田園調布の山荘

「和を以て貴しとなす」・・ 日本人の気質はこの言葉[平和愛好]に象徴されていると思われる。この観点から現代を透視したい。

禁煙歴20年+アルファ(4)

2008年12月17日 18時46分37秒 | 禁酒・禁煙
禁煙は4日目が難しい。これは私の実感である。自分はここまでがんばった。すこし一服しよう。そしてここまでの努力を反省しながら改めてこれからの禁煙の方策を練ろう。ここまでがんばったこの自分を褒めようという心理になるのである。その甘えが問題である。頑ばったじゃないか、頑張れるじゃないか、禁煙なんて簡単じゃないかという気持である。ならば一本ぐらいいいだろう、という心が起こる。もちろん、ここまで頑張ったのだからがんばり続けるべきだという心もあり葛藤がある。しかし、どうしてもここで休息をしよう、改めて禁煙の成果を味わおう、一服するのは必要だという心理になるほうが圧倒的に勝つのである。 . . . 本文を読む

「環境の世紀を聞いて」・・田園調布九条の会へのメッセージ・

2008年12月17日 11時49分17秒 | 平和
レイチェル・カーソン協会の上遠恵子さんの「環境の世紀」の講演を聴きました。この講演は、子供さんからお年寄りに至るまで、どなたにもお聞かせしたい内容のものでした。人間が地球上に生き続けていくためには、人間は何をすべきか、何をすべきではないかということを、生物の1つとしてそれを考える機会を提供してくれたからです。人間は自分が生物であることを忘れ、他の生物を皆殺しにしたり、時には戦争で1つの民族を滅ぼしたりすることもしばしばありました。人間以外ににこんなことをする生物はいないのですが人間はなぜこんこなとができるのでしょうか?これは人間の本質なのでしょうか?いやいやそうではない、これからはそうしない、そうであってはならないと誰もが信じていますし、家庭や社会の教育の基本となっています。人は誰しも戦争や他の生物に対する虐殺(これは生態系を壊すことをいうのですが)を人間の本質であるとする考えには反対すると思います。だとしたらそのことにつながる危険な営みや狂信があればその芽を見逃さないできちんと摘んでおかなくてなりません。 . . . 本文を読む

休肝日・休肝月、酒を断つということ(3)

2008年12月17日 10時37分21秒 | 禁酒・禁煙
禁酒という言葉のイメージは、苦痛を我慢するということが含まれる。従って、私は、禁酒という言葉は好まない。苦痛を我慢することはいやだから。しかし気づいてみるとお酒(を飲むの)は快楽かと言えばけっしてそうではないと言えるし、お酒はパンやご飯のように必須のものかと言えばやはりそうでもないといえるので、自分の中では、快楽でも必須でもないものは、自分につきまとう必要はなかろうということに気づくのである。ただ、たばこと違いお酒は時には必須の存在の時がある。交友とかセレモニーに欠かせないからである。酒が飲めるのに、自分本位の理屈を優先して杯を断るのは偏屈を通り越して嫌味であるし、人間同士の自由闊達な交際を自分から拒否するに過ぎないからである。 . . . 本文を読む

ハレルヤの合唱へ(4)

2008年12月17日 09時37分49秒 | 愛・LOVE・友 
教会は山の上にそびえていると何となく威圧感を感じる。その先端の十字架がヨーロッパのローマカソリック教会の尖塔とだぶるからだろう。14日、坂の上の教会に行き大聖堂の中でハレルヤを歌ってきた。2008クリスマスコンサートと銘打って毎年、教会の大衆へのお披露目の行事であるらしい。教会は洗礼を受けたものと受けないものとでは、行っていい場所、行けない場所の区別があると聞いていたが、私は大聖堂はどうなんだろうと思っていたがこれは誰でも入れるらしい。そこで思い出したが、2年前に礼拝に行ったとき、神父の説教の後でパンのかけらが回ってきたので手を出そうとしたら制せられた。これで、パンは洗礼者のみが口にすることのできる物だと言うことを知った。とにかく、ろくに練習ができなかっが、アンサンブルと合唱団の中に紛れ込んで無事に「お役」をすますことができた。 . . . 本文を読む