夕螺の一言日記

毎日心に浮かんだことなどを書いてみたいと思います。。。(2014年3月13日開設)

「2月18日という日」

2024年02月18日 08時05分33秒 | 「何を思ってた?」(旧ブログまとめ)
【2024年】ツイッターつぶやき
3月になったら伊豆方面にドライブに行きたいと思います。
できれば温泉に1泊ぐらいしたいのですが、今は悪性の物価高で、円安によりモノの値段も上がり、そのうえ外国人目当てで昼飯などを食うにもバカ高くなっていそうです。
X(ツイッター)でちらっと見たのですが、豊洲だったか?日本人から見たらなんだこれと思うような海鮮丼が7000円だとか。。。。。伊豆方面も外国人観光客が多いと思いますので昼飯を食うにも考え込んでしまうのかな?
もちろん宿も値上がりしているでしょうね。
日本は金もうけできているようですが、日本人の豊かさは消えていく。
昔バブルのころ日本人の団体海外旅行が流行ったことがありますが、その当時の外国人も金持ち日本人にうんざりしていたのかも。
バブル崩壊からリーマンショックを経て日本は貧しくなりました。この数年間は目まぐるしく。。。。

≪過去の記事≫

【2004年】
民主主義ってなんだろう?
1回きりの選挙で多数になったらそれが民主主義か? 多数決も民主主義に絶対違いない。しかしいつも多数が正しいとは限らない。小数が正しい場合もある。
多数決と言う民主主義は、正しいか正しくないかを判断する基準は何も無い。そこには、正しければ少数の意見に軌道修正できるシステムが無ければ民主主義は完成しない。
国会にはこのシステムがない。多数が正しくなく、少数が正しい場合、少数が多数になるまで間違った政策が続いてしまうということがおき、これは大きな社会的なロスである。非常に効率性が悪い。特に経済というような生き物を判断する場合には、このシステムが不可避である。
本来の民主主義が無いから、誰が悪いという責任追及だけに明け暮れる。これもまた社会的ロスである。

【2005年】
角田さんの「対岸の彼女「を読み終わりました。
素敵な作品でした。しかしどこに焦点を当てて読んだらよいのか、難しいものがあります。明日からは夏生さんの「悲しがる君の瞳」を再読し始めます。25日には新しい詩集も出ますので、またしばらくは夏生さん三昧。。。。。
江國さんの「落花する夕方」の感想もまだだし、少し急がないと。。。。頭の中においておく作品は3つぐらいだからなぁ。。。
CO2の削減→手っ取り早くは省エネ→手っ取り早い省エネには値上げ→庶民泣かせ。。。。今の経済の建て直しのためには庶民生活の犠牲という構図からして、京都議定書も庶民泣かせになるのかな?もちろんCO2削減は必要かと思いますが、こんな不安があります。

【2006年】
(記事なし)

【2007年】
昨日、床屋さんへ行ってきました。
おやじさんとお客の会話に、今の時代、町内会の活動に若い人や子供、新しくマンションなどに越してきた人の町内会離れが多くなってきていると。。。。
そういえば、僕も町内会の行事には参加したことがない。
どうもお年寄りの集まりというものになっているのかな?
個人と町会。。。。
このバランスが大切ですなぁ。。。。

【2008年】
(記事なし)

【2009年】
(記事なし)

【2010年】
(記事なし)

