夕螺の一言日記

毎日心に浮かんだことなどを書いてみたいと思います。。。(2014年3月13日開設)

「1月29日という日」

2024年01月29日 07時59分31秒 | 「何を思ってた?」(旧ブログまとめ)
【2024年】ツイッターつぶやき
ダイハツ党トヨタの関連企業で不正検査が行われていましたが、今度はトヨタでも不正が発覚した。アベノミクスそして日銀緩和において人為的な円安誘導で輸出産業が守られて勿論その中にトヨダもあった。輸出企業は消費税の還付もあり消費増税のたびにその還付は大きくなっていたはずです。また、輸出企業の中ではトヨタは戦艦大和並みの中心となる企業だったはずです。
この戦艦ヤマトが撃沈した。
電気自動車はエネルギー問題でどうなるかわからない状態の中で、トヨタが開発したハイブリッド車の存在が注目されるでしょう。水素車などもありますが、普及するには時間がかかるでしょう。
テレビコマーシャルを見るとすべての駆動車種に力を入れていたようですが、その中で精算に載せるために下部組織部門は苦労する。そこに不正が起こり、その不正を見て見ぬふりをしていく。

≪過去の記事≫

【2004年】
なんだか毎日いろいろな詐欺や事件のニュースが絶えません。
もう、社会全体が変になっています。精神的におかしいと思うような事件もあり、社会のいろいろな悪い要素が精神面にも現れているのではないかと思います。
刑事罰の強化ででこれを抑えようとしているだけでは根本的なものにはなりません。中国のことわざで、その国が庶民に対して刑事罰を新たに作ったり、強化をしたりしたとき、その国は崩壊に近づいていっているというようなものがあったと思います。まさに日本社会も崩壊に向かいつつあるのではと思ったりしてしまいます。
親父の病院へ行ってきました。
なんだか医者の話もわからない。今すぐにではないですが、覚悟だけはしておいたほうがいいかもしれない。

【2005年】
ビタミンH。。。。
芸能人の奈美悦子さんの何だか難しい名前の病気ではじめて知りました。何だか怖い病気があるものですね。
妻も手の湿疹で悩んでいたのでびっくりして「ビタミンH」を検索していました。今は治ったのですが、確か皮膚科からビタミンHをもらったそうです。
いろいろHPを見ると、健康によいとされる腸内菌を摂取しすぎることもよくないらしいです。と言ってもいろいろな説がありますからね。。。。
テレビ番組でも健康番組が多く、さまざまな食品を紹介していますが、過ぎたるは及ばざるが如しと言うことでしょう。結局はいろいろな食べ物をバランスよく食べることが一番です。

【2006年】
風邪ひき中。。。。ううう
2,3時間ぐらいか、寝てしまいました。
たいした風邪ではないのですが、体のだるさがひどいです。
皆さんもお気をつけください。

【2007年】
寒い一日でした。
小雨が雪になるかな。。。と・・・・
午後からは晴れて少しは暖かくなりました。
柳沢厚生労働大臣の発言が問題になりそうですが、これは女性への問題発言にとどまらないと思います。少子化問題を国民個人の問題とし、年金を若い世代だけに負担させるという国の政策を放棄したものと思います。
たしかに「わかりやすく会場に集まった人々に説明する」という意図はご本人にはあったのでしょうが、基本的な考え方がわかりやすく出てしまったのでしょう。。。。
国家レベルの考え方としては、個人個人の状態を個々に見ることはできませんが、国民全体が、今どうなっているのかは国政レベルで見る必要はあります。
国家主義的視点で見るのか、国民の生活安定の視点で見るのか。。。。
国家主義から見れば、たしかに国民一人ひとりは一つの機械のようなもので、死ねば取り替えればいいし、足りなければ増やせばよいという考え方になる。国のために。。。。あるいは企業のために。。。。
ところが国民一人ひとりは生きた人間なのである。
国家レベルで見れば何も言わぬ機械だが、弱いものには弱い者の人としての生活がある。人としての無意識な行動はあるのである。食って寝てという最低限の状態に置くことは、自由主義の昔帰りだろう。この昔帰りは、今まで作り上げた国民生活の安定に反していく。国民は、国家や企業に必要なときは使われ、必要にならなければ捨てられるという状態に置かれる。
今は、食って寝てというだけに国民をおくことはできない。
生産された物を受け取る中に豊かさはあり、その生産されたものを受け取れない中に貧困は存在する。先進国には先進国の貧困が存在するのである。
今夜は煮込みハンバーグ。。。
あと、手作りのポテトサラダを作りました。
缶詰のデミグラスソースですが、夕螺の手にかかればうまいソースに。。。(笑)

【2008年】
(記事なし)

【2009年】
大寒も過ぎましたが今が一番寒さが厳しいとき。
それでもだんだんと春の気配を感じます。金のなる木は花が咲きはじまり、ミニバラは新しい芽を出しはじめています。デンドロビュームも花芽かな?
節分・立春はもうすぐ!!

