小さい画像はクリックしてみて下さいね
アルバムにもアップしましたが、
http://mixi.jp/view_album.pl?page=2&mode=photo&id=10296460
お由羅騒動の発端にもなったという密会・密談があったのは、
この屋敷跡ではなく、たん靼冬(タンタド)の野屋敷、名越家別邸だそうです。
まあ言わば、場所を提供しただけだと思っているんですが。
ドラマ『篤姫』時代考証をされた原口泉さんも
「左源太は野屋敷を提供し密会にも加わったが、
久光暗殺論まで飛び出し、門閥の名越家では
『そういうことはできない』と、連署から名前を抜いたのだろう。」
と仰っています。
以前から、たん靼冬(タンタド)の"名越どんの坂"と野屋敷跡を探して
何度か付近の坂を通ってみるのですが、未だ見つけられません。
市の観光課で訊いて行ってみたかったのは
左源太の墓と、ここなんですけどね。
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☆補足:
《名越左源太時敏とは》
http://www.city.amami.lg.jp/naze/museum/museum/sonotanobunnkazai.htm
「柏有度(かしわ ゆうと)」の次の記事です。
左源太が描いた奄美大島の風習・風俗の絵もいくつか載っています。
《南島雑話》
http://www.ebookjapan.jp/shop/title.asp?titleid=1748
フォトチャンネルを作りました('19.7.24)