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夕螺の一言日記

毎日心に浮かんだことなどを書いてみたいと思います。。。(2014年3月13日開設)

「4月 8日という日」

2025年04月08日 07時42分56秒 | 「何を思ってた?」(旧ブログまとめ)
【2025年】ツイッターつぶやき
保護主義は戦争に。
トランプ関税とロシアへの接近はアメリカとヨーロッパにくさびを打ち、経済面でも軍隊でもヨーロッパはアメリカ離れを模索する。
ドイツは選挙で中道右派と極右が勝利した。同時に過去の戦争を忘れるかのように軍備を増強している。先の戦争を忘れるのはヨーロッパ全体となるでしょう。
日本はアメリカにより対中国の最前線に組み込まれた。しばらくはアメリカ離れをできないでしょうが、改憲の道はアメリカ離れを進めるかもしれない。
アメリカの保護主義は経済の混乱だけではなく政治の混乱を引き起こして先進国資本主義を混乱させる。もちろん経済面では先進国資本主義の矛盾は吹き出しつつあったが。株式への投資が国家を豊かにするが、国民生活を窮乏化させる。トランプ関税がこの経済面での投資を崩した。だからと言って国民生活委が楽になるものではないでしょう。

≪過去の記事≫

【2004年】
野球はあまり好きではないのですが、昨夜巨人戦の中継を見てびっくりしました。空席が目立ちます。一昨年だったか、たまには東京ドームに行こうとチケットをとったことがありましたが苦労をしました。今年は案外手に入るかもしれません。
巨人も監督の不人気もあるのか?あとあまりにもスーパースター(打者だけですが)がそろいすぎて面白みがなくなったのか?
オリンピックにアメリカのバスケットのドリームチームが出てきてしらけてしまったことがありましたが、同じような気持ちがありますね。。。。

【2005年】
今の季節、人の格好を見るとさまざまです。
まだ冬を引きずったような人もいれば、Tシャツ1枚という人も。まぁ、暑さや寒さは人によって感じ方が違いますからね。
そういえば、電車の中で妊婦さんを見ました。
少子化といわれるだけあって妊婦さんもそうは多く見なくなりました。マタニティーもおなかが目立たないようにもなったのかな?昔はよく妊婦さんに席を譲ったものでした。たまに妊婦なのか自腹なのか判断に苦しむときもありましたが(笑)自腹の女性に席を譲ったら大変大変。。。ハハハ

【2006年】
一時空が真っ暗になったので雨が降るのかと心配しましたが降らずに済みました。
今夜は春らしく竹の子ご飯にしました。
スーパーにはもう生の竹の子が出ていましたが、アク抜きのやり方を忘れたので水煮にしたものを買ってきました。何を入れて柔らかく似ればよかったのか。。。。?米のとぎ汁だったか?
子供の頃、お袋がアク抜きに失敗をし、苦いというのか渋いというのか。。。。あの口の中に広がった感覚を忘れません。そういえば、まったく嫌いというわけではありませんが、今も竹の子が好きかといえばそうは好きではありません。カレーの中のジャガイモ同様、子供の頃に嫌いになったものは後々まで影響しますね。人参も嫌いになったものの一つ(子供はみんなそうですが)でしたが、これは大人になったら食べられるようになりました。ピーマンも。。。そういう意味では、子供の頃に嫌いになったものというよりも、アク抜きに失敗した竹の子も、カレーの中のジャガイモも嫌な思い出という面で引きずってきたのだと思います。
だからカレーでなければジャガイモは好きですし、柔らかく煮た竹の子もうまいと思うときがあります。
ただ、子供の頃のこういう思い出をいちいち思い出すというのではなくて、本能的というのか、脳味噌の奥深くから出てくるような拒否反応のようなものです。

【2007年】
(記事なし)

【2008年】
夜中に吹き付ける雨の音で目が覚めました。
朝起きると、東側の出窓に雨が吹きつけていました。まるで台風です。
妻と子どもを駅まで車で送りに行ったのですが、散る桜の木も風に揺れてガクもたくさん落ちていました。道路の上にピンク色の桜のジュウタン。新緑の季節になっていきます。
オリンピックの火が風前の灯に?
イギリスやフランスではすごい騒ぎになっているようです。
フランス革命が掲げた自由・平等・同胞愛の近代市民主義の諸原理は、その後市民社会や民主主義の土台となった。一方で、理性を絶対視し、理性に基づけばあらゆる社会の改造や暴力も正当化しうるとした
(ウイキーペディア「フランス革命」より)
正義といえば暴力に訴えてもよいという間違った自由主義がはびこり始めています。植民地主義も先の二つの世界大戦もこの自由主義の醜い一面が出たものでしょう。アテネでは、一部の急進派チベット人による偽物の聖火が点火されたそうです。
マスコミは中国のチベット政策に批判する輪が広がっているといった事を報じていますが、あんがい、チベット人にしてもイギリスやフランス人にしても、急進的な自由主義者の一部の人々の騒ぎかもしれない。
ダライラマ師は、平和主義者であるという。その意味からしてチベット仏教界やチベットの主流からすれば暴動や聖火リレーを妨害するという事は、本意ではないのかもしれない。

【2009年】
(記事なし)

【2010年】
子どもたちが”こてっちゃん”が食べたいというので昨夜はこてっちゃん。
よくスーパーでも売っている味付けされたモツを炒めて食べる商品ですが、我が家では手作りのものが”こてっちゃん”として定着しそうになっています。
生モツを使った味噌風味の”こてっちゃん”風。。。。。
まず、生モツを1時間から1時間半ほどボイルします。そして冷めたら食べやすい大きさに切っておきます。
焼きダレを作っておきます。
味噌、醤油、酒、砂糖、味醂、七味唐辛子、ごま油。
フライパンに油を引いて低温でニンニクのスライスを炒めて、風味がでたらニンニクは小皿にとります。ニンニクの風味が移った油で先ほどのボイルしたモツを炒めます。
さっと炒めたらニンニクを戻して作っておいた焼きダレをいれてまた炒めます。水分は出ませんから焦がさない程度にさっと!!
好評でした。。。。。

先日、朝日新聞に載った夏生さんのインタビューをゆっくりと読みました。
太字は引用です。
人は、その心に浮かぶものから個々ばらばらに考え行動をしています。その個人が集まって社会生活を送っていますし、二人という最小単位からもその関係性を持ちます。一期一会もあれば夫婦関係もあり、親友もあり、騙す人間と騙される人間という関係もあるでしょう。さまざまな関係性を必ず個人は持ちながら生きています。水の分子は個々ばらばらに運動をしながら時にはぶつかり合いながらも水というまとまりのあるものとなり、雨が降り川となり海に流れていきます。人も同じようなものではないでしょうか。
この個々の人たちが二人という最小単位から社会という大きな流れを形成しているわけですが、その関係性において個々の人はさまざまな行動を自由に行うわけですがここに悪や善も生まれます。しかし、100%悪という人はいませんし、100%善という人もいません。強さも持ちながら弱さを出しながら人は生きています。この意味において「悪意は敵ではない」し、だれでもが持つ「愛が救い」関係にもなるわけです。人は水のように川を流れ海に流れます。それが社会であり、現在の今という時間の中にある人と人との関係性になっています。それは人が繰り返し世代を超えた中に形成してきた今現在の社会という形です。長い歴史のスタンスで見るならば、人は悪から善に、弱さから強さに自らを発達させてきていることが見えます。その原動力の一つが「愛」でしょう。
人が持つ愛は、心に芽生える愛は、いつも個々の人間や社会と摩擦を繰り返します。この摩擦の中から悪意が生まれることにもなる。愛が悪意となる。愛というのは男女間の愛や家族間の愛というものでもありますが、人間愛でもあり、さまざまな事象に対する愛おしみでもあり、仏教的には愛は執着ともなるわけです。愛は弱いものでその半面にある悪意に変わってしまうものです。ですから人が人を憎み金勘定で動いたり、社会がまっすぐに発展をしていかないわけです。その中で、愛が人の悪を憎むという矛盾も生まれます。愛が正義の戦争となったり、愛が個人攻撃を繰り返したり、愛が悪意に変化する過程となっています。ここに「悪意までも愛する」ことの難しさや悪意が「本当の悪い敵ではなく、なくすことができる」という視点を持つことの難しさがあるわけです。
神と悪魔は一体のものです。
しかし、上にも書きましたが、人の社会は少しづつ発展をしてきました。愛が執着となってもその執着は科学を発達させ、哲学を発達させ、社会科学を発達させ、文学などの芸術を発達させ、さまざまな分野において人は「愛に救われる」事を実証してきました。これは人がその歴史において逆流を受けながらも「悪意までも愛する」こと、「本当の悪い敵ではなく、なくすことができる」事を実証してきたと見るべきでしょう。この中に今現在という社会や人間関係に生きているわけですから、人は今現在に与えられたこれまでの歴史からの遺産を受け継いで発展させることは可能となります。
人はいろいろと考えながら生きなければなりません。いつもそうの人たちははじめは少数派でした。それが多数派となり力を持ちました。それを信じたいと思います。
夏生さんが言いたいことは、何も社会活動をしようとかということではないでしょう。自分の中にある愛を信じよということでしょう。それは一人ひとりが持つ愛を信じようということでしょう。愛の波長が重なれば小さな光となる。それはその愛がひとりの人間の救いとなる。この最小単位が大切だということなのではないのでしょうか。それはいつか大きな波となる。悪意は心に悲しみを起こします。しかしその悲しみの波も重なり合えば愛となります。
夏生さんの詩は、初期には若い男女間の愛の芽生えともいるような恋の詩でした。その中に心の微妙さを描きました。ガラスのような弱い愛。でも、何かに確信を持とうと。その後は夫婦関係やその別れの中に愛を見ていたと思います。それはもっと複雑な心の微妙さだったでしょう。これを読者に投げかけて愛を描いていたと思います。そして今は、また違った愛を描き始めているものと思います。その転換点は、僕が見るには「銀色夏生の視点」前後かと思います。またここにどんな愛を描くのでしょうか。夏生さんご自身の変化と発展があるのかな?
僕は夏生さんの「カイルの森」に救われた。「愛」は救うのです。

【2011年】ツイッターつぶやき
今朝からツイッターに書いたものをまとめてこちらに転載しました。
震災そして原発事故から一ヶ月ですねぇ。。。
地震の復興はどうにかなりますが、その復興を遅らせ日本はおろか世界に恐怖を与えた原発事故はこれから数十年の歳月を費やして復旧されるのでしょう。
地震・津波、原発事故は経済というものにも波及をしてきました。これは経済的先進国の日本ですから、この経済の混乱も世界に影響します。
いろいろと社会の中に動きが出てくると思います。国民生活は低下することは間違いないと思うのですが、その生活の停滞が全国民的に平等に進むということはないでしょう。新たな経済格差が増大したり、雇用・賃金面にも波及して3・11以前からもあった矛盾は拡大されます。
原発問題はこれから大きな議論になっていくことでしょう。。。。
自衛隊のあり方も自然災害や事故に即したものに一部を改変する必要も出るかもしれません。国民は騒動も起こさずに整然とした行動で自衛隊に銃を必要としないことを示しました。
政治や経済の動向を監視しましょう。。。。

【2012年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2013年】ツイッターつぶやき
時間がないのでツイッターから。。。。

呉越同舟。。。。「それが人間」。しかし今の「人間」は小さくなるパイを分け合うのにどう騙し取るがの生存競争。離れていてもどこのだれかもわからなくても心を一致するものが大切になっていますね。
見苦しいなぁ。。。。社会の様々な場で注目を浴びなくなった時の自己アピール。
そういえば、子供の頃、人の嫌がることやいじめなどをして自己アピールする子がいたなぁ。。。。周りはうっとうしいだけなのに。でも、一人二人はそれをよいしょする子もいた。クラスは暗くなるばかり。
自己アピールもいいが、ゆがんだ自己アピールやそれをヨイショすることでその自己アピールに便乗するという自己アピールではあねぇ。。。。
うっとうしいゆがんだ自己アピールにうんざりして、騙されないようにと気を使い。。。。ストレス社会はさらにひどくなる。だいたいが一部の人たちのこのような言動に多くの人々が巻き込まれてストレスは強くなるわけです。
朝日新聞朝刊に、シリーズものの「限界にっぽん」の記事があった。「追い出し部屋」の現実。追い出し部屋の部署名は格好がいいが中身は指名解雇の場。これへの批判は強くなる一方ですから国や企業は解雇規制の撤廃をしたくなるわけですなぁ。騙されて解雇されるのはひどいが騙しを法制化するのは最悪。
社会の矛盾があれば国民の批判が多くなる。そこでこの矛盾を「当たり前ではないか」と法律を変えて矛盾を当たり前にしたら、矛盾が消えるという論法で社会が動き抱いているのかもしれない。経済理論も同じですね。格差批判があるならこの格差を当たり前とした経済理論を開き直って作る。
今のリフレ・アベノミクスに反対や懸念を示すと、デフレ派とか「デフレ脳」などと位置づけられるのか。。。。。将来的な超デフレ論者から?

ツイッターからの転載にもありますが、今「追い出し部屋」という実態が大企業の中にも出ていて当然これは社会問題化されるべきものです。そしてもっと広がれば社会問題化されて今の社会の矛盾となるでしょう。この矛盾の解決法に解雇を正当化するという一つの矛盾をはらんだ解雇規制の緩和が出てきます。この解雇規制の緩和が法改正されれば「追い出し部屋」という社会矛盾がなくなるから。。。。。。
少し前からねじれ国会という中でも「決められない民主主義」といった論法が出ていました。本来は国会内が数の力で動くという矛盾があり、どのような政策が国民生活を豊かにするかという視点がない国会運営が問題なわけですが。そうすると民主主義というのは邪魔なものではないかという論理が出てくる。民主主義が問題化されないためには民主主義を規制すればいい。。。。という論理に。
こういった邪魔なものはいい悪いではなくてなくしてしまうという論調が矛盾解決のための一つの矛盾としての解決法となっていくわけです。
このような論法もやはりゆがんだ自己アピールなわけでして、そこに便乗する人々もたくさん出てくる。
社会の矛盾はその矛盾を解決すしか解決はないのですが、その矛盾を「当たり前ではないか」と開き直って当たり前にして矛盾を矛盾ではないとすることは、矛盾の拡大と後世に矛盾を残すことになるでしょう。

【2014年】ツイッターつぶやき
東京の桜も終わりですなぁ。。。。
桜の木の下を通ったらハートのような花びらが1枚落ちてきたので捕まえようとしたのですが。。。。
ハートはつかめなかった(笑)
今朝、体脂肪計に乗ったら。。。。
体重(BMI)は確実に減っているのですが、体脂肪は落ちて筋肉量が減っている。当然基礎代謝も落ちてます。
筋肉トレーニングもやっているんですが。。。。。どういうことでしょ?
がっくりです。。。。

(3年ほど前に書いた架空のお話です)。。。急ブログを整理していたら出てきたので。

203〇年怪しい寺のような神社のような教会のような建物が作られた。
時々お年寄りが入っていく。小さなバッグ一つで。。。。。
坊さんのような神主のような牧師のような人物集団がお布施を集めて大量のお供えを作っていた。お布施は貧しい人たちのせめてもの供養の心だった。
奥の院には巨大な洞窟があり、そこにはさらに第4(し)の洞窟と呼ばれる深い洞窟もあった。
ある日90歳になるお年寄りが「じゃぁ、そろそろ・・・・」と身支度をはじめた。息子もやっと70歳になり、自分がもう長くはないと悟ったお年よりは旅たつ決意をしたのだった。「お前もやっと70になったね。年金をもらえるね。これで安心だ」
「行ってしまうか・・・・・・」
「ああ・・・じいちゃんのところへ」
「俺もあとそうは長くないか」
「・・・・・・・・」
「じいちゃんの年金と来年からのお前の年金でどうにか暮らせるだろ・・・・」(年金支給は70歳からになっていた)
「じいちゃん生きてれば100歳かぁ。。。。。」
「これ、変なことは言わないこと。。。。生きてるんだから。」
また一人寺のような神社のような教会のような社に入っていった。
政府の統計が出て首相がニコニコしながら談話を発表した。
「日本も100歳以上のお年寄りが1万人を越えました。安心して暮らせる豊かな日本の象徴ではありませんか!しかしこの超高齢化社会を支えるには国民の協力が必要です。。。。」
(つづき)
大学卒業の就職率はすでに50%を切っていた。政府は雇用促進のための雇用確保のために企業負担を考えながら「正社員雇用禁止法」を作り平等の原則からすべての雇用を日給月給制のアルバイト・パートに限った。
国民年金納付率がついに20%台に入り政府は年金法抜本的改正としてすべての年金を消費税として徴収することを発表した。
国民健康保険制度の破綻が見えはじめ、平均寿命は10年前から徐々に下がり始めた。それでも超高齢化社会は変わらずに統計では現れ、毎年政府は日本の豊かさと長生き日本を世界に誇った。
「ジャぁ。。。。俺もそろそろ・・・・・」
「行くか・・・・」
「お前も年金需給か。。。。いくらだ」
「月6万弱」
「えっ?消費税をこの前上げたからもっともらえるのでは?」
「そんなわけないだろう!」
「俺の年金は昔の制度だから18万ぐらいある。。。これがあれば・・・」
「150まで生きてくれ」
「孫の〇男は?」
「40になるがまだ職が見つからない」
「・・・・・・・」
「あそこに行って150まで生きてくれ」
(つづき)
204〇年新聞の一面を使った広告が出た。
「ご好評にこたえて!!
皆様にご安心をお届けして参りました第一施設に引き続き広大な富士の裾野に発見されました大洞窟を当社が開発をいたしまして第二施設を皆様にお届けいたします!!
当社では医師を常駐させその設備も万全にサービスを提供いたします。ご本人またはご家族のご要望があれば実費にて即座にサービスを提供いたします。また、プライバシーの完全保護を最重要と考え、死亡時の行政への届けなどはご家族の暖かいお気持ちで行っていただくために当社では一切プライバシーに立ち入ることはいたしません。
また以上のことにより皆様には格安なご契約を保障させていただきます。
ご家族を愛するご高齢のあなた!!
ぜひ現地見学会にお越しください。
      株式会社 〇〇     」
富士のきれいな裾野の写真があった。。。。
次の新聞のページには、あるホテルの広告があった。
「従業員募集!!
当ホテルでは最低賃金法に基づく賃金を保証いたします。
前年改正された最低賃金法では、雇用促進に積極である企業において、その賃金支払能力に満たないと企業が判断した場合にはこの法は適用されないとありますが、我がホテルは優良ホテルと自負しておりますので最低賃金は保証いたします。
またお客様は海外の方が100%となっており、その将来性も保障されるところです。
      要 日常会話程度の中国語
          ホテル〇〇        」
政府閣議で決定
「公務員および大企業における雇用時の混乱を避けるべく、またその資質の継承と責任を考慮し世襲制および縁故制度を認める」


旧ブログのまとめです。数日に分けて書いたものでまとまりもなく知りきれトンボです。時間があるときに続きをと思っていたのですが。。。個人的なメモというところかな。

     (1)
一部高速道路の無料化を「社会実験」という言葉で現していたように思う。
高速道路料金については、土日・祝祭日は1000円というものが来年なくなるようで、その後は検討中らしいが、すべての高速道路無料化というマニフェストはチャラになり、車種による上限が新たに検討されているようです。軽やエコカーは1000円、その他の普通車は2000円が上限に。予備曜日に関係なくということは平日も?
3歳以下の子供に子供手当て。これもマニフェストがチャラになった中の代案ですが。
そのほか政府によるいろいろなバラまきが行われていくわけですが、これが一つの社会実験となることはたしかでしょう。
また、「休暇分散化」というものも検討されていたようですが、休む日を分散化させることによるメリットやデメリットが。これもまた社会実験でしょう。
さらにこの社会実験というものがすすむと、医療費や教育といった国民生活になくてはならないものの無料化にすすまざるを得ません。それが社会民主主義という社会実験にすすむ。
そうなると国の財源が問題になり、消費増税が出てくる。
そこで社会実験ですが、以前にも書いたように労働者の労働力を買ったときにも5%の消費税をかける事が検討されてもいいのではないでしょうか?企業は個別の競争からはんれて平等な支出となり、賃上げを形を変えたやり方でできる。この消費税には益税を設けたり、中小零細企業には還付も必要でしょう。これにより個人消費は増えるわけです。
今アメリカが40兆円・ものバラマキをして個人消費がクリスマス前に伸びたといいますが、これまでの日本の景気対策と同じように早ければクリスマス後には破綻します。そしてまた株価が下がります。こういったものではない経済成長への社会実験。これが必要でしょう。その道筋にあるのが社会実験としての日本型社会民主主義です。

(追記)
休暇分散化ですが、国民すべてを週7日に休みを振り分けて学校やすべての社会帰還や企業を365日営業とする。これは相当メリットのある社会実験です。土日に休みたいというのや知人と過ごす時間がとりにくくなるとかというデメリットは、土日に休んでいる人たちの個人的なもので、考えようによっては役所や銀行に行くとかは便利になるわけです。これもまた社会実験でしょう。

     (2)
中国が金融の引き締めに移行しそうです。
中国では消費者物価指数が上昇をし、不動産はバブル化しているようです。
この中でインフレは加速しそうな勢いでありそのための金融の引き締めでしょうか。現在の成長を安定的なものにするための「安定成長」を目指すものでしょうが経済成長とインフレの矛盾をどう解決するか、日本やアメリカの二の舞をするのか中国独自の経済政策を行うのか。
中国のバブル化の一つの要因としては、中国が自らが金融危機後に行った50兆円の景気対策にもありますが、現在アメリカが行っている40兆円の景気対策や金融緩和といった資金が中国にも入ってくることによるそうです。それはヨーロッパや日本の金融緩和、日本のゼロ金利や日銀が直接市場へ資金を流すという流れにもあるのでしょうか。
先進国では日本のデフレを筆頭にデフレ傾向が強まる一方その先進国の資金は中国に集まる。先進国の景気対策や金融緩和の資金は「だぶついた資金」として中国に流れる。これを見るとデフレというのは市場に金が足りないからではなくてむしろ金がだぶついているということになる。資金を国内では消費しきれないということ、これはその資金を生かす国内的な経済の疲弊ということになります。経済成長は低く、下手をすればマイナス成長となる現状のなかで、資金はあふれるが生かすだけの国内消費は先細りをしている。それはさらに内需関連の企業を駆逐していく。
経済対策や金融緩和というものがすすめばすすむほどデフレ傾向は強まる。金づまり。。。。資金のだぶつき。資金の海外流出と金が集まる国においてのバブル崩壊。。。。。
このような企業生き残り競争と株価金融に頼る経済政策はすでに崩壊をしているわけで、この経済政策の発想の転換が迫られているわけです。
中国の50兆円とかアメリカの40兆円とか、日本も同じですが気の遠くなるような金がだぶついてきている。一方では、日本を見ても4000億円ほどの子供手当ての財源をどうすると議論されるちぐはぐさ。この矛盾をどうすれば解決できるかがデフレ傾向の解決にもなるのではないでしょうか。
デフレは商品価格を下げ賃金を下げていく。国内消費は停滞をし投資先は狭まる。そこに巨額の政府資金が流れる。国家は赤字を増大させていく。だぶついた資金はバブルと消える。誰が見てもこれは矛盾として見えるだろうが、この毒饅頭を食わざるを得ない飢えた経済システムになっているわけです。
社会資本の整備という言葉がありますが、この社会資本の整備は「ハコモノ」などという無駄なものをつくることではなくて、国民生活の安全や安定につながるものの整備なはずで、同時にそれは福祉といった観念から離れた経済政策から見ないとだめなはずです。国家財政というものは「所得の再配分」として使われなくてはならない。しかしそればバラマキであってはならず、教育や医療、交通などという国民生活になくてはならないもの(それは国家としてもなくてはならないものですが)を整備すると同時に無料化を通して国民負担を減らし最低限の生活は保障されるといったものにならなくてはいけません。これにより労働者の負担が軽減されるわけですから賃上げというものの必要性が薄くなります。例を揚げれば労働者が病気になったり死亡した場合家族のためにという保険がありますが、国家がこれを保障すれば高い保険料という支出がなくなりそれだけ賃上げは必要でなくなります。
労働の生産性の向上は商品の価格を下げる。社会的合理性は賃金を下げる。
これはデフレと勘違いをされますが、社会的な経済政策の変更によっては社会の発展となるわけです。
そこにはもう少しなぜ商品価格は下がる傾向になるのか、賃金はなぜ下がる傾向になるのかを見なくてはならない。

