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☆名越(なごや)左源太時敏の玄孫が綴る日々のあれこれや家族の歴史. 
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「田沼時代」は安永・天明年間

2022-06-16 13:42:46 | 第21代藩主島津吉貴と継嗣島津継豊
前回に続き、『英雄たちの選択』からもう一つ。
 
昨夜は「田沼意次」の回だったけど、その中身というよりその年代についていろんなことが気になった。
 
「田沼意次」… 1772(安永1)年, 幕府老中。子の意知(おきとも)と共に田沼時代を現出。(1719〜1788)
(※「広辞苑」より)
 
江戸中期、第9代将軍徳川家重の小姓を経て側用人となり、第10代将軍・徳川家治から老中に登用されたわけだけど、正直このお二人の将軍には馴染みがなかった。
 
 第8代将軍はよく知られた徳川吉宗、第11代将軍は徳川家斉で、松平定信を老中に任じ「寛政の改革」を行なった。
 そのお二人の間に埋もれた印象。
 
田沼時代の後半には「天明の飢饉」(天明2〜7年)、天明の大火(天明8年1月晦日, 京都の大火)などもあった。
年号を順に網羅しているわけではないので、田沼時代を確認すると、
 
・安永(1772. 11. 16 〜 1781. 4. 2)後桃園・光格天皇朝の年号
・天明(1781. 4. 2 〜 1789. 1. 25)江戸後期、光格天皇朝の年号
 
とある。
 
1700年代といえば、薩摩藩・島津吉貴、島津継豊を思い浮かべるのが私の性(さが・性質)なのだが、これも確認してみると、
・島津吉貴 … 延宝3(1675)年生まれ - 延享4(1747)年没
      宝永元(1704)年襲封
・島津継豊 … 元禄14(1701)年生まれ - 宝暦10(1760)年没
      享保6(1721)年に藩主襲封
 
※ どの時代にも天変地異あったわけですが、享保元年〜2年には霧島山大爆発を繰り返した模様。
 また、享保年間、延享年間にはそれぞれ江戸の桜田・高輪の藩邸が延焼し、出費はさらに累増したそう。
 
☆おまけ:吉貴・継豊の時代に鹿児島郊外の武に黄檗宗の寿国寺を建立
 「寿国寺」についてはブログでコメントいただいている「クマタツ1847」さんの
  ブログ記事「鹿児島にあった笑岳寺と寿国寺」をぜひご参照ください
 
ということで、田沼よりもだいぶ前の時代になるわけですね。
 
では、「田沼時代」の薩摩の藩主はというと‥‥長くなるので、また次回。
 
 

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