【2023年】ツイッターつぶやき
一時135円ぐらいでしたっけ?円安も一服かと思ったらまた140円を超えそうです。
日本は円安により輸出産業が有利とされてきましたが、輸出産業も海外に生産を移転していますから。
輸入が円安で影響を受ければ経済もがたがたです。
6月から3000品目を超える値上げがありましたが、さらに値上げは続くでしょうね。しかしどここの地点で消費は急激に落ちるでしょう。これは庶民が生きて行けなくなる地点です。
≪過去の記事≫
【2004年】
また悲惨な事件がありました。
小学生の女の子が同級生を殺してしまったなんて。。。悲しいです。
何があったのだろう?仲がすごくよかったそうなのに。
チャットが問題というような報道もありますが、たしかに顔の表情が見えない文字だけの会話ですからね。インターネットの怖さという一面です。インターネットのよさはたくさんあるのに、このような事件がおきると悪い面が大きく取り上げられます。
マナーが大切ですし、顔の表情が出ないところに文章の表現に気をつけたいです。
しかしこの女の子たちは、顔見知りですし、お互いの気心は知っていたはずです。まったく知らない同士のインターネットでの会話には気を使いあいますが、気心の知れた同士だとそのほうが案外傷つけるようなこともある面があると思います。
どこの誰ともわからない人に掲示板などに悪口を書かれても、幽霊に言われているようなものですが、知り合い同士となるとこじれますよね。
【2005年】
いくつもの週末
集英社文庫
江國 香織 著
ご主人との生活を描いたエッセイです。
恋人時代は、週末に会い、いつも週末だったらいいのにと思う江國さんですが、結婚後はいつも週末だったら二人は木っ端微塵だと書きます。結婚をしてしまえば会いたいという気持ちはなくなります。毎日会っているのですから。そして恋人同士の頃には見えなかったものがお互いに見えてくるものだと思います。
江國さんの「あとがき」によれば、このエッセイは結婚後2年が来ようとする時期から3年が来ようとする1年間の生活を描き、ご主人が何を書いてもいいとおっしゃったようで、江國さんが結婚という生活に慣れ初めてきた時期のご主人という「男」を見つめる目と結婚観が現れているのだと思います。
江國さんは、二人で生活することによってまったく違った目で世界を見ることができると書きますが、その二人の生活は「男」とであり、それも「自分用の男」でなければならない。同棲というものもありますが、結婚後に二人で暮らすというものには特別なものがあると思います。「男」であると同時に「夫」となる。この夫の部分の「男」を江國さんは見ているのではと思います。
サラリーマンである夫、毎晩帰宅が遅く、疲れて口数も少なく時には風呂も入らずに寝てしまう。ここには生活があり「夫」がいる。しかし週末は仕事をする夫から「男」にもドルのではないか?江國さんは、このいくつもの週末に見る男を描いているのかもしれない。
引き出しを開けたらなぜ閉めないのか、帰宅したら服を脱ぎっぱなしにすると、そのだらしなさを描き、野良猫が鳴いていればおなかがすいているんだと厳寒に駆け込みなんでもいいから餌を江國さんに用意させるような少年ぽさを描く。時には大喧嘩をして「夜遊び」に出てしまう江國さんもいれば、少し猫背で細身の男の腕にゴロニャンする江國さん。。。。
いくつもの週末はいくつもの夫という男を見る週末でもあります。
甘い生活と、時にはいつまで一緒にいるのかと深刻に書く江國さんですが、結婚後2,3年という一般的に見ても危険な時期を作家としての目で描いているのでしょう。
危うさが強い部分がありますが、経済的にも自立した一人の女性でもあり、作家という職業から自分自身の生き方や心を見つめる江國さんですから、この危機感は読者のはある意味で大きく受け止められると思います。
詩集「すみれの花の砂糖づけ」は結婚後もう少し時間が過ぎた時期の夫婦を描いていますが、その危うさももう少し深刻です。しかしその危機の中に江國さんの心の中の葛藤があるのでしょう。
夫婦というのは大なり小なりお互いに葛藤を持ちながら生活をしているものだと思います。江國さんの場合は作家という立場で生活があるわけであり、その目でその葛藤を描けます。それぞれに生活は違いがありますが、葛藤一般を妻の立場から感じ取れる作品だと思います。
出て行こうとする江國さんに
「一時の気の迷いでそんなことをしちゃいけない」と、夫。。。。
「結婚は恒久的な気の迷いだわ」と、江國さん。。。。
「そんなことはない」と言い張る夫。。。。
夫婦と言ってもいつも気持ちが一緒で同じ風景を同じように見ているわけでも感じているわけでもない。そこで江國さんは考える。
