夕螺の一言日記

毎日心に浮かんだことなどを書いてみたいと思います。。。(2014年3月13日開設)

「7月 4日という日」

2024年07月04日 07時38分00秒 | 「何を思ってた?」(旧ブログまとめ)
【2024年】ツイッターつぶやき
円は161円台で推移していますが、これは去らなく為替介入への警戒感でしょうか?
円安は対ドルだけではなく、名目実効為替レートの下げ率は、トルコリラやアルゼンチンリラよりも大きくなっているらしく、円は最弱通貨となりつつある。
岸田さんが外遊して税金をばらまいていますが、昔なら1000億円のところが今や1600億円になってしまっている。このくらいバラマキ額を上げないと援助が貧弱視されるんでしょう。輸入物価もこのくらいの感覚で考えないとだめですね。
経済学者の中では、この円安は日米間の金利差からであるとしていますが、名目実効為替レートの実態からすればそうは簡単に金利差だとは言えないでしょう。
株価が上昇しているのですが、円安を加味すればそうは大騒ぎするような株価でもないかもしれない。日経平均とドル建て平均での差の乖離が激しくなっている。
さらに円安が急激に進むなら、もう、通貨危機としてとらえる方がいいでしょう。通貨危機の原因は、為替だけではなく経済そのものの衰退です。

≪過去の記事≫

【2004年】
「物語が、始まる」
         中公文庫
         川上 弘美  著
「物語が、始まる」「トカゲ」「婆」「墓を探す」の4篇を収めた短編集です。
読み終わってからまず浮かんだ言葉が「人生」でした。
女性の人生。。。。。
「物語が、始まる」は「男」。「トカゲ」は「平凡」。「婆」は「生」。「墓を探す」は「死」。女性の人生を振り返ったとき、さまざまなものがあるでしょうが、大人の女性として性と伴侶すなわち「男」は、その動物的な本能からして大きなものです。
結婚後は生活がありますが、それは「平凡さ」としての日々でもあります。この気が遠くなるように長い年月が続く日常の生活は、女性にとってどのようなものでしょうか?これを幸福と自覚できるかできないか。
もちろんこの平凡な生活の中にも自己の「生」もあるはずです。生きるということ、それは必ず訪れる死を自覚することによってその大切さがあります。毎日の平凡な日常、その中にどのように自分という人間が生きているのか、あるいはそれも男とともに暮らす中に。
生きていくことの終着には死があります。しかし女性にとって死が終着駅かといえば、そうではなく、死後のことを思えばまた自分自身の家族もある。川上さんの「墓を探す」は、女性自身の親をはじめとした祖先の墓を建てるという物語となっていますが、女性にとっては、嫁に行くという風習の重大さとともにどの墓に入るかも重大でしょう。生きている中に死を意識することは、死はただの終着駅ではないのかもしれません。