     (3)
先日書いた(2)の最後に
「労働の生産性の向上は商品の価格を下げる。社会的合理性は賃金を下げる。
これはデフレと勘違いをされますが、社会的な経済政策の変更によっては社会の発展となるわけです。
そこにはもう少しなぜ商品価格は下がる傾向になるのか、賃金はなぜ下がる傾向になるのかを見なくてはならない。 」
と書きました。
ある商品を生産するには生産手段と労働力が結びつかねばなりません。企業は生産手段と労働力を買うわけですが、それは生産手段を買うための不変資本と労働力を買うための可変資本を投資します。ここでは生産手段も労働力もその価値どうりに支払われます。
労働の生産性が高まるというのは、より少ない労働力でより多くの商品を生産することにあります。そのために機械化は進み生産システムは合理化されます。例えば、ある企業が今までは1000人の労働力を使って年間10万個の商品を作っていたとします。この中で生産性が高まり、極端な数字ですが、年間20万個の商品を生産できるようになったとします。すると可変し本領資本量は変化しませんが不変資本は新たな工場や機械を導入したり原材料も2倍になるわけですから可変資本に対して不変資本は大きくなります。または市場を見て20万個の商品は過剰という見通しを立て今までのように10万個の商品を生産するとなると必要な労働力は500人と半減をします。
ここで何がおきるかといえばこのような労働の生産性の向上は不変資本に対する可変資本量の変化として現れます。この変化は生産のための不変資本と可変資本の有機的組成を変化させます。
この企業は市場に倍の20万個の商品を出すか、同じ10万個の商品を出して500人首を切るかを選択するわけです。
このような中で何がおきるかといえば、上の企業と同じ商品を生産する産業があるわけですが、その産業全体で同じことが行われるわけですから、市場にはあふれるような商品が投げ出されるか、その産業内においての労働力の削減が行われるわけです。商品の過剰生産か失業が不可避的になります。そしてこの生産性の向上は、国内、現在では全世界において行われ、資本主義生産は過剰生産と失業という矛盾を引き起こさざるを得ません。
次はこの矛盾を引き起こす原動力となるものが何かをみなければなりません。

     (4)
(3)では、労働の生産性は同じ労働力量に対してより多くの商品を生産し時には過剰生産というものも生み出し、もしくは労働の生産性が高まる中でその商品量を同じにしたとするならばそこに必要な労働力量は過剰になり時には失業を生み出すと書きました。
もちろん市場における好景気時はその商品の消費量は個人消費という形でより多く消費をされ同時に設備投資という中での消費も盛んになります。しかしこの好景気にも個人消費には限度があり、設備投資をされた不変資本は最終的には大衆消費財として個人消費のための商品に価値移転されるわけですからこの設備投資という消費も限界になる。やはりこの帰結の中に過剰生産と失業はすでに内包しているわけです。
常に過剰生産傾向と失業傾向は生産性の向上の中において必然性を含んでいます。
このように一つの矛盾を引き起こす生産性の向上がなぜ急速にすすむのでしょうか?
よく言われるのは生産性の向上はあたらいい商品をよりやすく生産をして国民生活を豊かにすることが目的であり、だからこそ人々は生産性の向上に取り組んでいくのだと。しかしこれは動機と結果が逆転した結果論にほかなりません。労働自体は生活を豊かにすることは間違いはないので、人々が労働することからこそ国民は豊かになるわけです。ここでは新しい機能性に優れた商品を生み出すといったようなことは、何も生産性の向上に関係なく生まれていきます。ただ安い商品を作り出すことが動機なわけです。これが動機ですから安い商品を市場に流通させることが生産性向上の原動力なわけです。目的なわけです。この目的と結果は一致するとは限りません。国民生活を豊かにするというものは直接の目的ではないからある場合にはこれが結果として出てくることは限らないのです。ここに過剰生産と失業という結果が同時に出てくるし、労働の生産性の向上が一つの矛盾として現れます。
生産性の向上というその動機と目的は商品価値を下げるということです。そしてそれは競争に支配されいます。この競争はより多くの利潤獲得と生き残りの競争です。これが生産性を急速に推し進める原動力です。
より多くの利潤の獲得といった場合、市場の中で見えやすいという点では、ある商品の中である企業が作る商品の性能や機能性そしてデザインなどといったもので売り上げに変化がおきます。しかしこれらの付加価値はその商品の使用価値の高まりによるもので価値自体が高くなったわけではない。同じ労働力を消費した商品は使用価値を高めることはあっても価値は高めない。今年爆発的な売り上げをした自動車は、他の企業が同じものを売り出すと価格が下がった。価格が下がったというのは、価値が下がったというのではなくて使用価値が特別なものであったがそれが特別なものでなくなったからの価格下落で、その自動車の価格が価値に近づいたということです。自動車産業全体の同じグレードの車はその価値によって価格が決まるというのが基本で、長い市場の流れの中に価値は基本的なものであることは経験としても見ることができるでしょう。
商品はどのぐらいの労働力量を消費したかでその価値は決まる。そして労働力を消費している過程である労働が商品という形を形成したり他にはない上のような付加価値もつける中に使用価値を形付けるという労働価値説から商品をよりやすく生産をし、利潤を高めるという中の競走を見なくてはいけない。

     (5)
ある商品をつくる産業内にABCという3社があったとする。この3社は生産性の違いがある。
A社は100人あたりの商品の生産性は年間5万個とする。
B社は100人あたり10万個。
C社は100人あたり15万個。
少し極端な数字ですがその生産性の違いをわかりやすくしておきます。
上の生産性は労働力を「100人あたり」としての比率であり、3社にはとうぜん生産規模は異なります。また、商品のデザインなどという使用価値はここでは考えずにその商品の価値はどのくらいの労働力を必要としたかの労働価値説としてその生産性を考えます。そしてその労働力は価値どおりに買われ賃金として支払われ3社共に同じ額とします。
この3社で生産された商品が市場に出ます。
一つひとつの商品の価値は市場価格として現れます。当然にA社の商品は市場において高くなり、C社の商品は安くなります。B社の商品が平均的な価格となります。各社の生産規模の違いなどもあり市場の中での商品量の中で市場価格がB社が生産した商品の価格に一致したと過程をします。それを仮に10万個の商品の価格を100億円とします。
するとどういうことがおきるかといえば、100人あたりの労働力としては、A社は同じ労働力を使ったにもかかわらず5万個の商品50億円の売り上げしかありません。それに比べてC社は15万個150億円の売り上げが出るわけです。同じ労働力量を使ってもその売り上げに大きな差が出ます。平均的なB社は10万個の商品で100億円の売り上げがありますが、この平均的なB社を基準に見ると、A社は生産性が極端に低く、C社はそうとう高い生産性となります。
各社の商品の価値は市場の中で平均的な価値に落ち着きそのある商品の価値を決定する。するとA社の利潤は低く、C社の利潤は高くなり、B社が平均的となります。しかしここで注意をしなくてはいけないのは、生産性が低いとはいえA社はけっして「赤字」ではない。ただ会社としての利潤が低いだけであり、労働者には何の責任もないし賃下げ理由にはならないことは後の議論には必要となります。
同じ労働力を消費しながらも市場においての利潤が異なる。一つひとつの商品価値は、C社は低いにもかかわらず平均的なB社と市場では同じ価格として売れる。この平均的な価値と本来の価値との差額を特別な剰余価値としてC社は手に入れるわけです。
この中においてA社はもちろんB社もC社と同じ生産性に高めようとします。C社は今以上に生産性を高めようとします。利潤追求のために。。。。
これが資本主義的競争なわけであり、商品をより安く大量に生産していくという原動力なわけです。

     (6)
(5)で見た
A社は100人あたりの商品の生産性は年間5万個とする。
B社は100人あたり10万個。
C社は100人あたり15万個。
というひとつの産業内のこの3社を別の角度から見ることにする。
A社は、不変資本(設備や原材料など)と可変資本(労働力を買うための賃金)に投資をして生産を行うわけですが、100人あたりという労働力が5万個という商品量に価値移転させる不変資本量は少ない。一方C社は同じ100人あたりの労働力が15万個の商品を生産するために不変資本量は多くなる。すると100人あたりの労働力への賃金である可変資本量は同じでも不変資本量は大きな違いを見せる。同じ可変資本量に対して不変資本量が大きくなる割合として資本の有機的な組成が高くなるわけですが、これは企業活動から見ると一つの生産拡大となります。
また、C社は圧倒的にその商品価値を安く生産できるわけですから(5)で診たように平均的な市場での価値(価格)で商品を売らなくても値下げをして市場での独占化を行うことができます。独占化はより多く生産された商品を売りさばくことにも有効なわけですから、商品を値引きしたとしてもそれは利潤の拡大となります。この独占化傾向は、C社がもう一つ同じような工場をつくる動機ともなります。ここに生産拡大というものが強くなります。
(5)でも書いたようにAB両社もこれに追いつけ追い越せと生産性を上げながら生産拡大を行います。
商品がより多く生産される拡大再生産されるというものは資本主義経済法則の一つの現れです。
ちなみにこの生産拡大によるより多く市場に出された商品価値(価格)はどうなるかというと、100人あたりの生産性の拡大の中では、その生産拡大は不変資本量の増加という形で現れることを上に書きましたし、C社がもう一つ工場を作り新たな100人という労働力を増やしたとしても100人あたりというものには変わりはなく資本の有機的な組成は変化しません。労働の過程の中により多くの不変資本が新たな商品に価値移転(機械の減価償却や原材料の消費など)されるわけですが、この不変資本は価値移転されるだけであり新たな価値を生み出すものではありません。新たな価値を生み出すのは、不変資本を商品という形に価値移転させる過程においての労働力量にほかなりません。ですから商品の価値は、不変資本量がどのくらい価値移転されたかというものにプラスされて労働過程でどのくらいの労働力量が消費されたかにあり、新たな価値創造として残るのは労働力の消費という形での価値の増加という商品価値となります。
C社が以前はB社と同じ生産性にあり、生産性の工場により現在の生産性に高まったと過程をしてみると、以前は100人の労働力量で10万個の商品を生産していたのですが、今は15万個になった。しかし商品に新たな価値としてプラスされたのは同じ100人の労働力なわけですから、以前の10万個の商品価値と現在の15万個の商品価値は同じとなります。これを一つあたりの商品価値としてみると、一つあたりの商品価値は以前より価値を減らしたということになり、市場における商品価値はsがっていく傾向を示します。価値どおりに売られれば商品は相当安くなります。
この商品の価値の低下による低価格化葉もまた資本主義的生産の法則性となります。これで資本主義の市場においての商品の低価格化と商品量の爆発的な生産拡大が資本主義的経済法則の必然であり法則性だということがいえると思います。
ではこの資本主義的生産がどのような帰結をもたらすのかということになります。

     (7)
(6)で書いた一つの産業内のABCという企業をまたここで見ます。
A社は100人あたりの商品の生産性は年間5万個とする。
B社は100人あたり10万個。
C社は100人あたり15万個。
(6)でも触れましたが、この労働の生産性の違いから生じる商品の市場価格がその価値からはなれて平均の価格形成としての特別な剰余価値を与える中での各社の利潤率はC社が一番高くA社が一番低くなる事を見ました。そしてここに資本主義的競争の原動力がある事を見ました。
この中でA社はもちろんB者もその生産性を向上させようとします。そしてC社と並ぶ生産性を得たと仮定します(C社の生産性は現在のある限界内にあり停滞するとします)。するとこのある商品を生産する産業内には平均な利潤が確定します。各社はそれぞれ100人当たり15万個の商品を生産することができるのですから、この産業をX産業とすれば
X産業は100人あたりの生産性は45万個
となります。
仮に10年前のX産業の生産性は低くてA社並みだったとすれば、X産業はこの10年で同じ労働力量(100人あたり)での商品の生産数が15万個から45万個の増加したこととなります。10年前と現在でも不変資本量と可変し本領の投資される資本は同じとすれば、それを分母として商品の総(100人あたりの労働力に対してですが)売上を分子にした場合、ある利潤率が決まります(追記:分子分母反対だったかな?)。しかしこの生産性の違いにより何が異なるかといえば、生産された商品量にあります。ある一定の利潤を得るには、10年前は15万個生産をしていたが今では45万個を生産している。そうすると商品1個あたりを見るとその価格は3分の1になります。X産業では同じ利潤を得るのにより多くの商品を市場に出さねばならなくなったということです。
同時に特別な剰余価値を得られなくなっているわけですから市場価格は価値に一致してきます。
資本主義生産とその資本主義的競争がもたらす一つの帰結は、市場における商品量の増加と一つあたりの商品の価格は価値に一致をして低下するということです。
これは資本主義生産の無政府性として現れざるを得ません。
X産業では、より多くの利潤を求めようとすれば工場の新設や市場の独占化のために各社の潰しあいに頼らざるを得なくなります。これがまた資本主義競争として行われるようになります。そしてまたこの工場の新設の競争がさらに市場に送る商品量の増加とも結びつくことが起こります。しかしここでは先にも書いたように特別な剰余価値を得られなくなっていますから、企業の利潤率は上がりません。生産性の向上のない中に工場の新設だけでは利潤額は上がるが利潤率は高まらない。ここに企業あるいはX産業そのものにまず停滞感が現れます。
一方商品量は市場の中により多く出されるわけですしその商品量は無政府性の中にあり一度過剰感が出てくると各社の中では値下げ競争もはじまります。値下げといっても赤字になるわけではないが、利潤低下であると同時に剰余価値率の低下として現れ始めて企業の停滞感はさらに深まります。
その産業では株価が下落をして資金が他の産業に流れていくでしょう。今資本をより吸収する産業の育成とか言われていますが、それはこのことからはじまる一つの帰結菜わけです。
しかし以上のような現象が他の産業にも波及をしていくならば、一つの社会そのものが不況という形をとり始めます。
次にこのような資本主義的生産とその競争がもたらすものとしての労働力を見ることにします。

     (8)
サラリーマンは体が資本。昔からサラリーマンは体を壊したら潰しがきかないわけでしてその意味では体が資本なわけです。もちろん今の社会は職業の自由があるわけですからサラリーマンができなくなったら商売でもすればいいという論理もあります。もちろん何かしら食うための仕事を探さなくてはいけないのが現実ですから商売をする問い運も選択の一つですが、元手も何もなければやはりそれなりの仕事を見つけてサラリーマンを続けるほかはありません。それはサラリーマンというのは労働力を売るしか生きていけないということです。この労働力を売る側の人々を労働者というわけです。ですから労働者というのは何も肉体労働に限ったことではなくてサラリーマンも労働者なわけです。
労働者は労働力を売る。誰に売るのでしょうか?生産はこの労働力と生産手段(資本金を持って工場や原材料など)を持つ人に売るわけで、ここではじめて労働という形の具体的な生産が行われることになります。その生産手段を持つ人が昔から資本家といわれてきましたが、今は資本家はいないといわれています。たしかに財閥というのも解体をされて会社組織は株主によって経営をされて社長もサラリーマン化をしています。しかし会社組織は組織として生産手段を所有をして労働力を買って生産をしていますからその生産様式は資本主義であり、明確な形での資本家は見えづらくなっていますが株主総会自体が資本家層の集まる議決機関とし、そこで選任をされる役員総や会社の経営自体を動かす部分の人が高額の報酬を得ている中に相対としての「資本家層」というものは見えるわけです。株を持っているから資本家層かといえばそうでもなくて小額の株を所有して株主優待や配当を受けているような部分の人は層ではないと思います。そういう人は主に労働者であったり他の商売でその生計を主にその労働によってまかなっています。また資本家層といっても株で生計を立てている個人の株主だけではなく、今では銀行などの金融関係の会社やグループ企業での下部の持合などもあるわけですから株主層はこのような企業自体でもあり資本家層というものになります。
こう見ると、企業というものをみる時は今の社会は生産手段を持つ者と労働力を売る者という人と人との関係が成立をしており、それは労働者と資本家層という関係として社会の富を作り出していきますしその富の配分がされていきます。
企業がその富をどのように作り出すかはこの人と人との生産関係にあり、その富は生産性の向上の中での企業の競争として発展をしその矛盾を作り出してしてきたことは(7)でも書きましたが、この生産性の向上が労働者にどのような影響を及ぼすでしょうか?
それにはまず、労働者が労働力を売るとしたとき、その値段はどのように決まるかが問題です。それは労働力の価値によって決まるわけです。それはあらゆる商品がその価値を基本にして売買されるのと同じで労働量もその価値によって売買されます。売買などというと労働者は奴隷のようですが、労働者は人間丸ごと売るわけではなくて労働力を売るわけですから古代の奴隷とは違いますし自由はあります。しかし生産手段に結びつかなければ失業して生きていけないわけですから生産手段にそしてその所有者に対しては半奴隷状態です。土地(生産手段)を支配する殿様と農民(労働力)のような構図はその形は変えて残存しています。では、労働力の価値はどのようにして決まるか?それもあらゆる商品と同じようでその商品が生産をされる過程でどのくらいの労働力を消費したかによって決まるのと同じように労働力を生産するためにどのくらいの労働力を消費したかで決まります。労働力を生産するためにどのくらいの労働力を消費したか?なんだかわかりずらくなりましたが、企業内で労働をするために必要な労働力を生産するという労働(労働力の消費)とは労働者の具体的な「生活」にあります。衣食住やさまざまに必要な生活という労働によって作られます。衣食住もままならない中では次の日も会社で労働することはできません。生活をするということ自体が企業内においての労働力を作り出します。生活をして労働力を作り出すわけですからその労働力の価値は生活に必要なものを消費をしていくわけで、その消費をする過程で必要な物は商品として売られているさまざまなものが持つ価値を次の日にも労働をするという労働力の価値に移転をする作業となります。どのくらいの商品量の持つ価値を労働力の価値に移転をするかということは、視線を変えれば労働力の価値はどのくらいの商品を消費したかということになり、それは労働力の価値は生活費によって決まるということになります。
ですから資本家層としての企業は労働者の生活費という価値額によって労働力を買うわけです。
しかしこの労働力の価値としての生活費は、食べて寝るだけの最低限度でもいいはずだと言うような資本家層の見方でも、俺の生活はベンツを乗り回して軽井沢に別荘を持ち夕飯は豪華フレンチのコースだというような資本家層を思い描く労働者の要求でもありません。やはりあらゆる商品の価値が(7)でも触れたように平均化された中に形成をされると同じようにある時代の社会における平均的に形成された生活費となります。
以下、この労働者の労働力の価値としての額、すなわち賃金はこの価値どおりに支払われていると仮定をしていきます。もちろんこれは理想論だ!!という方もいらっしゃいますが、まぁ、ここではこのように話を進めます。労働の生産性の向上の中でどのようなことが起きるかが大切なのです。理想論の中にでも。。。。

     (9)
(8)では、「企業がその富をどのように作り出すかはこの人と人との生産関係にあり、その富は生産性の向上の中での企業の競争として発展をしその矛盾を作り出してしてきたことは(7)でも書きましたが、この生産性の向上が労働者にどのような影響を及ぼすでしょうか?」と書き、資本主義において労働力を売るしか生存できない労働者とその労働力が結びつく生産手段を所有する資本家層が人と人との関係により社会的な商品生産をするという仕組みの中に労働者はどのような影響を受けるかという問題提起をしました。そしてそれにはまず資本家層に売る労働力という一つの商品の価値はどのように決められ賃金として労働者は受け取るかを書きました。それはあらゆる商品が再生産されながら継続した生産が保たれると同じように社会的な平均としての労働力の再生産費である生活費によって決まると書き、資本家層はその額を賃金としてその価値どおりに支払うことを前提にすると書きました。
そこでもう少し「労働力の再生産費」とは具体的にはどのような形をとって賃金額として決定しているかを見る事にします。
労働力の再生産とは、労働者が次の日も、次の月も次の年もそして次の世代も労働力を売っていける状態に保つのに必要なことということです。これはある企業が商品を次の日も次の年も生産を継続していくことと同じです。では、次の日も次の月も労働力を売ることができる上らいを作り出すのはどのようなことが必要かといえば、寝たり食ったりという毎日の生活の中で労働力は再生産をされていくということです。ですから労働力の再生産に必要な費用は生活費となります。この生活費を価値どうりに受け取ることは社会を維持していく上でも必要な額となります。その生活費という視点から見た賃金体系は、日本においては年功序列型賃金という形で終身雇用と結びついて行われてきました。これに対してヨーロッパ型といってよいのでしょうか?労働力の価値を等級化してそのある等級である労働力ならばどの企業に就職しても同じ額の賃金といったような同一労働同一賃金制があります。そしてアメリカ型といってよいのか?企業が採用するに当たってその労働力の価値を労使(企業と個人ですが)で決定をしてその能力によって賃金額が決まるという能力給あるいはその能力による年俸制というような賃金体系もあります。実際はそのそれぞれの基となる賃金体系を基礎にしていろいろな賃金体系が取り入れられて実際の賃金は決められています。日本でも年功序列とはいっても出世をしなければ安給料というものが昔からありましたから。
このようにいろいろな賃金体系の中にそれぞれに長所短所はあるのですが、労働者全体の平均的な労働力の価値は決定をされていいます。
そこでいろいろな賃金体系がある中で、より「労働力の再生産費としての賃金額」を反映された賃金体系とはどのようなものでしょうか?
それは日本型の年功序列型賃金体系にあります。
労働者の平均的な生活パターンを考えて見ましょう。学校を出て就職をします。5年ぐらいは一人前になるために企業もその労働力を「育てる」わけですからある程度賃金は安くなります。10年ほどしますと一人前になり同時にその間に結婚をして第一子が生まれる。そうするとその生活に必要な額にも変化が置き労働力の再生産費は高まります。年功序列型賃金はこのカーブ合致したものとなり多少の賃上げがある。そのうちに子供が成長すれば家を持つようになり、その後は家のローンを払いながら子供の教育費も上がってくる。そして両親の老後を支えながら子供が大学という最頂点に生活費は達する。年功序列型賃金はこの年齢に一番高い賃金カーブを描く。そして子供たちが独立をするようになり、自分たちの老後の支えの貯金がはじまりル。祖手はほんの数年の間ですが、定年になり年金が満額出るまでの老後の夫婦二人の生活としての再雇用などの低い賃金となっていく。
もちろん昔から上に書いたように出世をしなければ安給料的な職能給・能力給というものが入っていましたからまったくの年功序列型ではなかったわけですが、平社員あるいは係長どまりであっても年功序列型の賃金カーブの最低ラインが維持をされてきました。その中で平社員は平社員の年功序列の中での同一労働同一賃金が維持されました。係長は係長なりの課長は課長なりの同一労働同一賃金は維持され、若い社員もそれなりに同じような額の賃金が得られました。
このように見ると年功序列型賃金体系は、同一労働同一賃金という賃金体系の変形した形を維持しながらも労働力の再生産費としての賃金を反映してきました。もちろんそこには若い人も年よりも同じ労働をしても賃金額が大きな開きを持つという矛盾としての同一労働同一賃金の崩れがありましたが、社会の消費をを考えた場合でもある年齢層やその年齢層でも違った役職にある労働者は同じ賃金であるという形の同一労働同一賃金は存在をし、この意味での同一労働同一賃金の合理性がありました。また、若くして結婚をして子供ができたといった場合は、賃金内には扶養手当などの手当て制度もあったわけで、税制も含めて生活費としての賃金は微調整をされていました。
また、この年功序列型賃金体系は、長くその同じ企業に勤めなければ維持できない中に終身雇用制と強く結びつくという矛盾が言われる場合がありますが、それは労働力の移動に弊害が出るといったもので、長く同じ企業に勤めること自体には何の弊害もないわけです。実際、日本は終身雇用制の中に産業の再編成も行ってきましたしその中に年功序列型賃金制度は今なお残存するわけです。これは労使ともに年功序列型賃金体系を必要にしているということです。
労働力の再生産費としての賃金あるいは同一労働同一賃金を崩しているのは、雇用体系による差別化にあります。同じような仕事をしても、正社員と覇権賃金格差やパートの時間給では差別をされる中に同一労働同一賃金制度が崩壊をしています。派遣社員が正社員を教育したりするという矛盾までもが出ます。
この労働力の価値ー賃金=労働力の再生産費という構図の中からの同一労働同一賃金がどうしても賃金は決定をされなくてはなりません。このような形で賃金を受け取る労働者を思い描くわけですが、そこに立って「この生産性の向上が労働者にどのような影響を及ぼすでしょうか?」に入っていきましょう。


日銀総裁が2%の物価目標に改めて自信を表明した。生鮮食料品を除く(物価変動が激しいもの)消費者物価指数が1%を超えて「「もはやデフレという状況ではなくなりつつある」とする政府側の発言も引用」(上記リンクページより引用)したという。しかしこれは「物価の押し上げ要因が昨年までの円安進行やエネルギー価格の上昇」とこれまでの物価上昇の原因を認めているように現在の1%を越える物価上昇はまさに円安誘導によるものが大きかったわけです。これを見て自信とは何でしょうか?
需給ギャップがゼロになったという。しかし需給ギャップの推移からすれば2014年の1月から3月にギャップがゼロになったということと思われます。そうならば需要の増加は消費増税前の駆け込み消費にあると見るべきでしょう。ですから日銀も「駆け込み需要の反動減を初めとした経済・物価への具体的な影響は「もう少しよくみてみないとわからない」」と。今後の物価上昇は消費増税によるものと見るべきでしょう。
雇用増も賃金層で言えばどの層が改善されたかにもよるわけです。もちろん一部業種では地域により労働者不足が起きていますからこれは賃上げの要因となるでしょう。しかし高齢者や女性の労働力を導入する方向とその上外国人労働者の像を家政婦は目指しているわけですからそれは賃上げを抑制することとなるでしょう。
株価は今日も下落をしています。日銀総裁の景気判断が正しければ株価にも反映をするでしょう。しかし株価は下がっている。円高によるものもあるでしょうが、それも日銀が追加緩和をすぐに行わないとしたことからです。結局に地銀が判断するものは実体経済を反映したものではないということでしょう。「もはやデフレという状況ではなくなりつつある」という判断は、やはり実体経済ではなくて水ぶくれをした国民生活不在の悪性の物価上昇であるといわざるを得ないでしょう。

