詩歌探究社 蓮 (SHIIKATANKYUSYA HASU)

詩歌探究社「蓮」は短歌を中心とした文学を探究してゆきます。

人は7分間に一度嘘をつく。

2019-03-07 12:27:57 | 千駄記


口数の多い奴ほど嘘をつく黙っていれば嘘はつけない


ぼくは嘘肯定派です。

学生時代仲の良かった男友達と、とある朝
「今日は下ネタとウソを言わない日にしよう!」
と、取り決めた途端に、その日の親友との
会話がなくなったほどの嘘つきです。

ですから、嘘のない夫婦やら、嘘だけは絶対ダメという
関係を信じません。

「あんたと違って私は絶対に嘘はつかない」と
言いながら、ぼくを責め続けた何人かの人は
いくつもの嘘を残して去ってゆきました。

それが現実であって、それを何歳になっても
信用してしまう、信頼してしまう、単純で浅はかな
ぼくがバカであるわけです。

嘘が好きなわけではありません。
嘘をつくくらいなら黙っていてほしいのです。

何にも知らないほうがいい時だってあるでしょう

と、加川良は歌いました。
この「偶成」という曲は青春時代に聞いたのですが
まさにそう思ったのです。

もうずいぶんと前のことですが、海外の偉い人が
「人は7分間に一度嘘をつく」
との研究発表をしました。
社交辞令も「嘘」の範疇として、だそうです。
久しぶりに取引先から電話があったとき
「いつもお世話になってます」というのも嘘。
手紙の末文で
「ご自愛のほどお祈りします」というのも嘘。
という具合です。

いつからかぼくは無口になってしまった。
喋らないから口下手になる。
だからこそ書いて表現することを
覚えたのかもしれません。







ミヤマガラス

2019-03-06 12:39:56 | 千駄記

↑これハシボソガラス。


ミヤマガラスというカラスをご存知でしょうか。
漢字では深山烏、深山鴉と書きます。この鳥は
渡り鳥で越冬のために海を渡ってやってきます。
街中で見るハシブトガラスや
郊外で見られるハシボソガラスより
小さく、嘴も細く鋭い。
「深山鴉」なんてとても格好いい名前を付けたものです。
もちろんカラスですから頭のいい鳥なのでしょう。

今朝のワイドショーが佐賀県庁を中心に
1万羽が群れ成して生息し、鳴き声やフンで
住民が大迷惑していると伝えていました。

木には無数のミヤマガラスが!
空はミヤマガラスによって真っ黒に!

と大袈裟にレポートしていました。
木には無数って・・・野鳥の会会員のぼくなら
チャカチャカって簡単に22羽!って数えられる程度です。
ミヤマガラスは農耕地などで虫や落穂などを
食べて生きています。

同じ九州は鹿児島の出水市には同じ時期に
1万羽を超えるツルがシベリアから渡来し
3月頃まで滞留します。
「鹿児島県のツル及びその渡来地」
として国は特別天然記念物にも指定しています。
出水の冬の風物詩ですから一度は訪れたいところです。
このナベツル、マナヅル、クロヅル、カナダヅル、ソデグロヅルらも
農耕地を餌場としています。

同じ渡り鳥で同じ1万羽なのにずいぶんと
扱いが違うものです。
カラスは意外に多く詠われている鳥で
特に無頼と呼ばれる歌人は好むようです。

昔、「鴉(a)」という短歌同人誌もありました。



もはや伝説ですね。

一般的にカラスは嫌われモノですが、
仮に日本での生息数が100羽以下!なんてことになったら
保護に躍起になるでしょう。
500羽程度しか生息していないとされる
天然記念物のイヌワシが数十万羽と
なったら大問題となるでしょう。
特別天然記念物のトキですらいまや
数百羽にまで回復し、佐渡島ではちょっと増えすぎて
困っていると言われています。

「ちょうどええ」って数は何羽なのでしょうか。
人間はぼくも含めて勝手すぎますね。



晴詠3号出稿しました。

2019-03-05 17:38:44 | 詩歌探究社「蓮」情報


晴詠3号出稿しました

暖かすぎる一日が暮れてゆきました。
暖かくって泣きたくなるわ。

本日、私の個人誌「晴詠」3号を出稿しました。
原稿はしばらく前に上がっていたんですが
なんせ費用もかかりますゆえ。
昨夜、ファンの方から次はいつ出るのだ?
との問い合わせもありまして。
今号から「非売品」としましたが、そういう
ファンの方は寄付を寄せてくれるでしょう。