「物語が、始まる」
主人公ゆき子は、雛形を拾う。男の雛形である。人形ではなくて生きている雛形である。女性にとっては「愛する」対象としての男の雛形である。
ゆき子には「土曜日の本城さん」という恋人がいる。ゆき子は、本城との心のふれあいという面では話がかみ合わなくなっている。本城にもいろいろな面はあるにしても、ゆき子から見た本城はやはり「土曜日の」(性的な面での)男である。
ゆき子は、雛形を育てはじめ雛形の男の恋にだんだんと応えていく。何も雛形と大恋愛をするわけでもなく、日常の生活や言葉の交わりの中でゆき子も恋をする。雛形に恋をしたゆき子は山城と別れる。
なぜ雛形に恋をし山城を捨てるのか?
雛形との恋には、母性に似た(男に対する独特な母性的な)ものがあり、日常の生活を通した情のようなものが生まれる。ゆき子は加速度的に生長(老化)する雛形の「死」を見送りすぐに雛形のことは過去のことと忘れるが、「愛している」という言葉が心に残る。
性的なものという男の一面からだけではこの「愛している」という言葉は生まれない。男に対する母性にも似た感情や情から「愛している」という感情が生まれるということではないのか。
若い人と飲んでいたときに、その若い人が、もう「女」を追いかけるのも飽きたと言っていた。僕は、それは嫁さんをもらいたくなったんだよと答えた。こういう会話は案外多い。
男も女も性的な対象としての男女関係以上のものを求める時期が来るものである。男の雛形というのは、女性の心に「愛する」という感情をもたらす神や時の使いか。。。。
しかし、性的なものから離れた「愛情」といっても、何も純愛を描いているわけではない。愛の美しさを描いているわけでもない。「愛する男」といっても離れてしまったなら忘れてしまう。これが女性の「生きながらえるということ」かぁ。。。。
「トカゲ」
乃南アサさんの「暗鬼」という小説がありますが、「トカゲ」のラストシーンとよく似た雰囲気があります。「暗鬼」は、薬による独特な精神世界の中で選ばれた家族の血を残すためにと近親相姦が繰り返されます。主人公の女性は、拒否はするがその世界にマインドコントロールされたようにはまっていきます。「トカゲ」のラストシーンもまさにこれと似たもので、独特な世界を拒否しながらもはまっていきます。
その世界は、どことなく同性愛や近親相姦を思い描きますが、しかし子供たちは小さく、隣の奥さんの魅力は平凡ではないかと思います。このことから同性愛や近親相姦的なものではないのではないか?
主人公の女性がトカゲのもたらすという幸運(幸せ)を期待するが、その幸運(幸せ)は、平凡なうちにある専業主婦の子育てや奥さん同士の平凡な日常ではないかと思います。もちろん平凡な日常にこそ幸せはあります。しかしこの中には退屈というのか社会や人間関係の中での閉塞感もあります。子育てや隣近所の奥さんたちとの狭い閉塞した世界に甘い誘惑もあり、その中に拒否はしたいがどっぷりと浸かってしまう主人公の女性のジレンマを感じます。
「婆」
「ずいぶん死ぬんですね」「人間だからね」主人公と婆の会話である。
婆は蒲鉾の板のようなものに何月何日誰々が死ぬと書き付けた板をたくさん持っている。
主人公に鯵夫という恋人がいる。仲は退屈としか言いようのない関係である。主人公はその鰺夫の話をする。
婆は、主人公に台所の穴を教える。その穴は、戦争で死んだ人たちの魂が集まるところか?あるいは、その季節に死んだ人を書き付けて一人一人をあの世に送る場所なのか?そこは不思議な気分にさせられる場所であり、その雰囲気を味わった主人公は人生観が変わる。人はいつか死ぬことをあらためて知ったときに人生観を変えられるときがある。2回目に主人公が穴に入るときに恋人の鰺夫と一緒だった。二人は涙を流す。二人の平凡な関係に不満があるが、いつか死ぬことを知ったことで今ある二人をお互いに愛おしむことができる。
「トカゲ」の中でのあまりにも平凡な生活。「婆」の中でのやはり平凡な二人、しかしこの平凡な中にこそ生きている証を見つめなくてはならない。
「墓を探す」
「でもこうして墓に向かっているじゃない」
人は忘れがちだが必ず訪れる死に向かって生きている。「墓を探す」は、今を生きているということである。
この生は、命の連鎖の中にある。先祖からの遺伝子もあるし、他の生物の命を受け取りながら生命は連鎖している。その意味では命に終わりはない。魂だけが墓に入る。
この作品の中には川上さんの生死観が出ていると思います。
父や母そして幾百万の祖先が集まる墓。主人公の姉にとり付く父や母や親戚たち。その会話の中に「墓に入るのもいいもんだ」という。ここには生死の境がなくなっている。だからこうして生きていることも墓に入っていることもそうは変わりがない。
主人公とその姉は、寺田家の墓に入るのは私たちで最後だという。この意味が何なのか、嫁に行き嫁ぎ先の墓には入らないで自身の祖先がいる墓に入ること。子供がいれば生命の連鎖自体はあるが、墓に入ることだけを見ればその連鎖は終わる。何か婚姻関係という風習を感じます。

久しぶりに朝8時半ごろまで寝ていました。最近は年をとったせいか長寝ができなく6時頃には目が覚めてしまいます。若い頃は、夕方から寝込んでしまいあくる日の夕方まで24時間寝てしまい、僕自身は薄暗い外を見てまだ朝が早いのかと思ったことがある。お袋に次の日の夕方だと聞かされ時差ぼけになってしまった。お袋も僕がどうになったのかと心配したそうです。
でも、今も眠りは深いようで、妻から「あなたは何が起きようと目が覚めない人だ」といわれます。死んでも起きない。。。。ハハハ

【2005年】
夏生さんの「つれづれノート⑭」を読み終わりました。
「つれづれ」も十四巻で終わりそうです。。。
最後は2005年の「4月17日(日)晴れ!」で終わりました。ううう・・・・
娘さんカンチが小学校を卒業。息子さんチャコも保育園を卒業。
夏生さんも「つれづれ」を卒業です。
朝から強い雨が降っていましたがやっとやんだようです。