【2011年】ツイッターつぶやき
当時の銀色夏生と今の銀色夏生の生活は違いますか?
その生活に違いがなければ詩自体の変化ということでしょうか?銀色夏生も50代に入りました。20代半ばから30代の銀色夏生とはその詩にも変化が出ることは否めません。でもそうは大きな変化ではないでしょう。詩人銀色夏生を見るとき、継続された作品群を通して読者は見ます。ツイッター本を読むと、昔の詩に感動した方がたくさんいらっしゃる。母娘二代に渡って読み継がれている。そして現在の銀色夏生を見つめているのです。その変化を見ながらたくさんの読者が存在する。これが事実です。
その銀色夏生の変化は、「つれづれ」を通した生活や生き方の変化でもあります。その生き方と詩というものをリンクして考えた場合、金子みすずのような苦しんだ生活を表現したらそれが優れた詩であり、現代の男尊女卑がいくらか緩和された中で一人の女性として銀色夏生が自由に生きようとしている姿を金子みすず風に苦しさを表現していないから優れていないというように見ることは誤りです。一人の女性がどのように内面的にも苦しんだり悩んだりしながらも生きているかという時代に沿ったものを念頭にいれて素直に詩を読まなければならないのです。
何も金子みすずと銀色夏生を一緒にするといっているのではないのです。その時代に生きた一人の女性の心がどう表れているかなのです。苦しみぬいて亡くなった金子みすず、しかし現代では同じ苦しみを持っても自立して生きられるものが前向きになって表現される銀色夏生。その違いを含めながら今の女性を見ることができるでしょう。
もちろん皆が銀色夏生のようには生きられないわけです。そこを見て銀色夏生を批判してもしかたないでしょう。金子みすずとどうかして自分を見つめるのも一つだと思いますし、銀色夏生を見つめて前向きさを少しでも持とうとすることも一つだと思います。
金子みすずの生涯を軸に同じではないというものは何の意味もない。金子みすずのような生き方をしろともいえない。
自分という人間が今という社会に子別個別な条件の中にいる。自分を見つめることです。それが詩という世界です。」
(以上僕の掲示板より転載)
夏生さんの発売した「アイスコーヒ」という曲に、愛しているからといって君のものに僕はなれないよ。というような歌詞があります。今までの歌にもあなたのものには私はなれないといった歌詞があったと思いますが、それは女性から男にいう言葉としてあったと思います。この言葉を男がつぶやくようにいう。まぁ、草食系男子的とも見えますが、銀色夏生の中性的な側面が出ています。
自由というものが銀色夏生の世界の中心の一つですが、その意味でも「アイスコーヒー」は自由というものを感じます。銀色夏生批判の一つにこの自由をどう見るかに同性の女性たちからもいろいろな考えが出ると思います。
また、今は女性が社会に出て働くことは当たり前になっているわけですが、結婚そして子育ての中に多くの働き続ける困難や気持ちの整理が必要とされます。それを語りかけたのが銀色夏生でいえば表現者(アーティスト)でありたいということでしょう。上に転載した金子みすずも表現者でいたいと願いますがそれは実現できないものでした。女は(今の時代もそうでしょうが)かくあるべきといった中に銀色夏生の生きかたを保守的に女性が見つめるならたくさんの批判が出ます。しかし同時に社会の発展の中に女性は前向きに自己を形成できる条件ができました。この前向きというものは進歩なわけです。
そのなかで男もとうぜん変化をしている。
ある意味男も女も中性的になっていくわけです。その中に新しい恋愛観や結婚観が生まれる。保守的なものを残しながらも少しづつ変化をしていきます。読者は銀色夏生のすべての作品の中に手探りで自分を見つめるでしょう。。。。

【2012年】ツイッターつぶやき
今の社会保障制度について国家財政の問題が大きく取り上げられている。こういった議論になると社会保障制度も行革の対象となってくるのでしょうか。行革には民間活力の導入という民営化がついになりますが、保険会社などは大きな利益につながりますからね。アメリカが突き付けるTPPにも関連するのかもしれません。もちろん民営化時には赤字部門ともいうべき最低保障年金は国に残りもちろん消費税という国民負担が残るでしょう。
国鉄民営化時に民間JRは借金から切り離されて利益の上がる民営企業になったが、国鉄の借金は国(国民)の借金として残ったようなものを思い出します。

