☆☆ゆきのおと Yuki's Note ♪☆☆

☆名越(なごや)左源太時敏の玄孫が綴る日々のあれこれや家族の歴史. 
☆記事・写真などの複写・転載はご遠慮ください

「なぜ?」mixi日記より

2008-03-10 11:19:39 | 名越左源太と家族
名越左源太(時敏・のちに泰蔵)に関する日記が続いているけど、
しかも、いくつかのコミュにも左源太のことを書き込みしてるけど、
そもそもなぜ左源太なの?
と、お思いの方もいらっしゃるかも知れませんね。


なぜ?
なぜ、左源太のお墓を探しているの?

「左源太さんのお墓参りをしたいから。」
そう、結局はそういうことなんです。


じゃぁ、なぜ、左源太さんなの?

「ご先祖様だから。」

ご先祖様のお墓がどこにあるかが
なぜ、わからないの?

「左源太の次男の代に、台湾へ渡って、
その子供、さらに孫の時代に戦争に負けて
日本の本土に引き上げて来たから。」


おまけに、父は終戦前の旧制中学卒業と同時に
四国松山の海軍航空隊の予科練入隊のために台湾を離れ、
終戦後引き上げてきた家族の当時の状況が詳しくはわからないから
名越家の家系図など現地台湾の人に預けたらしいということ以外、
父が昔台湾で見せてもらったことがあるという
左源太が書いた絵図や原稿(「南島雑話」にも関わる原本の一部?)も
どうなったか知らない。


       ☆☆☆

*永井亀彦編集発行 『高崎崩れの志士 名越左源太』 1934年
「南島雑話」を書いたのは名越左源太である、と初めて書かれた本がある。
《参考サイト》
http://sagenta.nature-f.com/?eid=137070 ←☆リンク切れです('17 4/30追記)

今年になって父から聞いたことだけど、
その頃(1934年だから昭和9年)だろうか、
祖父(父の父・左源太の孫)が
「あの原稿も資料として渡しておけばよかったなぁ。」とか
「原稿があれば提供出来たのになぁ。」とか
話していたことがあったそうだ。
初耳。こんな逸話が予期せずポロッと出て来る。
その祖父は昭和23年1月に亡くなっている。


*終戦からしばらくして、1949年(昭和24年)に
『高崎くづれ 大島遠島録』(名越左源太翁日記)
永井亀彦編/西南文化研究会 
という本も出ているらしい。
一時期話題になったそうだ。

発行年が違うが、書名が似ているのでちょっと混乱してしまう。。

しかしいまだに一部その道のかたがたには話題にしてもらってもいる。
そのお陰で、こうやって調べることが出来るのは本当にありがたいことだ。

       ☆☆☆

それはともかく、
以前ウチにも来られてご自分で調べまとめられた冊子を届けてくださった
左源太の長男の家系の方(内○八紘さん)の資料によると、
宮崎在住の、左源太長男(時成)直系の子孫の方はあまり左源太のことや
その子供のこと、その後どうなったかなどはご存じなかったらしい。

その上、八紘さんの資料に載ってたのは、以前の
移設前の長谷場墓地のお墓のことだった。

ということは、今現在、左源太のお墓のことを知ってる人は?
左源太さんのお墓にお参りする人がいないんじゃないの?!
と、思ったわけです。

だから、少しでも早くお墓を見つけてお参りをしなきゃ
左源太さんに申し訳ない!!
そういう理由だったんです。


そう、お墓参りが出来れば、
左源太については一区切りつくと
そう思っているんです。
 
コメント (2)
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坂元墓地で猫の兄弟に出会う(mixi日記より)

2008-03-10 02:21:10 | mixi過去日記

  

朝から雨の一日。

夕方になって雨がやんだ。
迷わず、父を誘って出かける。

猫2匹に出会って気分が和み、機嫌もすっかり良くなった♪

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

*携帯から写真付き日記を書こうと思ったら、
あまり長い文章が書けないから上手くいかなかった。。
ちょっと書き足しておきます。(3/10 AM 9:46)


        ☆☆☆


'08 3/9(日)4時半頃、雨が小降りになったので
名越左源太のお墓があるらしい市内の坂元墓地に行ってみた。


手許の資料には、福昌寺跡の長谷場墓地(現・玉龍高校)に
左源太のお墓があると書いてあったのだけど、
これまでに再三行って探してみても島津家のお墓ばかり。

そこで、前日ネットで調べてみた。
http://www2.synapse.ne.jp/hanjirou/nan/nagosi.htm
ここに書かれた(記事の中程)話によると、
都市計画のために改葬を余儀なくされ、今は坂元墓地にあるらしいのだ。

墓地管理事務所を調べてみると、興国寺墓地と兼務になっており、
しかも、「友引」の日が休み、とある。
これを知ったのが、7日の夕方。
カレンダーを見ると翌8日の土曜日は「友引」だった。

では、日曜日に行けるかなーと思って天気予報を見ると、
昼前から雨になると出ていたので、さらにガッカリ。。
雨の中のお墓探しはちょっとしんどいからね。

「これじゃぁ週明けになるなぁ…」と思っていたところ
夕方になって雨が小降りになり、ちょっとばかり陽も差してきたわけ。
これじゃぁ行くしかないでしょう!ってんで出かけた次第。

坂元墓地までは自宅から車で20~30分くらい。
団地が広がる小高い山を3つ4つ越えて行くから
ちょっと出かけるには結構な距離。

結局また雨が降ってきたんだけど、道路に沿って連なっているお墓を
とりあえず車で往復してみることに。

車を止めるスペースがあったので、
傘差してチョッとだけ辺りのお墓を見てみようとしたら、
白い猫が横切って行った。


この猫の顔がちょっと変わっていて面白い。
真っ白な体に顔だけま~るく薄墨を塗ったよう。
コントに出て来る"こそドロ"みたいな顔してるな~、と思った。
それか、昔のビートたけしがやってた「鬼瓦ゴン蔵」か。(笑)

車を降りると、子猫の声。
さっきの猫?と思ったら、お手洗いの前にあるベンチに
黒白の猫が。
目が顔の真ん中に少し寄ってて、か~わいぃ~♪

すぐにさっきの白い猫もやって来た。

2匹の顔を良く見ると、、似てる!!
目が寄ってるうえに瞳のまわりが少しブルーがかった色をしてた。
可愛かったな~。

お墓を観て回ってるとずーーーーーーっと付いてきて
私と父が立ち止まって墓石を見てる間は
2匹で辺りを追いかけっこしたりじゃれ合ったりしてた。

「また来るねー、またね~♪」と言って墓地をあとにした。

雨も降ってるし、そろそろ日没という時間に着いたわりには
15~20分程じっくり見て回れた。
でもほんの一区画。
結構大きな墓地なので、後日再挑戦です。
 

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