【2006年】
体温36度8分。。。平熱が36度3分ぐらいですから、微妙な微熱です。
ぼうっとしたたまで朝刊を見たら、「大型店出すなら子育て支援を  福島県」という文字が目にとまった。上にあるサッカーの「中田引退」にも「へ?」と思ったけど。
スーパーなどと思うけど、大型の店舗を建設するには条例により女性の雇用や男の育児休職、託児所の設置を協議するというような内容だと思う。でも、こういう条例があると、出店する企業がなくなってしまうという懸念もあるそうだ。
北海道の夕張市が破産した記事も読んだが、地方自治体も大変なことになっているし、少子化は国の危機にもつながりかねない情勢である。福島県の条例は必要不可欠ではないかと思う。すべての都道府県でも必要だろう。
企業は利潤追求が目的であり、そのための競走を行っている。しかし、社会的な責任をも背負うわけで、70年代からの「民間活力」「民営化」という政策の中では、民営企業にも国民生活への責任も生じたはずである。儲けるだけでいいという論理は通じない。
銀行と不良債権処理。。。そしてゼロ金利
庶民の我慢の中での「好景気」
企業倫理の中には、国民生活の豊かさの視点も必要ではないか?
滋賀県だったか、女性知事が生まれた。
争点は、税金を使った新幹線新駅。その税金を県民の生活に直結した使い方にというのが求められたのではないか?景気の回復がいわれるが、国民生活には直結しない矛盾。。。。ここに目が向きはじめたのか?

【2007年】
「村田エフェンディ滞土録」  梨木 香歩  著
エフェンディとは、日本語で言えば「先生」である。
村田先生のトルコ滞在記。。。
「先生」とは、もちろん人々からの尊敬をこめた称号のようなものである。しかし「先生」という言葉の中には、たとえば、夏目漱石の「吾輩は猫である」にある教師クシャミ「先生」といったようなどこか太平の世に生息するのんきさを感じる意味合いもある。クシャミ先生を観察する猫はどうもクシャミ先生より賢そうである。哲学的である。鸚鵡(オウム)が「友よ」「いよいよ革命だ」とわめく。。。エフェンディ村田よりどうもこのオウムのほうが賢そうでもあり哲学的である。「家守綺譚」の綿貫征四郎より賢そうな飼い犬「ゴロウ」のように。
そんなエフェンディ村田の物語。
オスマントルコ帝国といえば、世界史で広大な領土を誇った世界地図をうっすらと思います。そんなオスマントルコは徐々に崩壊をしていく。この辺の歴史については、ウィキペディア「オスマン帝国」「青年トルコ人運動」同「革命」を読ませていただきました。そして参考にさせていただきました。
そんなトルコ(土耳古)に、村田は明治政府を通じて土耳古皇帝の招きで歴史文化研究のために滞在していた。218ページに、村田が帰国後7,8年たった年に「土耳古青年党完全勝利」(1908年の青年トルコ人革命か)との記載があることから、村田がトルコに滞在したのは1900年前後のことだろう。日本は明治の代で明治33年前後ということになる。帰国後の1904(明治37)年には日露戦争が起きているはずである。そして世界は、1914年の第一次世界大戦へと向かっていく。トルコはドイツに近づき、日本は日英同盟の中で参戦する。
この作品には、このようなトルコの中に見る政治的背景があるものと思われ、「青年トルコ人運動」の地下組織が見える。しかし作品自体は、梨木さん特有なファンタジー性の強い作品であり、揺れ動くトルコ社会の中にあって村田は翻弄されながらも不思議な世界を見、日本との違いが大きい風土の中にものを考える。
今を生きる僕にとっては、トルコは遠い地であり、時代は100年も前の遠い過去の時代。村田は考古学をやりにトルコに行っていたが、今の僕にとっては、この作品自体が考古学の中で発掘されて目に見えたもののような物語である。
横道にある敷石は、昔の城壁の石だという。そこにはときよりこの城壁の前に立っていた古の衛兵の影のようなものが現れるという。
僕にとってのこの作品のファンタジー性は、影のような衛兵を見るようなものなのかもしれない。
トルコのスタンブールには体臭に似た町のにおいがあるという。日本の町にないと村田は思うが、自分の体臭はわからないものだと。。。
異文化の中のそれぞれの人々。。。。
しかしその体臭とは何か?