【2015年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2016年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2017年】ツイッターつぶやき
紫の舞が葉を出し始め小さな花芽が出てきました。
去年増えすぎたので球根を堀上て鉢を分けました。
一つの鉢には紫の舞の後ろの去年採れた玉すだれの種をまいておきました。
たくさんの玉すだれの細い葉に囲まれて紫の舞の葉がきれいです。
玉すだれは種をまいた翌年に花をつけるのでしょうか?
小さな花が咲くと紫の舞の花と混じってきれいだと思います。
楽しみです。。。。

【2018年】ツイッターつぶやき
舞鶴市での相撲巡業中市長が倒れて救護のために女性が土俵に昇ったことについて相撲協会が女性に土俵から降りろと。宝塚市では女性市長を土俵に上ることを許さず、土俵の下であいさつをさせ、相撲協会は巡業部長は土俵に上って高いところからあいさつ。
相撲は国技とも一部では言われていますが、いまだに女人禁制が行われている。
女人禁制というのはいろいろなところに存在をして、相撲の土俵だけではなくいまだに続いているところがあるそ女人禁制というのはどうも宗教につながるものを感じます。奉納相撲というものもありますね。国技ともいわれていますしスポーツの中では特別な扱いをされています。横綱になれば四文字熟語で権威が。
こういった中で女人禁制もまかり通る。
もちろん相撲協会は宗教性を前面に出して女人禁制を言うことはないのですが、伝統という言葉でお茶を濁しています。
こういった権威的なものそして宗教的なものにおいて女人禁制が当たり前になると、それは社会的にも女性差別や軽視が行われます。安倍内閣が言葉では輝く女性といっても結局は女性が活躍するような社会的仕組みはできずじまいでした。女性議員や企業の女性役員も増えないで一般女性は低賃金労働と家事に閉じ込められています。
こういった実態は男社会というものをつくり維持されます。男社会。。。。。これも広い意味での女人禁制です。そして女性労働力が必要になれば女性の活躍ともいわれて女性は政治や社会に利用されます。
女性自身もこれが当たり前という意識に置かれます。

【2019年】ツイッターつぶやき
ロイターの記事インフレ期待、上がる家計と鈍い企業
「今年に入って食品の値上げが相次いで家計のインフレ期待が上がり出す一方、企業サイドでは景気の先行き不安などを背景に価格引き上げが通りにくいとの見通しが台頭している」(引用)
と、ある。
この状態はアベノミクスと日銀緩和を続けた日本が悪性の物価高に陥っていることを端的に示したいるのではないか。
景気が過熱して食品などの需要が高まって値上がりしたのではなく、円安誘導により輸入に頼る日本の食糧事情からくることは間違いないでしょう。去年からエンゲル係数がすごい勢いで高まっている。これはある種の貧困化の現象で家計収入が伸びない中での食品の値上げも示すでしょう。
一方では企業の景況感が落ちて先行きに不安を感じている。日銀の2%目標が達成されない中身です。
家計の状態により個人消費は伸びていない。しかも食品の値上げで他の支出も控える。
これはデフレの状態を作り出すでしょう。
しかし企業収益は円安もありそして賃金を抑えたり低賃金に置く不安定雇用を増やす中、内部留保は増加をしている。そして株高で企業や投資家の懐を膨らませる。
先細りの家計からのデフレ不況と企業や投資の過熱気味な好景気。これが同時に起きていますからスタグフレーションを引き起こしているでしょう。

【2020年】ツイッターつぶやき
国も都も、全然スピード感がありませんね。
国と都が休業産業についてもめているようです。理容室や美容室をどうするんだと。
まさに床屋談義です。
以下斜め文字ツイッターから
業種別に営業停止をする上位下達的な方法は必ず矛盾が出て混乱する。
美容室でも込み合うところもあればおばちゃんひとりの小さなところもある。営業する店の店主や従業員には検査を義務づけたり感染予防の営業方法などを指示すればいいんです。飲食店も同じですね。
実際スーパーや交通、医療などは営業しているわけですから。
それと美容室や飲食店ではどこが違うのでしょうか。
感染対策は同じです。
先にもツイートしたが休業する業種を決めるのではなくて、全業種に共通する3つの「密」をどう防ぐかの検討が必要なんです。それぞれの業種で決めればいいでしょう。
サラリーマンは仕事で東京へ。でも昼飯を食うところもないでは変でしょう。
こう書くと自己責任国家ですから、感染者が増えると国や都は自己責任を問うでしょう。
しかし一番の問題は検査もさせずに野放し状態を作っている国や都なんです。
安倍首相は記者会見での緊急事態措置が失敗したらその責任はと問われ、「責任を取ればいいというものではない」と答えたそうですが、国民には自己責任を問うている中で。
休業産業をどうするかでさえごたごたしていると同時にその休業させた産業への補償となるとこれもなかなか複雑で、この特措法施工の1カ月が問題なのに保証はなし。そして生活困窮者世帯に30万円も手続きの複雑さの中ですぐに手元に金が入るかわからない。
この休業補償と生活保障ものらりくらりとした床屋談義の域を出ない。
1人10万円とすんなり配布すればいいのです。これが一番スピード感がある。
こうすれば緊急事態下においても感染の危険を冒して働いている人にも保障というせめてもの金が入る。少しは栄養のある者などを食べたりできればいいのです。そうなると金持ちにも配るのかといわれるが、金持ちは返せばいいんです。自主的に。。。。。
そもそも緊急事態法がコロナウィルスから国民の命と座さんを守るという視点には立っていないのです。この時期にコロナ騒ぎを改憲に結び付けようとしている。安倍内閣は緊急事態措置でマスコミや国民を統制して改憲を棚に上げるのが目的なんです。野党も文句言えない環境を作りますね。

【2021年】ツイッターつぶやき
どうも東京も重点措置が発令されそうです。
第三波のピークが過ぎ新規感染者数が減少しましたが、その減少も下げ止まり状態でした。収束に向かう気配は見えませんでした。しかしそのような状態で緊急事態宣言が解除されました。
なぜ緊急事態宣言を解除してしまったのか?
少なくとも重点措置に一段下げてさらに解除すべきはずです。
下げマンボウ、上げマンボウという言葉がありましたが、、、、、
緊急事態宣言解除後に下げ止まりから感染拡大傾向が見えた時に本来は重点措置を行うべきだったとでしょう。
結局下げマンボウも上げマンボウもでたらめ状態でした。
もう第四の波ですから緊急事態宣言を出さねばならないでしょう。医療の逼迫(重症者や死亡の増加)を目安にしているのかもしれませんが、現在東京では重症者数も死亡者数も下がってはいますが、新規感染者が上昇するとそれからしばらくしての時間差において重症者数も死亡者数も増加をします。医療の逼迫も現実になってから医療緊急事態だというのではなく、現在の新規感染者数を見ながら将来的な見通しを出すべきです。するとやはり現在が緊急事態宣言となりますね。
なぜ緊急事態宣言という言葉を隠して死語にしようとするのか?
やはりオリンピックでしょう。
オリンピックを開催するには現在行われている聖火リレーを盛り上げてやり遂げなくてはならない。
それがまた感染拡大を起こすリスクとなる。
オリンピックが終わればまだよくなるか?
でも、総選挙があります。
ということは自民党の生き残りでしかなくなっている。。。。。。

strong>【2022年】ツイッターつぶやき
アメリカのインフレ率が高くなっている。
しかし経済法則として経済の過熱からのインフレなのだろうか?
供給と消費の関係もあるでしょうが、供給が上昇して経済の過熱は終了するが、この供給は消費に追いつかず足りないからなのか、それとも供給を減らして需要に追い付かないようにしているのか。トランプさんの保護主義はアメリカ経済をハイパーインフレに導くと当時から懸念されていましたが、市場から中国を追い出してアメリカ企業を助ける保護主義は少なからず供給を減らしたでしょう。
コロナの影響も言われていますが、アメリカ経済の低迷はコロナ以前からでした。
アメリカも通貨安競争になっていましたし通貨供給量は急激に上がっています。その金をコロナで国民にばらまくことが起きると一時的な需要の急拡大につながりますからこれもインフレの要因になります。
供給量を減らしながらバラマキで需要を呼び込む。
これは経済の法則的なインフレではないです。
株価は上がりバラマキがなければ国民生活は困窮する社会。
これはスタグフレーションです。

【2023年】ツイッターつぶやき
1年前110円だったハンバーガーが170円になっているそうです。
日銀緩和とアベノミクスでは、円安による輸出企業の利益を打ち出し、株価も上昇しました。企業利益も上がり内部留保は空前の増加に。しかしこれも毒饅頭で腹を膨らませただけでした。
円安誘導は企業利益を膨らませるように見えますが、輸出企業といっても中国やベトナムをはじめ低賃金労働を求めて海外に進出して国内は産業の空洞化をすすめました。輸出儀業の円安メリットは少なくなります。日本から離れた企業は、円安により”日本への輸出"に有利となり利益は出ますが日本経済は低迷を続ける。国外からの輸入品は企業の輸入にも大きな影響を与える。
実質実効為替レートは30%も低下していると言います。円の凋落です。
ここまでくると、単なる円安傾向だからというだけではなくて日本経済の凋落です。
日本企業よりもそこで働く労働者は低賃金の中でその企業を肥えさせつつ自分はやせ細っていく。
企業は慌てて賃上げを言い出していますが、それは子育て支援や防衛費増で消えていきます。むしろマイナスです。

【2024年】ツイッターつぶやき
円が152円まで下げています。日銀の利上げと為替操作を緩和することでもほんの一時的な円高ぐらいしか効果がありませんでした。反動で152円。。。
150円程度が長期化するのではないかと言われていますが、利下げをするにも幅がなくなり、利上げしても効果がない。これって、日本の評価が下がることが固定化するということでしょう。通貨安で困るのは途上国ですが、同じ現象が日本にも。まだ経済の貯金がありますが、これを切り崩しながらじりじりと沈んでいく。でもGDPは世界4位ですから国は外国に金をばらまく。アメリカ経済を救うためにまだ金を出す。
政治的にも対中国、ロシアを敵に回す。
失われた30年と言われますが、この現象が固定化していきます。
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2025年 4月 7日(月)「株安」

2025年04月07日 22時09分51秒 | 「思うこと」
株価が下がりましたね。終値は3万1千台を点けましたが、一時3万円台に。2644円安。
2月頃でしたっけ、4万円を超えましたから1万円ほど下落した。
為替は少しだけ円安に動いています。
もともと株価はバブル状態ですから、トランプ関税が引き金になったとはいえ株価のバブルの破裂は近かったはずです。
ですから、株価は正常に近づいたとも見える。
子供のころ、学校から帰るとテレビがつけっぱなしになっていて、夕方の子供向け番組が始まるまでぼーっとテレビを見ていました。チャンネルによっては今日の株価として証券取引所の数字がたくさん並んだボードを見ていました。1円安、2円高と読み上げられ、10円20円と動くと解説者がその産業を開設した。昔の株の動きはこんな感じでしたね。
いつから大きく動くようになったのでしょ。株価にもインフレがあるのでしょうし、株の下落もその幅の違いだけなのかもしれませんが、今の株式は異常です。
安倍元総理がアベノミクスは買いですよと投資を促し、その唯一の「成果」が株高でした。国民生活を犠牲にしながら。
株式などのあぶく銭に金は集まり、国民生活には貨幣が減少していく資本主義。トランプ関税は変な保護主義に走りましたが株価の下落を呼び起こした。でも、これは結果としてはハードランディングとして現れ、経済は混乱するでしょう。
内需を言っているのは中国だけです。
制裁的関税をアメリカにかけ、農産物の輸入を規制し、レアアースの輸出規制を強める。
これが世界市場にどのように現れるか。そういえば、BLICSはどう影響を受けながらどう動くのでしょうか。
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「4月 7日という日」

2025年04月07日 07時49分24秒 | 「何を思ってた?」(旧ブログまとめ)
【2025年】ツイッターつぶやき
株価が下がりましたね。終値は3万1千台を点けましたが、一時3万円台に。2644円安。
2月頃でしたっけ、4万円を超えましたから1万円ほど下落した。
為替は少しだけ円安に動いています。
もともと株価はバブル状態ですから、トランプ関税が引き金になったとはいえ株価のバブルの破裂は近かったはずです。
ですから、株価は正常に近づいたとも見える。
子供のころ、学校から帰るとテレビがつけっぱなしになっていて、夕方の子供向け番組が始まるまでぼーっとテレビを見ていました。チャンネルによっては今日の株価として証券取引所の数字がたくさん並んだボードを見ていました。1円安、2円高と読み上げられ、10円20円と動くと解説者がその産業を開設した。昔の株の動きはこんな感じでしたね。
いつから大きく動くようになったのでしょ。株価にもインフレがあるのでしょうし、株の下落もその幅の違いだけなのかもしれませんが、今の株式は異常です。
安倍元総理がアベノミクスは買いですよと投資を促し、その唯一の「成果」が株高でした。国民生活を犠牲にしながら。
株式などのあぶく銭に金は集まり、国民生活には貨幣が減少していく資本主義。トランプ関税は変な保護主義に走りましたが株価の下落を呼び起こした。でも、これは結果としてはハードランディングとして現れ、経済は混乱するでしょう。
内需を言っているのは中国だけです。
制裁的関税をアメリカにかけ、農産物の輸入を規制し、レアアースの輸出規制を強める。
これが世界市場にどのように現れるか。そういえば、BLICSはどう影響を受けながらどう動くのでしょうか。

≪過去の記事≫

【2004年】
公園の土の上は小さなハートでいっぱい。葉桜。。。。
またのんびりと立ち寄りの湯にでも行きたくなりました。ずっと前ですが、群馬県の町営温泉の露天風呂に行ったのですが、まるで芋を洗うような混雑ぶりで、湯に浮かぶものが湯の花なのか人の垢なのか判断できずにどよ~んとしてしまいました。あまりこんでいる時期はのんびり出来ません。
またどこかいいところがあったら妻といってきます。

【2005年】
妻の腕時計の電池が切れたみたいなので、商店街の時計やさんへ行きました。しかしシャッターが閉まったまま。定休日かと思ってシャッターに書かれた定休日を見たら月曜が定休。。。。どうしたんだろ?
そういえばその時計屋さんは休みが多かったような気もします。
わが町の商店街にも他の町にも時計店は少なくなりました。時計も大型家電屋さんで安く売っていますし、昔の時計のように大事に修理をして使うこともなくなりました。腕時計自体も値下がりし、数売れなければ苦しいと思います。電池交換ぐらいでは商売になりませんからね。。。。
世代交代もできないこともあり、商店街も寂しくなっています。
そういえば、都心の官庁街を歩いていた時、昔懐かしくなるような乾物屋さんがありました。このような町は、住民が少ないので大型スーパーも進出しないのでしょう。少ない住民の買い物の場として残っているのかもしれません。東大のある本郷界隈にも商店街が残っていました。
住民がたくさんいるところの商店街がなくなりつつあるというのはなんか皮肉ですよね。。。
肉屋さんで揚げ物も売っていて、子供の頃20円ぐらいの小遣いを持ってコロッケを買いにいったものです。小さな紙の袋に熱々のコロッケを入れてソースをかけてくれました。この味は一生忘れないものです。。。
もうこんな肉屋さんも子供も見たことがない。

【2006年】
日も射さず、薄ら寒い一日でした。
毎年感じることですが、服装に、いまだに冬を引きずる人もあれば、「もう春!!」という春先どりの人もいる。ぼくのように年齢が積み重なってくると、前者の冬を引きずる人の部類になってしまいます。でも、今日は少し薄着で出かけました!!
でも、だめですなぁ。。。。寒かった。年寄りの冷や水?(笑)
民主党の代表選が終わったようですね。
小沢さんに菅さんの一騎打ちでだいぶ話題性がありましたが、僕がmるには二大政党制をどう守るのかの代表選ではなかったのかと思います。
小沢さんと菅さんとの違いはありますが、菅さんではあたらしみがないし、それに対するハラハラドキドキの小沢さん。ここにたしかに代表選の意味はありますが、民主党が変わるかどうかは、旧社会党・民社党系=連合系議員の発言力(代表候補)が出るかどうかにあるのではないかと思います。
蓋を開けたら、連合系の議員は小沢さんの未知数のリーダーシップに頼ってしまったように感じます。
これから小沢さんがどのような政策を行うのか?前原さんの「改革競争」という庶民無視の政策が続くなら、それがまさしく二大政党の効用でしょう。
庶民生活の安定なくして国の安定もないということに気づいたときに、民主党も変わるのではないでしょうか?それを連合系議員は気づかずに小沢さんの未知数のリーダーシップに頼ってしまった。
これが僕の感想ですが、僕の感想がはずれて国民生活重視の政策が打ち立ててればと思います。
しかし、結局は連合系議員の尻つぼみとなって真の意味での保守二大政党が完成するのだと思います。連合ができたとき、そして初めの民主党ができたときの「参加と介入」がこのような形で破局していくのでしょうか。
国民の総意としてのアジア政策が自民党総裁選にも一つの影響が出ていますが、自民党と民主党との二大政党間にもねじれが出るのではないかと思います。精神論的には、親米・反中国ですが、経済的にはアジア重視になっていくと思いますが、この辺での二大政党の政策がまた複雑に入り組んでいくと思うのですが。。。。
同時にそれは国民生活の安定という要素と絡んできます。
今夜はブリ大根を煮付けてます。大根が柔らかく味もしみてきました。

【2007年】
妻が呼ぶので何?と思ったら、いきなりザーザーと何も映らないテレビの前に座らされた。。。。よく見るとテレビ画面の真ん中に黒小さな丸い髪が貼り付けてある。片目を瞑ってこの丸を見てというので見たけど何がなにやら?
どうも緑内障検査だったらしい。
黒く見えるところはない?というので、真ん中あたりが黒いと言ったら、「お父さん、大丈夫?」と・・・どうもうその黒く見えるところが視野の狭さとか。。。うううう
大丈夫だと思うけど、変な検査をさせられてどんより。。。。
たしかに緑内障が心配になる年齢だからなぁ。。。
そういえば、夕食の後に眠くなるというのは、男の更年期だろうか?
おやじが50の頃よく寝ていたっけ。そしてお袋にごろごろ寝るなと怒られていた。僕も妻から同じように怒られる年齢に。。。ハハハ
このくらいの更年期はそうも心配しないけど、鬱だけは気をつけよう。。。。

【2008年】
夜中に吹き付ける雨の音で目が覚めました。
朝起きると、東側の出窓に雨が吹きつけていました。まるで台風です。
妻と子どもを駅まで車で送りに行ったのですが、散る桜の木も風に揺れてガクもたくさん落ちていました。道路の上にピンク色の桜のジュウタン。新緑の季節になっていきます。
オリンピックの火が風前の灯に?
イギリスやフランスではすごい騒ぎになっているようです。
フランス革命が掲げた自由・平等・同胞愛の近代市民主義の諸原理は、その後市民社会や民主主義の土台となった。一方で、理性を絶対視し、理性に基づけばあらゆる社会の改造や暴力も正当化しうるとした
(ウイキーペディア「フランス革命」より)
正義といえば暴力に訴えてもよいという間違った自由主義がはびこり始めています。植民地主義も先の二つの世界大戦もこの自由主義の醜い一面が出たものでしょう。アテネでは、一部の急進派チベット人による偽物の聖火が点火されたそうです。
マスコミは中国のチベット政策に批判する輪が広がっているといった事を報じていますが、あんがい、チベット人にしてもイギリスやフランス人にしても、急進的な自由主義者の一部の人々の騒ぎかもしれない。
ダライラマ師は、平和主義者であるという。その意味からしてチベット仏教界やチベットの主流からすれば暴動や聖火リレーを妨害するという事は、本意ではないのかもしれない。

「子どもとの暮らしと会話」 銀色 夏生  著
「子供といえども
 それぞれの人格を持つ人間だ
 ふたりの子どもとひとりの親が
 もみあいながら過ごす日々
 いっときも同じ今はない
 平凡な日常の中を
 『生きる』ということの
 驚きとやわらかな輝き
 愛となみだと笑いの三重奏」
                (背表紙より引用)
「頭の芯がしびれるほどひっぱたくぞっ!!」
頭の中で、子供の頃のお袋の怒鳴り声が響いてくる。あまり言う事を聞かない子どもだったから。屁理屈も多かったし。。。。
ほんとに頭の芯がしびれるようにひっぱたかれた。。。ううう(笑)
かあちゃんは怖かった。。。。。。
子どもも小学生の3,4年生ともなると、親としてはかわいい、かわいいというだけでは育てられなくなる。特に中学生ともなれば、半分大人になっているわけで一人の人間として向かい合わなければならなくなる。もちろんこの頃は頭の芯がしびれるほどひっぱたくわけにも行かなくなる。体力的に負けるし。。。ハハハ
中学や高校頃は一番難しいし、小さい頃の悪戯のように簡単にかたづけられる問題の段階ではなくなる。しかし、頭の中はまだ子どもの部分が大きくて、言っても伝わらない事が多くて親としても一番言葉を選ぶ時期である。かと言って、親も人の子。。。。そうは聖人君子のようには行かない。子育てを扱った教科書的な本のようにはいかない。親とて爆発はする。。。。
しかし、親も大人の部分の子どもに頼もしさを持つ。この頃の子どもの言葉に心が見えたとき、親は涙する。
そうこうしているうちに子は巣立っていくのである。。。。。
夏生さんの作品に、日記エッセイ「つれづれノート」シリーズ(角川文庫)があります。
1990年からほぼ毎年続いた日記で、第14巻2005年4月の記事まで続きました。この15年間に、夏生さんは結婚をし、離婚再婚もありましたがお二人のお子さん、長女「かんちゃん」と長男「さくちゃん」(このお子さんたちの呼び方は、本作品では「カーカー」となっていますしその時々に変わったりもしますが、「つれづれノート」ファンとしてなじんでいるのは「かんちゃん」「さくちゃん」という呼び方かなと思いますので以下これを使います)の子育てもその中心にありました。
「つれづれノート」が終わったあとの作品には、「つれづれノート」その後というのか、「つれづれノート」外伝?ともいえるような、「つれづれノート」に登場したお友達が登場したり、「つれづれノート」のさまざまな記事のテーマを発展させたような作品が続きました。一番新しい作品でも、テレビに出てくるスターたちの似顔絵と寸評の本「テレビの中で光るもの」もそうでした。そして今回の作品は、お子さんたちとの日常が描かれる作品となりました。
去年発行の「ばらとおむつ」では、脳梗塞で倒れたお母さん「しげちゃん」を中心にその介護にかかわる兄「せっせ」が登場しました。この作品も「つれづれノート」の番外編という感じでした。
このように、夏生さんは詩人ですが、その日常の生活を描いた「つれづれノート」も代表作であり、その中でもお子さんたちとの日常の様子はたくさんのファンの心をつかんでいます。
14年。。。その年年に読まれた方は、ご自分の子育てとダブらせたり、親戚や友達と子育て論議をするように身近なものと感じ、子育ての後輩は一つの子育ての参考とされたり、子育ての先輩は苦言もあったでしょう。男の僕としても、うんうん。。。。とうなりながら読ませていただきました。また、詩集を読むにしても「つれづれノート」と平行して読むと詩の中身がより実感できるようにも感じました。
14年。。。。「かんちゃん」や「さくちゃん」が生まれて今に至るまでに子育ての柱(夏生さんの子育ての考え方や対処)は変わらないまでも、やはりお子さんたちの成長に伴いそこにひとりのお母さんという夏生さんが泣き笑いをしながら現れています。それは、「かんちゃん」が難しいお年頃になるに連れて母としての夏生さんにも違った側面も見えてきたのかもしれません。それはやはり楽しくかわいいという子育てから将来の子離れや親離れも意識したお子さんたちとの大人同士の関係が少しづつ出てきていると思います。
こういう事は、子育てをしていればだれでもが経験をする事ですが、母親銀色夏生の心の中をこんなに素直に出した中に今回の作品の主題があるのではないかと思います。
夏生さんの事ですから、僕のお袋のように頭の芯がしびれるようにぶっ飛ばすといった子育と同じではないのですが、そこには「かあちゃん 銀色夏生」がいますね。
夏生かあちゃんは、教科書的な教訓のようなものは絶対に書きません。
お子さんと、時には子供同士のように、時には母親として「かんちゃん」と本気で喧嘩をします。その中に自分ではどうする事も出来ないものを発見します。それは半分大人になった「かんちゃん」の大人の部分への干渉はできないということでしょう。もちろん力になれるところは夏生さんは手助けをしますが、それ以上のことは大人の部分である「かんちゃん」自身が決めていかなくてはいけない。もちろん助言はしますが。また、「かんちゃん」のまだ子どもの部分を夏生さんは見つめているのでしょう。そこには愛情を注ぎます。しかし大人の意識と子供の意識が交差する「かんちゃん」にも自分自身ではどうしようもない心の動きがあるのでしょう。
母娘喧嘩もこの時期は当たり前でしょうね。
当たり前の事ですが、一方では、家族として楽しく過ごします。
「かんちゃん」がウケを狙って男友達が踏みつけてしまった食べ物を食ってしまうということがありましたが、夏生さんも花火の音が聞こえたからと風呂場から庭に裸で飛び出してくる(笑)
さまざまな楽しい事がたくさん書かれていますが、すっと心の中の感性を口に出したり行動に出すという、それもユーモア的に、そういう感覚。互いの個を出してぶつかる事の楽しさの理解。こういうものが喧嘩をしながらも楽しく過ごすという銀色夏生家の雰囲気が特徴的でしょう。これは、夏生さんとお母さんの「しげちゃん」との間にもありますし、兄「せっせ」との関係にも見えます。この独特なものを見ないとこの作品の楽しさは半減するのではないでしょうか。くそ真面目に読むと苦言を呈したくなる(笑)わかるのですが、涙の中にユーモアがというような視点は忘れずに読まなくてはならないでしょう。そういう感性が僕も好きなのだと思います。
その意味では角川の本の紹介ページに
「ああいう人間に 生まれてきちゃったんだよ 世の中に」
という言葉があります。
この言葉は本文中64ページに「さくちゃん」が「かんちゃん」を評していった言葉ですが、「かんちゃん」がスーパーの中でカエルの被り物をして歩いているところを偶然夏生さんと「さくちゃん」が見たときに言葉。天真爛漫な「かんちゃん」とどんよりとしながらも上のような「さくちゃん」のコメント。しみじみと夏生さんも。。。。ハハハ
まぁ、夏生さんに何も気苦労というものがまったくないというわけではけっしてないのでしょうし、いろいろあるのが人生ですが、それをある意味個のような作品に書くということ自体がご自分の今を客観視できるのではないでしょうか?それは、ユーモアというものに置き換えると「人生はおもしろい」という言葉になると思います。
「さくちゃん」は、上の言葉のように時々哲学めいたような言葉を発します。夏生さんとのぶつかりは、まだその年齢からしてそうはないのでしょうが「かんちゃん」との姉弟喧嘩はすごいですね。いつもお姉ちゃんにいじめられたり意地悪されたり。。。。(笑)
でもやはり姉弟は姉弟。なかされたりしても哲学めいた言葉を発しながら気持ちの入れ替えは早いようです。
「さくちゃん」が寝ているとき、ズボンの中に手を入れるというのがありましたが、「かんちゃん」も小さいころに同じようにして寝ていた。その頃の夏生さんは、それを見て父「ムーちゃん」の遺伝子と書いていましたが、父親の違う「さくちゃん」も同じとなれば、それは夏生さんの遺伝子ですよね。。。。(笑)まぁ、このような癖はともかくとしても、「かんちゃん」「さくちゃん」へと、夏生さんの性格は伝わっていますね。「かんちゃん」が「つれづれノート」での夏生さんの血だとすれば、「さくちゃん」はもしかしたら詩人の感性の血かもしれません。それはもちろんおばあちゃん「しげちゃん」の血でもあります。。。。
血、血と書くと、生まれながら備わった性格という事が強調されてしまいますが、人を評する言葉には「生まれ育った環境」といいますね。人は生まれながらのものと、育てられた環境によってそして子どもながらも受け取っていくものによって性格は決まっていきますね。夏生さんが「しげちゃん」から受け取ったもの、それは兄「せっせ」も同じものでしょうし、それが「かんちゃん」や「さくちゃん」にも。その親子関係は体の中の遺伝子だけではなく、育つ環境という遺伝子もあるお分けです。「しげちゃん」は、お嫁に来たときに、宮崎の自然を見てこの中に育つ子どもは詩人になるというようなことを言ったと記憶してます。そして子どもたちは「本の山」によじ登りながら育った。。。。「かんちゃん」や「さくちゃん」は、夏生さんが作ってきた環境に生きてその血とともに受け継いだのでしょう。
このような銀色夏生の家族に、夏生さんご自身も常に家族から受け取っているものがあり、それが
「子供といえども
 それぞれの人格を持つ人間だ
 ふたりの子どもとひとりの親が
 もみあいながら過ごす日々
 いっときも同じ今はない
 平凡な日常の中を
 『生きる』ということの
 驚きとやわらかな輝き
 愛となみだと笑いの三重奏」
という言葉に表されているのでしょう。常に夏生さんご自身もお子さんたちから何かを受け取りながら、与えながら平凡な日常の中に互いに生きているのでしょうね。
表紙のイラストは、前に大きくお二人のお子さんが笑い、後ろに小さく夏生さんが寝癖の頭にパジャマ姿で「うん?」というような顔で振り向いている。ハハハ・・・・いつも{うん?」というような新鮮な芽でお子さんたちや世の中を眺めていらっしゃるのかもしれませんし、このイラストはおもしろいです。
これは、僕たち読者もそれぞれに家族を持ちどんよりしたり悲しんだり怒ったりといろいろあると思うのですが、家族が暮らしていくということを考える事のできる作品が「つれづれノート」シリーズであり、今回の作品でもあると思うのです。そして何よりも夏生さんの生き方に何かしらのヒントがあるのではないでしょうか?
うれしいお知らせが「あとがき」にありました。
「つれづれノート」が復活です!!
来春?は、「つれづれノート15」!!
日付が大切とのことですが、夏生さんがどのようなお考えなのかははっきりとわからないのですが、一ついえる事は、このような日記形式の作品では、心の動きが変わることもありますし、その心の動きがどのくらいの時間の経過や環境の変化によって変わったかは大切だと僕も思います。そうしないと夏生さんの事を「気まぐれ」とか、「気分の差が激しい」などという変な誤解が生じます。読者は夏生さんの一年という時間を1週間なり2,3日という時間の流れで読んでしまうのですから。。。。
「つれづれノート」復活!夏生さんに感謝いたします。