これから発送の段取りもぼちぼち始めます。
2号は飛脚に頼んだのですが8冊くらい
宛先不明で返送されてしまいました。
郵便系の方がその点は良いかもしれません。
郵便局に持ち込もうかしら。

3号の主な内容は画像のとおりです。
涙あり笑いありの「男はつらいよ」みたいな
内容になっています。
実際、フーテンの寅のごとく佐渡島や
伊豆に行ってきましたしね。
肩にジャケット引っ掛けて。
そうそう山に籠って流れ星も見たな。
いまから思うと夢のような日々でした。

現地でお世話になった方々にも3号は
見てもらいたいなと思っとります。
って、どこが短歌雑誌なんでしょうね。
でも真面目なうたも文章も書いてますんで
どうぞ期待しないでお待ちくだされ。



一億総裁判員時代

2019-03-05 12:10:00 | 千駄記


一億総裁判員時代

少々不気味な世の中になりつつあるような気がします。
かつては、「まあ人それぞれだし」とか「バカ言ってら」
で済まされていたような問題がいちいちSNSやネットに
取り上げられて騒ぎ立てられているように見える。
いわゆる炎上っていうんですか。
ぼくはいまのところ傍観者でありますが
当事者は膨大なエネルギーを消耗するだろうに
と思うわけです。

次に挙げるのはいずれもぼくが目にした話題です。

1.働くママ向け隔月刊ファッション情報誌『Domani(ドマーニ)』の広告。
「今さらモテても迷惑なだけ。」
「忙しくても、ママ感出してかない!」
「“ママに見えない”が最高のほめ言葉」
「働く女は、結局中身、オスである」
というコピー。特に4つめが非難の的とか。
ぼくはそもそもこの雑誌の
<働くママ向け隔月刊ファッション情報誌>
っていうコンセプトの方が違和感ありますけどね。
女性誌は特に読者対象を絞る傾向にあるらしい。
「今さらモテても迷惑なだけ。」は強烈ですね。ミートゥです。

2.2019女子ハンドボール世界選手権の幟の広告。
「手クニシャンそろってます」
「ハードプレイがお好きなあなたに」
というコピー。インパクトありますし、ぼくはこれで
今年の11月に熊本県で大会があることを認識しました。
県などでつくる熊本国際スポーツ大会推進事務局の
広告だそうですが「よし!これでいこう」っていうセンスを
疑いますし、このご時世に炎上狙いでないとすれば
どんな感覚してんのか?とは思います。
「これはきっと炎上するよ」という想像力がないのが痛い。

3.トヨタ自動車の女性ドライバーへの質問。
問い:やっぱり車の運転って苦手ですか?
選択:〇とても苦手 〇少し苦手 〇どちらでもない 〇得意です!
この問いの「やっぱり」が失礼だというのです。
果たして失礼でしょうか?フレンドリーに問いかけただけ
のような気がしますけどね。

短歌の世界でも昨年でしたか、セクハラ騒動を
ネット上で目にしましたけれども、これは
セクハラをしたとされる当事者がSNS上で
謝罪して一件落着となったようです。

昔は居酒屋や喫茶店、お茶の間で友人知人や家族と
「あれはないよなぁ」とか「不愉快だなぁ」とかって
世間話として喋っていたようなことだった気がします。

今や告発も謝罪もネット上で大衆の目に晒す世の中。
それについて有罪か無罪かをほとんどの場合
ネットの情報だけによって論じる世の中。

昔が良かったなどと言うつもりは毛頭ありませんが
自戒しつつぼくは怖いと思う。



ぼくの吉野家牛丼論

2019-03-04 18:18:12 | 千駄記



とある九月土曜十五時吉野家に俺には俺の食い方がある

このうたは、十年以上前に出した
第一歌集『解体心書』から抽きました。
お恥ず歌集ございますが、この記事には
相応しいかなと思いまして。

吉野家が28年ぶりに牛丼の大きさを変えた新メニューを加え
従来より大きめの「超特盛」と小さめの「小盛」が加わり
これまでの「並盛」「アタマの大盛」「大盛」「特盛」の
4種から6種に増える。


と、ネットニュースにありました。

ぼくは牛丼チェーンでは吉野家派です。
とは言ってもひと月に一度食べたくなる程度。
持ち帰りの場合は一個というわけにはいかないので
なるべく店で食べます。一個を持ち帰りになんか
してごらんよ。店員はきっと「あら、この大きなおじさん
寒くて暗い部屋に帰って電気ストーブの前で
顔だけ火照らせながら一人ぼっちで牛丼食べるのね」
って、思うに違いありません。
よって持って帰りたい場合は
二個以上買わなければならないのです。
すると二食連続で吉野家となりそれはそれできつい。