現実の臭いとして香辛料の香りとか独特な臭いを連想できそうだが、同時にそれは、人種の坩堝といわれるような東西の文化や民族が集まりそれぞれが個性的に生きる社会の臭いでもあるのではないか。
多くの民族が集まる中には必ず多様な宗教がある。
キリスト教徒は日曜の礼拝に行く。回教徒は礼拝の時間を持つ。村田は思う。日本人は仏教徒であるのかと。しかし仏教ととはいえ知識もそれ以上に宗教心があるのかと。今の時代の日本人を見ても、生まれてからしばらくは氏神様のお世話になり、結婚式ではキリスト教の牧師のお世話になる。そしてあの世に行くとなれば寺のお坊さんのお世話になる。そして日常は無神論者である。
トルコに生息する村田は心もとない。
この作品は、神々の物語でもあるのである。それがファンタジー性だろう。
この神々は、それぞれにおいてその民族の唯一絶対の神といってもよいだろう。一神教の世界である。
トルコに多くの民族が集まるなら、そこには多くの神々が集まる。村田はこの神々とのかかわりを持つ。そこに日本の狐の神も入ってくる。
村田は、日本人である自分を見つめて、「もっと自分というものを押し出していかねばならぬ」と気炎を吐き、そのことを日本に持ち帰ることを考えるが、「どうも私はその任に適当でないようだ」と心細くなる。(62ページ)
しかし、キリスト教信者も回教徒はもちろんだが、村田をはじめとした日本人にも心にあるものはある。
日本人のそれが何かといえば、八百万の神々というようなある種の自然信仰に近いものではないか?「家守綺譚」にある綿貫征四郎の、あの自然に溶け込むような自然信仰。それは、恐れでもあるが抱かれるような安らぎでもある。仏教もこの日本人特有の自然観に馴染んでいったのではないか。 ヨーロッパやトルコに見る一神教に対する多神教。自然の恵みをそして恐れを見る中での現世利益。日本人が持ってきた狐の神は商売の神であると思うが、そこに日本人の独特な宗教観があり、それは今の時代でいえばエコノミックアニマル的なものをも負の意味合いとして暗示するが。
一神教は、どこか積極性や猛進性を見ることができるが、多神教は、どこかのんびりしたようで自然体である。日本人の宗教観それは人生観や行動を規定するだろうが、それが村田「先生」の心に心細さや心もとないものをわき起こすのではないか?
はじめに漱石の「吾輩は猫である」を紹介しましたが、この日本人の心細さや心もとない心を見つめたのが漱石でもあり、西洋化の中で日本人らしさを見つめたのが漱石です。その日本人らしさは、イギリスで「お前は中国人か」と聞かれ多くの日本人が憤慨をするという変なプライドではなく、「昔からいろいろな文化や思想を教えてくれた中国人に間違われたのは光栄ではないか」(正確な引用ではありません)といったような冷静な目での視点です。
「春になったら苺を摘みに」というエッセイへの感想に、
「梨木さんの作品には、外国人が出てくる。
梨木さんがイギリスに行って外国人として生活をするのとは反対に、外国人が日本という風土と生活様式に入ってきている。
この異文化の中での外国人。。。。
ある意味では、梨木さんが客観的な目で日本というものを見つめているのかもしれない。」
と、書きましたが、梨木さんがどのような視点で日本人をそして日本人である自分を見つめなければならないかを常に葛藤をしている姿を今回の作品や関連する「家守綺譚」においても見ることができるのではないでしょうか?
多分、日本人はこうあるべきだといった断定的な結論はお書きでないと思います。しかし、そこにある平和主義は見ることができるのではないか?
それぞれの民族の神々は、村田の部屋で折り合いが悪いのか騒ぎ出す。しかし村田の一喝で騒ぎも収まる。神々は自分の持分を持つものなのか?神々は落ち着くが、それぞれの神を信仰する人間は第一次世界大戦へと突き進む。トルコでの村田の友人たちは戦火に倒れる。大きな歴史に残る社会の流れの中に個人はいつか忘れ去られるようの死んでいく。神そして国家とは。。。。。
「私は人間だ。およそ人間にかかわることで私に無縁なことはひとつもない」
国家は人が作ったものである。しかしその国家が名もなき者の運命を変えていく。人と人との無限にそして複雑に絡み合う糸は、人をひきつけあう。民族を超えて神を超えてつながらなくてはならない。
多神教でなくてもいい。互いの神外を尊敬しあおう。人はまだ完成されていない。その発展を見よう。民族を超えて、神を超えて。。。。

