こんばんはー!!
ハー、まさかの飛び石→フロントガラス交換で、心も新たに走り出して1時間後にまた小石が飛んできてフロントガラスが若干欠けました、、、はー、、、
ま、いっか(*_*)
ところで、
ときどき生徒が言う言葉に、
「難しいですね」
ってのがあります。普通に字で書くと特に違和感のある言葉ではないし、何か文句言ってるわけでもないし、難しいから難しいって言ってるだけで何も問題なさそうなのですが、
んー、私はこれを聞くとめっちゃ違和感感じます。
何が違和感なのかなー??と考えてみたんたけど、
「難しいですね」
って言う言葉の裏のメンタルが多分イヤなんだろうな。
イヤっていうと、個人的な趣味みたいになっちゃうけど、それじゃー伸びないじゃん??習う意味ないじゃん??つかそんな難しいこと言ってないし!!
みたいな気持ちになるのかな?
でももっと言えば、
「ヒャー!!難しーい(≧∀≦)!!」
なら、全然良い。そーだそーだ、頑張れー!!と思う。
一見簡単なことでも、実際にやってみたら難しいことはたーっくさんある。それに気づいて、ひゃー!!と悶絶しながらも、立ち向かう感じがある。チャレンジしてるからこそ、「難しいー!!」と思ってるわけだから、その「チャレンジ」こそが100点で、その積み重ねでついに「そっか!」とか「できた!」とか「簡単だった!」があるって思うわけ。
でも、
「難しいですね」にはちょっと見客観性があって、冷静な判断のできるヤツって雰囲気を醸しつつも、「あなたの要求はちょっと法外ですね」という雰囲気が感じられ、チャレンジしなくても自分のせいじゃないよね、っていうメンタルが感じ取れちゃうんだよね。
「難しいからできなくても悪くない」
という匂いがして、はぁ??となっちゃうわけ。
やってみる前に、いやちょっとやってみてすぐ出来ると思ってるなんて、どんだけだよ?みたいな。
「できなくてもいい」はある意味正解なんだけど、それは「今すぐには(できなくてもいい)」という言葉が付いてこそ正解で、「今すぐ」にはできないけど、「ちょっとずつチャレンジしてできるようになる」ってことに意味があるのに、
(今すぐに)出来るかどうか、というお手軽なモノばかりじゃないんだよってことも世の中にゃたんまりあるってこと、
で「今すぐできない」ことなんて、当たり前で何も悪くないんだから、正々堂々、うぉー!!難しいー!!と悶絶すればいいのであって、その過程やその先にこそ何かがあるのに、「自分の現在持っている能力」だけに価値があるかのように考えているのか、その能力を超えると「難しいですね」のひとことで、「もはや自分の能力のキャパシティを超えてますから受け付けません」というメンタルで自分自身を守ろうとする、その根性が勿体無いし、そんな姿を見るのが嫌なんだよね。
そういうのを見ながら、なんだか教育ってのがいかに「インスタント」な感じで流れてきたのか、、、ってことに想いを馳せたりする。
前に「タブレット」の教材のことを書いたことがあるけど、
考える過程とか、七転八倒して苦しんだ挙句にパッと閃くとか、 コツコツ考えるとか、出来るまで諦めないとか、体に入るまで何度でもチャレンジするとか、もがき苦しむが這い上がるまでやる、、、
そういうのをすっ飛ばして、
いかにお手軽に、苦労しないで、考えなくても、手っ取り早く、効率よく、習った通りやればいい、、、
そういうことに特化して来すぎちゃったのかな?
わざわざ苦しむことはないし、苦しめば何か得られる、とも思わない。
やってみなけりゃわからないが、やってみればわかるってほど簡単でもない。
「これをやっていけばできますか?」
さあ?どうかな?
そんな甘いもんじゃないでしょ?
「これをやるために、どんな方法がありますか?」
これならいろんな方法があるはずだし、ゴールが明確だから、いろんな方法であっても、やって行った先には、何かゴールに至る手がかりがあるに違いない。
でも、
何かをやるときに、「ただやってればできる」なんてことはまぐれくらいしかないと思う。
「こうなりたい」
と思って、あれこれチャレンジし、先生や仲間からの助言やヒントを元にさらに試行錯誤&チャレンジして行くとその進んだ先に、また新しいヒントが落ちてるかもしれない、、、
そんなもんであって、
「こう言われたからやる」とか、そんなことでできるようになっても、実は案外役に立たない気がする。
自分がやりたい、できるようになりたい、こんな風に、、、
その欲求があってこその指導なりヒントなりであって、
何となくポカーンと口を開けてたら餌が落ちてくる、、、みたいなことじゃない。
だから、
「難しいですね」
とか言ってちゃ、何も変わらないし、何も進まないって思う。
与えられ慣れしすぎなのかな??
芸は盗むモノだよ。「教えてもらう」ことなんて、ほーんの一部のほーんのちょっとしたヒントに過ぎない。もちろん、そのヒントの中にダイヤモンドのような素晴らしいモノも時には入ってるから、それを見逃さない「目」も必要だよ。
でもそれを含めて、自分で「盗む」くらい神経を研ぎ澄ませて、どんだけ盗めるか勝負だよね。
盗んで来てから、どれが自分のためになるかは使ってみたり試してみたりしていけばいい。
「難しいですね」と言って、お宝を持って帰らないのじゃ、何しに来たのか分からない。
そんな風に思っちまうんだよねー。
出来ないことにチャレンジし、無様な姿でのたうちまわる、その方が勇気がいるんだ。そんな勇気のある人こそ、素晴らしいって思う。
私もその勇気を持って、チャレンジする人間でありたい!!!頑張ろう!!!おー!!