【2010年】
(記事なし)

【2011年】ツイッターつぶやき
第三の開国を宣言した。
開国というのは明治の頃の外国からの植民地化や世界大戦後のアメリカの占領と、その危機に対して政治家がその政治力によって死に物狂いになって行うもの。。。。
開国というのはどうも他の国からの圧力という意味にならないか?圧力があるから開国すると。世界の流れに農産物を含めた貿易の自由化があるからと。そういう意味の開国意識ではなくて自らの意思で開国という中身は?
開国という言葉はあまりにも日本的な先日読んだ「日本辺境論」の中身と同じ意味合いを持つ。ほかの国が鎖国から開国するというような国自体が変わるといったものを宣言するだろうか?例えば市場をより開放的にするとか言葉はいろいろとあると思う。
開国というこ言葉を使った時点でなんだか負けたと思う。
開国というのはある意味革命といったような意味合いを持つ。国民を総動員して、総動員とは穏やかではないが、今のような民主主義が発達した国においては、国民をひきつけるだけの政治的な説得力を持たないとだめだと思うが、そのためにはビジョンが国民に見えないと。。。。強引な消費税とか民主党のマニフェストの変更の中で何を持って国民に約束しているのか。悪いものだけを残して今の政権が終わり、あとは雪崩的に流れていく国に。。。。経済も政治も。