「でも、考えてみれば、ちがう風景は素敵だ。出会ったとき、人はお互いが持っているちがう風景に惹かれるのだ。」と。
ちがう人間だから喧嘩もするが、違う人間だからこそ惹かれあう。。。これが夫婦なのでしょう。
夜中、激しく降っていた雨も早朝にはほとんどやみました。入梅を実感します。。。。
雨上がりの公園の緑がきれいでした。
海を眺めて梅干を買ってきました。
千葉の山々が霧に霞んできれいでした。ほとんど風のない海は静かに波の音を聞かせてくれました。
千葉の特産は落花生と琵琶。高いので買わなかったです。
【2006年】
タバコの値段を一箱1000円ぐらいにすれば、喫煙者も減るだろうというような言葉がまかり通っていて、喫煙者も、一箱1000円になったらやめるよと変に納得している。嫌煙にこだわるならそれでいいが、タバコを一箱1000円にするという言葉や意見は、商品の値段そのものや税金をある個人あるいは少数派の人間に対しての制裁的なものとすることではないか。これは陰険な違法行為と思う。
一部の人間に対して、制裁的にそれも社会的に売る商品の価格をその商品の価値以上に一方的に高くしたり、税金を高くするというのは、誰が考えてもおかしなことである。その上、喫煙者から取った税金の一部を児童手当に当てるとか、国や地方自治体の財源にしたり、今も行われているのか?旧国鉄債務の返済にあてるとかいう目的税にしたり、税金は取るけど個人への制裁的な意味合いでタバコの値段を上げるというならこんな理不尽な事はない。
税金は、嫌煙家のためと喫煙化のために使うべきである。分煙や灰皿の設置などに使うべきだ。同時に嫌煙家は、タバコをなくそうとするなら、タバコ税に換わる財源を示すべきである。
タバコだけを個人的なものとして差別的に攻撃をして、税金だけはちゃんと取ってタバコ(喫煙者)とは関係のないところに使う。喫煙者にとっては踏んだり蹴ったりである。
タバコの値上げがささやかれているが、その値上げの理由の中に、「値上げすれば喫煙者は減る」という嫌煙家の論理が入っているとすれば、相当非民主的である。
今夜は、アスパラとエリンギ、糸こんにゃくの明太子オオバ炒め和えを作りました。
アスパラ・エリンギ・下茹でした糸こんにゃくを炒め、塩コショウで少し味付けをし、火を止めてから明太子とオオバの千切りで合えます。仕上げに醤油少々。
おいしかったです。
【2007年】
日中は暑さを感じる一日でした。
スポーツジムに行き汗も流し暑いしあっさりしたものをと重い今夜はソーメン。でも、夜になったら少し涼しくなってしまった。やはりソーメンは蒸し暑い日に限りますなぁ。。。。
午前中、娘と駅まで買い物。
昼飯時になってしまい外食をと思ったのですが、僕はいつものとんかつ屋さん、娘はマック。。。。
「トンカツにしようよ」
「やだ」
「ここのトンカツうまいじゃん」
「やだ」
「じゃぁ、何がいいの(ムカ)」
「マック」
「うううう。。。。」
「まぁ、いいけど。。。トンカツのほうがうまいよ」
「やだ」
「ううう。。。」
娘の「やだ」に負けてしまった。
【2008年】
関東は梅雨入りしました。
平年よりも1週間ほど早い梅雨入りだそうですが、どうも異常な台風の接近で梅雨前線が押し上げられたそうです。梅雨入りが早まったからといって梅雨明けも早いとはいえないそうでして、今年はどんよりした日が長いかも。
まぁ、梅雨入りは仕方ないとしても5月から週末は毎週雨でした。さわやかな五月晴れという記憶があまりない。
日本の夏かぁ。。。
梅雨明けしてから本格的な夏らしさは、一ヶ月ぐらいですからね。暦のうえでは、梅雨明けしてあっという間に秋。。。ハハハ
どうにか梅雨も楽しみましょう。。。
梅雨の雨で好きなのは、公園などの狭い緑でもその色が濃くなり、雨を降らす雲に覆われた空からの光は薄暗い。そんな木々を見ることが好きです。
あと。。。休みの日にのんびりできる日の雨。。。まぁ、それも洗濯物がたまっていないという条件ですが。。。
今夜は、豚肩ロース肉と野菜のトマトに込みを作りました。
おいしかった。。。。
あと、「いわし明太」というのがあったので買ってみました。
イワシの干物の腹の中に明太子が入っているのですが、それを普通に焼いて食べます。珍しい味でした。博多の食べ物らしい。。。。
あとでネットで調べてみます。
【2009年】
(記事なし)
【2010年】
鳩山総理が辞任しましたね。。。。。
やっぱりかぁ・・・・とは思ったのですが、支持率も下がり普天間基地問題とそれに関連した福島大臣の解任と社民党の連立離脱。そしてご自身や小沢幹事長の金の問題と今後の政局運営や参議院選挙に向けて八方塞のような形になってしまいましたからね。
