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☆名越(なごや)左源太時敏の玄孫が綴る日々のあれこれや家族の歴史. 
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川上式部邸跡と「授産社跡」

2019-10-19 11:31:49 | 都見物日記プロローグ

いつもお読みいただき、ありがとうございます

 

さて、間が空きましたが、今日は『都見物日記』です。

なかなか思うようにご紹介できないのは、構成力の無さだとつくづく感じているのですが、

曽祖父・轟の長姉、イサさんの嫁ぎ先の川上家について書いていないことに気付きまして、FBで書いた記事から再構成して記しておこうと思います。

 

以下、9月15日の自身のFB記事より 

   ☆☆☆

 

 『都見物日記』を書いた川上イサさんは、曽祖父・轟の長姉で、夫・川上久逹の父・川上式部久美は島津斉彬公・忠義公の時に家老を務めた人。


※〈補足〉

トップ画像は、時成さんのご子孫・内村氏の『名越左源太と長男・時成(変名・三笠政之介)』より

(なお、「川上久辰」とあるのは「川上久逹(ひさゆき)」の誤植と思われます)

 

画像の中のイサさんの説明に「明治二十三年第一回帝国議会を見学に上京して‥‥」とあるが、イサさん一行が議会を見学した様子は日記には見受けられません。
帝国議会が開かれたこの年、お江戸上りをする人が多かった、と書かれています。

川上式部の邸は武之橋近くでした。

イサさんの旅日記の最後にも武之橋入り口まで帰って来たことが書かれています。



『鹿児島城下絵図散歩』(高城書房)の中の平成現在の地図によると、この敷地あたりに「授産社跡」と記されている。

 

 「授産社跡」がよく分からず検索かけてみたところ、拾い物。

「第二章 鹿児島の近代化」703ページ、749ページなど興味深い。

 https://www.city.kagoshima.lg.jp/.../2012510154932.pdf

 

   ☆☆☆

参考までに、黎明館『薩摩藩家老の系譜』があります。

こういうものに特に詳しいわけではないので、時間がある時にじっくり読んでみたいと思います。


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