【2012年】ツイッターつぶやき
デフレ傾向が止まらないらしい。
デフレとは一時的な物価の下げにとどまらず物価が持続して下落していく経済現象だという。
このデフレによる物価の下落はなぜ起こるのかは需要と供給のバランスが崩れて総需要が総供給よりも下回るためだと言われているがこの需給バランスだけで理解できるものだろうか?需要と供給の関係だけではなぜ商品の値段が下がるのかが説明できないだろう。
商品の値段が下がるというのは商品の価値が低下するからである。
この商品の価値というのは、市場においてある商品が大量に出回り始めて希少価値の低下や供給が多くなったから価値が下がるというものとは違う。商品の価値は原材料などの生産手段は一定としてみるならばその商品1個を生産するためにどのくらいの労働力量が必要とされるかによって決まる。1日に10人の労働力を必要として1つの商品が出来上がる。ある商品はやはり1日に10人の労働力を必要として10個の商品が生産される。こう見たときに先の商品はその価値は高いだろう。価値は市場に出て価格が決まる。
市場ではある商品は複数の企業によって生産されている。たとえば市場にはその商品を生産する産業内に3つの企業があったとする。以下、原材料などの生産手段は同じとし、社員数(生産規模)100人当たりが作り出す商品量に違いを絞ることにする。
A社。。。。。年間5万個
B社。。。。。年間3万個
C社。。。。。年間1万個
少々数字は誇張的ですがわかりやすくするためにこのようにしました。
同じ100人当たりの労働者が作り出す同じ商品ですが、ここには生産性の違いが出ています。本来はどのくらいの労働力量が必要だったかによってその商品の価値が決まるわけで、この3社の中ではC社の商品が一番価値が高いということになります。しかしすべての商品は市場の中に入ります。同じ商品ならば同じ価格として売れるわけです。C社の商品が例え価値が高いとはいえ市場の中の価格はその価値通りには売られません。市場においてはこの産業内で平均価値が決まります。その平均価値がその商品の価値となります。3社の中ではB社の商品が1個当たりの価値を形成するでしょう。するとA社は本来もっと少ない価値しか持たない商品を市場においてはB社と同じ価値として価格として売れることになります。C社は逆に価値以下のB社と同じ価値そして市場で売ることになります。A社は特別な利益(特別剰余価値)を手に入れることができます。
特別剰余価値は同じ商品を生産する産業内においての生産性の違いから生まれます。ですから資本主義内の競争はこの特別剰余価値の生産での競争となります。より生産性をあげて市場での平均価値よりも低く生産価値を下げていきます。上の3社の中ではどのようなことが起きるでしょうか?生産性の低いC社はもちろんB社もその生産性をあげようとしていくでしょう。A社に負けない技術革新の中からの新しい生産設備を導入していきます。そこでたとえばC社もB社も生産性をあげてA社と同じ生産性を得たとしたらどうなるでしょうか?市場におけるこの産業では以前のA社の商品の価値に商品価値は一致をします。すなわちこの商品の価値は市場においての平均価値も下げて価値低下を起こします。商品価格も当然下がります。
以上のことからデフレの定義である「物価が持続して下落していく経済現象」での商品価格の下落は商品の価値の下落であることと資本主義的競争(生産性の向上)という特別剰余価値の生産競争の激化から必然的に表れるものであることがわかります。
上の3社が属する産業は投資先としては停滞を起こすでしょう。特別剰余価値という特別な利益を得られないわけですし、生産性の向上によってその商品は市場にあふれる生産過剰も心配をされます。資金は逃げて生産性の悪い産業に移っていきます。もちろんこれには条件があってその生産性の悪い産業において新たな技術革新が生まれて生産性が高まる条件ができた場合です。この産業の中の1社が技術革新によって生産性を高められる条件が整えば資金はその企業に回るでしょう。そして他の企業も追随する傾向があればその産業全体に資金が集まります。そこでまたこの産業の中で先にあげた3社が属する産業と同じようなことが起こります。そして資金は移動する。
このような繰り返しで新たな労働力を消費する産業が生まれなかったとするならば、社会全体の商品の価値は下落をして社会全体の商品価格は下がるでしょう。社会全体においての特別剰余価値の精算という資本主義的競争は下火になります。これが産業の停滞を引き起こします。設備投資や金融投資の停滞が起こります。
しかし社会全体の生産性は上がっているわけですから商品量は爆発的な生産量となるでしょう。一歩では社会全体の平均利潤が低下する中で企業はそれまでの利潤を確保しようとする。その中で行われるのが労働力の削減(失業)と賃下げ(絶対的剰余価値)と労働力の酷使(相対的剰余価値)である。社会の中でその人口割合が最も多い賃金労働者層の減少と低賃金化は爆発的な資産力で生産された商品の需要を減らしていく。ここで初めて商品の総生産(供給)と商品の消費(需要)のバランスが崩れていきこの現象が継続的になることから「物価が持続して下落していく経済現象」というデフレが起きる。
デフレの長期化自体が産業恐慌の危険性をはらみ進行している状態でしょう。
企業の設備投資先が狭められそれによる銀行の投資先も狭まる。
平均利潤の確定あるいは下落は株への投資も不安定化して常に株価暴落の危険性を伴う。
国による景気禍福への資金供給も投資先がない中で何の役にも立たずに金融商品や株の買い支えとしか機能しなくなる。需要促進のための国による国民へのばらまきや貧困対策等が国の財政を圧迫をする。国債は天井知らずでいつか国債バブルがはじける。大衆課税の強化が商品需要を減らしていく。
金融の自由化は金融バブルを引き起こす。
金融恐慌に向かって突き進む。
企業は子を産まない金は使わない。だから労働者の賃金や労働時間短縮には金を使わない。投資先がなくなっても利潤を生まない「無駄」な金を使わない。無駄と思われる金を使うことは競争原理から許されないだろう。個人消費を増加させるために労働者の賃金を上げることは競争の敗北につながる。泥舟に乗っている。。。。
このような危機を救うのが労働者の賃上げ闘争などであるのだが、労働側もまた企業競争原理に乗っているわけで独自な賃上げなどは控えていく。
本来は労働者層に企業の利潤を配分することが大切なのだが、社会全体は豊富な中の貧困へ突き進む。
今やらなくてはならないものは、労働力を買ったときにも消費税をかけて一部を労働者の益税にして一部を国家の社会保障の財源にすることである。これなら一企業の損得を越えた競争抜きの企業負担となるだろう。零細企業などにはその消費税分の一部を還付すればいい。このような企業間競争という直接的な利害を感じさせない政策的な企業の利潤を社会に再配分することが大切だろう。今までのやり方の逆をやればいいわけです。消費の拡大から景気の拡大と企業の再建をやらねばならないでしょう。労働力を買った場合にも消費税を支払う。。。。これが一番良い投資なわけです。

