夕螺の一言日記

毎日心に浮かんだことなどを書いてみたいと思います。。。(2014年3月13日開設)

「1月13日という日」

2025年01月13日 07時50分21秒 | 「何を思ってた?」(旧ブログまとめ)
【2024年】ツイッターつぶやき
夕方4時ごろだったか?
雷が鳴りました。
急に暗くなり、しばらっくすると雨が降りだしました。
気温がだんだんと下がり風も出てきて、6時ごろには雪になりました。
30分ほどでやみましたから積もりませんでしたが。
去年も東京は乾燥した日が続いていましたが、今年もだいぶ湿度が下がり、時々「カンカン」と消防車が走っています。朝起きると口の中まで乾燥している。。。。。
寒波が降りてきていますから急な寒気で雷もなるのでしょうね。
小寒、大寒と過ぎて2月4日は立春ですね。
ホウジロやムクドリが来て盛んに鳴いていました。木蓮の蕾も少し膨らみました。

≪過去の日記≫

【2004年】
朝起きたらあまりにも寒いので、雪になったかと思いましたが雨でした。久しぶりの雨で異常乾燥注意報も解除されたようです。インフルエンザもそろそろ流行りだしたとニュースでやっていましたので、このお湿りもいいのかと思います。
それにしても鳥インフルエンザって怖いですね。一瞬、狂牛病で牛を食えなくなり、そのうえ鶏もかと心配をしてしまいました。まあ、気をつけてよく火を通してから食べたいと思います。
成人式、また荒れたところがあったようです。
ニュースの中で、若い人がどなっていましたが、その中に「景気をどうにかしたらどうなんだ」というようなものがあったような?また、あるところでは、政治家や役人の挨拶やら紹介で50分も時間を使い、成人代表が怒り出して批判演説したらしいです。
若い人たちも子供っぽい騒動をおこすのではなく、もっと自分たちの要求や考え、あるいは成人式のあり方を考えての発言が必要ですね。とはいっても大人たちはそんな場は与えないでしょうが。。。。。
若い人たちの一部の中には、心の中のもやもやをどうしたらいいのかわからないで騒いでいるのではと思います。大人はこのもやもやを見つめないとだめです。
若い人たちだけではなく、大人社会にもこのもやもやが広がりつつあると思いますが、今はこれを受け取るような組織がなくなっています。昔は総評・社会党というものがありましたが、今のように失業問題や平和問題が深刻になったときには、どうにかしようとするものがありました。
「現実路線」この言葉に総評・社会党がなくなりましたが、今、現実路線というものがどういうものかが端的に表れています。現実追随路線でしかなくなった。
若い人たちにはいろいろ問題点があるかと思いますが、好むと好まざるとにかかわりなく、今の若い人たちが社会を引き継いで生きます。
僕は、そうは落胆していません。
社会の弊害が、毎日の生活に極端に現れてくると、人は考えざるを得なくなります。

【2005年】
夏生さんの「つれづれノート13」を読んでいたら、おいしそうな料理があったので作ってみました。もちろん詳しいレシピがないのでだいたいの味を真似ただけですが。
鶏の唐揚を甘酢味にし、そこにタルタルソースをかけるという物です。揚げたての唐揚を甘酢の中にジュッと入れたら香ばしさが出ました。甘酢の酸味とタルタルソースの甘さがマッチしていましたよ。甘酢にとろみをつけたらもっと美味いかも知れません。

【2006年】
ううう。。。13日の金曜日
何事もなく過ぎ去ろうとしています。1年から2年に一度は13日の金曜日がありますね。キリスト教?ではないが気になります。
そういえば日をみるというのもありますが、祝い事の大安とか、葬式の友引はよくないぐらいで、あとは毎日気にせずに生活してます。
別に気にもせずに迷信だとは思っているのですが、いわれてみると気になってしまうことってあんがいあります。スポーツ新聞や雑誌を広げると運勢を見てしまうとか。。。おみくじとか。。。。
暗示にかかりやすい僕としてはなんとなくその後気になってしまいます。
それにしても寒い一日でした。明日からは雨という予報ですが、雪になるんじゃないかな?一応明日からは暖かくなり雨だと入っていますが。。。
曇りや雨だとまったく洗濯物が乾きませんが、ここのところずっと雨がなかったのでうれしくもあります。