というわけで、やむを得ず店内のカウンター席に
腰かけて「特盛と玉子」と遠慮がちに小声で言います。
こちとら小声で言ってんのに店内には威勢のいい声が
「特盛一丁!玉子一個ぉ!」と響きわたるのです。

で、「オレの喰い方」は特段変わっていませんが
七味の蓋をくるくるっと外して大量にかける。
吉野家の七味は辛くありません。
で、玉子を醤油で解いてから、牛丼の真ん中に窪みを作って
それを流し込む。しばらくは玉子かけご飯を楽しんで
全体を食べてゆく・・というものです。
その間、どんぶりから目を離さず食べます。
人目が怖いからです。

それにしても従来の牛丼メニューにしろ、
今回の「超特盛」とか「小盛」とかって言いにくいよー。
そもそも「並盛」って差別用語じゃないか?
ほんとは「アタマの大盛」を食べたいんだけど
みなさんはそんな固有名詞を言えますか?
店員はきっと「この肉好きジャンボガイが!」
と思うに違いありません。

勘弁してほしいわ。命名にセンスがない!
そもそもこんなジャイアントガイが
「超特盛」なんて言えますか。
口に出したくないからといって、
メニューを指さしたところで
店内には「超特一丁!」と響き渡るに決まってます。
しかも店員に「いくらなんでも食べ過ぎですよ」って
思われるに決まってるわけです。
逆に、こんなビッグガイが「小盛」って呟いてもみなよ。
「ダイエット中でありながらどうしても牛丼が食べたいのね」
って絶対、店員に思われるわけですね。
哀しいラージガイの物語なのです。

ぼくの甥っ子は会話が嫌だからと
食券式の牛丼屋に行くそうです。
確かに食券を出せば「超特盛と玉子」って言わなくて済みます。
しかし、食券を受け取った店員が厨房に向かって
「超特一丁!!玉子いっこー!」なんて叫ぶに決まってるので
意味ねーし!

メニューを英語で言ったらどうか?
「並」は「レギュラー」・・うん、いいんじゃない?
「大盛」は「ラージ」・・これもまあどうにかギリ!
「特盛」は「スペシャルラージ」・・あかん。
「アタマの大盛」は「ヘッドオンリーラージ」・・全然ダメ。
「超特盛」は「スーパースペシャルラージ」・・なげーし!
名前が長くて辱めを受ける時間が長くなる一方だ!
「小盛」は「リトル」・・・やっぱりだめだ。

ぼくの吉野家牛丼論を終わります。



欲されない幸せ。

2019-03-04 12:30:00 | 詩歌探究社「蓮」情報


五月人形居並ぶ陰に売れ残る幸いあらん雛は頬笑む

ひな祭りの繁忙期を過ごした人形店は
すぐに五月人形の賑わいとなる。

旧街道をゆくと人形店が並ぶ界隈がある。
朝から雨のせいか祭りの後の静けさ。

それにしても人形店というものはよくもまあ
経営が成り立つものだといつも感心する。
少子化によってこの業界がどうなってゆくのか
他人事ながら心配したりもする。

旧街道沿いの人形店はどこも概ね
伝統と格式のありそうな店構え。
購入する側とすればできればそんな店でと思うのが
祖父祖母心なのだろう。

縁起物だから安ければいいというものでもなく
この業界だけは中古店が繁盛するなんて聞いたこともない。

ショーウィンドウを占めていた雛人形は
跡形もなくいまは五月人形が闊達に
睨みを利かせている旧街道。
売れ残った雛はどうなるのか知らないが
微笑を湛えていて、それをみると
切ない気もする。

しかし、誰からも欲されないという
しあわせの形もあるのではないか。
そんな気がした。



青春の夢と耀く短歌の光

2019-03-04 00:58:01 | 千駄記


いつしらに叶いしものか青春の夢と耀く短歌の光

小雨の一日でした。
近頃音楽を聴いていてつい眠るのが遅くなる。
今日は短歌の仕事で都会へ出た。

アイホンに変えてから音楽のダウンロードを覚えた。
附属のイヤホンで聞きながら電車に乗った。
私は昔、電車で他人が聴く音楽の音漏れが
不愉快でならなかった。
シャカシャカシャカと他人の迷惑を知ってか知らずか
っていうのが嫌だったのだが今は音漏れなんか
しねーのな。技術の進歩。

