今年6月、父方祖母・フク(婦久)の実父・寺山用之の命日25日に書いた「曾祖父・寺山用之の命日と曾祖母の名前」で、祖母の実母の名前が「スキ」であることを確認できたものの「旧姓」も「生没年」すらも分からない、と書きました。
その後も気になって、翌7月10日に市役所支所に行き、「寺山用之」の戸籍謄本・除籍謄本等を確認したのです
父が「もう残ってないだろう」というのですが、「轟の戸籍謄本等があるんだから、まだあるはず!!」と出掛けました
思った通り、3種類の書類が残っていたので新たな事がいくつも分かりました〜
まず、曾祖母「スキ」の生没年は、
慶應三年(1867年)十二月十八日生まれ でした
※ ↑補足(2019.10.20)
旧暦から新暦に変換するサイトによると、1868年1月12日になるようです
で、旧姓ですが、
「明治十九年五月十日に鹿児島郡稲荷馬場町 町田藤蔵 長女に入籍ス」とありました
これについては未だ良く分かりませんので、のちの課題。
没年については、「明治三十二年九月二十五日 午前十一時 臺北縣 臺北北門街二丁目三拾八番戸ニ於テ死亡
同 十月三日届出 同 十一月二十日受付」
となっておりました。
奇しくも、今日が曽祖母・スキの命日です。
(明治32年って‥‥1899年? 今年は没後120年ということか〜?! 知らなかったとは言え、申し訳ない…)
一方、寺山の爺さんの後添い・平山チカさんの生年月日については手元に「位牌」しかなく、分かりません。
ただ、位牌に書いてある没年・命日が「昭和十六年 四月 十二日 帰趨 於 (台南)麻豆」とあり七十五才で亡くなっていますので、逆算すると、、、
西暦で1867年生まれ‥‥ ということは慶應三年生まれで「スキ」さんと同年ということが分かりました〜
また、祖母・ふく(婦久の草書表記)には 兄・用麿、姉・節 の二人がいた事も分かりました。
兄・用麿さんは、明治21年8月27日生まれ、残念ながら大正9年に32才になって間も無く小倉市で亡くなったようです。
姉・節さんは、明治25年5月17日生まれ、大正5年7月に清水町151番地の肥田木健介さんと結婚し、除籍。
ふくばあちゃんは、明治27年(1894年)11月27日生まれで、大正2年(1913年)4月15日 18歳の時に篤彦(31才)と結婚。
節お姉さんより先にお嫁に行ったようですね。
これからわかる事は、実母・スキ(旧姓:町田?)が亡くなったのは、ふくばあちゃんが5歳になる前のことで、上の二人もまだ子供だったということです。(兄・用麿が11歳、姉・節が7歳)
それで、寺山用之じい様は後添いに平山チカさんを迎えたのではないでしょうか。
だから、ふくばあちゃんは平山チカさんが実母のように育てられたのでしょう。
で、台湾でもふくばあちゃんとも一緒に暮らし、前に書いたように寺山の爺様と最後まで添い遂げたんだと思います
ありがとう、チカさん
‥‥にしても、なんで籍を入れなかったんだろう??
先妻・スキさんへの配慮?
いずれにしても、ボヤけていた姿が少しだけ鮮明になって来たように感じます