【2007年】
娘と車で買い物に行きました。
これといった買い物はないのですが、のんびりと夕食の材料を買いに行きました。
買い物を済ませて外に出たら夕焼けが。。。。
娘がちょっと遠回りをして帰ろうよというので、夕焼けを見ながら帰り道とは逆方向に半泥を切りました。少し走ったところで右へ右へと。。。。。だいぶ遠回りになってしまいましたが、夕暮れの道のみにドライブものんびり出来ました。
そういえば、ほんの少しですが心持日が延びたような?
今までは晴れた日でも4時半にはライトを点けたのですが、今日は4時45分頃。。。ハハハ・・・感覚として15分日が延びたことに?
寒さはこれからですが、日が延びていくと気分が和らぎます。

【2008年】
(記事なし)

【2009年】
(記事なし)

【2010年】
(記事なし)

【2011年】
タイガーマスクの伊達直人と名乗るランドセルの寄付からそれが全国に広がっているという。
このような寄付が組織だって大規模に行われているのが赤い羽根やユニセフそして目に付くところでは24時間テレビだったりするがこの寄付という形をどう見ればいいのか?ただ善意が広がっているとだけ今のような報道でよいのか?
もちろん一人ひとりの善意というものは大切で、広がっていくこと自体はよいと思うのだが、どうも僕はひねくれ者だからただ善意が広がっているとニコニコしてテレビを見ることができない。このような善意による寄付が広がるところに反面不幸というのか貧しさを感じる。善意が大きく広がれば広がるほどこの社会には不幸や貧しさが広がっているということである。
ほんとは福祉という言葉も嫌いなのですが。
この寄付行為というものの中にある深層部分は何だろ?
年末の朝日新聞の連載にいろいろな今の社会の問題点が書かれていましたが、このような問題点を掘り下げて一人の人間をとりあげてどのような常態になっているかを記事にするのはいいのですが、読者はそれにより今の社会や政治に怒りをもつかといえばそうではなくてこのような人もいるのだからなんだかんだといって家族で正月を迎えられるのは幸せだで終わるのではないか?なんだかんだと言ってもまだ俺のほうが幸せだ意識の貧しさ。後退する意識。寄付行為はこのような意識も働いているのではないか?
あとは今の政治に期待ができなくなっている現状などからの反発意識というのか。。。。
繰り返しますがなにも伊達直人現象が悪いといっているわけではないです。その寄付をされた方は真心からと思っています。でも、報道されるとそれが違った形になってしまう面がある。うまく表現できないのですが、このような人の善意ばかりをとりあげるとそれは福祉のためなんだから消費増税もいいのではといった相互扶助的なものばかりが意識に植え付けられるのではと危惧するわけです。
相互扶助はよい面とその裏側があります。国民通しは助け合っていこうという裏に政治は悪い方向に行く。。。。それを見過ごしてしまうような気がします。