先日も書いたのですが、日本の今現在の二大政党制は保守による二大政党制です。表面的に見ても自民・民主のどちらが政権をとっても総理大臣をはじめ主だった顔ぶれは昔に自民党ですからね。単純に考えて見れば自民党が55年体制を崩壊させて自民党を分けて二大政党制という擬制の制度を定着させたと見ることができます。
55年体制化では、社会党が政権交代ができないというものもありましたが、国会内の緊張感は今の二大政党制よりも大きかった。この緊張感というのは大切でしてある意味自民党も社会党も国民世論に反応しながら自らの政策を貫こうとし、同時に妥協による発展的な政策が実現したわけです。
安保や平和問題にしても自衛隊の拡張と同時に平和主義の基本は残すという形で落ち着きました。国民生活や福祉制度は、官僚や財界そして労働組合(総評)そして市民団体を政治に結び付けて国会内だけではない緊張関係からの妥協としての日本的な雇用関係や環境問題そして生活と年金や健康保険制度などの福祉社会の実現として国民生活はあったわけです。
この日本的なあらゆる制度が国際社会に適応できないとして切り崩されてきたのが55年体制の崩壊と連立政権そしてその一つの結果としての保守二大政党制が出来上がり、国民生活も大きく様変わりをしました。悪いほうへ。。。。。。
55年体制のこの緊張感は、階級闘争というある意味国内の冷戦といってもよい状態に近いものがありました。この緊張感がさまざまな現実的な政策に国家を落ち着かせて国民生活も現実がよくわかるものとして見えました。この階級闘争的なものは、資本主義自体が最後の発展段階に(先進国といわれるいくつかの国家が出来上がるという意味においても)あった中に存在できるものでした。しかし現在は資本主義自体が老齢期に入り、維持させることに矛盾が出てきています。かといって資本主義がなくなるわけではない。ある意味先進国においては国民生活を犠牲にする方法でしかその競争は維持できなくなりつつあるということです。ですからこの今現在においては55年体制というような方法では階級闘争は共倒れをしてしまう危険性があります。しかし階級闘争自体は水面下に残ります。
では、今現在の社会において何が求められるか。。。。。
55年体制の構図が水面下に残りつつ資本主義も残っていくわけですから、それを政策という形でより民主的な国会による社会民主主義が求められているということです。自民党が分裂したような保守二大政党制ではなく、保守と社会民主主義との二大政党制が構築です。先の選挙での民主党のマニフェストの実現は、社会民主主義的な方向に国家が向かわなければ実現できないでしょう。そこに国家の財政問題もあるわけですら、巨大企業が生き残ると同時にその成果が国家財政に関連されなくてはいけない。その意味では資本主義らしくない資本主義に向かわざるを得ない。国家座財政の企業向けの予算は、より国際競争の激しい部門に集中させる。研究費を出す。軍事の国家集権ではなくて経済的なある意味計画性のある集権国家。。。。。
このように書くと非現実的といわれますが、でも、今国民意識としては自民党も民主党も同じではないかという意識が強まっています。参議院選挙の候補に有名人がぞろぞろ、新党の立ち上げ。。。。。もう口をぽかんと開けて眺めるしかない状況です。この状況自体が保守二大政党制への疑念なわけです。何かしら根本的なものを考えなければいけない。。。。。今こういう時期に来ているわけです。実現には長い道かもしれませんが長期的な視点で日本を考えてみるというのも必要じゃないでしょうか?右往左往してあきらめる。。。。。もうこのような政治ではねぇ。。。。。。
気温28度
でも風はさらっとして気持ちがいい
何も考えないで植木の鉢に水をやった
植物は語りかけると元気になるらしい
でも、ごめん何も語りかけなかった
反対に植物たちに慰められた
夜になり涼しい風
詩を読んだ
何でそんなにあたたかいの
冷蔵庫からアイスコーヒーを出して飲んだ
1リットルで100円のアイスコーヒー
シロップを入れなくても甘かった
うまかったよ。。。。アイスコーヒー
本屋から電話があった
道の駅に梅干用の梅干を問い合わせる
声が明るくて暖かだった
涼しい風。。。。
あたたかな詩。。。。
あたたかな声。。。。。。
【2011年】ツイッターつぶやき
管総理の辞任時期についていろいろ言われているが、嘘をついたとか、明確に時期は言っていないとか。
でも全部政治的駆け引きでしょう。それも古い形の。
不信任案はいいが、管後の政権の見通しもなくこれといった政策も国民に見えないままに辞めてほしいというものだけが目に付いた。辞めさせるやり方は旧態依然の数の論理である。管総理はやめるでしょう。その時期は自分で決めるといっただけです。そして福島の低温停止という原発事故の終息後にやめると。そして日本の総理だけがコロコロ変わることの方が世界に恥ずかしいと。
