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☆名越(なごや)左源太時敏の玄孫が綴る日々のあれこれや家族の歴史. 
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14年間の軌跡(3)

2022-03-19 23:33:37 | このブログのこと

前回『14年間の軌跡(2)』からの続きです

 

高祖父・名越左源太のことが分かればそれで済む、と思っていたのは大きな間違いで、名越氏を初代が名乗ったのが島津吉貴公の時代で、その吉貴公の世継ぎを産んだのが、名越家始祖の妹・須磨(月桂院殿)ということで、島津氏のことを知っておかなくては分からないと、『島津歴代略記』を読んだはいいのだけど、分家のことまでは詳しく知ることもなく、そのうち新聞の連載記事やツイッターなどで歴史に関するものを読んだり、黎明館の「分家のチカラ」などの展示を見に行ったりして少しずつ理解できるようになりました。

 黎明館企画展「分家のチカラ・弟たちの役割」を観に行ったのは2017年2月でした。

ブログ「おじゃったもんせ」ご紹介』 2017-05-08 11:06:37 | 歴史探索

 

また一方で、祖父母から、曾祖父母へと遡り先祖のことを知ろうとしても、曽祖父の戸籍謄本を見る限りのことしか分からなかったので、曽祖父の養父母についてのことがさっぱりわかりませんでした。

 

というのも、明治時代に曾祖父母、祖父母が台湾に移り住み、しかも昭和期には戦争があり、敗戦で台湾から引き揚げる際に家族に関するものなど一切を現地の知人に預けて来たらしく、養父家についてはさっぱり分からない状態で過ごして来たのです。

因みに、私の父は兄弟の末っ子、父方の祖父母は私が生まれる前に他界しておりましたし、父の兄二人・姉二人もすでに亡くなり、遠方に住んでいたので曾祖父母や祖父母について知りたいことも知る術もなしでした。

 

養父母の墓も家系についても手がかりも繋がりもないまま、曽祖父の姉・兄家族についても何の情報もありませんでした。

唯一わかることといえば、曽祖父の兄・時成子孫の方がまとめられた綴りからの情報でした。

 

この時成兄といえば、「薩摩藩英国留学生」のことも知っておかなくては、と思っていると、いちき串木野市に新たに記念館ができたりして、関連する事柄も増えて行きました。

そういえば、「町田久成」や「西村天囚(時彦)」とも繋がりがわかった時には

本当に、「我が家の家系って‥‥一体‥‥。」と、戸惑ったものです。

 

その上、曽祖父がどういうわけか西南戦争に参加していた、ということもあり、またそちら方面のことも知らなくてはならなくなり、「もうこれだけでも手一杯だ〜!」と思ったものです。

 

ところが周りの状況といえばそんなこと御構い無しで、『篤姫』の実家・今和泉島津家のことや、玉里島津家、さらには時代をうんと遡って、島津氏初代からの流れや宗家・分家の動向、地元の歴史もと、次から次に関連する事柄が容赦なく増えて行きました。

 

 

「名越氏」だけの話ではないことがだんだんとわかってきたのはこの数年のことでした。

養父の家系のことや、高祖父・名越左源太の弟が継いだ町田家のこと、薩州家のこと、

そこからさらに膨大に広がる家、家、家、‥‥。

 

そういうことですので、この辺りでそろそろ手を打とうかな、と思っているところです(笑)

 


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