【2012年】ツイッターつぶやき
統一戦線などというと堅苦しいもののように思われるが、一つの目標に向かってそれぞれの党派などを越えた運動を支持するものです。もちろんこの言葉にはいろいろな意味合いがありますが、今現在の日本における緊急な問題としての原発問題や経済的格差(総体的にも絶対的にも)の拡大に見るような経済問題そしてこれらの問題に対する政党の動きなどを改善しようとする運動の統一が今現在の統一戦線となります。
たとえば一番わかりやすい例が、放射能に汚染された野菜を出荷する農民とそれを消費する市民において、市民が農民をなぜ出荷するのだと非難することではなくそして農民が市民に対して風評被害だと批判するようなものを排除して互いに原発事故の被害を受けているのだという一致点において統一しようということです。ここでは市民は自身の立場を変える必要はなく、農民も買える必要はありません。自分の考え方や原発に対しての批判をその市民的レベルで行い、農民もまた農民という自分自身の意識性において原発に向かい合えばよいのです。しかしそのそれぞれの運動が原発事故の対処問題や脱原発に向けて統一性を持てるということです。たしかに大同団結かと言えばそのようにもとらえられますが、そうではなくてもっと意識性を持った形に作り上げるということです。たとえばデモにしてもそこに市民と農民が一緒になるようなことも必要ということです。
市民と農民との統一戦線です。
上のような例だけではなくてこの社会には様々な階層の人々がいて職業も違います。市民といってもそこには賃金労働者もいれば自営業もいる。知的労働者もいれば公務員もいる。小零細企業の社長もいれば大企業の管理職もいる。漁師もいれば林業もいる。このようなすべての階層による意識性の違いはあるものの脱原発への意識が一致をするならばそこで統一すべきということです。
この統一戦線を作りだすのはただ単に主観の問題だけではなく、それぞれの階層にどのような原発事故の影響が出ているかという客観的な事実が統一を実現する条件となります。
企業でもそうでしょう。スーパーで放射能を気にする客が増えれば自主測定をしてより安全な食品を売ろうとします。電力の買い取り制度が始まれば太陽光発電(メガ・ソーラー)などの開発が進み、より安く効率的なパネルが開発をされます。こういった企業の動きもまた統一戦線を有利にするでしょう。
東電の一般社員を批判するのではなくてその東電の労働者の働き方を見ながらそこにも統一をしようというものも必要になります。
脱原発はうったえることだけでは実現しませんし、国民投票という形だけでも実現は難しいでしょう。脱原発は早急に実現しなければならないのですが、しかしそうは早急にはできない問題です。なぜならば、客観的な脱原発への条件はあってもなかなかそのための主体的な条件が出来上がりません。統一戦線はこの主体的な条件を高めるでしょう。今必要なのは主体的な条件をどう大きくしていくかなのです。もちろんこのためには客観的な矛盾の高まりというが後からあとから現れてくるのですからそこに視点を確実に合わせていく運動が必要です。客観的なものと主体的なものが相乗的に高まるものを見つめたいと思います。

【2013年】ツイッターつぶやき
ある企業が100億円という資本で1年間でこの資本を回転させて売り上げが110億円だったとする。極端な例になるが、この100億円という資本を1年間に2回転させたらどうなるか?当然企業利益は2倍の20億円になる。
このような資本の回転を上げるには、時間のかかる巨額な設備投資をするような製造業では無理があるが、商業資本はありえないことではない。
現実にデフレ下での商品価値の低下の中ではこの資本の回転を上げることがされている。利益維持にはより安いものをより多く販売することはずっと行われてきたことである。
この商業資本の回転が上がるという事はその企業の利益の増加という事だけではなくて、回転が上がるという事は大衆消費財としての商品自体の量が増えるという事である。商品量の増加は言うまでもなく消費の拡大であり、その商品を製造ずる企業の生産数の拡大である。ここにデフレの脱却の基礎があるし、経済法則にのっとったインフレ傾向も出る。
今の政府が行う政策は製造業資本の拡大だけを支援するものであり、そこで生産される商品は流行やデザインなどの差から生まれる企業ごとの利益増はあるものの産業全体では商品をさばける量は決まってくる。それは商業資本の回転数により決まってくる。そうならばこの商業資本の回転数を上げることに政府の政策は向かわねばならないという事でしょう。
商業資本の回転数が上がるという事は先にも書いたように大衆消費財の消費の拡大です。しかしこの消費は、国民の多くが賃金を得てその賃金内で消費を行うという事です。同時に将来への不安があれば将来の消費目的である貯金に回ってその消費量は低くなります。
政府の政策はここに目をつむります。現在の安倍政権は露骨にこの傾向を示しています。
大衆消費財の消費を行う賃金労働者の賃金を商品製造におけるコストと見る現在の矛盾からは改善されないでしょう。これは企業間競争という競争の合理性の裏返しの矛盾です。
今求められる政策は、赤字国債を発行して企業特に公共事業関連企業に金をばらまくことではありません。同じ赤字国債を発行しての政策ならば、商業資本の回転数を上げることに向けねばならないという事です。国民生活の安定と将来への不安をなくす政策が求められるといいことです。もちろん何も商業資本の回転数を上げることに赤字国債が不可欠かといえばそうではなくて、民間活力の視点を変えるだけでできることです。企業の社会的責任は企業自体を助けて結果としてその活力は国際競争にも生かされるでしょう。