【2008年】
(記事なし)

【2009年】
(記事なし)

【2010年】
「江戸っ子は宵越しの金はもたねぇ・・・・」
貧しい中での江戸っ子の見栄でしょうなぁ。まぁ、江戸時代ですからこれでも済んだもんなのでしょうが、今の時代はそうはいかない。貧しい中でも蓄えは必要なわけです。社会が富めば貧しいとはいえその社会に流れに乗らざるを得ない。あるいは社会が複雑になればその複雑さの中に不安定要素が増えてくる。将来家を持とうとすればたくわえが必要で、社会はよくできたもので賃貸でも持ち家ぐらいの家賃がかかる。子供を寺小屋にやるわけにもいかないので学資保険に入る。老後の生活維持などなお。。。。。
また無駄金も使わなければならない。生命保険など。。。。。
このような現代人が「宵越しの金はもたねぇ」という生活ができ、日常の消費を豊かにするには何が必要か?あるいはこの生活費が少なく済むには何が必要か?生活費が少ないなら賃金は低くくてすむ。社会は合理化されなくてはならない時期に来ている。
この合理化を進めるには、独占企業の行う社会サービスを無料化しなくてはいけない。電気・ガス・水道、鉄道・高速道路、通信、教育や医療などなど。しかしこれらの無料化は、国家財政の負担が大きくなる。そこで問題になるのが国家に税金としてどのように金を集めることができるかが課題になるわけだが、国家を通して金が回る仕組みが税制というものになる。
金は天下の回りもの。。。。。。
これがうまくいかないなら資本主義はいつしか崩壊をする。
金がうまく回転しない現実がデフレに現れ、国家の財政危機に現れそれ以上に国民生活の不安定化の増大となる。もちろんどんなに矛盾が増大した資本主義国でもその中には富裕層が必ずいてその人たちの贅沢を維持するために国家が動き、その意味では資本主義は生きながらえる。どんな貧しい国でもこの贅沢をする階層はいるものだ。今の日本は、国民総中流意識の国から富める者が自分たちのためなら国民生活は犠牲にするという形になってしまった。それが自己責任であり、市場原理であり、間違った自由意識という思想である。ここに金は天下の回りものという資本主義の原理が危うくなってきている。
金はどこかに吹き貯まる。たぶんその金は巨大銀行や企業に吹き貯まっているのではないか?しかしこれらの金は経済活動に生きた金として社会の中で回転をしない。ギャンブル資本主義という金融のゲームに金は回り、企業の業績はこの株価による損得で大きく変化する。海外への投資も飽和状態であり、本業の製造したものは売れなくなっている。吹き貯まった金は自国民には回らないから。国債を買う。銀行などの利息に比べればべらぼうな利息を国からもらえる。この国債という国の借金は貧しく始祖質素に暮らしている国民から取れば言い。だから消費税率のアップが言われる。更なる景気の縮小とデフレは加速する。巨大企業は消費税のアップには基本的に反対だがその分法人税の減税をしてくれればいいですよと。。。。。
結局国にはそうは金が回らなくなり財政はさらに悪化をする。
製造業における精密機械とコンピューターが結びついたロボットの普及により人件費は極端に減少する。それに輪をかけて派遣法などによる政策的な低賃金化は進む。本来はロボットという人間労働の軽減化と労働時間の短縮の条件が失業の増大そして低賃金化の条件として現れる。人件費が削減されるとロボットによる大量生産とあわせて製造されたものは価値が減少をする。安くて大量の「物」が社会に反乱をする。しかしいくら安くても低賃金化の中では消費はされなくなる。輪をかけて消費税率のアップではなおさらである。その産業の企業は淘汰されていき勝った企業が独占化していく。潰れた企業から失業者が新たに輩出される。社会全体の平均利潤は減少をしていく。そしてまた有り余った金はギャンブル資本主義に流れる。
この金の流れをどうにか変えれば国家の財政は伸びるはずです。そして上に書いたような無料化は進み福祉も増大をします。企業は苦しくなるという意識が強いでしょうが、長い目で見るならば生活費の削減からの賃金の低下と失業の縮小による消費の拡大というものが出るので企業にとってもよいことなのです。ただ富裕層は、あるいは株の儲けに頼る人々は、そして地主や不労所得者はその生活は悪化をするでしょう。また芸能人やプロ選手といった一部のべらぼうな年俸を持つ人も苦しくなるでしょう。でも悪化をするとはいえ貧しくなるわけではない。そして保険会社をはじめ、その社会では無用な出費となる産業はなくなります。無駄がなくなること、これが合理化ですが、国民生活を豊かに安心したものにする作用がない合理化は必ず破綻をします。
金は天下の回りものとのんびりできるでしょう。。。。

       道の駅 川口・あんぎょう
埼玉県の道の駅です。少し南に行けばすぐに東京都。
あんぎょう(安行)といえば、植木や盆栽などで有名な町ですが、道の駅にもたくさんの植木や花が置いてあります。
アボガドの木がだいぶ伸びてきて鉢が小さくなってきたので植え替え用の鉢を買いに行きました。
うん。。。。安いのか高いのか?
近くにあるホームセンターのほうが品揃えがいいみたい。
植木は庭に植えるような大きなものがあり、庭造りをしようという方には面白いと思います。
花などの鉢植えをおいてある建物は広くて、盆栽のイベントもやっていました。
ちょっとした広場にテーブルが置いてあり、植物に囲まれながら休憩するのも楽しいです。
あとは物産をおいてあるところやレストランのようなところもあるようですが。。。。。
ウウ・・・ん(笑)
ABCで評価するなら・・・・Cに近いBかなぁ。。。。
アボガドを新しい鉢に植え替えたのですが、葉っぱがしんなりとしてしまいました。失敗だったか・・・・でも根っこはきちんと残したから元気になるでしょう。。。。