【2013年】ツイッターつぶやき
今朝のツイートのまとめです。
子供の頃、とんちクイズがあって、「大阪城を立てたのは誰でしょうか?」というのがあった。秀吉と答えると「ブッブー。。。正解は大工さんでした」と。案外これは真理でとんちではないような気がする。天下国家を考えている間にこれを忘れる。僕たちが学ぶ歴史というのは統治の歴史なわけです。
大阪城を建てたのは確かに秀吉なのですが、実際の労働は大工さんがおこない建てた。何万石という領地を持つのは大名ですが、そこで米を作るのは農民なわけです。このような労働というのは歴史に残らない。しかし時々ピラミッドを作るには延べ何十万人の労働力を必要としたなどと言われる。
歴史は、秀吉の時代の堺の商人の力を教える。江戸時代の商人の力を教える。明治になって商人は実業家となり次第に統治の力を持つようになる。しかし教えられる幕末の歴史も武士による統治の歴史である。そして明治以降の歴史も統治を請け負う政治家による実業家の歴史となる。
資本主義の歴史がはじまるとその統治の歴史の中に労働者を産む。巨大企業というピラミッドを作るためにどのくらいの労働者の労働力を必要としたかは歴史から忘れられる。やはり統治の問題としての政策等の歴史とある。やはり歴史は天下国家という統治に支配される。
こう見ると歴史というのは統治の流れとしてのそれぞれの社会の上部構造を教えてくれるものです。そしてこの統治者の歴史の流れを見ることになる。少なくとも僕たちが学んだりNHKの大河ドラマを繰り返し見る中には。しかし実際は労働の歴史としての経済という下部構造が歴史を規定する。
商人の台頭という明治維新はこの商業という下部構造の中で上部構造を変えて行ったという事でしょう。そうしないと日本社会は維持できなくなり下手をすればアジアの多くの国のように植民地となる。それは軍事だけではなくて軍事も下部構造に規定されます。
商人の歴史としての資本主義は発達をするわけですが、そこに労働者という階層が増えて下部構造に変化が起きる。商人の利益と労働者の利益が相対するようになると労働者の貧困化は下部構造をゆがめるようになる。これが資本主義の上部構造としての歴史の中においての歴史から見えない下部構造の流れに。
しかし次第の下部構造の変化は上部構造の変化にとあらわれてくる。下部構造が崩れ始める。上部構造は統治の問題なわけですからこの統治のやり方に変化を求めるようになります。多くの場合は殿様が年貢をきつくするというやり方で。今の日本も同じ状態になりつつあるのかもしれません。
しかしこのような上部構造の統治の強化ではうまくいかないことは歴史は証明をしている。武士社会から商人社会になったと同じく。「資本主義の安定と発展」には下部構造の矛盾としての労働者(勤労国民)の生活やそこからの社会的地位の向上という下部構造と上部構造を変化するしかない。
下部構造の矛盾を人の手で変えて行ける民主主義も資本主義が作り出したものです。その資本主義のもう一つとしての上部構造である民主主義と自由を拡大すべきでしょう

プルトニウムといった核というのはもともとは自然界に存在しない放射性元素らしいですからこれは自然エネルギーではない。
E=mC2(二乗です)。。。エネルギーは質量×高速度の二乗というものすごいものですから、以前科学誌で読んだのですが1円玉1個の質量で1万人規模の都市の消費エネルギーを持つそうです。まだまだ人類は自然エネルギーの活用を燃やすことや危険性の高い使い方で原始的な状態にあるのかもしれません。
原発の技術を脱原発で捨ててはならないと言われますが、人工的な放射性物質でその危険性を制御できないものにこだわる必要はそうはないはずなのです。現実に今の日本は脱原発状態にある。しかし火力発電が増えてその影響が懸念されますが、これを自然エネルギーに置き換えていくことは可能でしょう。
昨日のニュースで「紙の太陽電池」という記事がありました。
「今回は材質上、環境に優しいことが特徴。製造コストも従来の10万分の1に抑えられるという。厚さ1ミリ以下で折りたたむことができ、災害時に被災地で使うなどの用途が考えられる。」
まだ効率性においては課題が多いようですがすぐに実用化ができるようです。
太陽光発電や太陽電池も市場に活かせば格段と発達することでしょう。
このような紙の太陽電池が効率的なものになれば家庭などでも活かされるでしょう。
僕はハイブリッドの車に乗っていますが、やはり真夏や真冬のエアコン使用時の燃費が相当悪くなります。アイドリングストップもそうは活かされません。この中にハイブリッドと同時に紙の太陽光電池が使用できれば。。。。また車の運動エネルギーは風圧(風)でもありますからこれによる風力発電ができれば相当エネルギーの節約になりますね。このように見るとまだまだ自然エネルギーの利用は発展途上で原始的なのかもしれません。
昨日、ある方のツイートに
「先ほど平均全国で太陽光発電が毎月1000件ずつ増えたら、と書きましたが、経産省発表の固定価格買取制度認定数によれば、毎月2万件ずつ増加しているとのことです 。因みに昨年4月〜10月に太陽光だけで115万kw増加し、その91%が家庭用。軽く原発1基分を超えてます。」
ともありました。
自然エネルギーの効率性に最大限の力を注ぐべきですね。