【2009年】
(記事なし)

【2010年】
川上弘美さんの「これでよろしくて?」を買ってきました。
去年の9月に発売になっていた作品ですが、僕自身本を手に取ることができない時期でしたのでつい買いそびれていた本です。
「川上弘美的ガールズトーク小説」(帯より引用)
うん。。。よくわかりませんなぁ(笑)
ということで裏の表紙の方の帯に回ってみると
「女たちの不思議な集まり。奇天烈なその会合」「幾多の難儀」。。。。ううう・・・ん、わかりませんなぁ(笑)
そもそも「ガールズトーク」というものが。。。。わかりませんなぁ(笑)
なんとなくわかるようなわからないような、まごまごした曖昧な世界も川上ワールドですからなぁ。。。。うん。近いうちに読みたいと思います。

約10年間、本の海を漂い、女性作家の世界に遊んだ夕螺でありますが、たどり着いたところは。。。。
銀色夏生と川上弘美。。。でした。
もちろんまだ読んでいない女性作家もたくさんいらっしゃいますし、一人の女性作家でもそうは数を読んだわけではありません。そしてそれぞれの女性作家にすばらしい作品も発見しました。
でも、全作品を読みたいと読み漁ったのは、銀色夏生と川上弘美でした。その意味においてたどり着いたところなのであります。
ということで、僕のホームページ内のお二人の作品ページをブックマークに入れました。
また本の海へ。。。。
このお二人の世界からは離れられないで読み続けることしょう。でも、ここらで女性作家の本の海から少しはなれて。。。。どこに行こうかな・・・
川上弘美関連で内田百を知り、芥川賞の面白さを知りましたが、ここにもどっぷりと浸かりながら。。。。
漱石は70になったら全集を読み直そう。。。。生涯初めて感動した作家、生涯の終わりに読み直そう。。。感想をお楽しみに(笑)

昨日の記事に歌詞としての詩といったものについて書きましたが、今日、4月7日に小鍛冶邦隆作曲、銀色夏生作詞による混声合唱団のCDが発売になりました。
ネットで調べたのですが、詩は詩集として出版された中からの詩で、作詞とはなっていますが音楽の歌詞として作られた詩ではないと思います。
買ってみようかな。。。。

【2011年】ツイッターつぶやき
わが町の道路は狭い。その狭い道路に多くの車が走り自転車が走る。そしてそんな通りに電信柱が乱立する。
どうもこの電信柱が邪魔である。というか危ない。
車椅子の人はもちろんご老人や自転車もよけて走り、時にはそのために車はブレーキを踏む。
どうにか地下に埋めてもらえないかと思うのですが、そうもいかないようです。
電信柱がないといいと思うのですが。。。。
でもこれは何も電気や電話が要らないといっているわけではない。電気もdんわ電話も要らないから電信柱をなくせというような人はめったにいないだろうし、こんな意見は役所も受け付けないでしょう。笑い話である。
しかしこんな笑い話がいざ原発となると真面目に語られる。
「原発反対の人は電気はいらないのか?」と。
こんな乱暴な話が案外真面目に語られて社会的には大きな勢力となるのである。
世界は軽く屋原発に頼らない電力を模索しているでしょう。。。。。

国や電力会社が開き直ったら終わりである。。。権力と独占なんだから。

【2012年】ツイッターつぶやき
ストレステストの一次評価を基に大飯原発の再稼働を行おうとしたが反発があり急ぎ3日に「野田政権は3日夜、首相官邸で関係閣僚の初会合を開いた。野田佳彦首相は、安全対策の暫定基準を作るよう経済産業省原子力安全・保安院に指示」(朝日新聞)をした。そしてその後すぐに安全対策の暫定基準を発表した。
あまりにも即席的な暫定基準でこの暫定基準をこのように早く出せるならなぜ初めから出さなかったのだろうか。
「暫定」基準とは何か?
再稼働を認めるにしても再稼働にはその安全性が確保されていなければならない。その点今朝の朝日新聞社説には「基準作りで解決できない」として今後数年間かかるの安全策のための工事の完了を待たずに再稼働の安全性を認めるるとある。今後も取り組むべき安全策を決めるだけで再稼働をさせる。その意味で「暫定」なのだろうか。
そしてこの夏の電力不足も再稼働の条件となってきているという。この電力不足の懸念は安全策とは何も関係のない議論である。(朝日新聞社説はこの電力不足についての再稼働条件を認めているのだろうか?)
再稼働については今後の改善策を出しただけで、安全性は「暫定」的なものを認める形で政府が責任をとるからという不完全なもの、そして再稼働の必要性としての電力不足という再稼働条件。
これを「新たな安全神話」というのではないか。

【2013年】ツイッターつぶやき
まずはツイッターから
デフレは通貨の価値が高いから起きるのではなくて、商品生産の生産性の向上(より少ない労働・賃金でより多くの商品を生産する)による商品価値の低下から起きます。その相対として貨幣価値が高くなったように見えるだけです。わざわざ貨幣価値を下げる必要性はない
本来の経済的な面での生産性の向上は世界共通かもしれません。しかし日本の特殊性はこの生産性の向上を賃下げによって行ったhttp://lidai.asia/node/760?language=ja … …という事に関連するかもしれません。商品価値は価値低下とプラス値下げ競争を賃下げによって
多くの経済学者は、労働の生産性の向上を賃下げまで含めたものと理解しているのではないでしょうか?労働力も商品ですからその価値どおりに買わなければならないはずですが、力関係と政府の擁護で買いたたきます。このようなものは生産性の向上ではない。絶対的剰余価値の拡大です。労働者を犠牲にした
労働力の価値を下げるための唯一のものは、その労働力を再生産する費用(ずっと健康で平均的な生活を維持し次の労働者である子供を育てるなど)に必要な生活必需品の商品価値が下がることです。しかし国や企業はデフレだと騒いでインフレを起こそうとする。この矛盾の解決を賃下げとして行うのです。

デフレは通貨の価値が高いから起きるのではなくて、商品生産の生産性の向上(より少ない労働・賃金でより多くの商品を生産する)による商品価値の低下から起きる。その相対として貨幣価値が高くなったように見える。
あらゆる商品が価値低下を起こすとすれば、ある貨幣量で買える商品は多くなるわけですから貨幣価値は相対的に上昇する。ましてや労働者の賃金を人為的に下落をさせれば、商品価値の低下に合わせて人為的な商品価格の低下を誘発する。市場においては商品はその価値以下に下落させる人為的な商品価格の下落となる。資本主義は競争社会で競争がなくなれば発展しない仕組みになっていますが、この競争が負の方向に作用するのが低価格競争です。そしてこの低価格競争を実現できるのが生産性の向上以上に商品価格を下げる作用のある賃金の切り下げです。日本はバブル崩壊後この賃金切り下げによって競争力をつけようとしました。
このような中に経済はどのような矛盾をきたすでしょうか?
この矛盾こそデフレです。そして賃下げによる消費の縮小がさらに低価格競争を引き起こしてデフレは進化する。
これが日本だけ何故デフレなのかの答えではないか。
このデフレでは商品価格の下落に対する相対的な円高の作用を引き起こす。
社会は低価格化する商品が氾濫をして少ない貨幣量において商品の生産と交換が行われていく。ですからデフレは貨幣量が少ないからではなくて市場が多くの貨幣量を必要としない状態になったのです。
もちろん以上は国内でのデフレ傾向です。経済はグローバル化をして日本は多くの資本を海外に投資をします。それは安い労働力を確保してより安い商品を生産するためです。当然日本国内の賃金水準を大きく下回る賃金で生産をするわけですから国内にはやはり多くの低価格帯での商品が押し寄せてくる。ここでも相対的な円高が起きるわけです。
ある意味個のような生産体系を成功させたことで円高というものが生まれてくる傾向が増大する。
しかし同時にこの商品の価値低下とそれ以上の低賃金化を利用した商品価格の下落は、日本企業に利益をもたらすとともに利潤率の低下というものを突き付けます。より多く売れば利益は増大するが商品の単位あたりの利益は低下をする。この時に商品が売れなくなれば利潤率は下がるでしょう。実体経済はそれほど利益を上げられないのに、しかし円高傾向には変わりない。円は安定したように見える。ここに為替が作用するのではないでしょうか?日本とは違う賃下げでの利益確保をしない方法の諸外国の通貨は下がる。為替が働き円高という中に商品はさらに売れなくなる。
この中ですべてが逆立ちをしたアベノミクスやリフレ経済学が出てきて日銀を言うことを聞かせるための日銀法改正が出て日銀が変質する。その結果が異次元とも言われる強制的な人的なインフレ策と円安をつくりだしてしまった。

【2014年】ツイッターつぶやき
ひとつの流れ星の孤独
一つひとつの孤独が
なぜか波紋を広げて
波紋は重なり合う

思惟は言葉の波紋となって広がる
思惟そのもの
言葉そのものは孤独である
それが波紋となれば
誰かの波紋と重なる

それでいいじゃないか。。。
波紋として広がってしまえば
それは僕だけのものではなくなる
誰の波紋と重なるかはわからない
そしてまた僕は孤独となる
でもまたその孤独が
波紋を広げるだろう

安倍総理が女性の社会進出のために外国人労働者を家事労働に入れると言っている。
一時看護師を外国人労働者でといったものが出ていたが日本語での国家試験を受からないとだめとか言う理由でなかなか進まなかったという記憶がある。その後どうなっているのでしょうか?
家事労働を外国人労働者でというのは、二つの考え方があるのでしょう。
ひとつは日本もお手伝いさんというのがいなくなり人手不足が多いという。お手伝いさんを自宅に住まわせて雇うほうもお手伝いさんの将来(結婚など)に一定程度責任を持つ。こういった古くからあったものは薄れていた。そのお手伝いさんの代わりに外国人労働者という場合はメイド的な性質を持つ富裕層のための制度というのがひとつでしょう。
もうひとつは安倍政権は企業における役員クラスにも女性の東洋をといっていますが、まぁ、役員とは言わなくても大企業で働き続ける女性のために派遣会社から派遣されるお手伝いさんというものでしょう。そこでは一定の収入がなければ雇えませんし、一定の収入が保証されなければ外国人労働者の貧困化もおきる。
こう見ると家事労働を外国人労働者にというのは富裕層や一定の収入があるか家庭を念頭においているのかもしれません。もちろん一般家庭の共働きで保育行政の不備から子供を家に一人にするしかない場合など派遣会社から派遣してもらうというのも考えられますが、そこでの出費は大きくなるでしょう。共働きの経済的意味がなくなります。保育園でもその費用は大きいのですから。
ましてや母子家庭の方が雇えるような余裕はないでしょう。
安倍政権のひとつの考え方の基本に公助から自助へというものがあると思います。
共働きする条件が公的には保障されずに自己責任でお手伝いさんをという動きと思われます。そこには保育園不足や介護施設不足を自己責任に押し付けていけば施設の不足は少なくなるでしょう。
共働きは女性だけの家事労働や介護労働の問題ではなくて男の側の問題でもあるはずです。その男(夫)の役割は諸外国では保障をされはじめています。それを日本は自己責任としての外国人労働者の雇用に任せるというのでしょう。

【2015年】ツイッターつぶやき
アベノミクスも3年目に。まだ日銀の追加緩和を期待せざるを得ない状況である。
自民党内からも追加緩和を求める声(ロイター)が。
結局物価高というものが経済を反映せずに円安頼みと消費増税による価格への移転であることでしかなく、個人消費は落ち込み経済の好転は安倍総理の言葉通りには進んでいない。たんなる株価の世界でのバブル的なものに景気好転を見るだけである。
これでは日銀の出口の展望は見えないでしょう。
日銀自体も物価上昇に自信を持てなくなる。
景気が好転是図に出口が見えない状態が恒常化していく。しかしいつまでも円安誘導を行っていくことはさらに経済矛盾を深める。八方ふさがりの中で円高がはじまったならば日銀はどのように円を回収するんでしょ?
答えバブルを崩壊させること。
もちろんバブルは個人消費の中では起きていませんから、資金が集まる金融・株式におこる。
日銀が所有する国債と銀行の貨幣量。
円高がはじまってもそれらの資金での通貨の力が強くなるとは限らない。円高になっても輸入品が安くなるとは限らない。。。このような状態が出てくるならば日本経済はさらに落ち込むでしょう。結局日本は全体的な貧困化に向かう。

【2016年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2017年】ツイッターつぶやき
日米安保は日本を守ってくれているというのは、他国が日本を攻めてくる「かもしれない」ことを前提とする。この前提においてのリスクは米軍基地があるという日米安保に起因するということは皮肉である。特に集団的自衛権に踏み込んだ場合、トランプリスクがアベリスクに直結をしてしまうでしょう。
米中首脳会談が開催されています。この両首脳により日本の危機も左右されるでしょう。トランプさんは大統領令を連発しながらも議会棟の承認を得られない。ポピュリズムもそのために限界。昔から大統領の支持率が下がると中東アラブの国の爆撃がはじまる。今回はそれが北朝鮮なら日本国民の悲劇である。
米中会談により中国も北朝鮮攻撃に加わることは、ゼロとは言いませんがないでしょう。ロシアは?これも中東関係で可能性は少ないでしょう。もちろん北朝鮮後の利権とアメリカの軍事政策がどうなるかで違いますが。日本はこの中に巻き込まれてはいけないのです。
シリアミサイル攻撃でしたかぁ。。。。まず。
【関連】
アベリスク(2)」

gooお題「新聞を読んでいますか?」
昔はテレビニュースでニュースのあらましを知って詳しく知りたいときに新聞を読んでいました。
今はネットがありますから幅広く自分の知りたい情報を読み、最新のニュース(情報)であれば新聞を開きます。
逆に新聞を読んで興味を持った記事についてネットで調べて他紙やツイッターなどで探し読んでいます。
ネットと新聞とは、確かに広告で競合しますから厳しいですね。しかし読者から見れば互いの情報の交換ができますのでうれしいです。
新聞もその存続の曲がり角に来ていると思いますが、そうはネットにも負けないのではないでしょうか。
しかし新聞も国民の視点をジャーナリストの目を通して報道していかないと生き残れないかもしれません。もちろんこれはポピュリズムでも官報でもない視点です。
今、もう一度終戦直後の自社の反省と決意を再確認すべき時代になったのではないでしょうか?
また、公平性もある情報を公平に報道するとしても、その報道する情報の量や数は政府や社会的影響力のある人や組織の情報が多くあり、少数派の情報量は少ないのですから、公平さにも情報量が多いところのものが勝ることになります。
新聞の公平性は、記者の目を通して少数の人々、力のない人々の情報を意識的に取り上げることにあると思います。
復興相の問題発言がありましたが、なぜこの「自己責任」という言葉が社会的問題なのか?それは原発事故さえなかったら復興のために多くの人々が帰るでしょう。なぜ原発事故が起きたかは明確に精勤も含めて総括がなされていません。同時に帰っても安全な日常を送れるのかなど疑問があります。
この中で自主避難を続けざるを得ない方は自己責任なのでしょうか?
復興相は大きな情報を流します。テレビラジオが取り上げます。一方自主避難者や復興相への非難をする人々は情報量としては弱い立場です。この弱い立場の人々の情報量が足りない中で、自主避難する子供たちの教育現場におけるいじめが因子羽化します。
以上の視点は、社会全体の中で起きることすべてに通じるものがあります。
公平性で政府批判ばかりは間違いだといわれていますが、この視点が間違いなのです。
新聞は力のない少数の国民の声を大きく取り上げることにより、情報の強者と弱者とを公平にするのです。
情報そのものは包み隠さず報道をすること。これも公平性ですね。

【2018年】ツイッターつぶやき
    空晴れて袋も軽し春キャベツ
男の手料理というほどではありませんが、おいしそうな春キャベツがありましたので買ってきました。
手でちぎって大皿に山盛り。
味噌に砂糖を入れてほんの少し酢を入れて伸ばします。そこの七味唐辛子を入れます。
この味噌を春キャベツに巻いて食べました。
少し焼き肉を焼きましたのでこの肉もまいて。。。。。。

【2019年】ツイッターつぶやき
ロイターに股関節手術で学び直した経済理論、市場主義は間違いという記事があった。
この中に
『賃金が最低水準の清掃作業員からトップクラスの外科医まで、そこで働くほぼ全ての人が「ブルジョワ」に分類されるということがあるだろう。だがさらに重要なのは、ある目的に向かって努力する集団というのは、どんな階級対立よりも強力だということだろう』(引用)
とある。
この著者は病院の経営をしている階級を忘れている。たしかに股関節手術で病院に入れば、特別な理由がない限り病院の経営の階層には出くわさないでしょう。
清掃員から医師まで労働者ですからそれぞれの役目において整然と仕事をしている。これはどのような社会においてもその分業において労働者は整然と労働を行っているのです。これは労働という普遍的な属性を言っているだけのことです。ですから清掃員から医師までの労働者にはブルジョアはいないのが当たり前なんです。病院の経営層を見ないか。
素朴ですなぁ。。。。
無意識ですなぁ。。。。。
でも、この方の書いていることは大切な部分を書いている。
まず市場主義の矛盾を書いて人の労働を書いている。整然と組織された労働の分業。これは資本主義でも共産主義でも同じです。その中で市場主義を批判をしていることによりこの社会は人の労働によって維持されていることそして労働する人々が主人公であることを書いている。
素朴なマルクス主義。。。。
無意識なマルクス主義。。。。。
このような素朴で無意識な社会改良を考えている人は多いのかもしれない。
なぜなら市場主義のひどい矛盾を見つめているから。

プランターの片隅に糸状の葉が6本ほど出ていたのですが、花の芽が出てきて今朝咲きはじめました。一つの茎に3つ黄色い花がついています。香りがきついですがよい香りです。
以前球根を植えたことは覚えているのですが、なんという花を植えたかとなると定かではない。
花は水仙そっくりで香りも水仙。。。。。。
いろいろと調べてみたら糸葉水仙ではないか?
黄水仙の一種でしょうか?
初冬に花屋さんから黄色い水仙を買ってきたのですが、パットしてぱっと終わってしまいました。このブログでは黄水仙が終わったと書いていたのですが、ほかの方のブログでは春になって黄水仙が咲いたと?初冬の水仙は普通の水仙と同じ葉っぱでしたから種類が違うのでしょうね。
糸葉水仙は小さくて可憐です。。。。。

【2020年】ツイッターつぶやき
自己責任国家の緊急事態宣言。
人と人との間隔は2メートル?電車通勤やスーパーの買い物に行ったことがない人たち。
休業補償などの不備と申請のハードルが高いく困窮者の漏れが大きい経済政策での生活支援。
検査の拡大や基準はどうなっているのか?検査件数は?
感染拡大など何かあれば自己責任。
なにも国がすべてを行えというわけではないが、感染拡大を防ぎコロナウィルスから命と社会を守ることは個人の責任を否定はしない。しかし社会の維持をするにはこの故人個人を助ける国家の力が必要なのです。もちろん企業の社会的責任も。
政府も都も中身が空っぽですね。。。。。。
自己責任国家は何を必要しはじめたか?
改憲である。。。。。。国民に対する要請ではなくて命令である。

【2021年】ツイッターつぶやき
聖火リレーがはじまっていますが、愛知県を見てもだいぶ密な状態が起きているようです。
聖火リレーを盛り上げるために著名人や芸能人をランナーにすれば沿道には人が集まるでしょう。
経済政策としてGo Toを実施すれば人の移動とみるが起きる。聖火リレーもこれと同じ過ちをしているのではないでしょうか。
経済のためにアクセルを踏めば感染拡大のリスクが上昇する。そしてオリンピックのためにやはり人の密集が起きる。これもアクセルです。
Go Toは中止になっていますが、今日の東京の新規感染者数555人でした。テレビの緊急ニュースで東京もマンボウを検討かと報道されていましたが、そもそも東京で聖火リレーを行うことができるのかも危惧されはじめています。
聖火リレーを中断すればオリンピックの開催も感情的には下向きになるかもしれませんが、リスクを高めることを避けることが今一番大切なことでしょう。

