのままの姿ですすむ。
まるでパレードのような気分だった。


ゴールは、高速道路下をすすみ北側の一角にある日本国道路元標。
ここが五街道の起点。やっとそこにたどり着いた、Yさんが約束通りハグしてくれた!
あー、初めての経験に新米の70歳は足から解けていきそうな気分、脳みそはぐちゃぐちゃになっていた、ハグでバクバク、酸欠状態。

そこから撮影ラッシュ、知り合いのプロカメラマンの指示に従って何枚撮ってもらったやら、道行く人たちが立ち止まって人の輪ができた。
NHK来てる?アサヒは!インタビューは共同にしてください!サインは後で!と言いたい放題、一度でいいから言いたかった。

ハプニングの「完歩賞」を道路上でもらった。びっくりした。



全員で記念撮影。


場所を移して夕食会、2次会、70歳の誕生日を日本橋で大勢の仲間と一緒に迎えられた幸せは、生涯の思い出。こんなすばらしいプレゼントをしてくれた応援隊の仲間たち、古い友人たち、多忙な時間をさいて遠くから来ていただいた人たちになんとお礼をしたらいいのやら。居酒屋「北海道八雲町」にて


2次会「高田屋」にて


2次会で席が隣り合わせになった紳士グループと帰りも出口で一緒になった、店の前でそのグループが誕生祝いのコーラスをしてくれた。日本橋ロータリー倶楽部の人たちだった。こんなことがあるだろうか・・・夢のような時間だった。

ホテルに帰ると携帯へはお祝いのメールがたくさん入っていた。興奮してなかなか寝付けなかった。こうして、70歳の初夜はお江戸日本橋近くのホテルで一人で迎えた。
みんなありがとう、ありがとう。


●プロカメラマンの目
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●紹介記事
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