明けましておめでとうございます。
さて、今年はどんな年になるのか、現在予測不能状態です。
国立相模原病院、おらほが通っている病院です。国立病院の先生も転勤があるそうで、おらほの主治医の先生も三月末で他の病院に移るということで、近くの民間病院を紹介されました。
ということで、病院内を散策。
行幸記念碑がありました。国立病院のほとんどは、昔の陸海軍病院なのです。記念碑の裏には、臨時東京第三陸軍病院、昭和14年とありました。
病院正面入口
おととしの五月に呼吸ができなくなって、この病院で治療を受けました。
今は、3か月毎の通院です。
この病院へ来たのは、実は46年ぶりなのです。
昭和44年春、青森県立八戸工業高等学校電気科を卒業して、当時ここ、小田急相模原(駅名)にあった、東芝電子音響株式会社に入社したのです。
三池工業の原監督が、ここに新設された東海大学付属相模原高等学校の野球部監督になったころです。
駅からは一本道で、徒歩20分ぐらいでしょうか。
会社と寮は、駅をはさみ、この病院の反対側にありました。
休日は、どこへ行くあてもなく、一応商店街になっているこの道をよく歩いたものです。