【2022年】ツイッターつぶやき
ワクワクイベントというものがはじまるようです。
Go Toイベントというものがありましたが、それをワクワクとしたようなもののようです。たしかに違いがあって、ワクワクワクチンを3回接種した人がイベントに行くとき補助が出るという点です。現在接種率が落ちていますから接種率を上げるのが目的なのでしょう。
しかし、東京都をはじめ新規感染者数が下げ止まりから再拡大の兆候を見せています。
Go Toだろうがワクワクだろうが、密を大きくして行えるような状況ではないでしょう。ワクチンにしても、テレビコマーシャルとみていると、感染や重症化を防ぐという「報告があります」と言っている。報告がありますという言葉はテレビ通販の健康食品などで出てきますよね。特保とかとワクチンは同じレベルでしょう。特に感染予防にはあまり効き目がないとも言われています。2回の接種率が高くてもオミクロンの感染は爆発的に起きました。重症化死亡数にしても感染者数が大きくなれば比例して多くなるわけですから死亡者数も減るとは言えない。
経済効果は一時的にあるかもしれませんが、ワクワクで感染者数がさらに増加すればその経済効果もどこかへ吹っ飛んでしまいます。
いろいろなコロナ感染関連のアプリとかもできていますが役に立たない。
それと同じようにわくわく経済効果も役に立たない。

【2023年】ツイッターつぶやき
日銀黒田総裁が退任前に記者会見を開いたようです。
物価が下がり続けるデフレではなくなったが、2%目標は達成できなかったと。
しかし2%目標が達成されなかった要因は常にデフレ圧力があったことにある。どうにか政府のバラマキでこのデフレ圧力を緩和したのであり経済の好転からデフレがなくなったわけではない。
円安については語っていないようですが、実際日銀緩和により円安がはじまった。これにより輸入物価が上がり国民生活にも悪性の物価高が広がった。これ伊予ってもこれによっても経済の好転はなく2%目標は達成できなかった。デフレ圧力がなくなったわけではない。

【2024年】ツイッターつぶやき
コンビニに必要なものを買ったら甘いものが食いたくなったので冷蔵のスイーツに前に。
シュークリームなどいろいろなスイーツが並び美味しそうなプリンのようなものがあったので買いました。
一つ300円以上でした。
少し前までは300円出せばケーキ屋さんのプリンが買えましたが、今やコンビニスイーツで300円。。。
そういえばペットボトルのお茶が148円。
ちょっとしたスイーツやお茶は98円ぐらいでした。
今年の賃上げ平均がいくらぐらいになるのかわかりませんが、食品の値上げ幅に比べれば微々たる賃上げでしょう。
低所得層や年金暮らしではコンビニスイーツも手が出なくなりました。
激しいデフレ圧力がやってくるでしょうね。すでにアメリカやヨーロッパでははじまっている。また利下げを行おうとしている。これはさらなる景気の停滞となるでしょう。インフレも起きていないのに物価上昇が激しい日本は利下げ幅に余裕がない。どうするのか。。。。。
日本は先進国とは言えない状況になるでしょう。
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2025年 4月 6日(日)「職人技」

2025年04月06日 21時50分54秒 | 「思うこと」
Xを見ていると、時々外国の職人技が出てくる。特に中国の古代から受け継がれた技はすごいですね。もちろん日本にも古くから受け継がれた職人技を持つ人がたくさんいます。
はじめは雑に見えるような形で仕事を始めるのですが、だんだんと形が整い始めぱっと素晴らしいものが現れる。
僕の親父も木工職人でしたが、僕が本箱を自分で設計して材木屋のその寸法の板を切ってもらい作り始めた。やっと完成と思った時、親父が来て本箱の上の板を見て、ここは丸くしたほうがいいぞとのこぎりで雑に切り始めた。
雑な切り方なので僕は起こったのですが、見ているとあっという間に四角の板がきれいな半円になった。これなら危なくないよと親父は去っていった。
悔しいけどその半円のきれいさに驚いた。
職人技というのはこうしたものなのでしょうね。手の感覚でどんどん仕上げていく。
そういえば、子供たちが小さいときに千葉県の港の堤防に釣りに行きました。イワシが少し釣れたぐらいでさて帰ろうと思い竿をしまいかけたら、80近い爺ちゃんが孫を連れてやってきた。半袖の下着シャツにステテコ姿。雪駄をはいて手に丸めた釣り糸を持っている。
堤防に来ると、針のついた糸を垂らしはじめ、ほんのちょっぴりこませをまいた。すると5分もしないうちにたたきにすればうまいだろうと思うアジを釣った。爺ちゃんは孫の手を引いて糸に味をぶら下げながら帰っていった。夕方の酒のつまみにでもするのでしょう。
僕はアジなど一度も見ていなかった。もちろん釣れもしなかった。爺ちゃんはさっと釣って帰った。
しばらく呆然と爺ちゃんの後姿を眺めた。若いころは漁師だったのでしょうね。これも職人技といえるものなんでしょう。
親父は昔から僕に手に職を持たないとだめだと言っていた。
手に職かぁ。。。。。。
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「4月 6日という日」

2025年04月06日 07時03分27秒 | 「何を思ってた?」(旧ブログまとめ)
【2025年】ツイッターつぶやき
Xを見ていると、時々外国の職人技が出てくる。特に中国の古代から受け継がれた技はすごいですね。もちろん日本にも古くから受け継がれた職人技を持つ人がたくさんいます。
はじめは雑に見えるような形で仕事を始めるのですが、だんだんと形が整い始めぱっと素晴らしいものが現れる。
僕の親父も木工職人でしたが、僕が本箱を自分で設計して材木屋のその寸法の板を切ってもらい作り始めた。やっと完成と思った時、親父が来て本箱の上の板を見て、ここは丸くしたほうがいいぞとのこぎりで雑に切り始めた。
雑な切り方なので僕は起こったのですが、見ているとあっという間に四角の板がきれいな半円になった。これなら危なくないよと親父は去っていった。
悔しいけどその半円のきれいさに驚いた。
職人技というのはこうしたものなのでしょうね。手の感覚でどんどん仕上げていく。
そういえば、子供たちが小さいときに千葉県の港の堤防に釣りに行きました。イワシが少し釣れたぐらいでさて帰ろうと思い竿をしまいかけたら、80近い爺ちゃんが孫を連れてやってきた。半袖の下着シャツにステテコ姿。雪駄をはいて手に丸めた釣り糸を持っている。
堤防に来ると、針のついた糸を垂らしはじめ、ほんのちょっぴりこませをまいた。すると5分もしないうちにたたきにすればうまいだろうと思うアジを釣った。爺ちゃんは孫の手を引いて糸に味をぶら下げながら帰っていった。夕方の酒のつまみにでもするのでしょう。
僕はアジなど一度も見ていなかった。もちろん釣れもしなかった。爺ちゃんはさっと釣って帰った。
しばらく呆然と爺ちゃんの後姿を眺めた。若いころは漁師だったのでしょうね。これも職人技といえるものなんでしょう。
親父は昔から僕に手に職を持たないとだめだと言っていた。
手に職かぁ。。。。。。

≪過去の記事≫

【2004年】
風邪はほとんど治りました。
しかし・・・まいった。。。。1週間のあいだぐったりでした。それでもどうしてもやらなくてはならないこともありますからね。「主夫」は辛い(笑)
村山由佳さんの「天子の卵」を読みはじめました。
藤堂さんの「昔に恋人」という熟年の女性が主人公の重いものを読んだ後なので、19歳の青年の恋は新鮮です。最後まで読まなくてはわかりませんが、純粋に人を好きになることの大切さは大切です。本当に好きになるということは、独り占めをしたいということと同時に守ってあげたいという気持ちなのですね。
この純粋さは、夏生さんや江國さんの中に特に感じます。江國さんの場合は青年期のように単純ではありませんが。
この純粋さは、藤堂さんの「昔の恋人」に出てくる母性など、恋というものを離れても大切です。
40,50になっても忘れてはいけませんね。。。。

【2005年】
最高気温23度。桜も一気に満開です。
初汗掻く。。。。
名文とは、読者を催眠にかけるテクニックである?
詐欺師も名言を吐き名文を書く。
味噌も糞も一緒になってしまう。。。
いつものラーメン屋さんで外食でした。夜になっても厚着をしていたら汗ばんでしまうほどの暖かさ。ビールが美味かったです。肴は、野菜炒めと今読んでいる名文方程式。。。ううう・・・・

【2006年】
昨夜は冷たい雨でしたが、今日はその雨もやんで少しは暖かくなりました。
今日は多くの学校で入学式だったようです。桜も寒さのために残っていてくれたようです。
買いたい本があったので大きな本屋さんへ行ったのですがなかった。
また探してみよう。。。。
この前靴の安売り店で買った靴で、昨日の雨の中を歩きました。やはり新しい靴は撥水性も良いので気持ちが良いです。しかし。。。。30分ほど歩いたら、なんとなく足の甲の部分が冷たい?
如何したのかと思い、立ち寄ったコーヒーショップで見てみたら、やはり足の甲の部分が少しぬれていました。買ったばかりの靴なのに?
よくよく調べてみたら、靴の足の甲の左右(靴紐を通す穴のあたり)にビスのような小さな飾りがあり、その金属の部分と皮の部分の間から雨水が染みてきているようでした。安い靴だからという問題ではなく欠陥品です。。。どんより

【2007年】
(記事なし)

【2008年】
(記事なし)

【2009年】
(記事なし)

【2010年】
昨日の記事に、坂本冬美のCDの事を書きましたが、帰ってきてからネットで「また君に恋してる」の歌詞を探して読みました。歌の歌詞というものはよくわかりませんなぁ。。。。苦手です。歌詞というものではなくても詩というもの自体が理解することが難しいのですが、歌詞となるとなおさら理解しずら異様な気がします。
歌詞は、曲そのものと切り離せないものですから、ある意味歌詞は曲に規制される。もちろん曲が歌詞に規制されるということでもありますが、曲が先にできていた場合は、詩の言葉の数が決まってきますね。そして1番、2番と字数をそろえなければならない。この規制された中に言葉自体のインパクトが必要になり、曲のサビの部分ではなおさら言葉のインパクトを強くしなければならない。そうすると俳句ではありませんが規制された中での言葉のつながりからの詩となり、一つひとつの言葉のつながりからの詩の理解ではなくて、インパクトのある言葉のイメージ的なつながりというのか、そういうものが求められますね。だから理解するのが難しいのかもしれません。
しかし、理解することが難しいが言葉のイメージのつながりは、歌詞を読む(聞く)一人ひとりの違う状態にある心にその聞く人の人生に、普遍的に問いかけることができるのかもしれませんね。まぁ、これは詩全般に言えることでしょうが。。。。
そういえば、歌詞の中にはインパクトを与える英語が入っていたりしますね。ほとんどの歌詞に使われているような。。。。まぁ、演歌は別にしても「また君に恋してる」という曲の歌詞は、美しい日本語だけという印象があり好きです。

里はもう春
桜は散りはじめ
山は笑い
花々は咲き乱れる
高い山の中に沼があった
遅い春にまだ
凍りついているのだろうか
春はそこまで来ているのに
たぶん春になっても凍てつく沼
静かな春の訪れを
感じぬままに凍てつく沼
いつもの年ならば
春を喜び水は温む
でも今年の春は凍てつくままに
片一方の愛情は
信じることで救われた
でも片一方の愛は
そうは長く続かないよ
そのとき沼は永遠に凍ついた
愛を弄ばれた時
一方通行の愛は
永遠に心を凍てつかせる
片一方の愛は
通じないものだね
このまま凍てつく心
もし水が温むなら
そのままふつふつと
煮えたぎることだろう
それは憎しみ
それは心の崩壊
だから永遠に
その沼は凍てつくほうがいいんだ
里の沼は春
凍てつく沼はそんな里の沼を見つめる
それでいいんだよ
春は美しい
美しさの中に
沼は凍てつく。。。永久に

(だいぶ前に書いたものですが)

春がまた巡ってきた。

この前花の種を蒔いた
なかなか芽がでなかったけど
やっと芽がでてきた
喜んで毎日水をあげたけど
生長した芽はウマゴヤシだった

夏生さんのインタビュー記事が6日付朝日新聞朝刊23面(東京版では)にあります。
めったにないインタビュー。
先日発売になった「カイルの森」を熱く語っています。
朝日新聞のインターネット版では出ていないかな?どなたか探してみてください。

また読み直して見たいと思います。

【2011年】ツイッターつぶやき
今夜はジャガイモとたまねぎそしてシーチキンをコロッケ状にしたものをフライパンでかりっと焼き、溶き卵と焼肉のタレをかけてみました。案外うまいです。好評でした。
しかし。。。。水、空気、食物と、人が生きていく上で欠かせない基本的なものに大きな心配が出てきましたね。男の料理も今ひとつ力が出ません。
今、風評被害で野菜や肉そして魚などが売れなくなっているといわれていますが、この風評被害という言葉に疑問を持ちます。
風評被害というのは、誰かが偽りの情報を流しそれが風評として広がったときの関連者の被害ということと思うのですが、今回の原発事故での野菜や魚などが売れないというのは風評被害とは少し違うものではないかと思います。誰も偽りの風評を流していない。あるのは怖さや不安です。東京や千葉でも水道水を乳児に飲ませてはいけないということが事実として出ましたし、野菜も出荷停止のものが出て、そして今回コウナゴでしたっけ?小魚からも高いレベルの放射能が。このような事実を前にして買わないで食わないほうが安心はできるということではないでしょうか?
こういうものは風評とは違うものだと思います。
野菜や魚が売れなくなっていくのは、風評被害ではなくて原発事故被害です。買わなくなった消費者もある意味被害者です。風評被害などといわれると買わなくなった消費者が悪いという印象が植え付けられるのではないでしょうか?
基準値以内というのも信用されない何かがある。不安がる。

【2012年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2013年】ツイッターつぶやき
日銀が異次元的政策とも言われる金融政策で量的緩和として資金供給量を2倍にするという。その中でインフレ目標2%を達成すると。。。。円安での悪性インフレではなくて経済の再生からの景気過熱という意味でのインフレ2%を達成するまで異次元政策を行うなら日本経済はどうなってしまうのでしょ?
すでに日銀資金は株や不動産という投資に向かうといった懸念が出されていますし、一度株価や不動産価格が上がればそこに一般投資家が雪崩のように入ってくる。この投資はバブル状態にいつかなるでしょう。いつか利益の確定がされる。
一方では今春闘では輸出産業などでの賃上げもあったとされますが、全体的には去年並みだとも言われています。円安誘導での輸入品目の値上がりはじわじわと出ているようですし、今の株の値上がりを経済の再生として消費増税も行われるでしょう。このような状態の中で一般国民の消費意欲はそうはのびずにスーパーなどでの安売りは続く。
株価や不動産でのインフレ傾向と一般国民の消費のデフレ傾向というスタグフレーションは拡大する。
円安誘導からの物価上昇という悪性インフレの発生傾向とともに、一般国民の消費は伸びないというデフレ圧力が市場には出てくるのではないか。もちろん消費増税を前にして不動産や自動車などは駆け混み消費が出るでしょうしそこに不動産投資が重なるわけですから一見経済の好調さと見えるかもしれませんが、投資は投資を呼ぶだけで不動産バブルはいつかはじけてまた不良債権化する。もちろん不動産バブルは一般国民の持家を困難にさせますから消費は落ちる。
この中で本来の経済の成長からの本来の意味としてのインフレ2%は達成できるでしょうか?づ振れからの脱却はできるでしょうか?
小泉政権時から景気はよくなったとは言われていましたが国民経済には実感のないものでデフレは克服されなかった。これと同じ現象が出て、今回のアベノミクスでは増税に加えて悪性インフレで見かけの物価は高くなっていく。そして物価高の中で常にデフレ傾向が出るという事です。さらに悲惨な状態になるのではないでしょうか。
デフレ傾向が消えなければどこまでも日銀はまた継続して金融緩和でしょうか?

【2014年】ツイッターつぶやき
この間ずっと労働力商品は価値以下に買い叩かれてきたと見るべきでしょう。
労働力の価値は生活費です。
労働力が買い叩かれて行けばこの労働力の再生産はできなくなるでしょう。
社会的な平均の生活が遅れられなくなれば少子化は必然です。もちろんこれは貨幣量によるものだけではなくて社会的な平均の貨幣量を得るために長時間労働を行うならば生活に必要な時間が少なくなりますからこれもまた少子化につながる。少子化は労働力の再生産さんの困難を現しているでしょう。
労働力の再生産は社会が一方における過度の労働と一方における失業が長く続けばやはりその失業が労働力の再生産を困難にするでしょう。
今定年を迎えている段階の世代は戦後の産めよ増やせよ時代の産物です。戦争というものが労働力の再生産を混乱させる。
人の労働の軽視が労働力の再生産を困難にしているということでしょう。
今必要なのは目先のことを見れば悪性の物価上昇の中ですから名目的な賃金上昇が必要です。しかしこれではせいぜい物価の上昇分賃金も上昇するというだけで労働力の再生産費という価格面だけの変化であり、労働力の再生産の困難さは何も変わらない。実質的な賃上げが必要なのです。

【2015年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2016年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2017年】ツイッターつぶやき
スーパーに新玉ねぎと新キャベツが出ていました。
新玉ねぎはスライスがおいしいですね。
新キャベツは七味を利かせた味噌を乗せて。。。。。
でも、いつも同じものではと思って今夜は新キャベツ・新玉ねぎのタコサラダにしてみました。
タコといっても蛸ではありません。タコスのタコです。
新キャベツはちぎってさらに並べます。新玉ねぎはスライスです。
彩りよくするためにトマトのスライスを乗せてみました。
タコですが、スーパーに市販の「タコライスのたれ」がありましたのでこれを使いました。ひき肉を炒めてこれを絡めるだけです。
野菜にはさっとクレージーソルトをかけてその上のタコを乗せます。
仕上げにオリーブ油を少したらしたら出来上がり。
春のおいしさ。。。。。

【2018年】ツイッターつぶやき
このブログでも「失われた5年」としての安倍政権における民主主義の形骸化を書きましたが、今朝の朝日新聞1面に「国会混迷 陸自日報、財務相改ざん、厚労省是正勧告問題」という記事がありました。
政府は官僚の責任を全面的に押し出して政府の責任回避をしています。その中での国会の討論は嘘の「真実」の中で行われました。
官僚の暴走ならば政治が衰弱状態にあるし、政治家の関与があれば、あるいは知っていたなら政治の死です。どちらにしても今の政治の状態で改憲を発議すること自体が国民の信用を得ないでしょう。改憲の中身以前の問題です。
改憲派の中には今の憲法はアメリカによる押し付けだからという意見があります。しかし、地位協定の改善も何ら進まず、米軍の犯罪や事故に対して形ばかりの講義で1週間もすれば訓練が再開する。日米同盟はアメリカの軍事政策に組み込まれてしまった。こう見ると、今後協議される憲法こそがアメリカの押しつけによる憲法といえあるでしょう。
数の力による政治はもちろん改善されていません。
平和主義を口にはするが、現在の北朝鮮の核開発問題と話し合い路線に何ら貢献できない日本がある。
こういう状態の日本の状態では改憲の論議自体が危ういものになります。

【2019年】ツイッターつぶやき
昨日5日の朝日新聞4面に「財政赤字の容認論 首相は共感?」という記事があった。
異端の経済理論と呼ばれるMMT-現代金融理論が台頭しているようである。
これまで財政赤字化は問題とされていたが、MMTでは「金利が一定のレベルに達するまでは財政支出をしてもかまわないという」(引用)という理論のようである。
政府内も日銀もこの理論には否定的のようだが、安倍総理はこれまでのアベノミクスと日銀緩和を振り返って、アベノミクスと日銀緩和「それをやったら国債は暴落をし、円も暴落すると言われた。実際は、国債の金利は下がり、円が暴落したわけではない。」(引用)と発言したようである。
ここから実験としてもMMTの容認が見えるのではないかという危惧がある。アベノミクスや日銀緩和もリフレ理論から進んできた。これは異次元の経済学です。そして今度はさらに異次元で実験的なMMTを採用する。
結果は財政ファイナンスの容認ということになるでしょう。
しかし安倍総理のアベノミクスと日銀緩和の総括は正しいのだろうか?
国債の暴落が起きなかったとはいえ国債は日銀が買い支えをし、それは株価の買い支えにも表れている。日銀が筆頭株主になるまで買い支えをして株価を維持するわけだから、国外の投資家による投資家も日本株を買うでしょう。そうすると円は円高に動いていく。しかし現在は国外の投資家は売り越しになっているという。また円安傾向に?
擬制の人為的な長期金利と通貨安傾向を日銀が維持をすればよいということになるのでしょうが、出口に向かっている世界の中で日銀がいつまで金融緩和からの出口を玉虫色にしていられるか?
経済も日銀緩和の副作用という声が大きくなっている。
必ず経済の矛盾は大きく表れるでしょう。世界同時株安あるいは景気の大幅な後退が起きた時にどうなるのでしょうか?
結局それは日本の財政に矛盾をきたすでしょう。
安倍総理の先に引用した言葉は、物価の2%目標さえ行えなかった。この目標は経済の好転によるインフレ傾向の中でしか達成できない。ということはアベノミクスそして日銀緩和は失敗をしたから国債や円の暴落は起きなかったとも言える。政府は労働者からの搾取と収奪によって経済を維持している。国民生活を低下して格差を拡大する事でアベノミクスと日銀緩和は「成功」した。この成功を安倍総理は自画自賛しているということです。
さらにロボット化などによる省力化は進み、経済の好転はないが円安誘導による悪政の物価高が日銀の2%目標の影の中で進む。この中で企業の利潤率はさらに下がっていく。企業の利益を確保するには、今も行われている公共事業や企業救済策そして軍備という最悪の公共事業等などへの財政出動が必要となる。この中でMMTは魅力的でしょう。そのMMTは財政ファイナンスとなる。
国の借金はどうでもいいといわれるが、国の借金は国民が負うという常識がある。国民が負うことは社会保障などの縮小と消費増税が待ち構えることになる。

東京は一昨日あたりから急に暖かくなりました。今日は風もなく日中は袖をあげていました。
車のエアコン設定が23度オートですが、買い物に行くとき冷房になりました。
そんな中先日種をまいた松葉ボタンがいくつか発芽しました。
1,2ミリ程度の二葉ですからよ~く見ないとわかりません。これからだんだんとたくさん発芽すると思います。上から水やりをするとせっかくの二葉が浮いてしまいます。底水や霧吹きでの水やりですから案外めんどくさい。でも毎日生長していく過程が見れるのは楽しいです。
今年はどのくらい育つかなぁ。。。。。。
花が一つ二つ咲いたら本植えです。
暖かいさにチューリップの原種に近いといわれている球根から花芽のような芽が出てきました。
紫の舞はまだ葉っぱが小さいのですが、横から花の茎が出ています。
アマリリスの大きな球根のてっぺんから若葉が出てきました。
玉すだれのような葉っぱの球根から花の茎が伸びていたのですが、一つの茎から黄色い水仙に似た可憐な花が咲きはじめました。
ほうき草の芽はだいぶ大きくなりました。
春も本番。。。。。
初夏に向かっていきます。

よくわかりませんが1024週ごとにGPSがリセットされるようです。
それが明日4月7日だそうです。
4月7日(日本時間)に2度目のGPS週数ロールオーバー
昔のカーナビはだいぶ位置情報が悪かったことを思えていますが、それが前回のロールオーバーも含むものかは全然覚えがありませんが。。。。。
日常生活においてはGPSは車のカーナビぐらいしか縁がありませんでしたが、今はスマホ時代ですからなぁ。。。。。。
明日車に乗るとき確かめてみよ。。。。。。
どのような影響が出るのか、それとも出ないのか、わかりませんが、皆さんも一応お気を付けください。

【2020年】ツイッターつぶやき
コロナウィルスへの戦いは様々な考え方を検討しながらの総力戦です。そこには自由と民主主義がなければならない。
国にも誤りや不足するものが多々ある。そこを補うのが専門家でありマスコミでもある。
このマスコミへの報道規制は行ってはいけない。
明日にも緊急事態宣言が出されそうですね。
テレビを観ていると国民生活は一定の規制はあるが生活そのものは変わりがないということを大きく報道している。たしかに水道、ガス、電気はもちろん、食料、医療、交通、運輸などはそうは規制がないということですからそれを見れば確かに生活自体の変化は少ないかもしれない。しかしこの日常の生活を送るには賃金労働者なら雇用があり賃金を得なければならない。しかし緊急事態宣言はこの生活の基盤を奪うでしょう。そこで30万円の補助が出ていますが、条件や煩雑な手続きなどによってこれを受け取れる国民はわずかな人になるでしょう。
またマスクはなくなり紙製品も相変わらず品不足です。消毒薬や殺菌手洗い石鹸すら品薄になっている。このような衛生のための生活必需品がないことは緊急事態宣言が出されても感染の拡大を防ぐという面では怖さがある。マスクは感染を防ぐことはできないが咳などの時の唾液などの飛沫をばらまくことはできるという。これがないのである。
また社会を維持するには労働が必要で、緊急事態下でも多くの人々が労働をするでしょう。衛生面を考えながら働いていただくといってもマスク1枚なくなる。ここの感染拡大防止がなされなければ、緊急事態を支えるために働く人々がバカを見ることになる。
医療現場も同じです。
今後検査件数と感染者数が正確に国民に知らされるでしょうか?この点での政府に対する信頼はガタガタで、アメリカで背大使館を通じて自国民を帰国させようとしている。韓国やドイツとの差が国際的にも見えるようになっている。
このような社会の隅々の課題を報道規制されるならばコロナとの闘いは悲惨なものとなるでしょう。