本日は一応の仕上げとなる為、覚悟して出かけたが
思った以上に捗り、遅い昼食をまたまたご馳走になり
その後はこれからの工程を打ち合わせて
夕方には終了。帰りにまたサシで酒を酌む。
初めてのお店だったが骨酒がメニューにあって、
一瞬見つめ合い「コレにしようか」と気が合う。
私は生きて半世紀。骨酒にだって思い出はある。
そんなことは語らずに味わう。

身辺の話題を語る。短歌を少々まじえながら。
また、ご馳走になった。ありがたし。

短歌とはやはり、かなしき玩具であり
悲しく、愛しく読むものである。詠むものである。

酔っぱらって帰ってソファで寝ていた。
眠っているとダメ人間になる。
目覚めてから、とある歌人の短歌をいくつか探し
メール送信して今となる。

火のない部屋は今時分になると冷え込む。




シミ。

2019-03-02 17:10:23 | 千駄記


ただ今帰宅。本日の用事は全て済ませました。

いつもどおりに出勤してメールとFAXの
チェックを済ませ妹を乗せて病院へ行く。
職人は6~7人くらい出勤してたな。
入院して一ヶ月になろうかという父の
状況を主治医が説明するというので。
年齢のせいだけではないでしょうが
いろいろの病気が出てきまして
まあ、積極的な治療はしないにしても
いつまでも病院に置いとくわけにもいかない
とかなんとか、まあそんな話だったはず。

昼でも食べて帰るかっていうんで妹と
ステーキ屋に行くと外まで行列している。
当然のごとく諦めて
以前「あそこのエビチャーハンは絶品だ!」と
妹が言っていた中華屋さんへ行く。
確かに混んではいたがカウンターに二人並ぶ。
エビチャーハンとニラタマを注文する。

「はあ、ここは完全に中国人しか働いてねーんだな」
とすぐ目の前の厨房を見ながら、熟練した料理人は
手際が良いなぁと感心してみていた。
厨房内に中国人が二人。ホールに中国人が二人。
早速出てきたニラタマとエビチャーハンを食べながら
人気店なんだろうなと思っていると
厨房内で喧嘩が勃発。

にわかに中国語の応酬となる。ホールで働く中国人男女は
見てみぬふりで何とも言うわけでなし。
ぼくの目の前で次第に声がデカくなり怒鳴り合っているわけで
どちらかが凶器でも持ったら止めに入るしかあるまいと
行く末を見守る。やがて口論は終わったがそれぞれが
怒り冷めやらぬ様子でブツブツ言いながら
オタマやら皿やらを乱暴に扱ってやがる。

そんなさなかホールの中国人に
頼み忘れていたので
「餃子頼んでいいかな」なんておそるおそる
追加を頼む。
どうにか食べ終えてホールの中国人に手を振って
店を出る。

さてと、と何気なくアイホンを見ると
つまり、シミがついとる。
妹にほら!これ!中国人の喧嘩に
巻き込まれたんだ!と泣き顔を見せる。
当初は水だろうから乾けば消えると
思っていたが一向に消えぬ。
ガシャンガシャンとオタマなんぞを乱暴に
扱うから油が飛んだのね。
その瞬間を見ていても言えなかっただろうなぁ
と呟きながら新しいアイホンケースを
買って帰ったのでした。

まったく、ほの暖かな土曜日にいったい
私は何をしていたのでしょう。

おしまい。





Yahoo!ブログ

2019-03-01 12:42:43 | 詩歌探究社「蓮」情報


朝戸出の舗道は湿る逃げざりて乗り越えざりて凌ぎたるのみ


朝の空気は気持ちの良いものです。

ところで「Yahoo!ブログ」が
今年の12月をもって閉鎖されるそうです。
2005年に運営が始まったとのこと。
ぼくは間もなくYahoo!ブログを
開設したこととなります。

最初は「釣り日誌」みたいなもので、
続けてゆくうちに短歌の度合いが
強まってゆくこととなります。
小文の訓練にはなったような気がします。
とっくの昔に閉鎖してしまいましたが、
あのブログをやっていなかったら
歌集を出版していたかどうかっていうくらい
ぼくにとっての分水嶺でありました。
人生が変わったともいえます。
いまのぼくの心は短歌の人間関係で
作られているようなものですから。

いずれにしたって縁ですね。
良縁も悪縁もありますが人との関わり合いが
心や精神を成長させるのでしょう。
つまり人柄を形成してゆく。
人格って程のものではありません。

ぼくは柄は悪いけれど人柄くらいは良くありたい。
さらにスケールが大きくなりますと
内村鑑三のことばを胸に刻むようになります。

「人生の目的は金銭を得るに非ず、品性を完成するにあり。」

ぼくは死ぬまで銭を羨むのでしょうけれども
心持くらいは品性の完成を目指したいものです。