倉敷から米子に向かった!
岡山自動車道、米子自動車道を経由、安来ICを降りほどなく「足立美術館」はあった
足立美術館は横山大観をはじめとする近代から現代の日本画の名作や陶芸、童画など約1500点を所蔵している。5万坪の日本庭園は、米国の日本庭園専門誌『ジャーナル・オブ・ジャパニーズ・ガーデニング』による庭園ランキングで、「15年連続日本一」に選ばれた
-足立美術館HPから引用-
足立全康(あだちぜんこう)は明治32年(1899)2月8日、能義郡飯梨村字古川(現、安来市古川町:美術館所在地)に生まれ、小学校卒業後すぐに生家の農業を手伝いますが、身を粉にして働いても報われない両親を見るにつけ、商売の道に進もうと決意します。14歳の時、今の美術館より、3kmほど奥の広瀬町から安来の港までの15kmを大八車で木炭を運搬する仕事につきました。運搬をしながら思いついたのが炭の小売りで、余分に仕入れた炭を安来まで運ぶ途中、近在の家々に売り歩き、運賃かせぎの倍の収入を得たことがいわば最初に手掛けた商いといえます。その後紆余曲折、様々の事業を興し、戦後は大阪で繊維問屋、不動産関係などの事業のかたわら、幼少の頃より興味を持っていた日本画を蒐集して、いつしか美術品のコレクターとして知られるようになっていました。また若い頃から何よりも好きであったという庭造りへの関心も次第に大きくなっていったのです。そしてついに昭和45年、71歳の時、郷土への恩返しと島根県の文化発展の一助になればという思いで、財団法人足立美術館を創設しました。
ここも2度目の見学だった
入館料2,300円はどうなのかと若干の疑問を感じながら入館
しっかり見たいと思い「音声ガイド」を借りそれぞれ絵の説明を聞きながら見学した
入館後まず目に入ったのは「庭園」
庭園内に創設者「足立全康」の銅像があった
見事としか形容できない風景に絶句!
窓から望める庭園はまさに「絵画」だ!
絵画の撮影はできなかったので、別棟で掲げられている「横山大観室」時間をかけて見学した
水戸で生まれた「横山大観」の絵を安来で見る・・・
あらためて足立全康の功績を知ることになった
巨匠を集積した絵画、自然を借景とした庭園、入館料が安いと感じる絶景だ!
岡山自動車道、米子自動車道を経由、安来ICを降りほどなく「足立美術館」はあった
足立美術館は横山大観をはじめとする近代から現代の日本画の名作や陶芸、童画など約1500点を所蔵している。5万坪の日本庭園は、米国の日本庭園専門誌『ジャーナル・オブ・ジャパニーズ・ガーデニング』による庭園ランキングで、「15年連続日本一」に選ばれた
-足立美術館HPから引用-
足立全康(あだちぜんこう)は明治32年(1899)2月8日、能義郡飯梨村字古川(現、安来市古川町:美術館所在地)に生まれ、小学校卒業後すぐに生家の農業を手伝いますが、身を粉にして働いても報われない両親を見るにつけ、商売の道に進もうと決意します。14歳の時、今の美術館より、3kmほど奥の広瀬町から安来の港までの15kmを大八車で木炭を運搬する仕事につきました。運搬をしながら思いついたのが炭の小売りで、余分に仕入れた炭を安来まで運ぶ途中、近在の家々に売り歩き、運賃かせぎの倍の収入を得たことがいわば最初に手掛けた商いといえます。その後紆余曲折、様々の事業を興し、戦後は大阪で繊維問屋、不動産関係などの事業のかたわら、幼少の頃より興味を持っていた日本画を蒐集して、いつしか美術品のコレクターとして知られるようになっていました。また若い頃から何よりも好きであったという庭造りへの関心も次第に大きくなっていったのです。そしてついに昭和45年、71歳の時、郷土への恩返しと島根県の文化発展の一助になればという思いで、財団法人足立美術館を創設しました。
ここも2度目の見学だった
入館料2,300円はどうなのかと若干の疑問を感じながら入館
しっかり見たいと思い「音声ガイド」を借りそれぞれ絵の説明を聞きながら見学した
入館後まず目に入ったのは「庭園」
庭園内に創設者「足立全康」の銅像があった
見事としか形容できない風景に絶句!
窓から望める庭園はまさに「絵画」だ!
絵画の撮影はできなかったので、別棟で掲げられている「横山大観室」時間をかけて見学した
水戸で生まれた「横山大観」の絵を安来で見る・・・
あらためて足立全康の功績を知ることになった
巨匠を集積した絵画、自然を借景とした庭園、入館料が安いと感じる絶景だ!