【2021年】ツイッターつぶやき
大阪兵庫で感染の拡大が顕著になり第四の波といわれはじめています。
すでに第三波のピーク井所の心機ピーク時の新規感染者数となっています。
大阪でのこの新規感染者数の急増と変異ウイルスの割合がリンクしているようです。
NHKによれば3月6日の変異ウイルの割合は36.0%でしたが、3月27日には66.5%とになっています。すでにこれまでの新型コロナウイルスよりも変異株のウイルスの感染が多くなっています。
この変異株ウイルの感染力は高く1.7倍ともいわれています。また子供も含めて若い人への感染も多いようです。
大阪の新規感染者数は719人でしたが、ここがピークなのかと考えられる材料はないと思います。それは感染力が高い変異株ウイルスの増加からも推測できます。
東京では変異株ウイルスによる感染者数はそうは多くないように見えますが、緊急事態宣言解除時期が大阪よりだいぶ遅れて(三週間後?)ましたからこれからピークに向けて新規感染者数が増加する懸念があります。また大阪の変異株とは違うウイルスとも言われていますがワクチンとの関連でも未知の部分がありそうですね。
政府は緊急事態宣言だマンボウだとなんとなく言葉遊びにも感じられるもので対策としていますが、国民の政府への信頼がだいぶ弱くなっていますからさらに国民の自己責任としての行動は弱まるでしょう。
すると今後第四の波が全国的に広がるのではないでしょうか。

【2022年】ツイッターつぶやき
東京の陽性率が32.3%と下がりません。新規感染者数も6000人から8000人程度で下がりきれず、下げ止まりが確実です。下げ止まりどころか再拡大の兆候も出ています。東京都の「感染状況」も赤色に戻りました。
陽性者の累計は1,285,279 人で、1人で2回観戦する人もいるでしょうがだいたい10人に1人は感染していることになります。こうして感染もせずにいる僕は奇跡的なのかもしれません。でも、オミクロンはわからないうちに無症状で終わっている人も多いのかもしれません。後遺症でもあれば別ですが。
新規感染者数の棒グラフと検査件数の棒グラフが相似しています。検査を減らせば新規感染者数も減るという検査の意味がなくなる状態です。ですから陽性率も下がりません。
重症者数や死亡者数は減少していますが、これは新規感染者数の増減に対して時間差を置いて現れますから、今後どうなるかわかりません。
去年はちょうど今頃デルタ株という変異株が出て感染が再拡大しましたが、今年はBA2という変異株が。。。。。
デルタ株に比べれば弱毒性かもしれませんが、全く去年と同じパターンで再拡大が続きます。
感染防止策が同じことの繰り返しですから当たり前という場当たり前ですね。

【2023年】ツイッターつぶやき
最近卵が値上がりしています。
大手外食店では卵を使ったメニューを出さなくなっているところがあるそうです。
全国平均では値上げ幅は大きいとはいえ、東京では1年前の2倍になっているそうです。
原因は鳥インフルエンザの影響とされていますが、円安による飼料の高値があるのでしょう。
卵はほぼ国内産ですが、その餌となる飼料は輸入ですから卵の価格に大きな影響があるでしょう。
農水省は卵の自給率を10%程度としています。ほぼ国内産の卵なのですが、餌になる飼料が輸入の場合は国内産とはならないようです。これだけ輸入飼料価格に影響されているということです。
円安により値段が上がっている中でさらに鳥インフルエンザの影響が出たということでしょう。
しかし飼料代が上がっている中で価格をおさえねばならない中で、鳥インフルエンザで減産することができたとみることもできる。

【2024年】ツイッターつぶやき
先日、3日分ぐらいまとめ買いをしようとスーパーに行きました。
色々勝って冷凍食品でも買って行こうと売り場に行くと、若いママさんがカートにたくさんの冷凍食品を入れて行った。
何を買ったのかなと思い行ってみるとそこには冷凍冷やし中華が。。。
どうやって食うのかと不思議に思い作り方を見たら、「電子レンジで冷やし中華」でした。
電子レンジで温めて冷やし中華?
不思議に思い買ってきました。
今日食べたのですが、、、、、
電子レンジでチンすると麺や具材が解凍されてのせてある氷が解ける。
そこに冷たいスープを入れてかき混ぜて具材を入れる。
納得しました。
チンで冷やし中華。。。。。
発想の転換ですなぁ。
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2025年 4月 5日(土)「世界同時株安傾向」

2025年04月05日 22時12分56秒 | 「政治・経済」
世界的に株安傾向にあるようです。
この株安はトランプさんの保護主義としての関税にあるようです。
為替もドル安となり円高が進んでいました。一時144円台まで円高が進みましたし、株価も3万8千円から3万4千円ほどに下がりました。
アメリカへの輸出依存が目に見えて現れています。
しかし、為替は徐々に円安傾向を示し147円程度まで円安に転じています。しかし円安にもかかわらず株価は下がり続けています。
ドル安の中で、円の信頼が高まるのではないかという観測も外れ円安に。
アメリカ経済も関税から冷え込んでいくでしょう。すでに中国は30%程度の関税をアメリカに対してかけている。
しかしアメリカ経済が冷え込んで、相対的に日本が有利になるかといえばそうではなく、アメリカ経済と心中するのかもしれません。
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「4月 5日という日」

2025年04月05日 08時09分36秒 | 「何を思ってた?」(旧ブログまとめ)
【2025年】ツイッターつぶやき
世界的に株安傾向にあるようです。
この株安はトランプさんの保護主義としての関税にあるようです。
為替もドル安となり円高が進んでいました。一時144円台まで円高が進みましたし、株価も3万8千円から3万4千円ほどに下がりました。
アメリカへの輸出依存が目に見えて現れています。
しかし、為替は徐々に円安傾向を示し147円程度まで円安に転じています。しかし円安にもかかわらず株価は下がり続けています。
ドル安の中で、円の信頼が高まるのではないかという観測も外れ円安に。
アメリカ経済も関税から冷え込んでいくでしょう。すでに中国は30%程度の関税をアメリカに対してかけている。
しかしアメリカ経済が冷え込んで、相対的に日本が有利になるかといえばそうではなく、アメリカ経済と心中するのかもしれません。


≪過去の記事≫

【2004年】
風邪がはっきりしません。
昨夜は調子がよかったので久しぶりに風呂に入ったのですが、なんだか今日はまた調子が悪い。。。。
しつこい風邪です。
また医者に行き薬局で栄養ドリンクでも買ってきます。

【2005年】
桜も5分咲きぐらいです。
今夜「本屋」大賞が発表になります。角田さんの「対岸の彼女」がノミネートされているのですが、大賞は。。。。?
本屋さんに勤める店員さんが選ぶそうなのですが、直木賞や芥川賞とは少し違った観点があるのでしょうか?より一般読者の気分が反映されるのかな?
去年からできた賞らしいのですが、賞金10万円。。。。ううう
でも賞金額ではないですよね。
今夜8時過ぎにはHPで発表されるようです。

【2006年】
『間宮兄弟』
                          小学館
                江國 香織  著
江國さんの作品や、エッセイを読むと、そこには生活臭のしない男女を見るというのが共通した僕の感想であり、同姓の友人関係、異性間の友人関係そしてもちろん恋愛関係を描くが、そこでの人々はその生活から離れたところにその人々の関係が描かれる。もちろん生活者という部分は持っているが、素敵な友人関係や恋愛関係の背景として霧の中にあるような生活である。
友人関係や恋愛関係という美しいものが描かれ、その背景としての生活は抽象化されたような霧に包まれているような形で背景として描かれるそんな絵画のような印象を受ける。
この美しい絵画を読者は見るのだが、生活から離れたものに読者も素敵な時間を持つことができる。小説に「恋愛小説」というジャンルがあるとすれば、背景にある生活が写実的に描かれているとそれが邪魔になるのではないかと思う。もちろん、生活臭たっぷりな恋愛小説というのもあるのだが、この生活臭を背景に押しやって人の心のぶつかり合いだけを描くのもまた恋愛小説の中の一つの手法だろう。僕は江國さんという作家はこの後者の恋愛小説家だと思っている。
読者も自身の生活をすべて忘れて友人関係や恋愛関係の中に陶酔できるという世界が江國さんの世界だと思う。
もちろん、ただ読者を陶酔させるだけの甘ったるいだけという意味での「読み物」としての恋愛小説ではなく、「小説」としての優れた作品である。
人は、友人と飲み、語り、恋をし人の心に触れ合う。それが私生活や仕事から離れての関係になら喜びを感じるだろう。生活を背景に押しやって。
しかしその後にそれぞれの生活(仕事)の中に帰っていく。
時間の流れの中の心は、この生活から離れた心と、生活の中にいる心とがかけ離れたところにあり、時には葛藤をするものだろう。江國さんの作品は、恋愛小説という形を持って、前者の生活から離れた心を描くのが軸足である。やはり恋愛ならば素敵な男女が描かれ、友人関係でも素敵な男女が現れる。ここがやはり魅力なのである。ここには生活者としての心の葛藤はやはり背景に押しやられる。
江國さんの作品をこうした性格のものとしてみたならば、「間宮兄弟」は、生活者を描き、江國さんの作品としては異色ではないだろうか?
間宮兄弟は、子供の頃からもてない男であった。苦い失恋の思い出を持つ。失恋というよりもその前提である恋愛関係すらなかった。兄明信は失恋をすると黙り込み、弟徹信は、失恋をすると近くに通る新幹線を見に行く。お互いに失恋したことにすぐに感じ取れるほどにお互いを知り抜いていた。そんな兄弟は30代半ばになっても2人で生活をしている。
兄弟それぞれは、また恋をした。。。。。。この作品は、生活者である兄弟のそれぞれの恋を約1年にわたって描く。
兄弟は子供の頃から遊んだおもちゃを大切にしまってある。2人の心地よい時間の流れは、本を読むことと好きな映画ビデオを見ること。この時間の使い方や楽しむためのグッズはどことなくオタクを思い起こされる。
しかし、オタクといってもテレビなどに出てくるような鉄道オタクや人形を集めたりするようなある意味かたよった物へのオタクではなく、「生活オタク」である。
マイホーム主義などという言葉があるが、既婚者の中にも家族の生活を一番大切にした生活を営むことがある。単身者にしても自分の時間を戴せうにして趣味なども含めたものを大切にする人もいる。間宮兄弟は、独身だが、母親の誕生日を一大イベントと考えたり、死んだ父親が生きていた頃の過程の思い出を大切にする。この意味では、ごく普通に家庭や自分の時間を大切にするという生活者なのである。これはある意味オタクと名づけるならば「生活オタク」ということになる。
これまで読んだ江國さんの作品が、この生活者の部分を背景に押しやったものとすれば、この作品は、背景であった生活をはっきりと書き表した作品といえる。
作品からは、オタクっぽさを感じるのだが、オタクという言葉だけでは現せないものがある。日常の生活のあわただしさに追い回され、江國さんのほかの作品のようなこの生活から離れた時間を持ちたいとする日々を考えれば、その生活自体に喜びを感じ取れるというのは素敵なものである。これを「生活オタク」という言葉で書くこと自体が間宮兄弟への変な見方なのだろう。
兄弟は、それぞれに恋をする女性を自宅に招き、おでんパーティーをしたり花火大会をする。アットホームなおデートである。招待された女性たちは、それぞれに恋人がいたり、不倫相手が居る。まさに恋の世界に陶酔をしている。その女性たちから見れば、間宮兄弟のアットホームなおデートは異質である。女性たちは戸惑う。
しかしその戸惑いの中になんとなく落ち着きを感じていく。その落ち着きさの中に陶酔という形の恋から抜け出そうとする。それぞれに不倫から離れ、肉体関係からの恋から離れていく。それに相対するように、徹信が恋する離婚寸前の人妻とその夫、そしてその夫の不倫相手の泥沼化。
陶酔する恋と生活者としての恋の対比もあり、そこに間宮兄弟が間に入る。
この絶妙さにこの作品の面白さがある。
間宮兄弟と接することにより、間宮兄弟が恋する女性たちは変わっていく。女性たちは自分自身の恋を見直しはじめる。このことで間宮兄弟のそれぞれの恋は破れていく。
間宮兄弟自信の寂しさが残る。
周りの女性対は間宮兄弟にホンワカとした落ち着きを見るが、やはりそれは恋ではなく友情なのかもしれない。よく聞く「あの人はいい人なんだけど。。。。」といったところかもしれない。
間宮兄弟自信も、恋に破れつつも今ある2人の生活に安心感をまた持つ。
読み終わって持つ読後感は、生活オタクの恋の道化師という感じで、人に笑いやいろいろな面での影響を心に投げかけるが、その道化師には寂しさが残る。面白おかしくも読めるが寂しさをもっても読める。読者も間宮兄弟に暖かさを見るだろうが、女性の読者が「もし。。。」と考えた場合に間宮兄弟と結婚をしようとするか?
これはその女性の年齢や人生観によってちがってくるだろう。
40歳を過ぎた江國さん。この作品を書いた頃に40歳を迎えたのかもしれない。この40歳という年齢による江國さんの変化も出てくるだろう。陶酔した恋だけを描くと同時に生活者という面での恋を描く江國さんも出てきてもおかしくないのではないか?

【2007年】
この前から気になっていた味噌ラーメンの麺。市販の味噌ラーメンを買うと2人前入っているのですが、それを3人で食うには少ないし2袋買うと多くなってしまう。仕方ないのでいつも2袋かいます。というわけで冷蔵庫には麺が1玉残る。その1玉の麺がどうも気になっていた。
ラーメンにして食えばいいけど、具が何もないのでどうも寂しい。
というわけで麺が1玉残る。
そこで夕飯を作るときに思いついたのが『ラーメンサラダ』
サラダの野菜は買ってきておいたので、そこに茹でて冷やした麺を3センチほどに切って入れました。ドレッシングは和風のごま。
思ってもみないようなおいしさでした。
そういえば、夏にはラーメン屋さんによってはサラダラーメンというのもある。冷やし中華も同じようなものだろう。こう考えればラーメンサラダもそうはとっぴなものではないはず。
野菜がまり好きでない息子が「これなら俺も野菜が食える」といってました。
もう1品は、骨付きの鶏のから揚げを竜田揚げ風に。
でもタレがちょっと中華風。中華なべにごま油を引き、ニンニクと山椒の実を入れて風味を出します。そこに中華スープを少し入れ砂糖味醂しょうゆで味付け。そのタレに揚げた肉を絡め、仕上げのラー油・長ネギ・待つのみを入れて出来上がり。
これもまた好評でした。
今日、本屋大賞が発表になりました。
『一瞬の風になれ』
著/佐藤 多佳子
(講談社)
近いうちに読みたいと思います。

【2008年】
(記事なし)

【2009年】
(記事なし)

【2010年】
今夜は、竹の子と鯛の炊き込みご飯を作ろうと思いスーパーに行ってきました。
ところが。。。。ううう。。。。いつも売っている鯛の刺身がなかった。どうしようかと思ったのですが、すでに僕は炊き込みご飯モードに入り込んでいたので仕方なくアジのたたきを買ってきました。
今電気釜をセットしたところですが、アジでは臭いかな?
臭いが気になるようなら糸状に切って水にさらした生姜をいれてかき混ぜてみようと思います。
この他、竹の子と高野豆腐の煮しめと柔らかジューシー豚カツ。残り物のエリンギの味噌汁です。
これを買うと決めて出かけて、それがないときのショックは大きい。。。
今日は、坂本冬実の「また君に恋してる」が入ったアルバムを買う予定があったのですが、ありませんなぁ。。。。CD屋さん。国道を走ってもない。大型電気店に行ったけど、音楽CD売り場はなくなっていた。スーパーの3階まで行ったが、やはり売り場がなくなったと。。。今はダウンロードで買う時代ですし、レンタルの時代ですからなぁ。
昔は、どこの小さな町でもレコード屋さんが1軒ぐらいはあったのに。。。。

【2011年】ツイッターつぶやき
地震そして津波の災害に対する復興作業。この地震や津波に対しての原発の脆弱性(絶対安心という神話)からの原発事故に対する復旧作業。
だんだんとその被災や被害の状況が明らかになってきていてその復興や復旧にかかる予算が議論され始まっている。
地震や津波の復興は国内的なものでどうにかなるが、原発事故は国際化してきている。そしてそこにプラスされて経済的先進国としての復興・復旧作業の経済的なものも国際化している。
原発事故はあらゆる人間の専門家の知恵に依拠するしかない。そして経済もその専門家の知恵に依拠するしかない。しかしこれらの問題は原発・経済の先進国であるからこそ世界への波及作用は大きいし、国民生活に直結する問題である。一歩間違えれば国民生活に大きな犠牲を及ぼす。同時にそれは世界へと波及する。
復興・復旧作業の財源。。。。
すでに政府の考え方は出ているが、それは所得税や消費税の増税と国債の日銀引受による新たな発行といえる。
しかし国内の金融資産や借金といううらにある国債の引き受けによる国内資産、そして外貨やアメリカ国債という形の試算資産が国内にはある。
これらを活用する段階に来ているのではないか?
もちろん国債を海外に売るとなるとそうとうな未来への負担が残る。そしてアメリカ国債の売却をやればアメリカ経済にも波及をしてそれは中国の保有する世界で1位というアメリカ国債の売却にも連動して世界経済は混乱をしていくのではと思う。
幸いに日本の国債はほとんどが日本国内で引き受けられている。そうならば国家予算に占める大きな負担である国債費をどうにかして凍結をして財源とすることもできるのではないか?またアメリカ国債については70兆ドルとも言われているが、アメリカ政府に買い取ってもらうか、世界の国家レベルでの引き受けを検討してもらうことはできないだろうか?市場に出したらそれは原発の放射能を世界に振りまくようなもので致命的である。
もちろんこれらの国債を持つのは私的企業や年金の積立金やや郵貯の役割もあるから難しい面はあると思うが、どうにか年金や一般国民の負担とならない方法はあるはずです。
民主党が掲げた「国民生活第一」が今こそ再確認されなくてはならないのではないでしょうか?国民生活に大きな負担をかければそれは企業活動にもめぐってくる矛盾となることは震災前から見えていたものです。困窮のない変わりにセレブもないその平均的な生活の国民生活全体の低下をどう見ていくかにあります。

【2012年】ツイッターつぶやき
NHKのブラタモリという番組をいつも楽しく見ている。
今夜は江戸の食文化。
食を楽しむ江戸市民。食を楽しめるというのは豊かさの表れではないかと思います。一般市民の生活にも一定の豊かさが出てきた時代なのでしょうか。もちろんこの豊かさは大都市江戸の市民だからこそのものがあったのだと思いますが、関東にはところどころに「小江戸」と称される観光地が残っていますが、そこに小都市なりの文化が勿論あったわけですが、江戸に似たような年をと考えていたのでしょうか。
封建制の時代ですから武士の力は圧倒的なものがありましたが、あんがい封建制も形骸化をして武士の力もだんだんと形式的になり、社会を支える力は豪商の財力に。武士はその家柄に縛られて案外質素な生活を送りますが、形式に縛られない市民は自由があったのかもしれません。豪商の財力は様々な産業や職を生み出して貨幣経済が発展していく。武士の年貢に頼る力も結局は年貢米を貨幣にしなくてはならなくなり、その米は流通により市民の中にも流れたのでしょうか。
江戸の市民生活を眺めることは面白いですね。

【2013年】ツイッターつぶやき
日銀が金融政策会合で大胆な金融政策を行うとして貨幣量の増加を言った。
これはもちろんアベノミクスでの2%のインフレでありデフレ脱却を目標とする。しかしデフレとは商品価格が下落し続けることという現象面だけなのだろうか?この現象面を見てインフレ目標も生まれたのだろうし、そのインフレを起こすためにインフレだから貨幣量を増やすと。
このような単純な問題なのだろうか?
どうも貨幣の回転という面が忘れ去られているのではないか?今の金融政策といった場合量的緩和だけでこの貨幣の回転が見えない。
貨幣量が少なくても貨幣の回転が良ければ景気は良いと判断できるでしょう。いくら貨幣量を増やしてもその貨幣が回転しなければ景気はよくならない。こう見るとむしろ景気回復には貨幣の回転率をどう高めるかの政策が必要なのではないか。
デフレについては、生産性の向上により商品価値は低下するわけですから物価が低下すること自体は経済の法則として受け止めるべきで、むしろ経済の発展なわけです。そして国民がより安く商品を手に入れられるならそれは社会自体の発展でしょう。しかしなぜこの商品価値の低下からの商品価格の下落がデフレとして問題視をされるのか?それは企業の利潤率の低下を起こすからです。この利潤率を維持しようとする中にあほらしいインフレ目標という悪性インフレが起きるわけです。
ですから今はデフレ克服と経済の再生を別に考えるべきで、経済の再生によりインフレ傾向が起きれば自動的にデフレも克服されるのです。
貨幣の回転は消費量を増大させますからこの回転率を上げる政策が経済の再生につながるわけです。
この貨幣の回転率は消費市場における現象ですが、同時に資本主義はこの貨幣が資本へ転嫁しなければ成り立たない社会なのです。貨幣が所費消費を高めるために回転するばかりではなくて貨幣が資本へ転嫁することによる貨幣の回転でなければならないわけです。消費としての貨幣の回転と生産という面での貨幣の回転が必要です。
今現在のアベノミクスあるいは日銀の量的緩和がこの両面で見た貨幣の回転を促しているかといえばそうではないでしょう。たしかに株式の上昇とともに高級な商品の売り上げが伸びているという現象は出ているようですが、このようなバブル的な貨幣の回転では経済全体の下肺貨幣の回転率を高めることはできない。貨幣の資本への転嫁例えば設備投資ですがこの面の貨幣の回転率が高まり、同時に消費面での貨幣の回転が高まるというには大衆消費財の商品が動かなければならないのです。
日銀の資金は株価を上昇させるためでは、それが消費における貨幣の回転率を自動的に上げるとは限らないのが資本主義です。
金融商品や国債あるいは海外に貨幣が流れていくだけでは経済の再生はないでしょうし、そこから経済発展の副産物としてのインフレもなく、もちろんデフレからの脱却もなくなる。日銀資金という新たな資金としての貨幣の回転が国内市場においてゼロ状態になってしまいます。
国民に残るのは円安からの悪性インフレ(経済発展なきただの物価上昇)と国債の更なる発行という借金の増大です。そして経済の再生がない中にあらゆる矛盾のしわ寄せ(たとえば消費増税や雇用のさらなる不安定化)が襲ってくるだけです。もちろんこれはさらなる拡大されるデフレとして現れて銀行や大企業の存続に大きな障害となっていくことでしょう。

【2014年】ツイッターつぶやき
料理というほどでもないのですが。。。。。
春キャベツが出てきましたね。
やわらかくて甘みがあっておいしいです。
そんな春キャベツは生が一番!!
大きくちぎって味噌をつけて食べるのが好きです。
味噌は。。。。。
味噌・砂糖・七味唐辛子・ごま油・すりゴマそしてとろみが出るくらいの水です。

東大日次物価指数プロジェクトというのがある。日々の物価動向を現すプロジェクトらしい。これ自体の社会的な評価はわからないのですが、ひとつの目安として使われているようです。
このプロジェクトの結果をつかった二つの記事があった。
ひとつは消費増税が順調に価格移転されているという結果の記事です。もうひとつはこのプロジェクトの結果から消費増税分超えて物価上昇、便乗値上げかという結果です。
消費増税による価格への転嫁は政府が強く市場に対してけん制して物価上昇を後押しする形をとっていましたから当然という結果と思われます。同時にこの価格への転嫁にお墨付きが出ているならば便乗値上げも起こりうるでしょう。
価格というものは日々変動が激しいものですから消費増税分の物価上昇がどのような形で起こっているかは消費者にはわかりませんね。
今の政府による経済政策は物価上昇に見るデフレからの脱却ですから、好景気による経済の過熱からのインフレと円安と消費増税からの悪性の物価高を混同する傾向があります。味噌も糞も同じといっては言い過ぎかもしれませんが、社会全体で物価が上がることはよいことという論理が正当化されているでしょう。
その中での消費増税分の価格転嫁ですから、価格破壊などといった値下げ競争から値上げ競走に移る可能性が出ているのではないでしょうか。値上げ競争に倫理がなくなれば便乗値上げも出てくるでしょう。
これまでは株など金融商品での経済の成長が言われていましたが、今後は商品市場においての悪性の物価上昇が経済判断としては景気の動向となっていきます。
株価も上がった。商品価格も上がった。。。。経済は持ち直したから消費税も10%へと。
小泉政権時の国民生活には実感な気好景気の再来です。
雇用状況の改善は言われますがその中身は不安定雇用と低賃金の労働者が増えるだけで、そこに高齢者や女性の労働力の活用が入り、その上外国人労働者の労働力の利用も出てきています。低賃金労働者は相対的に増えていくでしょう。好景気の裏に消費の減退からの不況が同時に現れる。スタグフレーションがまた拡大する。
バブル崩壊からの自民党政治は今も何も変わらないわけです。そこに悪性の物価上昇が加えられたのです。

【2015年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2016年】ツイッターつぶやき
ちょっと変わった春巻き。。。。
でとるとデトルトのキーマカレー(温めない)に茹でてよく冷まし細かく裂いた鶏ささみ肉をまぶします。
それを春巻きの皮に巻きますが、上にとろけるチーズをのせます。
もう一つはスーパーのポテトサラダを巻きます。

