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さて、FBでは9月17日にタイムラインに載せていたのですが、ブログでも書いておこうと思っていた事柄です。
予告していたように、こちらにも記しておきます。
(後日編集し直すかもしれませんが、以下、FBよりのコピペです。)
今月に入ってすぐくらいかな、気になってた事をネットで検索していたら、鹿児島市のデジタルデータに先祖の名前が載っていた。
古地図に載ってる「三原藤五郎」とか先祖の縁戚筋の「倉山藤五郎」とか名前がかぶってるんで、こんがらがってしまうのです。。(曾祖母ツタが「三原家」出身でもある)
( トップ画像を差し替えました。(2020.10.17)
福昌寺で6月23日に撮影したものに「三原藤五郎武○」とあったのを思い出したので貼っておきます。この方がどんな関係があるのかまではわかりませんが。。。関連記事→『本立寺跡へ、ちょこっと福昌寺へ』)
そこで、とりあえず「三原藤五郎」で検索したところ、この史料↓(下記リンク)のp.29に「花尾大権現」に関する文書があり、「側役趣法掛 三原藤五郎藤原義礼」とありましたが、同じページに「栗川権十郎藤原用行」とあったのでびっくり!(この人、曽祖父・轟の養父です)
『 第11編 資料編(PDF:11022KB) - 鹿児島市
また、「倉山藤五郎」の名前は以前書いた『倉山久籌は島津登久包の義理の弟だった! 』に出ています。
カテゴリーが違うので、探しにくいかと思い、こちらにもリンクしておきます。
「倉山作太夫久籌の長男・久昌の長男「藤五郎」という人がいて、(どこかで見たような‥‥)と思ったら、
永吉島津家「貴久公四男家」(中務家)を継いだ、タネの実弟「久籌 権五郎主殿又七」の長女・フユさんのところに「倉山藤五郎妻」と書いてある」
<補足:要するに、タネの姪っ子が倉山藤五郎の奥さん、というわけですね>
「藤五郎 西南役薩軍狙撃一番左小隊長 於佐土原戦死 ‥‥
室 島津又七久籌長女冬(永吉家)」
また、藤五郎の父・久昌の妹・ヌイさんは、「島津求馬久邦室」であり、
ヌイさんの息子「久能」さんも「応 吉織衛 西南役戦死 ‥‥ でした。。
室 比志島静馬範雅女」
☆ 下の画像は南洲神社にある「西南の役戦歿者名簿」鹿児島からの参加者欄です。
中央に「倉山 藤五郎」とあります。一人置いた左隣には「栗川久澄」の名前も。
☆ 「栗川久澄」の関連記事 → 『今和泉島津家と永吉島津家と 』をご覧下さい。