【2014年】ツイッターつぶやき
今朝のツイッターからの転載です。
東北の大地震や津波も原発事故も想定外。今回の大雪も想定外。。。。この想定とは案外金の都合で動くものかもしれない。浜岡原発再稼動(だけではないが)も想定外を残したまま進むのだろう。そこにはどうしても安全神話が必要なのです。
今回の大雪被害に対しては法的な改善をしていくといった動きが出ていますが、この法的改善もまた安全神話に属するものかもしれない。災害時の法整備自体は大切なのですが、結局はその時々の法がどのくらい最大限に生かされているかが問題なわけです。
その法をどう生かして活用して対処するかは国や自治体の仕事となりますが、法の整備が悪かったでは心もとないわけです。どうも都心の被害も前回に比べてもそうでもないだろうといった安心感が出たりしていて、結果は予想の積雪量が大きくなり対処が遅くなる。状況把握も遅くなる。
都心の雪もずっと土曜・日曜にありましたから交通への被害もそうは気にならない。金曜日あたりから振り出してもそうは積雪も多くないし雪が降れば出かける人も少ない。まぁ都心はこんな感じですが人の労働は土日にもあり、人の生活の営みもあるわけです。それは都心から離れた地域にも
東京に住んでいれば日常の生活にそうは影響も出ていないわけですから総理大臣も天ぷらを食っていてもそうは不思議ではありませんしどでもいいのですが、なぜそれへの反感が強まるかといえば、国会では「私が最高責任者だ」と大見得を切った発言をしていて国家主義的な言動とのギャップ
国会では国民・国家統治のための言動ばかりに力が入り、経済は期待から失望へといった見方が増えている。外交も安倍路線でよいのかといった見方も。国民のための政治を安倍政権が行っているのか、行おうとしているのかに疑問が出ている。こういった状況にやはり天ぷらはないだろうと。
強い日本の強い(数の力ですが)総理大臣を国民は望んでいた面がありますが、しかしその強さとは何だったのだろうかという疑問が出てきているはずです。円安誘導で輸出産業は株も上がり好調さを言い、株などでもうけた金での高級品が売れ、どうも景気はよくなるらしいと踊らされる国民
でも貿易収支や経常収支すら赤字化に向かい、輸出産業も多国籍かも含めてそうは経済を引っ張る力が弱い。春闘の賃上げ要求は3000円から4000円。非正規雇用には波及をしない。消費増税。労働の規制緩和。NHKのとんでも発言と仲良し権力。財界は武器を売らせてくれ。。。
どう見ても国民に夢を持てということは不可能な状態。どちらかといえば国民は国家・企業のために文句を言わずに奉仕しろと受け取れるような雰囲気。国家は国民統治に力を入れる。
こういった国民の感情や実態からやはりやはり天ぷらはないだろうとという素朴な批判が出てもおかしくないわけです。
連続ツイートの中身はマスコミにも共通するのでしょうか?ツイッタも含めてネットは国民目線が見えます。
そうかぁ。。。。。これも、キーワードは「公助から自助(共助)へ」だ!

今日の先に書いた「総理と天ぷら」は今の国民感情からツイートのまとめとして書きました。その後政府が今日になり「豪雪非常災害対策本部」の初会合を首相官邸で開いたという報道がありました。今日になり「豪雪非常災害対策本部」が設置され毎日新聞の報道によれば
「(1)今後、孤立による凍死など犠牲者を一人も出さない(2)自衛隊の人員と装備を大幅に強化し警察、消防など関係機関が連携して、次の降雪にも備えて除雪を加速させる(3)ライフラインの復旧や道路の通行確保に努める−−よう指示した。」(引用)
と安倍総理が指示を出したという。
この「豪雪非常災害対策本部」というのが今回の雪の被害に対処する最高組織なのでしょうが、そうするとやはり書道の対策が遅れていたというのは否定できないのではないでしょうか。「今後、孤立による凍死など犠牲者を一人も出さない」という言葉にもすでに機能まで投資などでなくなられた方が多数いたわけですし、除雪を加速させるといっても午後あたりからすでに道路の通行止め解除が報道され始めていた。
こういった政府の動きの遅さがどこから来ていたのかはわからないが、やはりその中で総理の天ぷらは国民の視線を浴びてしまうでしょう。「総理と天ぷら」が動きの遅い政府の象徴となってしまったのではないでしょうか?

