- 作った人は 渡辺喜三郎
西の宗哲
東の喜三郎 と言われた名工
作らせた人は 益田鈍翁
溜塗の太夫棗
太夫というのは松のことで
中国の秦の始皇帝が松の木の下で雨宿りをして
その木に 太夫の位を授けたのがもとで
松のことを 中国では太夫というそうです
太夫というのは官位で 五位
中は黒の塗り
紙のように薄く 軽い 棗です
沢庵 愛松をもって 之を作る とあります
鈍翁さんの箱ですね
鈍翁さんが始めたお茶会が東の大師会
と
光悦をしのんで始まった西の光悦会
日本を代表する茶会ですね
それぞれに
すごいお道具が出るそうですが
私は行ったことがありません 残念
益田鈍翁という方は
利休以来の大茶人 とか 数寄者の代表格に言われますけれど
三十六歌仙を切らせたことで有名ですよね
切るといっても
もともと1枚づつ書かれて ノリでつないであったのを
はがしたに過ぎないようですが
そういうことがあって
今の重要文化財の制度や
個人美術館などの法人化で
相続税などが発生せず
文化財が散逸しないように
保護されたのは 凄い功績かもしれません
どこかの展覧会で個人蔵で拝見できるかも。
ちなみに鈍翁さんは三井の大番頭さんですね。
三井物産を作った方です
東京の展示会の片隅で見つけました
とても こんな片田舎にあるようなお道具ではないと思いますけれど
これも 出会いです
念ずれば通ず で
お道具すきもかなり末期です 笑