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☆名越(なごや)左源太時敏の玄孫が綴る日々のあれこれや家族の歴史. 
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木脇啓四郎と『南島雑話』

2019-10-16 02:30:44 | 木脇啓四郎

以前から気になっていた事のひとつに「木脇伊左衛門」のことがありました。

 

 2008年4月23日の「そもそもの始まりは」に 頂いたコメントで、

「名越篤烈」が書いた史料に「木脇伊左衛門」についての記載があるそうで、「名越篤烈」を知らないかとのご質問の方があったのですが、コメントが書き込まれたのは2010年8月2日でした。

 

生憎この時分は「名越篤烈」が「名越左源太時敏」と同一人物とは分かっておらず、またこの「ひろみ」さんのご先祖様「木脇刑部左衛門祐秀」についても名前を見たことあるような‥‥という程度でした。

 

ず〜〜っと気になりながら、つい最近、木脇啓四郎という人物が「南島雑話」の写しを命じられ作成したことを知り、ようやく調べてみる気になったところです。

☆きっかけはこれ → 「島津豊久像からの木脇啓四郎

 

 

「木脇伊左衛門」で検索して知ったのですが、平成25年3月10日に鹿児島市立美術館で 「木脇啓四郎描くー幕末・明治の薩摩藩文化官僚の画業」という催しがあったようですね。

 「木脇」の読みは「きのわき」のようです。

    木脇啓四郎(きのわき けいしろう 1817~1899)

  

 

「鹿児島市立美術館 木脇伊左衛門」で検索すると、この時の資料が[PDF]で出ていたのでダウンロードして読んでみました。→ 演題:『木脇啓四郎 人と業績』 講師:丹羽 謙治(法文学部教授)〈 http://hdl.handle.net/10232/16938 〉

 

また、上記イベントタイトルの、鹿児島大学附属図書館の「講演会記録」のページで上から4番目の「panels.pdf」を読むと、出生から始まり生涯に渡っての詳しい動向・業績が紹介されています。→〈 http://hdl.handle.net/10232/16937 〉

 

☆『木脇啓四郎と沖縄・奄美』 の項に、

「明治18年(1885)夏頃に、名越左源太がまとめた『南島雑話』の写本を、鹿児島県少書記と奄美大島金久支庁長を兼務する新納中三の依頼を受け作成している(22年6月完成)。」

とあります。 

 

 

 「木脇刑部左衛門祐秀」での検索では、Wikiの木脇 祐秀(きのわき すけひで)」がTopに出ています。

続けて「木脇刑部左衛門祐秀 名越篤烈」で検索したところ‥‥‥ 

桐野作人先生のブログ「膏肓記」のコメント欄がヒットしました

1月20日の書き込みで、書き込み主は「木脇moひろみ」さん……って、同一人物ですよね?

 

ちょっとこれでは見にくいので、別表示で見てみると‥‥

2012年9月16日の「鹿児島講演と史跡取材」という記事でした。

で、ひろみさんの書き込みは2013年の1月20日だったんですね。

こちらにも丹羽謙治先生のお名前が出ていました。

 

 幕末の木脇啓四郎は便宜上「唐湊系」で、本家直系の「祐秀系」との区別表示をされているようです。

 

この記事書き始めたのは午後4時だったのですが、

こんな時間になってしまいました〜 (←今夜はもっと丸っこい月)

 

いやぁ〜、こんな展開になるとは思っていませんでした。

では、今夜はこんなところで

お休みなさい〜

 


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