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☆名越(なごや)左源太時敏の玄孫が綴る日々のあれこれや家族の歴史. 
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5月11日 令和3年は入梅、13日には有川様と鰻を戴く(明治の旅日記)

2021-05-13 17:51:53 | 「都見物日記」と令和3年(2021年)日記

 まずは『都見物日記』です

 

5月11日、12日は一泊二日の日光山社参詣

「5月11日 上州日光山へ参詣」

9:20 京橋の宿屋から馬車で上野停車場まで

     →汽車で宇都宮まで→馬車で日光まで

      夜9時に宿屋・神山へ着く

 

「5月12日 日光より宇都宮まで参り〜東京へ帰る」 

お天気良く宿屋・神山を早くに出ると、

9時には日光を見学・参詣(12時ごろまで)

日光までの道中も、両脇の杉木立ち、6〜7里(約24~28km)は松・杉も素晴らしく

実に感心されたご様子

その後少々雨模様  日光の宿屋・神山へ戻り、昼食を摂るとすぐに

馬車で宇都宮まで→午後4時には宇都宮の停車場から汽車で上野停車場まで

夜7時過ぎに上野着、馬車で新橋まで、そこから三人連れで歩いて宿屋へ戻る

 

 

 昔の旅は大変そうだけど、その分じっくり旅気分を味わえそうです。

コロナ禍の現状ではまだまだ難しいですが、世の中が落ち着いたら

ゆっくりと旅でもしたいものですね

 

 

「5月13日 轟殿は電信の事、有川様が二度登場」 

13日は雨模様  

 轟殿は電信の事に付(ツイ)て八時ころよりいで 外にも用事ありたる事

 出た「電信の事」

 御母様、私 留守にてお風呂入りに行き、それより十二時比(ゴロ)に

昼飯には両人連れにてそば食べに行き

 帰りがけ陶器少し御母様と買い 内へかえり、久々にて今日はゆるゆると有之候。

 ぜんぜんと雨強くせわしき事也

 御母様と談しするには、

鹿児島へ帰りには船に何かコンダ(今度は)食べ物をちんと持ちて行きますがなあ

はりはりしそうな物が好(ヨ)う御座りましょうな、此節帰りには決して酔いはしませんとな、など両人にて談にて候

 

 昼頃に轟殿かえり今日は有川様へゆきて昼飯は松田料理屋にてたべたとの事

 それより三人とも昼寝して五時迄ね、今皆々起きおる処に有川氏 此方(コッチ)へお出にて

今晩は夕めし御相手お願申上度との事にて、私迄も同道いたし

鰻にて飯、酒など御馳走の事にて候。八時頃には帰り 内にてゆるゆるとやすみ候。夕方より雨もやみ候

 

 前日のお疲れもあってか、轟じい様(この当時は40歳)が昼過ぎに出先から戻ると、

三人とも夕方5時までお昼寝したご様子です

 

ここにて登場される「有川様」はどちらの「有川様」かわかりませんが、

鹿児島市の興国寺跡の墓地に行った時に「有川家」の墓石を見たことがありました。

 

(画像奥は島津家のどちらかの墓石群)

 

 鹿児島は11日にはたっぷり雨が降り、

午後には梅雨入りの発表がありました

昭和31年(1956年)5月1日の梅雨入りに次いで早い入梅だそうですが、

その分梅雨が明けるのも早いのかというとそんなことはないそうで、

長〜い梅雨になりそうですね〜

 

 


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