昼の『どんとゆけ』の次に
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2/8(土)19:00~
渡辺源四郎商店公演
『だけど涙が出ちゃう』
ノトスで観劇
『どんとゆけ』の前日譚。
死刑囚と結婚を繰り返す青木しの、
彼女の高校時代という設定だった。
場面は同じく被害者家族による死刑執行。
するのは彼女の父親と叔母で、
しのは傍聴する立場だった。
だけど…これは安楽死?尊厳死?
これは罪になる?刑は正しい?
まだ何か見えてない真実がある?
人の心は?形になる証拠は?
色々なことが頭を渦巻いた。
そもそも、全てを知り
全てを裁くことは出来るのか?
現実を振り返ると
知り得ないことだらけだ。
知ったつもりになってるだけで。
とても複雑で闇。
絶望的な気分になった。
最後になって語られた手紙の存在。
その中身は誰も見ていない。
真実は闇の中。
けれど、叔母が母を
嫌っていたというより
自責の念があったのだろう…
そのことを感じられたのは救いだった。
分からないこと。
それを明らかにしないことで
犯人とされる“先生”は
しのを救おうとしたようにも思えた。
死刑囚の娘ではないと。
真実を明らかにする。
そうしなければ、罪も刑も…
人を裁くことは
出来ないのかもしれない。
でも…
何が人の幸せに繋がるのか?
その人は何を求めているのか?
はっきりとした形にするのは難しい。
途方に暮れそうだ。
ただ、
それぞれの気持ちは尊重したい。
お互いに、そうできたら。
全てを知るのが不可能なら
見えないどこかに
光や救いの余地はある。
あってほしいと思った。
そんな後味だった。
…………………
終演後、トークあり。
興味深いお話いろいろ。
劇中で、
先生の落ち着いた姿より
死を前にした時
人はどんなふうな姿なのか
という話もあった。
なるほど。
どんな死か、によっても
違ってくるだろうなと
考えを巡らせていた。
刑としての死、だけでなく。
よく、死にそうなくらい○○
という例えが使われる。
それがいわゆる例えではなく
リアルに近い人が増えてるのでは
…と思うことがある。
それだけ切羽詰まった常態。
それは一見して外からは分からない。
だからどんどん
死んだ方がマシ常態に近付いても
誰も気付かないばかりか
知らないうちに更に
追い詰めちゃったりしている。
だから死刑の方がマシ、
という発想にもなる。
被害者は勿論だけど
加害者も出したくないな。
思い通りにはいかなくても、
お互いそれなりに
融通し合って生きれたらいいのに。
「規則ですから」
という台詞が耳に残っている。
現実は、
決まった形通りにはいかない。
それぞれの思いが
それなりに叶う現実を
どうにかできないかと思うのだ。
それならば、ぜったい
死ぬよりはマシ
…だと思うのだけど。
………………
この劇中、刑の執行前に
希望したのは珈琲。
客席にも珈琲の香りが漂ってきた。
(↑たぶん)
私も珈琲好きだから、
これで最後だと思ったら
ひとくちを大事に
味わって飲むだろうな。
大きく息を吸い込んだ。
香りと共に、
血管の中を何かが
ざぁっと駆け巡るようだった。
ああ、
生きてるなぁと思った。
好きなものを味わう…感じる…
それがこんなにも
満たされるものなのかと
体を通して感じられた。
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