いつもお読みくださって、ありがとうございます
先日書いた記事、『④ 第22代・継豊公夫人の墓、二つ』
2022-07-05 カテゴリー: 福昌寺跡島津家墓地
ここに、
「 継豊公の跡を継いだ長男「宗信公(第23代)」の母が妙心院殿であり、宗信公は江戸の芝藩邸に出生、その兄が22歳で早逝し、跡を継いだ二男「重年公(第24代)」(母は島津嶺松院殿)は鹿児島鶴丸城に出生
とある。(『島津歴代略記』参照)」
と書きました。
また、以前『島津氏と北郷氏と禰寝氏の沼へ 』2021-09-07 を書く際に
カテゴリー「 島津重年公の母・嶺松院殿 」を作っていました。すっかり忘れていました
上記記事ではWikipedia情報として、
「また、島津重年は島津継豊の次男として鹿児島城で生まれ、加治木島津家当主・島津久季の養子となる。なお、継豊と母・登免(○松院殿)との子は重年(幼名・善次郎、久門)一人であった、」
ということも書いていました。 (この「◯松院殿」の◯については当時の書き込みでは〈(※○は山冠に松←Wiki情報による〉『島津歴代略記』では「嶺松院殿」」ということでした。)
この数日写真を整理する中で、福昌寺跡の島津家墓地の案内図もだいぶ見慣れて来て、気付くことも多くありました。
その中で、島津重年公の実母「嶺松院殿」の墓の位置も把握できました。
例によって写真を撮った当時は詳しいことはわからないままに撮りまくっていました。
今回は、2018年6月13日に撮ったものに近くを写したものがありましたが、
この時は重豪公と斉宣公の墓所を巡る目的でした。
→『調所笑左衛門などの刻銘を確かめに』2018-06-14 18:00:37 | 歴史探索
撮りためた写真の中で探したところ、そのものズバリの写真はありませんでしたが、
近いところを撮ったものがあったので、一度整理するためにここに貼っておこうとと思います。
福昌寺墓地の丸十紋の門扉から入った先には
(上↑,下↓,画像 2017.6.4撮影)
島津重年・重豪・斉宣3代の藩主の墓所への入り口があって、(以下、2018.6.13撮影)
更に進むと、一面緑の空間が広がっています。ここの雰囲気も好きな空間です
すでにお馴染みの「福昌寺墓地 案内図」です。
この上部に「21代 重年」とあり、その右隣には「継豊後夫人(重年実母)」とあります。
ただ、「嶺松院殿」とは書かれていません。
前回記事の「宗信公実母の墓」も写真整理してる中で気づいたもので、こちらが二人の後夫人のどちらなのかすぐにはわかりませんでした。
3代の墓所区画(画像中央)の入り口から入るとすぐ、左手に龍の手水鉢(?)のようなものがあります。
で、この通路の先にあるのが重年公の墓。更に右奥へ進むと、公の実母「嶺松院殿」の墓があるのですね。
まだ奥へ入ったことがないので、次回はお参りしてみたいと思います。
※「嶺松院殿」‥‥ 継豊次男・重年実母。
島津求馬久房の女子。お登米。
☆ 以前書いた関連記事↓もあります
『第24代藩主・島津重年と嗣子・重豪 』2019-05-26
カテゴリー| 第21代藩主島津吉貴と継嗣島津継豊
では、また