これが不信任案可決前後の動きでしょう。
政治的駆け引きは国民不在である。その意味では今回の国会の混乱は日本政治そのものの矛盾が噴出したということである。それだけである。何も管総理だけを責める問題でもなんでもない。
一部には大連立なら菅中区でもいいというようなこれまたおかしな論理が出ていますが、管総理何をやめてほしくて何をやらせようとしているのか?これもまた中身がわからない。
中身がピーマンな不毛な管おろしや政権運営は、今よりも危ういだろう。
もっと政策を煮詰めるしかないでしょう。
【2012年】ツイッターつぶやき
用事があり出かけたついでに昼飯を食いました。
急に寿司が食べたくなった。。。。いや、近くに回転ずしの「がってん寿司」があることを思い出して寿司が食いたくなったのか。
久しぶりに行きました。店内には「九州うまかもん」の文字が。。。
九州のネタを食べられそうなのでなおさら食欲が。
回転ずしもいろいろな店がありますが、うまさでは僕の知る限り一番だと思います。ネタも豊富でそこら辺の本格的な寿司屋さんよりもいろいろなネタが楽しめますし、ネタも大きくてうまいように思います。
キビナゴや生のサバなど、そうは食えないネタもあり、みそ汁も具だくさん。その他のネタも脂がのって美味かったです。
値段は少々高いですが、腹いっぱい食べても他の回転ずし屋さんに比べても1000円までは変わらないような?
たしかに地方の漁港に行けば地元の回転ずし屋さんもあり美味いのですが、チェーン店として味を楽しめるのはいいなぁ。。。。と。
【2013年】ツイッターつぶやき
1991年がバブル崩壊というのが定説でしょう。その後は「失われた10年」そしてその後も日本経済は落ち込んで「失われた20年」へと。そして民主党の政策の失敗から安倍内閣が発足して「失われた30年」に向かっている。今のアベノミクスが失われた20年からの脱却とも言われるが、現実の政治や経済は小泉内閣をそのまま継承するもので、自民党は変わったと自画自賛するがそうではなくて政策的には「失われた30年」に突入しようとしていると見た方がよいのではないか。それどころか下手をすればアベノミクスは劇薬と言われているが薬にはならずに毒であり、政治も経済もその中心になっている人々は上のために毒饅頭さえ食って国民はまさにその毒のために疲弊はさらに強まる危険性の中に置かれている。
バブルの崩壊は実体経済から離れた資産インフレへと進み好景気も国民生活の安定や国家剤ぜいの健全化には向かわなかった。すべては投資と資本の海外への輸出へと。国家財政危機と巨大企業・銀行救済のために消費税が導入されすぐに消費増税が行われた。国や企業を守るためにこの消費税とともに労働者の生活の切り捨てがはじまる。若い人の失業が増加をしてニートという人々も作られた。このような国際的な生き残り競争を国民生活の犠牲において行うという安易な方法がはじまる。
小泉政権では、一定の好景気が訪れた(株価の上昇など)と言われるが、それは国民生活の安定にはつながらずに逆に雇用の増加はあっても派遣法の改悪で正社員の数を減らす下地を作った。年金制度は積立方式式から賦課方式へ。その中で百年は大丈夫というふれこみはあったもののその後も現在も年金制度は安定をしない。社会全般の中には個人責任論(特徴的なのはイラクでの記者の人質問題でこの自己責任論が大きく取り上げられた)も現れてくる。その中に社会保障の公助から自助へという方向性も出たした。平和主義へは国際貢献が言われて超法規的処置や自衛隊の海外派遣がはじまる。
この中で小泉政権批判もくすぶりその後の自民党内閣は国民から見放されて、格差社会と言われるものや貧困化が問題になりそしてデフレが顕在化していく。民主党のコンクリートから人へ、国民生活が第一というスローガンが国民の要求を吸い上げて政権交代が起きる。
しかし民主党政権も官僚や経済界を動かすことができずに国家財政の危機の中で最後には自民党化をしていく。
そして消費増税が言われ始める。
衆議院選での民主党の敗北と安倍政権。安倍政権におけるアベノミクスへと。。。。
自由主義といっても、この自由主義は企業が儲けるときは自由であって、バブル崩壊のような危機になるといきなり全体主義的な経済体制となる。国民生活は切り下げられてすべては企業間競争での勝利のために動くのが社会システムとなる。
バブル崩壊後の経済の落ち込みはずっと続いてきたと見た方がよいでしょう。
ですからバブル崩壊は今も続いているのです。福島原発事故は終息されたと言われますが、終息どころかいまだに事故は続いているわけで、それと同じようにバブル崩壊というものは終息していないでいまだに続いているのです。