【2013年】ツイッターつぶやき
タレ。。。醤油・砂糖・みりん・ごま油・ラー油・中華スープの素
上のタレをつくっておきます。水で戻した切り干し大根はさっとゆでておきます。
ピーマンを千切り。アスパラガスをスライスしてさっと塩ゆでします。
キクラゲもさっとゆでて食べやすく切っておきます。
ニラは3センチほどに切っておきます。
フライパンに油をひいてスライスしたニンニクを炒め豚肉を入れ炒めます。酒を入れてアルコール分を飛ばすように炒めます。
そこに切り干し大根を入れて炒め、そのあとピーマン・アスパラガス・きくらげを入れて塩コショウをして炒めます。最後にニラとサクラエビを入れ上のタレを入れてからめるようにして炒めたら出来上がりです。
汁が少し出ますから火を止めた後時々かき混ぜて汁を切り干し大根に吸わせます。

もう何年ぐらい前になるのか。。。。。
若い人を中心に企業に縛られたくない、自由な働き方をしたいといった要求が大きくなりました。それだけ企業への不信が強まった結果だったと思います。
これを政府や財界も受け入れました。
8時間労働制を緩和して労働時間の見直しを行い変形労働時間の導入や多様な働き方(労働と生活というライフパターンの多様化)としてのパートタイム化等。
ある意味労働者側の企業に縛られたくないという要求が逆手に取られて労基法などが改正されたのではないかというのが僕の記憶です。
この流れの中に派遣労働の拡大や本来格差をなくすべきといったものが忘れ去られて雇用形態での格差も生まれたと思います。
しかし労働者の企業に縛られたくないという気持ちは、長時間労働や残業などに縛られたくない、企業の内部への不満からのものだったはずです。もう一度この労働者の気持ちに立ち返り今の派遣労働などの不安定雇用と賃金格差を是正しなければならないでしょう。ここを見ずして自由な働き方は望めません。
アメリカはオバマ大統領令により政府機関の契約職員の最低賃金を大幅に引き上げる動きを示しています。この最低賃金引き上げが民間の中にも広がりを持たねばならないでしょう。「勤労意欲を高め、結果的に生産性を引き上げる効果がある」(上記リンクページより引用)
大幅な最低賃金の引き上げや正社員と不安定雇用者との賃金格差の是正はより自由な働き方の基礎となるでしょう。
同時に、今の政府は労働の規制緩和を進めようとしています。不安定雇用者数の増加はさらに進むでしょう。契約解除は首切りです。ならば不安定雇用者にも首切りの規制を強めなくてはいけないはずなのです。
もちろんパートやバイトにしても最低賃金を上げる必要があり、自由な働き方としての労働する時間によってだけ賃金額が変わるといった時間給の正社員並みが求められます。
このような条件が整備される中でそして本来の労働者の要求としての自由な働き方の基礎の上に厚生年金加入なども進み、正社員並みの福利厚生も要求されていくでしょう。
そうなれば正社員と不安定雇用者の境(壁)がなくなっていきます。この壁を取り払うことにより正社員の増加も行われやすくなります。

【2014年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2015年】ツイッターつぶやき
スーパーで夕食の食材をカートに入れてレジに向かった。
今日は安売りだろうか?いつもに増してレジの行列が長い。
このようなときは前に並ぶ人たちのカートの中身を見て少ない人が多い行列に並ぶのが定石である。
ふと見るとレジの上に「研修中です。」という札が見えた。ここに並ぶと時間がかかるなと判断。その横の行列は中身の少ないカートが多いので列に並ぶ。
しばらく並んで列の半分ぐらい終わったところでふとレジの方を見た。
そのレジ担当はあのおばちゃんだったのだ。。。。。
列は進んでいかない。
隣の「研修中です」のレジの列はどんどん進む。
今更並び替えるのも悔しいのでのんびりと順番を待つこととした。