【2015年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2016年】ツイッターつぶやき
これまでアベノミクスを支えてきた「経済理論」の一つに企業利益が拡大をしていけば賃金が増加するというものだった。
しかし安倍内閣が完成賃上げを行わなければ賃上げはなかったろう。ちろん官製賃上げは実質賃金を押し上げることはできなかった。
政府は緩やかの景気は回復しているといっていたが、その証は株価の高騰と企業利益の拡大だった。しかしそこに経済理論からの大幅な賃上げは起こらなかった。結局は企業利益が拡大すれば賃上げが起きるという経済理論は全くの観念的で科学性のないものであったことがわかる。
これで思い出すのが赤字国債を拡大させながら行われた公共事業事業である。
景気が悪い時は政府が赤字国債を出しても企業の活性化をするために公共事業を増やさなければならない。企業が立ち直り好景気になれば企業は利益を拡大して税金となって国の赤字は減らせるといったケインズ的な経済理論である。
しかしこの経済理論も観念的な非科学性の理論であった。今の安倍政権で企業利益を隠し切れないほどになり税金を支払うようになったと持ったら法人減税を行うという。
結局今も昔も自民党の経済理論は空虚な観念的なものでしかなかったということである。
企業利益が拡大すれば労働者の賃金も上がり国も赤字も減るという国民への期待を植え付けるだけのようなものでしかなかったのである。
経済理論は必然性がなければならない。

【2017年】ツイッターつぶやき
暖かい出窓に小さな鉢で松葉ボタンの種を撒いておいたら芽が出てだいぶ大きくなりました。
小さな鉢ではもう限界なので植え替えてみました。
暖かい出窓とはいえまだ寒さがが続きますので植え替えも心配だったのですが、小さな鉢のままで枯れてしまったら大変ですから。。。。
3月になると長早咲きの松葉ボタンが楽しめるかもしれません。
5月になったら大きな鉢に植え替えてあげます。
去年たくさん種が取れて、まだその種がたくさんありますのでやはり5月ごろに蒔いてみようと思いす。
トリニアの種も案外あるので種まき。。。。。
年を越したニチニチソウは元気です。5月になったら大きな鉢に植え替えます。
小さな苗で冬を越しそうなニチニチソウやトリニアもあります。
大きな鉢には去年大きくなったニチニチソウを冬越しさせています。さてうまく目が出てくれるか。。。。。
初夏が楽しみです。

自然界は本格的な春に向かいますが、日本社会はどうなるんでしょ?なんでもありの力の社会になっていきますね。でも、社会も自然と同じように法則性を持ちます。進化論は強いものが生き残ったのではなくて法則に適応したから生き残った。社会も長いスタンスでこの法則性に適応する社会が生き残ります。
今の何でもありの力の社会は、うまくいっているように見えますが、やはり法則として政治の腐敗が進み、官僚の一部にも腐敗が進む。利益を得ようとした企業が脱落している。銀行は利潤率低下に右往左往する。国民生活は衰退する。この流れを変えて法則に正しく適応することが大切。
社会の法則性は下部構造である経済が土台です。なんでもありの力の社会は上部構造である政治を基本としていきます。その上部構造としての政治が国民をないがしろにして、国民は国に奉仕をして自分の生活は自分で守れとなれば、経済法則はその上部構造に反発をします。国家は衰退をする
それでは国民は踏んだり蹴ったりですから、自由とは何か、民主主義とは何かを考えながら議会制民主主義を取り戻していくでしょう。それでやっと本来の社会法則は生き返る。その中心になれる政治家や経済学者そして知識人はだれか?国民がそれを産む。
なんでもありの力による政治は、内政においての矛盾です。その政策は同時にアメリカの何でもありの力の政治になすすべを持たない政治としてあらわれます。いじめっ子に頭をぶたれたから、より弱き子の頭をぶつというものに似ている。または家に帰って家族に鬱憤を晴らすおやじに似てる
実は、これが、強い日本、美しい日本、国を愛することなどであり、なんでもありの力の社会をつくっていくことなんです。