国民生活を切り下げたり自由をなくすような中で国や企業を守るというものから脱却をしなければ、このままでは失われた50年や100年になるでしょう。
【2014年】ツイッターつぶやき
スポーツジム・・・・いろいろと忙しくなってまた10日ぶりになってしまいました。忙しいといっても一日中ではないのですが、ちょこちょこと忙しさがやってきます。
歩いていると何となく梅雨のにおいがしますなぁ。。。。。
梅雨というとアジサイですが、僕はドクダミです。。。。
子供のころ住んでいた家の前に空き地がありました。東京も空地や原っぱがまだたくさんあったころです。その空地はほとんど手入れもしないままになっていて我が家の住人や子供たちが遊ぶときに踏みしめたところ以外草がたくさん生えていました。その片隅に日があまりあたらないところがありそこにドクダミがたくさん生えていました。梅雨の静かな雨にぬれるドクダミをよく窓から眺めていました。
筋トレの機械に爺様が座り込んでずっと動かない。。。。
ちょこっと足の運動をやるとぼうっと自分の世界に入り込んでいる。その世界に入り込んでどいてくれとも言えずに僕もぼうっと待っていた。
労働者は労働を売っているのか?
現象面からすれば労働をして賃金を得ているのですから労働を売っているように見えます。しかし実際は労働力を売っているんです。
企業だってそうでしょう。一人の労働者を雇うとき、この仕事をしてもらいたいと思い雇うわけです。ではこの仕事をしてもらいたいというときにその仕事ができるかあるいはより優秀な形でできるかを見る。それは労働する力を見るわけです。すなわち労働力がその労働者に備わっているかということです。そして企業はその労働者の労働力を買うわけです。
労働力を企業が買って生産手段と結び付けて初めて労働力を消費して労働がはじまります。
ですから労働は売れないんです。労働力を売っているんです。
たとえば労働者は一日8時間労働力を売ったとする。この時に労働者が勘違いをして労働を売ったと意識したら、その8時間の間にどのくらいの労働力を支出されるかわかりません。同じ8時間でも労働密度や強度があります。それによって労働力の支出度は異なってくるでしょう。8時間労働を売ったら今の社会のようなブラック企業が当たり前になってきます。逆に労働力を売ってその密度や強度から労働力の支出度を見るとやはりきついのだから賃金を上げろとなります。賃金を上げろという意識には8時間働いたからとは別に、その8時間の間により多くの労働力を使わされたのだから上げろといえます。こうしてみると賃金は労働力をどのくらい売ったかによって決まる面が見えるでしょう。
労働力の消費度が高くなれば、それは労働時間とその労働時間内の労働の密度や強度によって決まると先に書いたようにその労働力を再生産しなければ次の日も次の月も定年になるまでも働けないわけです。そうするとその労働力の再生産は消費度が高くなれば多くの再生産するための費用や時間が必要になります。それ生活費と休日の時間です。生活費はもちろん賃金額ということになります。
労働力の再生産は、次の世代の労働力を育てることでもあります。今のように少子化になれば労働人口が減って困るということが起きます。ですから自分の体だけではなくて結婚したり子育てしたりする費用も労働力の再生産に必要な額=賃金額ということになります。子供の教育も次の世代の優秀な労働力を育てることですから教育費も大きな再生産費の一部となるでしょう。
この労働力の再生産が追い付かないほど低賃金や長時間労働で休む暇もないということが現れたらどうなるでしょうか。先ほども書いたように少子化やそれ以前に結婚できないということが男女ともに現れます。疲れ切って会社を辞めてしまうというものも出るでしょう。働きすぎて過労死したり自殺したりするという悲惨なことも現れます。労働者の使い捨て状態です。。。。
このように「労働力と労働の違い」を混同してしまうと今のような労働力の再生産もできないような労働力(労働者)の使い捨て社会が正当化されて労働者自らが当たり前と思ったり競争に負けたやつが悪いとなってしまいます。
【2015年】ツイッターつぶやき
為替も125円に手が届きそうである。
日銀の量的緩和は貨幣価値の低下をもたらす。
名目的なものの値段は高騰していく。
物価の高騰はある額の貨幣量で購入できる商品量が減るわけだから、そのある商品に対する貨幣価値は低下をする。
悪性の物価高は消費を縮小させる。賃金額が一定の場合労働者の懐の中にある貨幣量の価値も低下をする。
しかしその労働者にとって1万円という金の価値は低下するだけだろうか?