【2011年】ツイッターつぶやき
少し混みあった電車に乗った。
しばらくすると扉の向こうの席が一つ空いたので見ていたら、男の人が座ろうとしたときにおばちゃんがツツツツーーと寄ってきて座ってしまった。男の人は茫然と扉の方によけた。するとすぐにそのおばちゃんが向かいの席にツツツツーーと移動。そこにまたほかのおばちゃんが座った。さっきの男の人は口あんぐりで呆然として立っていた。
ハハハ・・・やられたな!と思ってみていたらいつの間にか電車は走り出して僕が立つ前の座席が空いた。座ろうかなと思った瞬間、おばちゃんがツツツツツーーと走り寄ってきて座ってしまった。やられました。。。。僕も。
うううう。。。。。と思って心で笑いながら立っていました。すると僕の前に座ったおばちゃん。。。。2分もかからないような次の駅でツツツツツーーと降りて行った。
前の駅を走り出して次の駅まで座るためにツツツツツーーーと来るなよ・・・・・ウウウ

【2012年】ツイッターつぶやき
野田さんは総理であると同時に民主党代表でもあるわけですが、どうもこの代表の責任論が大きくなるような?
大量の消費増税関連法案に反対をして離党をし、民主党自体も重い除籍処分。除籍処分にしたといってもその責任は免れない。結局は野田内閣をつぶすことに発展をするのでしょうか。

【2013年】ツイッターつぶやき
昨日の朝日新聞に「『敗けた』ということ」という記事がある。
その中に保守層の意識ともいえる「永続敗戦」という言葉がある。
「戦後とは、戦前の権力構造をかなりの程度温存したまま、自らを容認し支えてくれるアメリカに対しては臣従し、侵略した近隣諸国との友好関係はカネで買うことによって、平和と繁栄を享受してきた時代です。敗戦を『なかったこと』にしていることが、今もなお日本政治や社会のありようを規定している。」 (上記リンク記事から引用)
この「永続敗戦」の意識から抜け出すには、次の戦争で勝つしかないといった論理は論外(このような意識は存在するでしょう)として、国民意識の中にある「仕方ない」という意識を克服するためにこれまでの政治を「恥ずかしい」という意識でとらえられるかというものを提起しているのでしょう。
左派の平和主義の弱さを
「結果的には『平和がいいよね』というものすごく単純な心情にのみ訴えかけて大衆動員をはかろうという、政治的には稚拙なキャンペーンになってしまいました」
と分析をしてまた、
「繁栄が昔日のものとなる中で急激に平和も脅かされつつあるという事実は、戦後社会に根付いたと言われてきた平和の理念が、実は戦後日本の経済的勝利に裏付けられていたに過ぎなかったことを露呈させています。」
とする。
しかし「平和がいいよね」の中身はずっと重い中身を背負っている戦中の国民の思いを現して来たのです。しかしこの思いと同時に平和が自然と同じように存在するといった平和主義側の「平和ボケ」が出ていたということです。ですからこの平和ボケの目の前に急激な保守化が見えてきたということです。必要なのは平和は人の行動で維持できるものであるという戦後の歴史とそこからの未来をつくる意識が必要なわけです。経済と平和(戦争)は切り離せないものがあります。しかし経済が繁栄する中に平和も維持されたと同時に平和が維持された中に経済も繁栄したという作用と反作用もあります。経済が落ち込めば平和が脅かされる
(つづく)

【2014年】ツイッターつぶやき
一時やめたのですがずっとお世話になっていたプロバイダーPLALAのブログ『Broach』が6月30日をもって消えました。
Broachに書き続けたものはこちらにコピーしましたので安心ですが、やはりさみしいですなぁ。
込み合っている時間帯だったのでしょうか?やっと書き終えた文章をアップしようとしたらいきなり『ログイン』画面が出てきてログインしなおしたら書き上げたものがなくなってしまったということが何度かありました。心の中で何度か「僕が書いたものはどこに行っちゃったの!!」と叫び涙目になりました(笑)これもまた今ではBroachの思い出と残っています。ブログを通じて何人かの方ともネット上で知り合えて楽しい思い出もあります。
今まで何度かこうした引越しをしてきましたが、数人の方のブログは今でもつながっているかなと思っています。
今はツイッターもあるしブログを通じたやり取り(トラックバックなど)も減ってきました。ツイッターの良さはもちろんあるのですが、ブログにしかない楽しさや特徴がありますからやはりブログもやめるわけにはいきません。でも個人のホームページからブログに代わっていった経過もありますからブログ自体も発展しなければいけませんね。将来はどのようコミュニケーションに移行していくのでしょうか?ついていけるだけついていきたいと思います。。。。。
さよならBroach・・・・・

【2015年】ツイッターつぶやき
クルミは無縁無塩のものを使います。大きめに砕いておきます。
枝豆は普通に塩茹で。
木綿豆腐は1時間ほど水切りをしておきます。
味付けは、白だし醤油、白みそ、砂糖、ごま油でタレを作っておきます。

あとは豆腐を砕き枝豆とクルミを入れたれで和えたら出来上がりです。

メインディッシュは鶏ひき肉のねぎ餃子。
分葱と紫蘇の葉をみじん切りにして鶏ひき肉を入れおろし生姜をたっぷり。塩こしょうで下味をつけます。
あとは普通の焼き餃子と同じです。あっさりとポン酢で食べます。