【2018年】ツイッターつぶやき
安倍内閣になり国民に期待を持たせる言葉が矢継ぎ早に出された。企業利益が騰がれば経済が発展して賃金も上がるとか、消費増税はすべて社会保障にとか、経済面を見ても結局は期待を持たせるための言葉で終わり、現実は半数近くの労働者が不安定雇用になりとどめは労働の規制緩和により雇止めが多発する環境ができる。賃金も円安誘導による悪性の物価高と税や社会保障費の増加により実質賃金は上がらない。社会保障は安定をしなく、生活保護に対するバッシングが。そしてわけのわからない統計いじりで経済は好転したとして10%への消費増税でしょうし、オリンピックに向けて煙草増税が検討される。
国民に期待を持たせるだけの言葉の中に「輝く」とか「活躍」という言葉がある。
女性が輝く社会と、女性や高齢者が活躍する社会とか。。。。。。
結局輝く女性は立ち消えになり、いまだに待機児童問題は解決しない。結局女性が輝いて括約などができる条件はこの社会には存在しなかったのです。ですから輝くという言葉はただのきれいな言葉でしかなかったという事で、自己解決の中に女性はおかれている。
活躍という言葉も単に公助はなくなり自助や家族間での共助あるいは低所得層同志での共助になっただけで、苦しかったら働けという意味にすぎませんでした。
そして昨日の朝日新聞1面に、「高齢者の就業促進 協調」という記事がありましたが、厚生年金部分が段階的に65歳支給に繰り上げられてそれが完了するかと思ったら70歳支給に引き上げる道筋ができるような中身です。70歳まで高齢者は活躍をして働くことを求めています。小泉伸次郎さんが「人生100年」などとぶち上げてこれに沿うように年金支給年齢の見直しとさらなる高齢まで働けという事でしょう。これが「活躍」の中身です。
”輝く”とか”活躍”とか、言葉だけはいいが、政治は勤労国民の生活の不安定化を企業利益のために促進しながら、女性や高齢者は低賃金に置かれていますので、搾取や収奪が輝くように進むという事です。その中で活躍をしろという事ですが、結局は苦しかったら働けという自助社会の促進です。だから現役世代は副業してもいいからさらに余計に働いて私的年金を考えろという提起です。副業というが、本業では月に100時間残業をして活躍しろいう流れですからね。。。。
高齢化社会が問題になっていますが、なぜ団塊の世代が生まれてしまったか。。。。。
先の戦争でたくさんの若い男女が死んでいった。戦後は労働力が足りないので「産めよ増やせよ」と。そして中学校を出れば集団就職。これを輝き活躍した世代という言葉でかたずけられないでしょう。少なくと政府はこのような言葉を使ってはいけないんです。平気で使うことができるのは国家が国家主義の考え方になっているという事です。

【2019年】ツイッターつぶやき
日銀前副総裁岩田さんが
デフレ脱却には、10月に予定されている消費税率引き上げを撤回するとともに、国債発行を財源として若い世代に所得分配する財政拡大が不可欠と訴えた
そうです。
しかしすでにデフレからの脱却として日銀は量的緩和を7年間行ってきたわけですがその成果といわれるものは企業の利益拡大と株高でしかありませんでした。
今後も国は国債を発行して、それを銀行が買い、また日銀が買う。。。その日銀の金を若い世代に流す。
これができるくらいならばとっくに政府は行っていたでしょう。結果は先にも書いたように企業利益と株価(投資家)に金が流れただけです。
消費増税を見送ったとしても現在の状態が継続するだけでしょう。
手品のような経済政策は空想的です。
今後も金融緩和を継続することは、逆に経済を混乱に導くことになります。
このまま国債の買い入れを行えば金利が急上昇するという意見があります。
金利が高まれば債券価格を安くする。安くしないと売れない状態になるともいわれています。また債券価格が下がれば金利が上がるとも。
この状態になるのが日銀緩和のハードランディングとなります。
まだ60%日銀が国債を買う余地があるといいますが、これも空想的な考え方です。
住宅ブームがありましたが、低金利で借金をしましたが、変動金利ならば金利の急上昇により借金の返済も困難になるでしょう。同じような状態が地方自治体や体力のない企業にも現れてくる。
デフレからの脱却どころか経済は一気にしぼむでしょう。