労働者の生活に対する1万円はその価値を上昇させるでしょう。より少ない商品しか買えなくなった1万円であることから大切に使わなければ生活ができなくなるから。この大切に使うことが生活に対する貨幣価値を上昇させるのである。大切にするならばその使い方を節約する。
日々の生活の中でその1万円をどこに使うか?
どの商品を消費するか。
人為的な悪性の物価高の中で貨幣価値の低下を起こすとともに、同じ貨幣は労働者の生活に対して価値を高めていく。
人為的な物価高はその人為的な貨幣の価値低下という自己矛盾の中にはまり込んでいくだろう。
労働者の生活費は労働力の再生産費であり、この再生産がうまくいかなければ労働力の価値低下を起こすでしょう。それを防止するには労働者の生活に対しての1万円の価値低下を起こさねばならない。それには物価の下落が必然である。
【2016年】ツイッターつぶやき
(記事なし)
【2017年】ツイッターつぶやき
少子高齢化による労働力不足は、「客だぞっ!」というモンスター消費者を撲滅するかもしれない。お客様は神様として何でも有りの客自体が自然消滅するかもしれない。
そもそもモンスター消費者というもの自体が間違った存在だったのですから。
もちろんこれは一般庶民が生活する場としての社会で、高額の商品やサービスルの世界においては例外的にのころ続けるでしょう。
警察も今後は「おい、こらっ!」警察になるかもしれない。お役人も。
しかしこの現象は、カネや力に支配される中での人間同士の摩擦ですから、モンスター消費者の時代と変わり映えのしない殺伐とした社会になるでしょう。
労働力不足による社会の中の現象は、この社会も人の労働により成り立っていることをあらためて理解できる。
ここから人の労働を大切にするという発想が出てこなければならないのですが、今後はますます労働力というものはないがしろにされ続けるでしょう。
社会は殺伐として人と人とが摩擦を強くして行くでしょう。
多くの国民はこの殺伐さの外にいて普通の人間として生活しているのですが、限られた階層や考え方や思想を持つ人々が社会をかき回していくのです。
【2018年】ツイッターつぶやき
愛煙家という言葉はあまり好きではない。というよりも愛煙家と言うほどのものではなくて煙草を好きですっているというぐらいの言葉があればいいと思う。
まぁ、愛煙家でもいいけど『愛煙家通信』というサイトがある。多くの文化人の方が参加をしている。今の禁煙運動に対する反対意見をいろいろな形で書かれている。
ネットで「タバコ」という言葉を検索すると、肺がんをはじめたばこと健康についてや禁煙の推進に関したものが多くヒットするが、禁煙運動に反対する意見のサイトはそうはお目にかかれない。愛煙通信というのは貴重なサイトなのかもしれません。何も喫煙を広めようとする意図があるわけではなくて、現在の禁煙運動に対して疑問を投げかけるだけです。
過激化する禁煙運動は社会の中で危うさを持っていますね。その危うさを喫煙を守るという事だけではなくて喫煙を守ることを通して社会の危うさを批判する。こういった言論も必要と思います。
【2019年】ツイッターつぶやき
(ハッシュタグというのが出てきましたので、初めて使ってみます。どう表示されるのでしょ?新バージョンじゃなくてはダメかな?)
だいぶ昔、ある国で銀行の窓口に並んでいたら、夕方しめる時間になって客が並んでいた。しかしその銀行員は時間ですからと窓口を閉めた。ひどいではないかという意見が多数でしょう。
また、ツイッターだったか、飲食店に入って魚に骨があったので店員に文句を言ったら、その店員は「魚なんだから、当たり前だろ」と答えた。店員の態度はけしからんという意見が多数となるでしょう。
これが今の日本人です。
カネを払っている客だぞ!
これが今の多くの日本人です。
人の労働よりも金の方が大切にされる思考回路が出来上がってしまった。
ですからご無理ごもっともと客が大切にされる企業体質も生まれる。
社会全体あるいは経済活動全体が人の労働を蔑ろにしています。バイトなお低賃金で働かせて莫大な利益を得ることが当たり前になっている。株式会社の株主から見れば優れた経営者で、銀行から見れば健全な経営をする企業となる。
しかし労働を蔑ろにした社会である日本は大きな矛盾に陥っていますね。
賃上げがマイナスかという国は成員申告や途上国ではほとんど他にはない。そして働き方改革がずっと長く続いて労働条件も悪くなる。ブラック企業も現れる。
カネ(賃金)を払っているのは会社だぞ!