【2016年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2017年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2018年】ツイッターつぶやき
朝、ゴミを出し終えて花壇の花の様子見ていたら、時々すれ違う茶色に縞模様のある大きな猫がやってきた。この界隈では、この猫と黒猫が縄張りを持っているようで心の中でいつも挨拶をさせていただいている。
やってきた猫は僕から1メートルも離れないところの日差しの中にきれいに前足を曲げて座り込んだ。
横目で見ながら独り言のように「おはよ」と言ってみた。
猫はニャ~ともいわずに薄目になって僕を見ている。
寒いから花も元気がないよ・・・・と、また独り言。
もちろん猫は薄目のままたたずんでいる。
煙草に火をつけて吸いはじめても猫はたたずんでいる。
花殻を摘んでいるとかすかにひげを動かしたがニャ~ともいわない。
名前はないんだろうなぁ・・・・・
一瞬名前を付けてしまおうと思ったが、この1メートルほどの距離間でじっと僕の独り言を聞いていてくれる距離がちょうどよい距離感なんだなと思った。
ちょうどよい距離感。。。。。その点では猫が一番の動物ではないかな。
漱石の「吾輩は猫である」の猫には名前がなかったという。
クシャミ先生もこのちょうどよい距離感が好きだったのかもしれない。
煙草も吸い終わったし帰ろうと思い立ちあがったが、今度は独り言のような挨拶も言わずに帰ってきた。

椅子に座り本を読みながらランチを食べていた
途中でトイレに立った
レストランの通路を進むと
その通路に椅子に座った女がいた
テーブルから1メートル30センチ5ミリ椅子を引いて座っているのである
はて?テーブルにはホットコーヒーが置かれていた
トイレを済ましまたランチと本に集中しようとしたが
あの女が気になって仕方がない
相変わらず背筋を伸ばし、足をきちんとそろえて座っている
はて?あのホットコーヒーと女はどこで接点をもてるのか
食い入るように見てしまった
しかし女は微動だにしない
見るのも飽きて本に目を移そうとしたときである
手がのびた。。。。
手がコーヒーにのびて飲んだと言うことではない
まさに腕が伸びたのである1メートル30センチ5ミリまで
はて?どうして口元まで持ってくることやら
しかし心配は要らなかった
首も1メートル30センチ5ミリ伸びてきちんとテーブルの上で飲んだのである
ふと見るとテーブルの向かいには男がいた
微妙な二人の関係の空気が店内を漂い始めた
【2005年ごろホームページに書いたものですが、ちょっと思い出して・・・・】

【2019年】ツイッターつぶやき
無神論者から言えば、神は人が作り出したもので自ら作り出した神を崇拝してそれは宗教となり莫大な財をその神にささげる。財をささげるということはその財を作り出す労働力をささげるということになる。神のために労働力は奴隷化していく。
同じ様に資本主義は商品や貨幣が神となり、その作り出した商品や貨幣が人を支配していく。商品や貨幣は財そのものであるが、それを生産するのは労働力でありその労働力は奴隷化する。
この状態を物心崇拝という。
日本は古来から自然そのものに神が宿り草一本に神を見る。
宗教としては自然に従いその恩恵に感謝をし同時に自然を畏怖してきた。
このような素朴な宗教は農耕社会においては素朴さのままに置かれていたが、資本主義になっても商品や貨幣を崇拝する。商品を生産して貨幣を得ることができる企業が第一ということが当たり前になるような社会となる。為替や株式はすでに神の存在として人々を支配している。市場の自由赴く処に従え。。。。。。
もちろん宗教が社会の財を吸いつくすと同じように物心崇拝も財を吸いつくしていく。神官はその財を管理する。それが政治です。
でも、商品や貨幣はあらゆる矛盾を生み出しますから自ら神であることを否定し始める。
唯一の神を捨てて八百万の神々に戻ろうとする。また素朴な神々に戻る。
商品や貨幣そして為替や株式に集中された神々は国民すべての財として戻ろうとしている。昔は共産社会であったように。でも昔がえりをすることなく社会民主主義を経るでしょう。

【2020年】ツイッターつぶやき
政府や日銀は個人消費はなお堅調だと分析するが、この個人消費には外国人観光客の国内消費も含めれるのかもしれない。
2018年当時の数字ですが、外国人観光客の消費は、
「日本人が150万人増加したに等しい経済効果」となるらしい。
これは日本の人口が減少している中での数字ですからさらに外国人観光客の消費に日本経済は依拠していることになるでしょう。
しかし個人消費の基本は、外国人観光客という水物ではなくて勤労国民の消費でしょう。
日本の個人消費は横ばいだといわれています。横ばいでも個人消費は堅調と言えるのかもしれませんが、その横ばいを維持しているのが外国人観光客の消費だとなります。
日本人の個人消費は外国人観光客の増加(消費増)に反比例して落ち込んでいると見えます。
観光客と日本人の消費の違いは、日本人は毎日の生活を送るということです。スーパーに買い物に行ったり家電を買ったりなど生活必需品を消費していますが、観光客はそういう消費はないでしょう。すると個人消費は生活必需品などの落ち込みにあるとも見えます。
これにより日本経済は成長はしていきません。
観光客の消費が伸びてもそれが賃金増に反映されるかといえば、日本人の個人消費の落ち込みを穴埋めするような観光客の消費ですから、賃上げの起爆剤にはなりません。