【2020年】ツイッターつぶやき
隔離(4)の続きです。
クルーズ船での新型肺炎罹病者(陽性)が今日も88人となった。
罹病(陽性)者は増えてきているでしょう。
本来の狙いは乗船者を各部屋に入れて感染を防ぎ14日以上経過した時点で陽性になる人をなくして下船させるというもののよう見えた。しかし結果は上記したように罹病者(陽性)は増え続ける一方です。罹病して初めて下船できるというのは皮肉です。日本政府の隔離の失敗でしょう。
この日本政府の失敗を受けてアメリカをはじめ乗客の母国が動き出してまさに避難(退避)を急ぎだしました。
各国が武漢から自国国民を対比させたと同じようなことが日本でもクルーズ船という限られた空間ですが起きているということで、クルーズ船は第二の武漢化している。
しかしこの新型肺炎の広がりは、今ではクルーズ船内にとどまらず日本国中がその危険性にさらされつつある。
水際作戦に失敗をして新たな段階に入ったわけですが、日本は検査を強めることと陽性になったらどう医療機関に入れるかぐらいの対策しか見えない。もちろんこれも大切なのですが、どう感染の広がりを抑えるかが見えない。鼻水が出てだるさが出て37度五分の熱が続いたら医療機関へ行けだけです。そして会社や学校を休みなさいと。
全く自己責任に任せていますね。労働者や学生に休みなさといっても休めるような環境は日本にはない。企業も在宅勤務を始めてきましたが、これだけでは感染を抑えきれないでしょう。
政府は企業に対して休ませなさいとは言えない状態でしょう。
するとクルーズ船が第二の武漢になったと同じように日本自体が第二の武漢になる危険性が高いです。

【2021年】ツイッターつぶやき
以下ツイッターから
何かルール違反などを見つけた時、それを注意する場合、言葉遣いや相手に土下座をさせるような謝罪を求めることはやめたほうがいい。
ひどい言葉も土下座させることも一つの暴力です。
善や正義のようなものだと思っているかもしれないけど、実は相手を傷つける嫌悪だけということがありますね。
込み合ったスーパーの棚の通路の真ん中にカートを置いて品選びの人が良くいます。邪魔であっても普通の人は「すみません、通ります」で対応するのですが、中には大きな声で「邪魔なんだよ」とたしなめる人がいます
相手は「すみません」では済まなくなり「なんだその言い方は」と。すると逆ギレかよと
最近この「邪魔なんだよ」と叫ぶ人が増えてきているように感じます。人のたくさんいるところでの「邪魔なんだよ」は時にはその相手をサラすことにもなり辱める行為になります。
こうしたことからサラすことや辱めることを目的としてやたらと少しの事で邪魔だよ的な汚い言葉を吐き続ける人となっていく
すると、このじゃまだ的な汚い言葉を吐き散らすことを正義と勘違いをしてしまうようになる。
相手をサラすことや辱めることが正義になると、その正義はゆがんだ正義となる。迷惑ですね。
人にはいろいろな笑顔がありますが、ゆがんだ正義の人の笑顔は最も見にくい笑顔になってします。
おわり・・・・

【2022年】ツイッターつぶやき
所得に占める税金や社会保障費の割合である国民負担率が2021年度は48%になり過去最高になったようです。
これは勤労国民だけではなく企業などすべての所得に対する割合ですから勤労国民の負担率ではないでしょう。
消費税を見てみると、最終納税者は消費者で勤労国民の負担は大きいでしょう。一方では法人税収が増加したとはいえ法人税率自体は消費税率に反比例して減少しています。また勤労国民の中でも消費税は低所得層の負担が大きいと言われていますから国民負担率の生活への影響は大きいでしょう。
負担率だけではなく負担感も見ないとだめですね。
社会保障は勤労国民にとって大切な税の使い道ですから社会保障として受け取っているだろうという論理もありますが、しかし社会保障をおさえながら公共事業に税をばらまいて企業に回っています。それが賃上げには結びついていない。やはり企業へ税は多く回っているのです。
賃上げと社会保障に金を回さないと消費の伸びはありませんし、そこからの設備投資にも金が動かないでしょう。

【2023年】ツイッターつぶやき
今年はインフルエンザが流行すると言われていましたがどうなんでしょ。学校の学級閉鎖というニュースも聞きませんでした。コロナからマスクの着用や手洗いや消毒が一般化されていました。これがインフルエンザの流行をも抑えているのではないでしょうか。
コロナが流行り出してから風邪をひかなくなりました。もちろんインフルエンザにも罹りません。
インフルエンザが流行ればマスクをする人も増えていくわけですが、コロナではマスクはしない方向に動いています。子供たちの卒業式にカメラが入りマスクをしないで卒業式に出席した生徒は〇%ぐらいだと報道されています。
国が社会的規制をなくすことにより、マスクなど感染防止は自己判断になります。そして感染すれば自己責任です。マスクをするかしないかの話ばかりが目立ちますが、結局国民に自己判断自己責任を植え付けるのが目的でしょう。

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