いつもお読みいただきありがとうございます
前回『14年間の軌跡(1)』に続き、これまでを振り返り、総括してみようと思います。
とっかかりは「名越左源太」という人物を(高祖父ながら何も知りませんでしたので)知るところから始まりました。
何しろ地元の歴史も、関わりがあるらしい島津家などについてもさっぱり頓着ない歴史オンチでしたので、母が買い集めたらしき歴史資料(主に書店で入手できる程度の出版物)の中から、『「さつま」歴史人名集』(稲葉行雄 / 高城書房)を見てみたのです。
名越氏や我が家の名字などを目にし、島津氏の項目でたくさんの「〇〇島津家」「△△島津家」に戸惑いつつ、とりあえずは母がメモしていた「島津吉貴」「島津継豊」「須磨」のあたりから「探って」行くことにしました。
また、『島津歴代略記』でも、初めは「吉貴」「継豊」のあたりだけ読んでみましたが、一方では大河ドラマ『篤姫』を追って行くのに明け暮れていたようにも思います。
2002年に、地元紙の南日本新聞で連載されていた名越(なごし)護氏の『南島雑話の世界』が1冊の本として出版されていたのですが、新聞連載時は読むことはありませんでした。
※あとがきによると「2001(平成13)年 6月5日から9月20日まで35回にわたって連載され」たようです。
本が出たのは2002年5月25日でしたが、新聞連載の2年前に母が亡くなっており、父ももちろんのこと、私にしてもそれまでとは違う、母の存在しない生活を送ることに懸命だったためか、その頃のことはあまり記憶に残っていないのです。
実際にその本を読むようになったのは、mixiを始めた2006年頃からだったように思います。
それからです、そこからが苦悩の始まりでもあり、迷宮に嵌って行くことになるとは、思ってもいなかったのです。
何しろ「名越左源太」さえ分かればいいと思っていたのですから‥‥。
( →『14年間の軌跡(3)』へ続きます)
前回、タイトルを「軌跡」と書いたつもりが、「奇跡」と書き間違えました〜
修正しておきました