【2016年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2017年】ツイッターつぶやき
「タバコ7つの神話という神話(4)」の続きです。太字はこちらのサイトからの引用です。
筆者はたばこの害についてどんどん純化していく。
「本当に家族を受動喫煙から守りたいのであれば、外で喫煙した後は、直ちに裸になって家に入り、洋服や髪の毛を洗うとともに、少なくとも30分間は息をしてはいけない。」
そもそもたばこの害を言うのは健康のためでしょう。
例えば現在PM2.5など大気汚染が信頼をされている。
「健康を守りたいならば、直ちに裸になって家に入り、洋服や髪の毛を洗うとともに、少なくとも外出している間は息をしてはいけない。」となる。
杉花粉ですら家に入る前はよく花粉を落としてからといわれるぐらいであるからPM2.5となれば相当な努力を強いられる。
赤ちゃんを乳母車にのせて出かける時、幹線道路などでは特に赤ちゃんのいる高さが汚染がひどいといわれる。
空気清浄機はにおいを消すだけ?今は電気集塵機もありかなりの効果があるともいわれています。といっても100%ではないでしょうが。
結局息もするな、空気清浄機ではだめと。その結論は
「受動喫煙の害をなくすのは、たやすいことではない。むしろ、不可能と言うのが正確なところだ。」
となる。
何でも基準値というものがある。

息をするなというのは煙草については1か0かですね。
かといって1か0かにしてもたばこ販売禁止は言わない。なぜ言わないか?僕が知っている理由には、煙草を売らないと薬物中毒が増えるとか、税収が減ってしまうことぐらいです。税収減は何も政治家が言っているわけではなくて、その政治家を説得するために禁煙運動も禁煙者が増えてもたばこ税をあげているのだから大丈夫という論理を用います。
準値は下げていかなければならない。そのために空気清浄機の進化や分煙があるわけです。これを通じて室内の煙草の有害物質を下げていく。この財源はたくさんあるのです。煙草税です。喫煙者もたばこ税が何に使われているのかわからない状態よりも、分煙(家庭内も含めて)設備の普及に使われるならある程度納得がいくでしょう。

【2018年】ツイッターつぶやき
「衣料品は年間20億着捨てられている」(ハフィントンポスト)
朝日新聞1面によれば「年10億点」となっていますが。。。。。。。
数字的な大きな開きがありますが、僕はあと年以10着や20着は新しい衣類を買えるという事では重要な問題ですなぁ。この前ズボンに穴が開いてやっとそのズボンを捨てましたがその捨てる新品のズボンちょうだい。。。。。
(以下、ツイッターから)
貧困化や節約の中で衣料品を控えることが。衣料品はもっと消費されるはず。ただし流行りすたりがりますからね。考え方を変えていかないと。
多くの食料品も捨てられているようです。一方では貧困から子供がしっかりした食事をとれないとか、大人の中にも栄養失調が。美容や肥満対策もありますが、食料品の円安誘導による値上げも影響しているでしょう。
案外、多くの商品に見られる現象ではないでしょうか?
生産と消費のアンバランスは単純に需給関係からだと片付けられないでしょう。なぜ売れ残るのか?もう国民は十分すぎる衣料品を持っているからではない。供給はこの実態を見ないとだめです。しかし供給を抑えるのではなくて消費を拡大させること。
まぁ。ウエディングドレスは2回も3回も着るようになったらある意味困りますが、セレブの方々が1回来たドレスは着ないというのも困ります。それを聞いた庶民もまた、すごいなぁ・・・・金持ちはで済ましてもいけない。そして穴が置くほどズボンをはき続けることも当たり前と思うのもね。
もちろん資源の大切さから物を大切にすることは求められることです。しかしこの資源を大切にするとか環境保護のためとかと言うのと貧乏で衣類を買えない節約するというのはまた違いますね。清貧という言葉でお茶を濁してはいけない。「無駄」は格差の拡大から生まれるのです。ほんとは無駄ではないはず

【2019年】ツイッターつぶやき
男の料理というほどのものではありませんが、スーパーに大量の赤紫蘇を売っていたので紫蘇ジュースにしてみました。
一袋1キログラムほどあったかな?それを2リットルのお湯で煮だしました。
鍋に水を入れて沸騰したらよく洗った赤紫蘇を入れます。紫蘇の葉は農薬が多いということを聞きましたので何回も洗ったり水に漬けて置いたりしました。
すぐに赤紫蘇が緑色に変化して水が赤紫色になります。
そこでボールに紫蘇の葉をすくい出します。ボールの中で紫蘇の葉を絞って汁は鍋に戻します。
もう一度沸騰させて塩少々と砂糖を好みの甘さに入れます。
沸騰させすぎないようにしながら酢を入れます。
黒みがかった赤紫が酢のクエン酸の科学反応できれいな赤い紫色になります。
このままよく冷ましておきます。
先ほどだいぶぬるくなったので氷を入れて飲んでみましたが、甘さ控えめでほんのりと酸味があり、紫蘇の風味が口いっぱいに広がりました。
寝る前にペットボトルに入れて冷蔵庫へ。
明日から少しづつの見たいと思います。
そういえば、先日あんずジャムを作ったのですが、また杏子がありましたので明日はまた杏子ジャム作りです。

