丹沢秘密倶楽部

日々の記録、思いついたこと、昔話など。最近は、俳句のこと。
俳句は読み中心で、なかなか詠めない。

地震・津波

2011-03-21 23:58:14 | 八戸
 地震も津波も、ことばが出ないというのが実感です。
 以下は、おらほの地震と津波です。

 大地震 2008、5、14 
その昔、十勝沖地震というものがあった。おらほは八戸工業三年だった。何日かは覚えていないが五月だった。時間は10時前後だと思う。休み時間だった。地震だ。地震はよくある。長いなと思っていたら、小刻みに強くなってきて、ドーンと来た。両足では立っていられない。机につかまり、机ごと右にドーン、続いて左にずずずっと揺られる。外に出ようと階段まで行ったが、揺れている階段など降りられるものではない。
 揺れが収まり、校庭集合、点呼後、解散となった。おらほは市内だったが、国鉄八戸線で通う汽車通の人たちがけっこういた。もちろん不通状態になっている。みんな線路沿いに歩いて帰った。一番遠い久慈から通っていたKくんは10時間ぐらい歩いて夜8時ごろ帰り着いたと、あとで聞いた。

 ペルー地震 2007、8、17
その昔、チリ地震津波というのがあった。昭和35年ごろのことだ。南米チリで起きた地震の津波が日本まで来たのだ。当時も予報はあった。ハワイに津波が来ているが、その津波はアリューシャンの方へ行くので、日本には来ないというものだった。しかし、北海道・東北沿岸に来た。夜の津波だった。直線的な海岸ではたいしたことはないが、港や河口は狭くなっているので、海面が急激に盛り上がるのだ。私は小学校4年生だった。家は港から1キロぐらいあるので津波の被害にはあわなかった。が、同級生の半数ぐらいの家は水に浸かった。小学校は避難所になり、一週間か、十日ぐらい休校になった。学校が始まって、教室で救援物資が被災者のこどもに配られた。衣類だった。そのときに、おおかみ君という金持ちのこどもが、「父が、辞退しろ、と言いました。」と言って、もらわなかったことを覚えている。
コメント
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