いつもお読みいただき、ありがとうございます
今回は、玉里島津家2代・島津忠済の墓所です。
案内図には「久光男子」とあります。
☆玉里邸は斉興公が隠居後に暮らし、ここで生涯を閉じたと『島津歴代略記』にもあるので、初代は斉興公かと思っていたところ、Wikiで確認したら、明治4年に分家して出来たのが「玉里島津家」とありました。
Wiki(上記の各リンク)に詳しくあるので、そちらをお読みいただくとして、ここでは写真を並べることにします。
今回の写真は2018年6月13日に撮ったものです。
福昌寺墓地の東側の石塀。
手前の入口へ。
島津忠済墓所入口の門扉です。
福昌寺墓地へのメインの入口よりも右手にこの門扉があります。
中へ入ってみます。
「従一位勲一等公爵島津忠済卿・田鶴子 墓」
大正五年二月とあります(Wiki 情報によると、忠済卿は大正4年8月19日歿)
島津久大(ひさなが) は忠済卿の三男(Wiki「島津忠済」の項による情報)
男爵・島津隼彦 、男爵・島津忠夫
(一部敬称略)
木漏れ日が良い感じの静かな空間でした。
☆ 実は私の母校が玉里島津家屋敷跡地に今もあるのですが、あの頃は「日本史」どころか郷土史にも疎く、まさかこうして歴史をあれこれ綴ることになるとは、全く想像もしていませんでした(笑)
では、福昌寺跡の島津家墓地については一先ずこの辺で。
ありがとうございました