これを高温の油で皮がかりっときつね色になったら出来上がり。
具は火が通っているものばかりですし、じっくり上げると具がはみ出しそうなので。

ソースはケチャップにしてみました。

【2017年】ツイッターつぶやき
先に書いた「アベリスク」の続きです。
安倍政権においての経済政策における基本は、インフレ目標2%でした。
経済政策では、アベノミクスの成功により賃金も上がるし国民生活も豊かになるはずでした。また、消費税の8%(3%増税)では、消費税はすべて社会保障に充てるはずでした。
アベノミクスの成功による経済の好循環は、経済学理論ではリフレ派といわれる方の力が大きく働きました。アベノミクス自体そして政府と一体となった(独理性の脆弱性)日銀の量的緩和が現実の政策として実施されました。
2%インフレ目標が言われましたが、インフレとは経済の好循環がなければ起きる現象ではありません。しかし政府・日銀は「インフレ目標」を「物価目標」と言葉を濁し、経済の好循環のためにはインフレが必要と逆立ちをしてしまいました。
結果としてはもちろん経済の好循環によるインフレは起きずに、円安誘導による自給率が少なく輸入に頼るエネルギーや食品が値上がりしただけでした。政府による物価が騰がることは良いことだというお墨付きの中で食品の中では10%を超える実態になっています。そのために最近の統計ではエンゲル係数が上がっています。そのたの根狩りは国民生活の隅々に起きています。
賃金は自然に上昇するといわれましたが、管制賃上げも腰折れで経済の好循環からの賃上げはありませんでした。最近の労働力人口の減少等による賃上げは経済の好循環があったからというものではありません。
消費増税を行っても社会保障は伸びません。
年金支給年齢はすでに65歳となりました。今後厚生年金部分も段階的に65歳となります。そのうえ最近ではさらに支給年齢の引き上げが討議されるようになりました。
女性の活躍はとん挫しましたが、議員の数や企業役員の数ばかりが議論となり、一般の女性はどうなったでしょうか。労働力人口の減少により女性の労働力に期待が高まり、一方では生活が苦しくなる中で就労する女性が増えましたが、保育園問題としての社会保障は充実されずに女性の自己責任でかたずけられています。
政府は常にこのアベノミクスの失敗を認めずに「道半ばにある」と主張しています。
しかし新たな経済政策は古くからの自民党の中にある財政出動による公共事業(企業へのバラマキ)です。
財政の健全化は放棄されています。その自制の健全化の中に社会保障切り下げがあります。
以上のような国民生活における「アベリスク」が強まりますが、これは経済全体のデフレ不況をもたらすでしょう。株価が騰がり企業利益が上昇する一方で国民の貧困化(窮乏化)が進むというある意味スタグフレーションが起きています。これは日本経済全体に大きなしっぺ返しが起きるでしょう。そこでもやはり国民生活が犠牲となります。

gooブログお題「アンパンマンの好きなキャラは?」
年齢からして「今は」観ません。。。。。
「今は」というのも、子供たちが小さいころ抱っこをしながら一緒に見ていました。ですから登場するキャラクターは案外知っていますよ♪
アンパンマンの自己犠牲精神。。。。。
バイキンマンがそのアンパンマンに敵対して悪さをする。
「アン~、パ~ンチッ!」で最後はめでたしめでたしですが、バイキンマンも懲りないですなぁ。。。。
子供の世界もいじめがあり、子供たちも深く傷ついている社会。
大人もやるせない社会に生きるようになりましたなぁ。。。。
何でも有りのバイキンマンだらけ。。。。。
バイキンマンのルールがはびこっている。
皆がジャムおじさんやバタコさんになってアンパンマンの顔を焼き続けるしかない。
バイキンマンも自己崩壊するしかないですから。

「アベノミクス・日銀緩和から4年」

2013年安倍政権ができて間もないころ、「バイ マイ アベノミクス」と声高にアベノミクスが登場。そしてすぐに日銀の異次元緩和が登場。
以下、4年前に書いたものをまず転載します。

日銀が金融政策会合で大胆な金融政策を行うとして貨幣量の増加を言った。
これはもちろんアベノミクスでの2%のインフレでありデフレ脱却を目標とする。しかしデフレとは商品価格が下落し続けることという現象面だけなのだろうか?この現象面を見てインフレ目標も生まれたのだろうし、そのインフレを起こすためにインフレだから貨幣量を増やすと。
このような単純な問題なのだろうか?
どうも貨幣の回転という面が忘れ去られているのではないか?今の金融政策といった場合量的緩和だけでこの貨幣の回転が見えない。
貨幣量が少なくても貨幣の回転が良ければ景気は良いと判断できるでしょう。いくら貨幣量を増やしてもその貨幣が回転しなければ景気はよくならない。こう見るとむしろ景気回復には貨幣の回転率をどう高めるかの政策が必要なのではないか。
デフレについては、生産性の向上により商品価値は低下するわけですから物価が低下すること自体は経済の法則として受け止めるべきで、むしろ経済の発展なわけです。そして国民がより安く商品を手に入れられるならそれは社会自体の発展でしょう。しかしなぜこの商品価値の低下からの商品価格の下落がデフレとして問題視をされるのか?それは企業の利潤率の低下を起こすからです。この利潤率を維持しようとする中にあほらしいインフレ目標という悪性インフレが起きるわけです。
ですから今はデフレ克服と経済の再生を別に考えるべきで、経済の再生によりインフレ傾向が起きれば自動的にデフレも克服されるのです。
貨幣の回転は消費量を増大させますからこの回転率を上げる政策が経済の再生につながるわけです。
この貨幣の回転率は消費市場における現象ですが、同時に資本主義はこの貨幣が資本へ転嫁しなければ成り立たない社会なのです。貨幣が所費消費を高めるために回転するばかりではなくて貨幣が資本へ転嫁することによる貨幣の回転でなければならないわけです。消費としての貨幣の回転と生産という面での貨幣の回転が必要です。
今現在のアベノミクスあるいは日銀の量的緩和がこの両面で見た貨幣の回転を促しているかといえばそうではないでしょう。たしかに株式の上昇とともに高級な商品の売り上げが伸びているという現象は出ているようですが、このようなバブル的な貨幣の回転では経済全体の下肺貨幣の回転率を高めることはできない。貨幣の資本への転嫁例えば設備投資ですがこの面の貨幣の回転率が高まり、同時に消費面での貨幣の回転が高まるというには大衆消費財の商品が動かなければならないのです。
日銀の資金は株価を上昇させるためでは、それが消費における貨幣の回転率を自動的に上げるとは限らないのが資本主義です。
金融商品や国債あるいは海外に貨幣が流れていくだけでは経済の再生はないでしょうし、そこから経済発展の副産物としてのインフレもなく、もちろんデフレからの脱却もなくなる。日銀資金という新たな資金としての貨幣の回転が国内市場においてゼロ状態になってしまいます。
国民に残るのは円安からの悪性インフレ(経済発展なきただの物価上昇)と国債の更なる発行という借金の増大です。そして経済の再生がない中にあらゆる矛盾のしわ寄せ(たとえば消費増税や雇用のさらなる不安定化)が襲ってくるだけです。もちろんこれはさらなる拡大されるデフレとして現れて銀行や大企業の存続に大きな障害となっていくことでしょう。
(以上転載)

経済の好循環時にはインフレが起こる。だからインフレを起こせば経済は好循環するという逆立ちした経済政策が登場してしまいましたが、1+1=2だから2=1+1だという決めつけによるバカげた論理が社会を覆いつくしてしまいました。まず、この逆立ちをした経済政策ですからやはり現在を見れば失敗に終わったということが明らかです。
次に、この逆立ちから物価が騰がることは経済の好循環にとって良いことだ、これがデフレからの脱却だと円安誘導により輸入品が値上がりし、自給率の低いエネルギーや食品だけが値上がりし、それに続いて様々なものが値上げされました。結局はこのことにより個人消費は低迷をして逆に経済の好循環の足を引っ張ることになりました。それに輪をかけて消費税の3%増税をやってしまった。悪性の物価高は経済の好循環を否定する。
個人消費の低迷は、国民生活に貨幣が循環していないことを示すわけで、加平の回転がさらに鈍くなったとことを示す。株式への投資や企業利益に貨幣は吹き溜まり、日銀が国債を買ってもその貨幣は動かない(設備投資などには回らない)。そしてゼロ金利からマイナス金利へと。しかし加平の回転は増加しなかった。管制賃上げをせざるを得なくなったがこれもマラ今年に入って腰折れである。
社会保障のための消費増税は嘘八百に終わり、公共事業や軍事費に回る。
これから起きうることは、当座預金そして株式をはじめ企業利益に吹き黙った貨幣が潜在的デフレ不況の中でバブル化するということでしょう。それはアメリカに資金を回すことであっても解決はしない。アメリカにおいてのバブルとなるでしょう。円の価値は下がり続ける。これは円安誘導によるものとは質の違う円安でしょう。
アベノミクス・日銀の異次元緩和から4年。「道半ば」という詭弁は通用しないでしょう。

【2018年】ツイッターつぶやき
安倍政権発足後5年となりますが、ここにきて森友学園の公文書改ざん、自衛隊の日報隠し、そして働き方改革での裁量労働制関連のデーターや過労死隠しかという疑惑が。そして福島原発の汚染水問題が困難である実態が。
経済面では鳴り物入りのアベノミクスそしてそれに呼応する日銀緩和はずっと道半ばであるという国民への分析の危うさ。
政府はずっと改ざんあるいは誤った情報に基づいて野党に説明をし、それが報道をされて国民の耳にも入ってきていた。野党はあらゆる疑惑について政府を追及したが政府は誤った情報により正当化をさせた。そしてこの国会運営の下に選挙も行われた。
この5年間は何だったのでしょうか?
失われた政治の5年でした。。。。。
それは民主主義の形骸化でもありますが、さらにこの民主主義は数の力というものによっても機能を喪失しました。

【2019年】ツイッターつぶやき
上司「いやぁ・・・君はいろいろと勉強しているね」
部下「ありがとうございます」
「しかし私の意見とは違うところがあるようだね」
「はい、しかし、それは・・・・・」
「君が言いたいことはわかってるから言わなくてもいいよ」
「はぁ・・・」
「理想通りにはいかないことがたくさんあるんだよ」
「はい、私はその点も・・・・・・・」
「うん、私もわかっているんだよ。君の性格を知っているから。」
「恐れ入ります・・・」
「会社だけではないが、大人の対応というものがあるんだよ」
「はい、それは十分に・・・・」
「そういえば、君は今度結婚するんだって?」
「はい、9月には式を挙げたいと思います。」
「家庭を持つことは大変なことだ。仕事も頑張らないとな」
「はい」
「俺が言いたいこと、君はわかるよな」
「は?。。。。」
「大人の対応も必要な時もあることはわかるよな」
「はぁ・・・・」
   忖度
(今年1月31日記)
上司が一から十まで教えないと動けない社員と違って一言三言話しすれば仕事をまわせる社員を見れば後の方の社員は優れた部がということになる。これは会社だけではなくて社会全体の中で必要な忖度の必要性である。
しかし上に書いたような上司による同調圧力を忖度してしまうようなものは企業や社会の弊害になってしまうでしょう。
先日国交省副大臣が
「道路建設を推進する県選出国会議員らが副大臣室を訪れ「これは総理と副総理の地元の事業だ」と迫られたと明かした。「私はもの分かりがいい」と応じたとした上で「総理とか副総理がそんなこと言えない。私は忖度した」と語った」(毎日新聞より引用)
上記した上司と部下の例が現実の政治において行われていることをわかりやすく示していますね。
去年から官僚が内閣に対して忖度をしていたという疑念がたくさん出てきましたが、法的にも利益誘導という倫理にも許されないことを忖度しなければならない政治や社会ならば、弊害ばかりで優れた政治家を作り上げることはできないでしょう。忖度政治や忖度社会が既成事実化して当たり前のことと認められるようになる社会は、ある種の強権をはじめとした力の社会を認めそのような社会をつくる意思が見えてくる。
令和の「令」は万葉集をイメージする「麗」ではなくて偉い人に土下座するような時代となるでしょう。その中で偉い人はまずいというものは口にせずに忖度をさせる。新年号と万葉の正解世界が結び付いているが、国民は「令」の意味を忖度するようになっていくでしょう。

【2020年】ツイッターつぶやき
何らかの形で賃金を得て毎日生活をしている労働者とその家族の割合は日本社会の中高い比率になっているでしょう。
こういう賃金を得て生活している人々は賃金労働者といわれる。
そして農業や漁業などの自営の労働者が多くいる。
これらの労働者がいなければ社会は維持できないことはわかりきったことである。
しかし労働者も労働者としてモノを生産する自分と、社会的に生産されたものを消費する市民という二つの性格を持つ。
いつもは苦しい労働で働いているが、いざ消費者としての市民になると消費先の店などで見苦しい態度のモンスター消費者になって労働者を蔑ろにしたり暴力をくわえたりする。
この労働者と市民の分離が起きている社会において、今回のコロナ騒動というものが起きると、感染の恐怖から「早く非常事態宣言を出して、家に閉じこもれ」と声高に叫ぶモンスター市民が現れる。皆さんがそうだと言いませんが、例えば在宅金m勤務で賃金を得られる人は家にこもれるわけですが、そういう労働者がいきなり市民感情むき出しになって非常事態宣言だ!と叫ぶのはやめたほうがいい。
非常事態宣言が出ても市民として家にこもるために食料品や電気ガスそして水道が必要。社会の安全のためには警察や消防が必要。そして農業や漁業が必要。すべての労働者の労働が最低限必要なのです。これを忘れて緊急事態だと叫ぶだけの人は人の労働の上に胡坐をかけると思っているような市民でしょう。
ライフラインがなくなっていいのか、食料がなくなっていいのか、医療がなくなっていいのか。。。。。誰もがそれは困るという。
ならば自分の中に同居する労働者と市民を分離してはならないのです。
もちろん社会の中は階級がある。労働者階級ではない人々も多くいる。しかしその労働者階級以外の階級の人々も人の労働がなければこのコロナ騒ぎの中で生きてはいけない。
労働者と市民を社会の階級としても分離してはならないのです。
カネがあれば別荘にでも避難すればいいという金持ちもいるでしょう。しかしコロナウィルスは平等です。下層階級だけに蔓延しているときはそれでよいが、下層階級の感染拡大は必然となりそれは上流階級にも及ぶでしょう。
労働者と市民を分離・分断しないようにするのが国家の役割ですが、安倍政権はダメですね。社会を維持するために労働者を大切にするものがマスク2枚や厳しい審査を通らないともらえない1瀬田当たり30万以外見当たらない。あとは企業の救済に軸足を移す。
これは国家の将来に深刻な悪影響を起こすでしょう。経済のV字回復どころではない。
毎日自分と家族のために市民のために働くスーパーの女性労働者の声!(SFP通信

【2021年】ツイッターつぶやき
緊急事態宣言でもマンボウでも飲食店における営業時間の制限と会食人数の制限を行っている。しかしなぜ4人の会食なら良いが5人ではいけないのかとなるとはっきりした根拠はあるのでしょうか?そしてなぜ夜8時や10時までなのでしょうか?この根拠もあるのでしょうか。
たしかに飲食の目的は飲食するだけではなくて楽しくおしゃべりをすることにもあります。しかしこの楽しくおしゃべりすることに感染リスクが生じます。ここから4人以下でマスク会食という滑稽なものが提案されています。
飲食の第一義的なものはうまいものを味わいそして呑み腹を満たすことにあります。コロナ禍においてもここは社会を維持するっための労働がある限り必要不可欠な飲食店の役割です。仕事によっては夜遅くまで働いたりする人がたくさんいます。その人のためにコンビニ弁当ではない飲食店の食事とビール1本ぐらいを提供できる飲食店が必要でしょう。
こう見ると、コロナ対策としての飲食店規制は時間の制限ではなくて会食そのものを禁止することにあるのではないでしょうか。もちろん子供連れの家族や恋人(カップル)同士2人の会食などは良いでしょうが。
クラスターはカラオケでも発生しています。これも一つの会食でしょう。若い人たちが街頭で飲み会をするのも会食です。飲食店でないのだからいいだろうという理屈も成り立ってしまいます。
大阪市などマンボウが発令された都市は5月の連休明けぐらいまで発令は続きそうですが、この1カ月会食を我慢して飲食店での食事(孤食など)を働く人たちのために提供すべきでそれに協力すべきです。まぁ、一番我慢できないのは政治家や官僚かもしれないが。。。。。。しかしここが我慢できないなら国民の国への信頼がなくなりどんな対策も効果がなくなるでしょう。

【2022年】ツイッターつぶやき
最近従業員の健康を問題視する企業が増えているようです。健康でなければ生産性が落ちる。健康でなければ新しい発想を生む仕事ができないということらしい。
しかしこの健康鶴クリチェックがどのように行われるかと言えば、従業員の市生活にも踏み込んだ健康づくりとなる。代表的なのが禁煙運動です。
禁煙運動は社会的にはたばこ増税による強制禁煙があります、企業単位では雇用をしないという強制禁煙がはじまっています。
企業利益のための強制的な健康づくり。。。。
これは何もタバコに限ったものではなくなっていくでしょう。

【2023年】ツイッターつぶやき
日中の気温が高くなってきました。
車に乗っているとクーラーが入ります。
春の花がぐったりしています。
気温が20度を超えるとだめですね。
一月ほど花が終わってしまうかもしれません。
フリージアの香り。。。。。。
今が満開になってきました。

【2024年】ツイッターつぶやき
今年は入学式まで桜が持ちそうです。やっとほぼ満開です。
今日はまた寒さが戻り花冷え。
週明けぐらいに散るかな。
入学式の後に校門の横の桜が花を散らし記念写真。
いいもんですなぁ。
桜の寿命は案外身近いようですね。
大木になってきたと思ったら、しばらく見に行かないといつの間にか切られている。
公園は倒れたら危ないのが理由かもしれません。
最近はクレーマーが増えて、子供の声がうるさいからと公園がなくなる時代です。
桜の花がたくさん散って嫌だというクレームも考えられますね。
残った桜はほぼ満開。。。
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2025年 4月 4日(金)「鍋が。。。。。。。」

2025年04月04日 22時19分52秒 | 「思うこと」
長年使っていた鍋を焦がしてしまった。
今までも何回か焦がしたことがあるのですが、思いっきり焦がして金だわしでこすればきれいになったのですが、今回はなぜかだめです。
思い当たるのがサトイモを煮ていて焦がしたこと。
サトイモのあのヌルヌルが焦げたせいでしょうか?かなりしぶとく鍋に焦げが張り付いています。
この鍋はカッパ橋(東京では有名な金物の問屋街)でプロ仕様というのか案外しっかりした高い鍋でした。
鍋の木の柄が腐ったり焦げたりしてダメになったら柄を買ってくれば何十年でも使える。
ショックです。捨てるのは少し待って何か対策があればと思っています。
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「4月 4日という日」

2025年04月04日 05時55分03秒 | 「何を思ってた?」(旧ブログまとめ)
【2025年】ツイッターつぶやき
長年使っていた鍋を焦がしてしまった。
今までも何回か焦がしたことがあるのですが、思いっきり焦がして金だわしでこすればきれいになったのですが、今回はなぜかだめです。
思い当たるのがサトイモを煮ていて焦がしたこと。
サトイモのあのヌルヌルが焦げたせいでしょうか?かなりしぶとく鍋に焦げが張り付いています。
この鍋はカッパ橋(東京では有名な金物の問屋街)でプロ仕様というのか案外しっかりした高い鍋でした。
鍋の木の柄が腐ったり焦げたりしてダメになったら柄を買ってくれば何十年でも使える。
ショックです。捨てるのは少し待って何か対策があればと思っています。

≪過去の記事≫

【2004年】
(記事なし)

【2005年】
川上弘美さんの「古道具 中野商店」を買いました。
単行本はほとんど買わないのですが、川上さんの新刊となると思わず手が伸びます。いろいろと読みたい本が山積みされているのですが、順番を決めるのが大変。
しかし読みたい本たちに囲まれるのは幸せ気分です。

【2006年】
心地よい風に桜の花びらがそよそよと散っていました。
植木に水をあげながらしばらくぼうっと眺めていました。こんな時間が好きです。
言い訳がましく、今の社会矛盾を社会のせいだとか、若い人なら今の大人のせいだからとするだけというのも困りますが、このような意見を批判をして、個人の努力としてばかり強調をして競争に埋没するのもまた困ったものです。
人間は社会的な動物です。人のせいにして逃げるのも反社会的ですが、その裏返しとして個人的努力にすべてを解消することも反社会的です。
すべての国民は国家のために働かなくては(いろいろな意味において)ならない。しかし個人的な問題というのは個人の責任で解決しなければならない。ここでは、国家が社会性を放棄している。
このように、今は個人も国家自体も社会性を忘れている。
たしかに個人の努力で大成した人はいる。しかしこのような人の上に立つような人はほんのわずかな人たちであり、大多数の人々は、社会の中で目立つようなこともなく平凡に生活をしているのである。この平凡さは罪悪なのだろうか?怠けなのだろうか?そうではないだろう。。。。ならば社会的に目立たなくても社会の底辺で平凡に生活する人々の社会的条件を国家が補償をするのが当たり前ではないか。平凡に生活をし、平凡に働く人々によって社会の生産と消費は決まるのである。
頑張ればセレブになれる。。。。こういう社会は要らないのである。皆が頑張ればセレブになれるわけではない。皆が頑張ってセレブになってしまったら今の社会は成り立たないでしょう。だから頑張ればセレブになれるというのはウソなのです。セレブとは言わない。頑張れば勝ち組になれるというのもウソなのであり、負けがいてはじめて勝ちもある。皆が頑張ったらその頑張った線で勝ちと負けが決まるのである。平等主義はいけないというが、社会はだんだんと平等を求めるように進んでいくものである。競争社会の素晴らしさというという幻想を捨てよう。。。。その中で社会的に現れている矛盾を考えよう。。。。