【2020年】ツイッターつぶやき
また水害の季節になりました。
毎年どこかで大規模な水害が発生をして多くの方が亡くなったり家を流されたりしています。
今年も熊本と鹿児島の県境あたりの球磨川で水害が発生をして介護施設では14人の方が心肺停止で発見されたそうです。亡くなったかにはお悔やみを申し上げるとともに災害にあった方にはお見舞いを申し上げます。
去年は東京でも大きな河川の増水があり今一歩で水害が発生しそうでした。今年はそうは大雨もなく梅雨らしい雨が続いていますが、今後関東でも大雨がそのうちあるでしょう。東京は多くの家が立ち並び人口も密ですから一度大きな水害があると被害も大きくなると思います。こうも人口密度が高いと避難所もすぐに入りきれなくなります。地震対策でも避難所に避難というよりも大きな公園で野宿でしょう。
自然災害から身を守るには限界がありますが、河川の安全避難所の整備などはある程度国の対策としてできることがたくさんあると思います。
日本は防衛費がうなぎのぼりです。先日秋田や山口に配備予定だった地上イージスが中止になりましたが、莫大な税金でミサイルを打ち落とすなんて無理な計画が進められられました。戦闘機もこれからものすごい数が配備されます。すべてローンで買うわけですが、このローンの支払いが大変でしょう。政治は腐敗が進み、コロナ対策を見てもアベノマスクに象徴されるようなムダ金が使われています。
国民生活に直結した税金の使い方をしなければいくら消費増税をしても国民生活の安全は保たれません。
水害は自然災害ですが、対策をさぼったり誤ればそれは人災となります。

【2021年】ツイッターつぶやき
都議会選挙が行われましたが投票率が低いですね。
その上雨が降りましたからなおさら組織票のある政党が強かったようです。
小池さんの都民ファーストが大きく減って自民党に戻ったようです。
都議会の大勢に影響はないでしょう。小池さんも自民党と対立しないように動くでしょうが、都民ファースト自体が自民党の分裂組織みたいのものでしたから。
秋の衆議院選挙もこのままずれ込むでしょう。急進的な保守分派がじわじわと伸びるかもしれません。
日本政治もだいぶひどくなっていくでしょう。
それは経済もひどい状態になっていくということで、それは国民生活がひどい状態になっていくということです。
オリンピックでコロナの感染状況がどうなるか、オリンピック後の経済の落ち込み、と言ってもコロナでの落ち込みからさらにどれほどひどくなるかですが、経済的弱者の生活は落ち込むでしょう。

【2022年】ツイッターつぶやき
茶箪笥の引き出しを開けたら、覚えのない商品券がたくさん出てきた。
なんとなく記憶はあるのですが、同のようなどのような経過で引き出しで眠っていたのか?
なんと2万円分。
もう期限が切れているか心配だったのでよく券の裏表を読んでも期限はないよう。。。。。
でも発行日が去年の8月でしたので、もしや1年で期限が切れたら大変だと思い買い物に行きました。
家族で美味しいステーキを食べてレジへ。
もしや使用できなかったら思わぬ大失費ですからドキドキ。
どうにか使えたので一安心。
そのまま浄水器の高いフィルターを買ったり3日分の食材を買ったりしました。
残り500円券1枚。。。。。
妻がニコニコしながらスイーツを買いました。
そのほかにもエコポイントのような商品券やらよくわからない券も出てきて近いうちに使いたいと思います。
ニュースで見たのですが、最近、いろいろな地域で振興券のようなものを出しているようです。
こういうものも研究して使わないと損ですなぁ。。。。少しは税金を返してもらわないと。。。。。

【2023年】ツイッターつぶやき
福島原発事故による汚染水の放出がはじまりそうです。
すでに輸出先の国々から汚染水放出前に注文が来ているようです。汚染水放出前のものをと。
この状態を風評被害がすでに出ているという解釈で済まされています。
しかしほんとに風評被害なのでしょうか。
汚染水はろ過をして流すとされだいぶ薄めて放出をされるようですが、原発事故での汚染水ですから通常運転の原発からの冷却水とはやはり違うでしょう。この点で輸入をひかえることも出ているのではないかと思います。
中国だったか、韓国だったかは、汚染水放流間に塩をつくろうとしているようです。
日本のマスコミは風評で済ましている?今後水産物への安全性について報道しているのか?政府発表をそのままにはするでしょうが。

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