【2021年】ツイッターつぶやき
東京の自宅療養者数は6600人、入院・療養等調整中4810人。
全国的にも自宅療養通の方の病状が急変して亡くなってという報道が毎日のようにあります。
亡くなってはいないまでも自宅療養の過酷さも報道されています。
今後オリンピックの開催がどうなるかわかりませんが、自宅療養者の療養先という点ではオリンピック村が最適ではないかと思います。
オリンピック村は一つの都市のようになっています。
調理室はあるし病院もあるでしょう。そして広い部屋があります。
家族で感染しても家族一緒に療養もできるでしょう。
医療感染者の見回りや様態チェックも効率的に行えます。人工呼吸器などを入れれば救急で医療機関をたらいまわしにされることもないでしょう。
オリンピック村の活用を考える時期に来ていると思います。

【2022年】ツイッターつぶやき
東京の自宅療養者数は6600人、入院・療養等調整中4810人。
全国的にも自宅療養通の方の病状が急変して亡くなってという報道が毎日のようにあります。
亡くなってはいないまでも自宅療養の過酷さも報道されています。
今後オリンピックの開催がどうなるかわかりませんが、自宅療養者の療養先という点ではオリンピック村が最適ではないかと思います。
オリンピック村は一つの都市のようになっています。
調理室はあるし病院もあるでしょう。そして広い部屋があります。
家族で感染しても家族一緒に療養もできるでしょう。
医療感染者の見回りや様態チェックも効率的に行えます。人工呼吸器などを入れれば救急で医療機関をたらいまわしにされることもないでしょう。
オリンピック村の活用を考える時期に来ていると思います。

2014年にツイッターで宇宙エレベーターの事をツイートしていました。
鉄より強度があるが軽いとされるナノセルロースとかという素材の記事を見て宇宙エレベーターも夢ではないと思いました。
最近ではカーボンナノチューブとかという素材も現れてさらに強度が増したようです。
のんびりと空の旅をしながら宇宙へ。。。。
遠い将来はエレベーターで宇宙の駅に向かいそこから宇宙船で火星までとかもあり得ますなぁ。。。。
科学の発達は加速度がさらについてきました。
ほんの少し前にアシモというロボットが階段を登ったというニュースにびっくりしていましたが、今では人工知能で動くロボットが走り回る時代です。宇宙旅行も加速度的に現実化していますね。
あと20年は生きるつもりですからいろいろな科学の発達を見れればと思います。
宇宙エレベーターは間に合わないかな。。。。。

【2023年】ツイッターつぶやき
テレビコマーシャルも同じものと思いますが、政府のインターネットテレビにも
「ワクチン接種により重症化予防、感染予防、発症予防が期待できます。」
とあります。
テレビの健康食品のコマーシャルで〇〇という健康食品(あるいはサプリメント)には✖✖という成分により△△の効果が期待できますというものがある。
ワクチンの効果は期待できるという程度の位置づけのようです。
コロナワクチンはきちんとした臨床試験も終わらないうちに緊急性において接種されています。ですから医薬品としての効き目は不確かなのでしょう。ワクチン接種がはじまり2年が過ぎますがワクチン効果についてはずっと期待できると同じことが言われてきました。
重症化予防、感染予防、発症予防が期待できるというが、実際にどうなのかは発表されていませんね。
感染予防については接種しはじめたころには言われていましたが、現在は重症化しない死なないだけです。これも実際はどうなのかというと、高齢者が重症化し死亡しているのですが、高齢者のワクチン接種率はだいぶ高いはずです。
今までインフルエンザワクチンは接種したことがないのですが、接種した人とそうは変わらず生活をしています。
こう書くとコロナは風邪のようなもんだからとなりますが、そうではなくて、感染しないようにいろいろな面で気をつけなければならないということです。マスクや手洗い消毒など。そして食生活など生活面でも免疫力は大切ですね。

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