【2014年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2015年】ツイッターつぶやき
スーパーで買い物をしてレジを済ませた時、品数の少なさに比べた買い物額に驚いてレシートとにらめっこをすることがある。大手スーパーならば食料品のほかにも衣類や雑貨も買いますが、その時にも値札と割引率とにらめっこをする。
このにらめっこをすることが多くなるという事が生活実感を現しているのではないかと思う。
円安が生活実感を厳しくしている。
円高のころはデフレとも言われていたが安さにひかれて消費も伸びて(あるいは少なくとも維持)されていたはずです。それは実質賃金が一定程度高くなっていたという事です。
安売りで得かと思いつつ買い物をするのと、レシートとにらめっこして節約を考えるとでは消費意識には天と地の差がある。
デフレは企業の利益を下げるといわれていますが、では今のような物価高になったら企業は利益が上がるのかといえば、やはり生活実感をもろに感じるスーパーなどではそうではないようである。
「イオンの3-11期営業利益47%減、通期は「難しい数字」」
もしかしたら物価高ですから売上額自体は伸びているのかもしれませんが消費量自体が落ち込んでいるのでしょうか?
節約意識は将来への不安を現します。
政府が賃上げをやるといってもその恩恵を受けるのは少数の労働者でしょう。それでも現実は物価に追い付けないわけです。
アベノミクスへの消去法から出た支持は、安倍政権発足時の「期待」の大きさとは違うものに変化をしているのではないか。消去法の支持ですからそこにはそうは期待はない。
すると期待を持てないとすれば節約しかないわけです。あるいは消費をしたくてもできない貧困化が生まれている。

【2016年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2017年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2018年】ツイッターつぶやき
キッチンの様々な配線がごちゃごちゃになっていたので整理しました。
まさにタコ足配線状態でした。
どの足がどこにつながっているのか・・・・・
1本1本確認しながらコンセントをつなぎいなおしました。するともういらないコードが何本か出てきてしまい何がなんやら?
家具の後ろにまわした長いコードをどうにかたどって行ったらまだ捨てずに使わなくなっていたビデオデッキにカセットデッキ。
捨てるものは捨ててすっきりしないとだめですね。
タコ足と言えばパソコン回りもだいぶひどい状態です。
一つのコンセントに3口に分配するコンセントが2つ。そこからパソコンやらプリンターやら電話やらが・・・・・
これも明日6口ほどあるコードを買ってきて整理したいと思います。

【2019年】ツイッターつぶやき
「貧困率を決める可処分所得の中央値は、ここ数年245万円程度で推移しているが、20年前の1997年には297万円だった。つまりこの20年の間に 可処分所得の中央値が52万円も下がっているということになる。52万円といえば、月額にして約4万3000円」(引用)
普通の日本人が知らない貧困の深刻な実態 (東洋経済)
日本の相対的貧困率はわずかに改善されたとはいえ15.6%といぜん先進国内では大きい。
母親とこの世帯の貧困率は50%を超えている。
高齢化社会になり年金生活世帯は生活保護儲けられない程度の貧困となる。妻一人の年金世帯となればその貧困は厳しいものとなる。
貧困率は減少したとはいえ、可処分所得の中央値が下がれば貧困率も下がる要因となるでしょう。
日本の貧困といっても貧しい国の絶対的な貧困ではなく相対的貧困ですが、社会の中の商品やサービスを授受できない状態ですから貧困に相違ありません。
貧困をなくすには賃上げと社会保障の充実が必要でしょう。
同時に社会的な負担を軽減する必要があります。
しかし今の社会はこれに反する傾向を示しています。これは貧困層だけではなくて中間層にも影響は大きく、中間層も減少していきます。何かの要因やトラブルがあれば貧困層の仲間入りです。