【2007年】
「家守綺譚」 梨木 香歩  著
美しいファンタジーの世界。。。
梨木さんの作品は何冊か読んできましたが、この美しいファンタジーの世界にぐっと吸い込まれていきます。同時にこのファンタジーの世界の中に梨木さんの思想というものが現れており、ただ美しい世界を描くというものに終わらない魅力を感じます。
女性作家を多く読んでいますが、その作品の中には不思議な世界を描くものがありますが、それらの作品とは違う梨木さんの不思議な世界は、やはりファンタジーというひとつのジャンルとしてみなくてはいけないのかと思います。ただ、ファンタジーといっても現実世界からまったくはなれたところの架空の世界を描くというのではなく、現実の世界に大きく関わりながらそこにファンタジーの世界を用いるという面では純文学にも通じる面があり、幅広い読者をひきつけるのだろうと思います。
梨木さんの作品の特徴は、日本という国の文化や自然を美しく表現され、その日本という独特な国に西洋人が溶け込んできたりかかわりを持ってきます。また西アジアという世界もひとつの特徴でしょう。
日本から見れば異文化としての西洋や西アジア、その日本と関わる西洋人や西アジアはまた異文化であるはずです。そして西洋と西アジアもまた異文化の世界です。それぞれの文化は長い歴史の中にあり、時には争い時には溶け込みあいながらそれがまた新しい文化を築いてきました。これは、人類すべての文化の歴史ではないでしょうか?そしてこれは人類が発展してきた歴史の中では避けられなかったものです。自国の文化や自然を最も愛することはもちろんですが、異文化をも吸収していかざるを得なく、それがなければ発展はありえないという拒否と受け入れるという歴史でもあります。
しかし不幸なことにこの文化の交流や融合は、戦争という形を取ってきました。それの思想的背景には宗教が介在し、根本的には経済的拡張がありました。これは国家主義的な国民意識を生み、不幸は繰り返されます。異文化の交流は、争いと和の二面性を持って進んできます。宗教・国家の二面性といってもよいでしょう。
梨木さんのエッセイに「春になったら苺を摘みに」という作品がありますが、イラク戦争の中にあるテロと戦争というテーマに対し、キリスト教国家であるアメリカやイギリスの戦争であり、イラクにとってはそのキリスト教に対する戦いという宗教的背景も持ちます。この戦争に反対をする勢力がまた同じキリスト教にあり、そのキリスト教信者の生活と梨木さんとの交流といってもよい作品です。読後感としては、そこに梨木さんは立ち尽くすように見えます。
イラク戦争が解決をしたら、苺を摘みに行きましょうという言葉が印象的です。
梨木さんのファンタジーの中にある世界というのは、以上なような意味での異文化同士の現実の中にある梨木さんご自身の葛藤ではないかと思います。
もちろんこの視点は、さまざまな知識人により考えられてきた問題です。中でも明治維新という急激な西洋文化との接点による日本人を見たのは、夏目漱石ではないかと思います。梨木さんの作品を理解するうえで、この漱石の態度というのか思想というものからみることがひとつのヒントとなるかもしれません。
漱石は、俳句を愛し、漢詩を愛し、日本画を愛する。しかし学者としての漱石は英文学を専門とする。漱石個人の中にもこの東洋と西洋の異文化が同時に存在をし、それはまた明治維新という漱石が生きる日本の社会の姿に現れているものである。「こころ」の主人公「先生」の言葉に漱石の心が表れている。20代の頃、親友正岡子規は血気盛んに日清戦争の従軍記者となるがその子規と漱石そして日露戦争など、さまざまな視点から見る漱石の思想家として優れた面がある。この辺のものは岩波文庫「漱石文明論集」が参考になると想います。
漱石は、日本の急激な西洋化に嫌悪感を持ち日本の文化を愛する。しかしそれは西洋文化の否定ではなく合理的な融和である。そして日本人であると同時に日本と中国や朝鮮半島の文化の交流を思い、イギリス留学中、「おまえは中国人か」と訊かれる日本人が反感を持つことに対して漱石は、いろいろな文化を日本に伝えた中国人と思われることになぜ反感を持つのかというように日本人自身に対して批判的である。
古代から外国の文化をあらゆる形で受け入れて来た日本、そして明治の開国には本格的に西洋文化を受け入れて来た日本。アジアで唯一と言ってもよいと思うが西洋の植民地とならなかった日本人の英知。しかし同時に日本人の思い上がりという矛盾も存在をしたであろうし、急激な変化の中にも矛盾が存在したでしょう。それは個人の中にもあり、思想的な個人の人間と言う意識からも社会との接点が問題となる。西洋思想からの影響として漱石の「個人主義」もまた一つの思想の中では重要です。
梨木さんの作品は、漱石の時代からひとつの流れとして続く日本人を見つめることの中にあり、日本人と日本の文化・自然に対しての西洋や西アジアの人々そしてその文化・自然との違いは違いと認めつつ、西洋の文化を否定をするのではなく合理的な融和を見ることにあるのではないかと思います。その中でまた日本人を見つめるのかもしれません。
前置きが長くなりましたが「家守綺譚」は、日本の自然を美しく描く。時代は明治末の頃。所は京都の北かそこに接する滋賀県あたりだろう。大学を卒業して売れない文を書いている綿貫征四郎は亡き友人高堂の実家の家守として引っ越してくる。金のない征四郎にとっては渡りに船のようなものである。庭にはきれいな花をつける百日紅があり、そのほかの木々も美しくたたずむ。池には琵琶湖からの疎水が流れ込み、鯉などを飼うまでもなく自然の魚たちが泳ぐ。釣り糸を垂れる征四郎は気楽である。隣のおかみさんは時々食事を持ってきてくれそれもまた気楽である。守る家は山々にか困れその美しい自然は写り行く。ただ厄介なのは、百日紅の精に恋をされたり、狐や狸に化かされたり、池には河童まで現れるとそうはのんびりとはしていられない。その上死んだはずの親友高堂が掛け軸から時々現れる。どこからか知らぬが迷い込んだ犬ゴローは、どうも征四郎より賢そうでなにやらわからなぬ行動をする。
こんな中、征四郎と高堂共通の後輩にあたる出版社の山内が、征四郎に「早く高堂先輩の話を書いてください」と言う。なかなか書く気になれぬ征四郎は、ううう。。。んと、懐手をして相変わらずの生活である。
しかし季節は移り変わってゆく。
いつしか夏になり、山に龍田姫(秋の女神)の気配を感じ、冬になりまた佐保姫(春の女神)の春の季節へと。。。。
自然の移り変わりは、美しさの中にもそうはのほほんと進むものではない。征四郎の心をゆすぶるような自然の不思議や心変わりはあるものである。そして自然への人のかかわりは無視できなくなってくる。
ある日いつものごとく高堂が現れる。
鈴鹿山のセツブンソウが咲く前に、高堂家のある里の桜が咲きに咲いてしまったと。琵琶湖の女神?浅井姫(琵琶湖の竹生島伝説)も心配をしていると。
征四郎はその浅井姫を人の言葉で書いてみたいという。竹生島の近くだろう琵琶湖の湖底にある浅井姫に抱かれるような永遠の移り変わりのないと思われる世界を描きたいと思うと。。。
作品の冒頭、「左は、学士綿貫征四郎の著述せしものなり。」とあるように、こうして書かれたのがこの「家守綺譚」であると思う。
作品はその季節に咲く花々の名を持った章に分かれており、征四郎が遭遇するいろいろな不思議な世界を描くとともに日本の自然の美しさが描かれます。読者はその世界に吸い込まれるように読み進むと思いますし、それがこの作品のすばらしさです。しかし、それだけで終わらないのが上に書いたように作品上の主張がある梨木さんの作品の特徴でしょう。
征四郎は、琵琶湖の湖底に自ら行ってしまった高堂に言う。
「おまえは人の世を放擲(ほうてき)したのだ。」
高堂は答える。
「おまえは人の世の行く末を信じられるのか。」
人の世は発展をしていくだろう。その発展の中に征四郎が経験した自然とのふれあいはなくなっていくだろうということです。
また、ちょっと飛躍しますが、作品中にトルコに発掘調査をしに行っている村田という友人が出てき、その宗教を語る。この村田は、「村田エフェンディ滞土録」と言う作品の主人公で、amazonサイトの本の紹介と書評を参考にさせていただくと、その時代は第一次世界大戦中であり、人の世もそうはのほほんとした時代ではなかった。この意味でも高堂の「人の世の行く末を信じられるのか。」という言葉が重なってくる。
自然と人間そして人の作るこの世界。
今の現状から逃げて暮らすのか。。。
最終章「葡萄」では、征四郎は人の世から離れた湖底の世界へ行く。その世界の葡萄を食べれば永遠の平穏があるのだろう。しかし征四郎は人の世に変えるという。人の世である高堂家を守るのだと。
川上弘美さんの「センセイの鞄」に、「干潟ー夢」では幻想的な世界が広がります。センセイはこの世界を好み時々来るといいます。そして境の世界だといいます。現実の生きている世界と死の世界や無機質な世界の境かもしれない。そこでは、ツキコさんとセンセイは永遠に湧き出るカップ酒を飲み永遠の命があるのかもしれない。しかしツキコさんは、現実の世界に帰りたいという。高堂家もある意味人と自然の接する境界であると同時に、生きている世界と死の世界の境界なのかもしれない。生きている証は人の世を見つめることにある。
いま、「美しい日本」という言葉が流行っているが、この美しい日本を守ると言う意味について考えなければならない時代になっている。それは排他的であってはならないし、いまや自然と人との関係は国を超えた人類すべての過大なのである

【2008年】
桜がちらりちらりと散りはじめました。
また3月27日にも書いた清水公園に行ってきました。満開でした。
ガソリン税の暫定税率が期限切れになり、ガソリンが安くなっています。都内ではだいたい120円代になっていますが、約20円税金が安くなっているようです。たしか平均か?25円は安くなる計算だったはずですが、ガソリンの店頭価格というものの仕組みというのはよくわかりません。
それに加えて、今ニュースでちらっと見たのですが、暫定税率が復活されない場合、都が独自にガソリン税を新たに設けるらしい。もちろんこれには、都だけが課税をしたら隣の県にガソリンを入れにいくようになりますからそれぞれの都道府県知事の賛意が必要になるはずです。いきなりこういうことを言われても、暫定税率が減り都の道路工事に必要な額がどれだけで、どのくらい収入が少なくなるのか、それ以上に暫定税率を差し引いたにしても戸に入る特定財源がどのくらいあるのか、そして必ず必要な額がどのくらいなのかがまったくわからん。それにその税収が一般財源となるのかとか。。。
なんとなく国に対しての抗議のような増税発言である。
都として知事の考えとしていろいろと考えるのはいいが、国への抗議のようなことではなぁ。
暫定税率は、その性格からしてもともとなかったものという認識をまずしてもらわなくてはならない。いつかなくさなければならない税率だという認識からはじめてもらいたい。そこから議論をしていくら足りませんと都民に説明しないと。。。
オリンピックも積極だし、銀行問題もあるし。。。

【2009年】
(記事なし)

【2010年】
家族で、ショッピングモールというのでしたっけ?スーパーをはじめ衣料品店やコーヒーショップなどの店がひしめき合っているところに買い物に行きました。
買い物も済んでコーヒーでも飲もうかとコーヒーショップに入りました。
その店はガラス張りにした完全分煙になっていました。店の三分の一ほどが喫煙の席になっていましたが、禁煙席のほうはぜんぜん煙草の臭いがしませんでした。こういう店は増えてきて、先日行ったハンバーガーやさんでもガラス張りの完全分煙でした。どちらの店も僕が好きなチェーン店です。コーヒーショップのほうはちゃんとサービスの高いポイントカードを持っているし、ハンバーガーやさんは少し値段が高いがうまい店。お気に入りのチェーン店ですから、完全分煙はうれしい。
ガラス張りですからタバコを吸っている姿が見えるわけですが、まぁ、タバコを吸っている姿すら気に食わないという方は別にして、非喫煙者の方も楽しくコーヒーをすすっているし、喫煙者も「檻の中に入れられましたね。。。」なんて隣同士で笑うこともあり、隣に座った方をみにしないでタバコの煙を吐けるわけです。そして禁煙席でタバコを吸う人もいなくなりました。
今は、JTでコマーシャルで喫煙マナーや分煙運動を呼びかけていますが、こうした設備の充実が進めばよいでしょうね。狭い店では、喫煙の店と禁煙の店をはっきり主張したり、曜日で変えたり、未成年者が来る時間帯である昼間と夜で替えたりいろいろと工夫はできるわけです。もちろん空気清浄機を取り付けるぐらいはできるでしょう。金が大変かもしれませんが、そこはタバコ税を有効活用すべきです。そうすれば喫煙者もタバコ税がもったいないとは思わない?(笑)
まったく健康に悪い事をしていない人はいないですからね。。。。

【2011年】ツイッターつぶやき
銀色夏生著「ひとりが好きなあなたへ」幻冬舎文庫が4月12日発売予定です。
詩集だそうですが、幻冬舎からは詩集は初めてではないかな?
夏生さんのホームページには表紙の写真と言葉があります。内面の深いところを。。。。楽しみです。

【2012年】ツイッターつぶやき
野田総理は、「原子力安全・保安院がこれまでの安全確認の手続きを説明すると、今年3月にまとめた30項目の安全対策がわかりにくいといった意見が噴出。首相は「福島原発の事故原因を踏まえた、暫定的な基準を整備して提示するように」と、安全対策の暫定基準を次回会合で示すよう求めた。」と。
(こちらのサイトより引用)
結局はストレステストの一時評価では安全性が確認できなかったということでしょう。そこで「福島原発の事故原因を踏まえた」暫定的な基準を作ると。
しかしなぜ暫定的基準なのか。十分な政府としての安全策を出せないということを露呈しているわけでして、大飯原発の再稼働を急ぐことだけの(安全対策ではない)出来合いの基準でしかないということでしょう。
5月の上旬には最後の1基が止まります。それを理由に強引に大飯原発の再稼働急がせるために作られる暫定基準なら当てにはならない安全策でしょう。

【2013年】ツイッターつぶやき
先日朝日新聞の記事を引用してアベノミクスの光と影について書いたが、この光の部分も次第に企業や富裕層(株などの利益に依存する不労所得)のため以外ではないことが明らかになってきた。円安も金融緩和の目的ではないというが、実質的には輸出産業の利益のための円安誘導でしかないことが明らかになっている。円安はじわじわと物価を上昇させていくだろう。アベノミクスははじめ2%のインフレ目標と言っていたが最近では2%物価(安定)上昇目標といういう言葉にすり替えられた。
インフレは経済の成長の中で現れるものである。しかしアベノミクスは逆立ちをしてインフレから経済成長を起こそうというのだから初めから無理があるわけである。今後物価が上昇するとすれば、それはインフレではなくて円安誘導での影の部分である。国民にとっては悪質な物価上昇でしかない。物価上昇=インフレと見たとしてもそのインフレは悪性のインフレでしかない。
アベノミクスは経済成長への夢を与えてこの心理面は大切といった見方もあるが、現実は上に書いた視点で見れば、アベノミクスは影が強いわけです。しかし光の部分だけが「期待」として一人歩きをしている。
参議院選への見せかけの光の部分でしょう。
これに多くの人が気付き始めているのではないか。
選挙まで一般国民にも「期待」を膨らませる為だけのリフレ経済論理。そして成長なきバブル経済。
政治や経済には成果と課題があるわけですが、アベノミクスの光と陰から見てその成果と課題は、後世に大きな課題を残すだけのものでしょう。アベノミクスで破壊されようとしている政治や経済の立て直しは相当難しいものとなるだろう。

【2014年】ツイッターつぶやき
夜降っていた雨もやんでや桜の花びらが道路に落ちていました。以前、雨上がりのぬれた車に花びらをたくさんつけて走っていた風流な車を見たことがあります。。。。
スポーツジムに行き始めたころ、汗が流れるころになると脈拍数が大部高くなっていたのですが、最近は30ほど下がってきたみたいです。
帰りはよい天気!気持ちのよい日差しでした。風が吹けば一気に花びらが散りそうですね。

久しぶりに牡蠣と長ネギのぬたを作りました。
一品の小鉢でいかがでしょ?
長ネギはさっと茹でて冷ましておきます。
牡蠣は片栗粉をまぶして茹でて冷水で冷やします。
牡蠣と長ネギを小鉢に盛り付けて、酢味噌をかければ出来上がり。
酢味噌は。。。。
味噌・砂糖・酢・辛子。。。好みで少し生姜をすりおろして入れると風味がまた違っておいしいです。

もうひとつ小鉢。。。。切り干し大根と油揚げの煮付け
トマトとセロリ・スプラウトのサラダ。。。塩と粗引きコショウを振ってフレンチドレッシング
鶏肉の酢醤油焼き。。。。鳥南蛮風に少しマヨネーズをかけました。

異次元緩和といえば何か期待感が生まれる言葉ですが、ゼロ金利の中で金融政策も正常な形を取れなかったということでしょう。ある意味禁じ手が異次元と呼ばれただけでしょう。
一年過ぎてその総括を麻生財務相と甘利経済再生相がコメントして日銀を褒め称えていますが、円安と株高そして物価上昇(それもインフレとする)という成果であり、インパクトと期待感作りがうまかったという成果だけでしょう。
経済の再生を自民党は言いますが、国民生活には反映されない「実感なき経済成長」そのものの再来でしかありません。むしろ国民生活は切り下げられてきている。円安誘導による悪性の物価上昇。そして法人税減税と消費増税。小泉内閣の実感なき経済成長以上に消費増税というものがプラスされた。賃上げも一部労働者だけでそれも悪性の物価高や消費増税に追いつけない。すでに消費増税後の消費減が言われる。そのためには日銀をヨイショして更なる量的緩和ということでしょう。
しかしまた円安傾向が出ていますが円安誘導では貿易収支の赤字や円安でも輸出が振るわないといわれています。投資と企業利益だけを見た景気判断ですから中身には御構い無いということでしょうか?
日銀が追加緩和をしなければ景気の落ち込みを日銀の責任とされてしまいますね。実体経済は政府の政策にあるわけですからそれを日銀の責任にされてしまう。
今だにアベノミクスは期待感で国民を包み、現実は企業利益の増大に向かう性質を持っていることが鮮明になっているのではないでしょうか。ここから実体経済の評価を下せるでしょうか。

【2015年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2016年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2017年】ツイッターつぶやき
お題「お花見はしますか?」に参加中!
東京もほぼ満開となりました。
どこかに出かけるのも面倒ですから近くの公園の桜を見上げています。
宵の街灯の下の夜桜もいいですなぁ。。。。。
桜の名所に出かけるのもたしいですが、近くの公園の桜を毎日見て開花の変化を楽しむというのも一つの桜見物の醍醐味です。
若いころは家族で花見に出かけていましたし、ドライブで桜の名所を見に行っていました。
桜見物のためならだいぶ遠出もしました。
しかし桜の美しさも一瞬ですから大体がはずれで、一番美しい散り初めの桜は数えるほどしか記憶がありません。
都内では数年毎年桜見物に行った浅草の夜桜船が好きでした。
家からお弁当を作って持っていき、僕はほろ酔いセット(おつまみと缶ビール1本)を買ってちゃんと酒も飲めます。たしかおでんとかも船内で売っていた記憶があります。
生のお琴の演奏もあり1時間弱のクルージング。
帰りは隅田川の夜桜を見て浅草界隈を歩き観音様をお参りして帰るのも楽しいです。
明日ぐらいが満開かな。。。。。

森友学園問題が籠池さん個人の問題(犯罪)として終わるのか?
しかしここで終わりではないでしょう。
メールのやり取りから森友学園からの要望をすべて国として受け入れられないという回答をもって安倍総理の国会答弁でも国は「ゼロ回答」であったとする。
しかしこのゼロ回答と8億円が1億数千万になったことそしてごみの処分状況も含めて結果としては100%回答ではないかともいわれている。
この過程についてはっきりしないことには国民の財産を安い価格で処分したことについての納得は得られないでしょう。
保存すべき書類が見当たらない?
これも含めて今後は国が億民に対して納得のいく説明を行わなければならない。
総理大臣(総理夫人)その他政治家や官僚・役人が忖度を担ったかどうか、忖度もないならなぜ8億が1億数千万となったか、ここを説明すべきでしょう。もちろんこの過程に違法性がなかったかどうかも。
森友学園の教育方針も問題となっているが、この教育方針や理念が政治家を動かしたかどうか。森本学園が現在の政治的動き(教育勅語を道徳教育に利用)の流れからそれに沿った森友学園の教育理念が生まれたのか。
このへんも忖度に関連するでしょう。

先の「アベリスク」の続きのようなものです。(ツイッターより転載)
トランプさんの北朝鮮工作がどのようになるかはまだ分からないが、北朝鮮爆撃となれば日本国内の米軍基地が標的に。この時日本は集団的自衛権を行使するでしょう。そして防衛のためとしての敵基地攻撃も。日本国内が主戦場となりかねない危険性がある。
韓国と北朝鮮は敵対的と言っても一つの民族。そして先の戦争の記憶は強く残っている。中国と北朝鮮関係は冷えてきているとはいえ、中国にしてみれば国境を接する地域での戦闘となる。ロシアも同じでしょう。同時に日ロ関係でロシアがまず望むことは経済関係だけ。現段階では平和条約は日ロ共に敬遠。
アメリカは太平洋を挟んだ遠い国。。。。。
日本は、太平洋を挟んだそのアメリカの不沈空母となる。もちろん乗組員には民間人である日本人が乗船している。
北朝鮮とは軍事的解決しかないと考えている方がもいらっしゃるでしょう。そして戦争に行くのは自衛隊員と軽く思っている方もいるでしょう。そして自衛のための正義の戦争と思っている方も。しかしこういった絵にかいたようなきれいな戦争は存在しないでしょう。

【2018年】ツイッターつぶやき
キュウに急に初夏のような陽気になり戸惑っています。昨夜は毛布を杯ではいで寝ていました。
こう暑くなると春の花もきついようです。毎年大きく育つビオラも育たないうちに花の季節が終わってしまうのではと心配をしています。
そんな中、夏の花の支度をはじめています。
松葉ボタンはもう芽が出てきました。トリニアの双葉も。
今年はアリッサムや松葉ボタンなど5種類ほどの種がミックスになった物を買ってきて蒔いてみました。3日もしないうちに発芽しました。今のような天候が続けば5月初めごろには花が見れるかも。
そういえば人の夏支度もはじめねば。。。。。。

【2019年】ツイッターつぶやき
野村HDが1110億円のコスト削減を行うという。
理由は株売買の電子化によるという。たしかにパソコンで売買が1秒単位でお行える時代ですからね。でも証券会社を通しての取引でしょう?
様々な部門で人員も削減されるでしょう。
しかし野村HDについては、2016年のロイターの記事によると、やはり大幅なコスト削減を行っている。その理由は
「大幅なコスト削減策は、日銀が導入したマイナス金利の余波が予想以上に大きく、経営方針の見直しを迫られた結果だ。」(引用)
としている。
今回のコスト削減もやはり金融緩和と無関係ではないでしょう。
まだ生命保険会社がどうなっているかはわかりませんが、アベノミクスと日銀緩和により銀行に続いて各方面の企業に副作用としてマイナス要因もでてくるのではないかと思います。

最近gooブログの編集ページの「みんなのブログ」アピールするというところが全然当たらなくなってしまった。以前はたびたびあたったのですが。。。。
やはりメンテナンス後。。。。。
ちょびっと、愚痴でしたぁ。。。。

【2020年】ツイッターつぶやき
東京都の今日1日の感染者数が120人とも言われています。
最近の感染者数の発表では感染経路がわからない感染者が三分の一以上に増加をしています。
東京都は3月の三連休に若い人たちが「コロナ慣れ」で混雑したところに出かけていたことがこの120人という数字に現れているとしますが、そもそも検査もしてもらえないで少しぐらい体調が悪くても仕事や遊びに出かけている現状が根本的な原因でしょう。同時に満員電車に乗って通勤したり、仕事で人と接するわけですから感染は広がります。
しかしかといってならばすぐに非常事態宣言でしょうか?
非常事態宣言の前提として国民を守るという国の姿勢が必要です。それには検査を拡充してはっきりとした感染者数を把握する必要があるでしょう。
日本の感染者数は少ないことに対しては今後爆発的な感染が起きる可能性が高いとも言われています。日本は重体化しないと検査も行わない状態にもありますから検査もされないことからの隠れ感染者が重体化して初めて検査が行われて感染者にカウントされる状態が出てくるでしょう。このような薄気味の悪い日本の現状にアメリカ大使館は今感染がひどいアメリカでも帰国しろと動いています。これが自国民を守るということなのでしょうね。
医者に検査をする診断を得るにも病院をあっちこっちと回らなくてはいけないし、運よく医者が検査を保健所などに要請してもそこでも断られる。こうして隠れ感染者は蔓延しますが、この状態を作り出している医者自身が検査もせずに診療にあたる。病院は院内感染で医療崩壊になり自爆する。

【2021年】ツイッターつぶやき
具体的にどういう事柄かはここでは触れませんが、今の社会差別化により社会が成り立ってしまうように感じてしまう。
差別化がなぜ進んでしまうのかといえば、多くの場合は社会による差別化から来る。
差別化されていく社会、その社会が差別化するシステムに。そしてそれがまた差別化を深める。
「それは差別だ!」という言葉が多く使われるようになっていますね。
アメリカトランプ政権で分断という言葉が重要な政治的対立を中心に人種や性別など様々な分断が言われました。この分断が進めば差別は必然的に大きくなる。国民が互いに分断されるとその国民同士が差別化をしていく。

【2022年】ツイッターつぶやき
さっき東京も揺れました。
震源は千葉県北部だそうですが、先日も千葉県の内陸部で。
時々千葉県と埼玉県の境あたりの内陸で地震があります。
今日は福島県でも地震があったようですが、地震が活発ですね。
今日の地震はそれほど大きくなかったですが、ゆらゆらとした不気味な揺れでした。
大きな地震につながらないといいのですが。。。。。

【2023年】ツイッターつぶやき
アメリカのインフレによりドルは価値低下を起こしている。
しかしその中でも円は安くなっている。
ドルの不安定さの中で円が安定通貨としての位置を失っているから円安にも加速する。
ドルとの為替は日本だけではなく世界的に。基軸通貨ですからドルを通さないと貿易もできなくなる。
しかしドルの価値が不安手になるのですから経済は混乱する。
その中で中国は元の力を蓄えてきてそこにロシアが手を組む。
二国間の自国通貨での決算が進みそれは両国と関係が強い国々にも広がる。サウジも入ってきそうです。
アメリカは銀行破綻が懸念されていますからこの混乱はドル離れを起こすでしょう。
日本は天然ガスを高い値でロシアから輸入している。これをルーブル薬研での取引だとされればどうなるんでしょ。
日本も少しばかりはドルから離れざるを得ない。
世界経済は混沌としてきました。

【2024年】ツイッターつぶやき
1960年の終わりごろから70年初めに物価上昇があり、74年には狂乱物価と言われた。激しいインフレは国民生活を圧迫をし経済が落ち込んでいく。この中で当時力があった総評主導によりストライキやデモが繰り返され、物価高に見合う賃上げが求められある程度の賃上げがあった。しかし経団連は賃金が上がると物価も上がるとし、政府も行革を打ち出す。労働者のストライキは少なくなり賃上げ率も下がっていった。この中で企業利益は急上昇し、陳亜揚げではなく福利厚生だとしてハワイに社員旅行などということも出ていた。企業は有り余る金を土地を買ったり、海外へ投資をした。有名な絵を買い込んだりも。対アメリカとしては貿易黒字が問題となる。
企業の有り余る金は、価値のないものに流れる。土地は価値化がないのでどこまでも値上がりをする。労働者の賃金は抑えられインフレがバブルとなる中購買能力が失われる。住宅に手が出ない。一方では投資向け物件が担保もない銀行の貸し出しで増えていく。
バブルは崩壊しる。
今、アメリカやヨーロッパでは同じことがおきているのかもしれない。
土地などへの投資もあるでしょうが、金融への投資に金がまわりバブル化している。
一方で利上げでローンが重荷となって現れる。
では日本の金融政策と国民が貧しくなっていく政治がよいのかとなれば、アメリカやヨーロッパでバブルがはじければ、バブルのない日本経済も崩壊する。
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2025年 4月 3日(木)「再生可能エネルギー発電促進賦課金」

2025年04月03日 22時17分34秒 | 「思うこと」
再生エネルギーを増加させるために再生可能エネルギー発電促進賦課金というものがとられているようです。
5月からは、さらに1000円程度の負担増になりそうです。
電力会社が視線再生エネルギを買い取るための費用を消費者が負担する。
再生エネルギーを増加させるためだという。
しかし増加すればさらに再生可能エネルギー発電促進賦課金の負担は増加する仕組み。これによる再生エネルギーはいらないという声が大きくなりそうですね。
電力はクリーンなエネルギーとされ、家庭でもオール電化が呼びかけられ、自動車も電気自動車への切り替えが言われている。しかし再生可能エネルギー発電促進賦課金がどんどん上がれば、負担は大きくなる。
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