一昨日、ようやく鹿児島市内のタンタドにある
名越左源太の別邸跡を探し当てることが出来た。
あと残るは左源太さんのお墓。
資料にあった「長谷場墓地」でちょっと検索かけてみた。
以前にも試してはみたのだけど、自分自身が知識不足・力量不足で
書かれたあることにピンと来なかったのかもしれない。
そんなことってあるものなんだなぁとつくづく思い知らされる毎日。
以前は探し当てられなかったことが、幸いなことに
最近になっていろいろ引っかかるようになって来た。
ついでに言うと、長谷場墓地が福昌寺跡のことらしいというのも
以前資料で読んでるはずなのに分かってなかったし、
やっぱり今になって理解出来ることというのがが沢山あるのだ。
で、今回の収穫。
http://www2.synapse.ne.jp/hanjirou/nan/nagosi.htm ←☆残念ながらリンク切れてます('17. 4.29追記)
南洲墓地や顕彰館に関わりのある方が生前書かれたものらしいのだけど、
ここに、「坂元墓地に移された」ようだと書かれていた。
(*ページをめくっていくと全ページ循環している構造です。
じっくり読むととても興味深いことがたくさん書いてあります。
南洲墓地の「名越」さん二基はウチとは繋がりが無いことも分かりました)
すっかり歴史探訪の日々で、時々ふと
「これまでの事をまとめた外部ブログでも書いてみようかなぁ」と
思ったりしていたのですが、既に同じようなことやってる人はいるもので
こんなページを見つけました。
《福昌寺跡(島津家墓地)訪問記》
http://homepage2.nifty.com/kamitaku/KAGKAN56.HTM
残るはお墓探しなんだけど、
その前に県立図書館で「鹿児島県史」などを読んでみる予定。
それとは別に、左源太の書いた(描いた)ものもみられるかもしれない。
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《追記》写真を載せてみました。
*昨日、家に帰ってから写真を拡大して見てショックだったことが、、
NagoyaのNがMと書かれていて「Magoya」になってる~っ!
英訳の文も”…and”のあと「Shodo(書道)」が抜け落ちてるし……。←☆「Japanese calligraphy」の前('17.4.29追記)
どこに問い合わせたらいいものやら。。 ↑末尾に"a"があるの、いる?