【2020年】ツイッターつぶやき

        大相模不動尊大聖寺の梅
梅でしょうか?寒桜でしょうか。。。。。
今年は暖かいですから花も早いのかもしれません。
今日は天気も良くてあたたかなので車で出かけました。
目的は虹だんご です。
gooブログのある方の記事に紹介されていたので行ってみました。
大聖寺の山門を入るとすぐにお団子屋さんがあります。
でも、だんごは少し我慢をしてまずは大聖寺にお参り。
本堂の前の参道の横に「ぴんころ地蔵尊」があります。
元気に生きてあの世に行くときはコロッと。そんな老後を願ってお参り。
まだ新しい地蔵尊だと思いますが、見た途端家族みんなで「かわい~~~い」と。

七福神の彫刻がある本堂でお参り。
さて虹だんごですが、思ったより大きなだんごで、注文するとその場で焼いてくれます。生醤油とみたらしを1本づつ食べましたが、だんごの表面の焦げが香ばしく中はかじってみると湯気が出てきてもちもちでした。
おいしかったです。
帰りはレイクタウンも近いので寄ろうとしましたがやめて草加に出てせんべいを買って帰りました。

【2021年】ツイッターつぶやき
車で少し離れたところのホームセンターに買い出しに行った。
帰り道、パトカーが止まっているのが見えた。
近づいて行くと、何やら防護服を着た人が2人。
まぁ、コロナとは断定できないけど。。。。
今まではこのような風景を見たことがなかったのでコロナでは?と。
事実はわかりませんが、コロナも身近になってきたなぁと思いました。
東京の感染者数もだいぶ増加をしていますからコロナの包囲網もだんだんと狭まっては着ていますね。
感染経路不明が多くなっていますから、どこでどう感染するかわかりません。
なるべく外出はしないようにと思いますが、日常の生活は維持しなくてはいけないし。
毎日外食もせずに家で食べるのですが、食べるには買い物ぐらいはしなくてはいけない。食べ物だけではなくていろいろな日用品も。

【2022年】ツイッターつぶやき
1月になり年代別コロナ新規感染者数を見ると、どうも若い人の感染率が高いようです。特徴的なのが若い人と同時に子供たちの感染も。高齢者の感染割合は相対的に減っている。
このような状態はこれまでのコロナの波がはじまった時の特徴ではないでしょうか。
若い人たちは社会の中で活動的です。中高年層も社会の中で仕事面でも中心的です。
ここからクラスターが発生したり、家庭内感染や老人施設内感染として高齢者にも広がっていく。
現在入院をするような中等症以上の感染者は少ないと言われていますが、これから高齢者や持病を持つ人に感染が広がっていきますから中等症以上の症状うったえる人が多くなりその中で重症者数も増加するでしょう。そして最後に重症者が増加すれば時間差で死亡者が多くなる。
もちろんオミクロン株は重症化しないと言われていますし、ワクチンの効果も言われますが、新規感染者数が爆発的な増加をすれば重症化率が少なくても重症者数は多くなるでしょう。
全国的に新規感染者数が増加していますが、大きな波のはじめとしては新規感染者数が一桁多いような気がします。
今日東京都では3000人を超えましたが、増加傾向が出てから3000人を超えるスピードがかなり速いです。
この3000人という数字が増加傾向の中での数字とすれば1か月後にはかなりの人数となってしまうかもしれません。
コロナは風邪のようなものだというような見方がまた出てきています。危ないですね。

【2023年】ツイッターつぶやき
夜に入り道路が少し濡れる程度の雨が降りました。
東京は23日ほど雨が降らなかったそうです。東京に住んでいるので雨が降らないなぁとは思っていたのですが23日間も。日本海側で大雪でしたが、昔から高い山を越して雪雲が関東南部に入りこむことはなく、冷たい空っ風が吹くというのが東京の気候なのですが、、、、、
火事と喧嘩は江戸の華。。。。。。
今週に入って喉がガラガラでした。空気が乾燥して喉も乾きます。
今夜の雨ぐらいでは空気の乾燥も緩和されそうもありません。

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