☆☆ゆきのおと Yuki's Note ♪☆☆

☆名越(なごや)左源太時敏の玄孫が綴る日々のあれこれや家族の歴史. 
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そもそもの始まりは

2008-04-23 17:05:19 | これまでの経緯

私が名越左源太の名前を初めて聞いたのは、20年程前の事でしょうか、
母が先祖の事をいろいろ調べ始めた頃だったと思います。

「お父さんのひいおじいさんは『南島雑話』を書いた人で
名越左源太っていうんだよ。」とか
「ウチは元々は北条家の流れ(*)で、
島津継豊の母親は名越家の人で(「これまでの経緯-1」
もとは江戸高輪のお豆腐屋さんの娘だったんだって。」などと話すのですが、
「…なごや…さげんた?……なんとうざつわ?」と、当時は全くワケが解らず、
ただ、「ふ~ん…。でもそれが、今のウチとどう関係あるの?」といった感じでした。
(*後に、北条家の流れを汲むのは別の名越氏であることが判明しました)
      ↓
    下部に☆☆☆《補足》☆☆☆


母はその頃、自分たちのお墓を建てようとしていて、
ちょうど父方の(私から見た)祖父の50年祭も近い事もあったりで
銘碑に刻む先祖の名前や没年・系譜を調べたのが始まりなのではないかと、
9年前になくなった母の遺品を整理する中で思い至ったのでした。


その中で、父方の祖先に名越左源太と言う郷土史にも名の知れた人物がいて、
更にその祖先を調べると島津の殿様に嫁いだ女性の兄が
島津家に仕えるようになったのがそもそもの始まりだとわかり、
(父は左源太については自分の先祖の事なので当然知っていたのですが、
極々身内のこと故にそれまで別段話をすることも無かったんじゃないかと思いますが、)
そこから今度は島津家の事を調べ始めたらしいことが
残された数々の資料から推測されます。


・ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

…と、ここまで書いたところで
念のため父に訊いてみたら、それより以前に母は既に知っていたそうです。(^^;)
母はもともと歴史が好きだったらしい事も初めて知りました。あはは。。



☆☆☆《補足》☆☆☆2017年3月9日

(*)この「北条家」かどうかに関しては、
時成の子孫の内村氏からのお話があり、(*)内の文章を書き足したのですが、
左源太の家も北条家の流れを継いでいるのではないか、との話もあります。
ちなみに、家紋は三笠(開いた三本傘)。
曾祖父・轟の兄、名越時成の変名「三笠政之介」の三笠はこの家紋から付けたとのことです。

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5 コメント

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名越篤烈の名をご存知ですか? (ひろみ)
2010-08-02 23:11:41
初めてメールを差し上げます。
東京在住のひろみと申します。「名越篤烈」という人物をご存知ですか?同氏が書した天保2年の史料に当家の先祖「木脇伊左衛門」の手がかりが記載されており、著者について探している時、こちらのブログを見つけました。ご存知でしたら是非お教えください。
私の先祖も薩摩藩士で幕末の5代前は、島津斉彬公のもと西洋砲術に精通し御軍賦役(軍司令官)の任について長崎海軍伝習所に薩摩藩の筆頭で参加。木脇権一兵衛(=賀左衛門)小松帯刀の日記にも記載あり、遡る戦国時代の先祖は島津義弘公とともに朝鮮出兵、関が原の戦いに参加した木脇刑部左衛門祐秀です。私はこの流れの本家直系子孫です。
返信する
ひろみさんへ (ゆき(’-’)♪)
2010-08-05 08:18:34
ひろみさん、はじめまして。コメントありがとうございます。

残念ながら、歴史に詳しいわけではないのでご希望に添えずにすみません‥‥。

ウチの先祖に関して言えば、21代島津吉貴の時代に薩摩入りし、名越姓を興した家系です。

ひろみさんのご先祖は、それより以前の義弘公に使えられた木脇氏の家系なのですね。

検索サイトでチェックしたところ、沖縄県立図書館所蔵で、『薩摩藩名越左源太篤烈編「常不止集(トコトハ)」』(原本は袖ケ浦島津公爵家臨時編輯所所蔵)とありました。

記したのが「名越左源太」ということなので、おそらくウチの先祖とも繋がっているのだと思われますが、家系図等、戦後の内地引き揚げの際に、祖父が台湾現地の方に預けたまま行方知れずになっていますので調べる手立てがありません。。

もっと何かわかると良いのですが。。
また「名越篤烈」についてわかりましたらこちらにも書いてみようと思います。

これを読んだ方で少しでもお分かりの方、よろしければご協力をお願い致します。
返信する
名越篤烈のその後 (ひろみ)
2010-08-19 22:59:52
ゆきさん、私なりに名越篤烈について調べておりますが、ゆきさんのご先祖の左源太さんと同一かかなり近しい存在だと思えます。現在、本件についてご専門の方にお尋ねしていますので、なんらかの回答がいただけたら、ご報告します。ゆきさんもご覧になった沖縄史料を追って閲覧しようと思います。『トコトハ集』に先祖の大事な手がかりが収まっております。その著者が名越篤烈とあるのです。偶然、東大史料編纂所で見つけました。何か分かり次第ご報告いたします。
返信する
「名越篤烈」と「名越左源太」の関係 (ひろみ)
2010-08-20 11:20:41
ゆきさんへ
名越篤列と左源太さんの関係はやはり現段階でわかりませんでした。『幕末維新大人名事典』の「名越左源太」部分を執筆ご担当された方にメールと電話でお尋ねしましたが、手がかり無しでした。ゆきさん同様サイトで確認した沖縄県の史料をどうにか探して閲覧し、解題に手がかりが書いてあればと思っております。諱や通称ではなく、雅号だった場合は史料も乏しく分からないと同上の専門家がお話くださいました。以上ご報告まで。ゆきさんは鹿児島市在住でしょうか?先祖調査で今年も訪鹿するつもりです。お目にかかる機会があれば、他にも臺湾、奄美(沖縄)の話がしたいと思いました。曾祖父母は明治以降に仕事で沖縄にわたり、曾祖父母の兄弟は臺湾にわたっておりました。
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名越篤烈は左源太時敏 (ゆき)
2017-03-09 19:17:25
このコメントのやり取りからのち、どうやら名越篤烈と名越左源太時敏は同一人物で間違いないであろうと黎明館の資料室長さんからお話を頂きました。
天保2年の史料、読んでみたいです。
コメントいただいたときには今以上に知識もなく、ひろみさんのコメントの奥の深さに気づきませんでしたが、改めて見てみるととても興味深い!
「木脇刑部左衛門祐秀」についても勉強しなくては。

以下、最初に頂いたコメントのコピーです。

「名越篤烈の名をご存知ですか? (ひろみ)
2010-08-02 23:11:41
初めてメールを差し上げます。
東京在住のひろみと申します。「名越篤烈」という人物をご存知ですか?同氏が書した天保2年の史料に当家の先祖「木脇伊左衛門」の手がかりが記載されており、著者について探している時、こちらのブログを見つけました。ご存知でしたら是非お教えください。
私の先祖も薩摩藩士で幕末の5代前は、島津斉彬公のもと西洋砲術に精通し御軍賦役(軍司令官)の任について長崎海軍伝習所に薩摩藩の筆頭で参加。木脇権一兵衛(=賀左衛門)小松帯刀の日記にも記載あり、遡る戦国時代の先祖は島津義弘公とともに朝鮮出兵、関が原の戦いに参加した木脇刑部左衛門祐秀です。私はこの流れの本家直系子孫です。」
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