これが今の日本社会です。
社会は人の労働なしには崩壊をしてしまいます。
これを忘れているわけです。
労働力不足が社会問題化されるのがそれを証明しています。そして労働力不足は人の労働を蔑ろにする中で生まれた。生活費(賃金)や労働条件そして女性労働蔑視の中から。
日本社会は崩壊の一面を示しています。
【2020年】ツイッターつぶやき
オリンピックの開催まで50日を切りました。
去年3月末に延期を決めましたが、なぜ1年延期なのかの根拠はわかりませんが「コロナに打ち勝った証として」「完全な形として」と国民に期待を持たせた中での延期でした。
しかしこの1年間を見ればコロナに打ち勝つようなコロナ対策があったでしょうか?
オリンピックも経済効果が優先されて湯水のごとく税金をつぎ込みましたが、コロナ対策もGo Toという最悪の経済政策が出され、相も変わらず検査人数は抑えられ医療の改善もないままに1年が過ぎたのですから、結果、コロナは抑えきれずに第二波、第三波、第四波へ。。。。。
ですから結果として「完全な形で開催」というのも反故にされました。
そして現在は開催できる条件ではないにもかかわらず「安心安全」という抽象的な言葉で開催に向かっています。
大阪に見る医療崩壊をはじめ医療体制の脆弱性から死亡者数が増加をしています。これはオリンピック開催が直接的な原因ではないですが、オリンピックありきの流れの中にコロナ対策も流された結果ではないでしょうか。
「ニッポンすごい」はここ数年いろいろなところで言われている。
安倍総理は頃の名コロナの現状を見ないでコロナ後の経済V字回復を打ち上げた。
日銀は金融政策フル稼働で株価維持に躍起である。
news week誌に「日本よ、縮小を恐れるな・・・・・」という記事があった。
現実を直視すればV字回復どころか経済は縮小していくということなのかもしれません。
それはコロナ対策を見ても、消毒剤エタノールの現状もブラジル頼みでマスクも中国頼み。
ITとは言われていますが、だいぶ遅れているようで、給付金の給付の遅さに現れているようです。医療崩壊が言われていますが医師の人数はドイツの半分だそうです。
日本は経済的に余力がなくなっているのだそうです。
でも、こうした日本経済の脆弱性はコロナ以前から現れておりGDPはマイナス傾向を示していました。そのうえでのコロナですから。
経済の脆弱性は日本企業の脆弱性ですが、安い労働力を求めて海外に資本をもっていき、国内の雇用や賃金を抑えて労働者の状態の悪化を伴うところから利益を得ることに慣れすぎてしまいました。それを行わせたのはアベノミクスです。アベノミクスという毒団子に満腹感を得ていましたが、そろそろ毒が体に回りはじめています。
日本経済の示寂性を指摘すると、「ニッポンすごい」という人から誹謗中傷が起きるのもまた日本の現状で、こうした凝り固まった思考や行動がまた経済自体を凝り固まったものとするでしょう。
【2021年】ツイッターつぶやき
オリンピックの開催まで50日を切りました。
去年3月末に延期を決めましたが、なぜ1年延期なのかの根拠はわかりませんが「コロナに打ち勝った証として」「完全な形として」と国民に期待を持たせた中での延期でした。
しかしこの1年間を見ればコロナに打ち勝つようなコロナ対策があったでしょうか?
オリンピックも経済効果が優先されて湯水のごとく税金をつぎ込みましたが、コロナ対策もGo Toという最悪の経済政策が出され、相も変わらず検査人数は抑えられ医療の改善もないままに1年が過ぎたのですから、結果、コロナは抑えきれずに第二波、第三波、第四波へ。。。。。
ですから結果として「完全な形で開催」というのも反故にされました。
そして現在は開催できる条件ではないにもかかわらず「安心安全」という抽象的な言葉で開催に向かっています。
大阪に見る医療崩壊をはじめ医療体制の脆弱性から死亡者数が増加をしています。これはオリンピック開催が直接的な原因ではないですが、オリンピックありきの流れの中にコロナ対策も流された結果ではないでしょうか。
【2022年】ツイッターつぶやき
商品のマーケティングでロングテールという言葉がある。
売れ筋の商品が高い棒グラフとして現れるが、そうでもない商品がその高い山の後に続く。このグラフと東京(全国)の1日当たりの新規感染者数のグラフが似ているような気がする。
新規感染者数は減少していくのですが、下げ止まり状態でなかなかゼロに近づかない。
2月の初めに急激に増加をしてピークとなりそれから4カ月。徐々に減少しているがしっぽを残しながらロングテール状態です。マーケティングでのロングテールは商機の考え方ができる。コロナの場合は減少していかない状態を示す。ピーク時の新規感染者数よりもしっぽのほうの合計人数が大きくなる可能性があります。これまでの波の形とは明らかに違いますね。
一時135円ぐらいでしたっけ?円安も一服かと思ったらまた140円を超えそうです。
日本は円安により輸出産業が有利とされてきましたが、輸出産業も海外に生産を移転していますから。
輸入が円安で影響を受ければ経済もがたがたです。
6月から3000品目を超える値上げがありましたが、さらに値上げは続くでしょうね。しかしどここの地点で消費は急激に落ちるでしょう。これは庶民が生きて行けなくなる地点です。
≪過去の記事≫
【2004年】
また悲惨な事件がありました。
小学生の女の子が同級生を殺してしまったなんて。。。悲しいです。
何があったのだろう?仲がすごくよかったそうなのに。
チャットが問題というような報道もありますが、たしかに顔の表情が見えない文字だけの会話ですからね。インターネットの怖さという一面です。インターネットのよさはたくさんあるのに、このような事件がおきると悪い面が大きく取り上げられます。
マナーが大切ですし、顔の表情が出ないところに文章の表現に気をつけたいです。
しかしこの女の子たちは、顔見知りですし、お互いの気心は知っていたはずです。まったく知らない同士のインターネットでの会話には気を使いあいますが、気心の知れた同士だとそのほうが案外傷つけるようなこともある面があると思います。
どこの誰ともわからない人に掲示板などに悪口を書かれても、幽霊に言われているようなものですが、知り合い同士となるとこじれますよね。
【2005年】
いくつもの週末
集英社文庫
江國 香織 著
ご主人との生活を描いたエッセイです。
恋人時代は、週末に会い、いつも週末だったらいいのにと思う江國さんですが、結婚後はいつも週末だったら二人は木っ端微塵だと書きます。結婚をしてしまえば会いたいという気持ちはなくなります。毎日会っているのですから。そして恋人同士の頃には見えなかったものがお互いに見えてくるものだと思います。
江國さんの「あとがき」によれば、このエッセイは結婚後2年が来ようとする時期から3年が来ようとする1年間の生活を描き、ご主人が何を書いてもいいとおっしゃったようで、江國さんが結婚という生活に慣れ初めてきた時期のご主人という「男」を見つめる目と結婚観が現れているのだと思います。
江國さんは、二人で生活することによってまったく違った目で世界を見ることができると書きますが、その二人の生活は「男」とであり、それも「自分用の男」でなければならない。同棲というものもありますが、結婚後に二人で暮らすというものには特別なものがあると思います。「男」であると同時に「夫」となる。この夫の部分の「男」を江國さんは見ているのではと思います。
サラリーマンである夫、毎晩帰宅が遅く、疲れて口数も少なく時には風呂も入らずに寝てしまう。ここには生活があり「夫」がいる。しかし週末は仕事をする夫から「男」にもドルのではないか?江國さんは、このいくつもの週末に見る男を描いているのかもしれない。
引き出しを開けたらなぜ閉めないのか、帰宅したら服を脱ぎっぱなしにすると、そのだらしなさを描き、野良猫が鳴いていればおなかがすいているんだと厳寒に駆け込みなんでもいいから餌を江國さんに用意させるような少年ぽさを描く。時には大喧嘩をして「夜遊び」に出てしまう江國さんもいれば、少し猫背で細身の男の腕にゴロニャンする江國さん。。。。
いくつもの週末はいくつもの夫という男を見る週末でもあります。
甘い生活と、時にはいつまで一緒にいるのかと深刻に書く江國さんですが、結婚後2,3年という一般的に見ても危険な時期を作家としての目で描いているのでしょう。
危うさが強い部分がありますが、経済的にも自立した一人の女性でもあり、作家という職業から自分自身の生き方や心を見つめる江國さんですから、この危機感は読者のはある意味で大きく受け止められると思います。
詩集「すみれの花の砂糖づけ」は結婚後もう少し時間が過ぎた時期の夫婦を描いていますが、その危うさももう少し深刻です。しかしその危機の中に江國さんの心の中の葛藤があるのでしょう。
夫婦というのは大なり小なりお互いに葛藤を持ちながら生活をしているものだと思います。江國さんの場合は作家という立場で生活があるわけであり、その目でその葛藤を描けます。それぞれに生活は違いがありますが、葛藤一般を妻の立場から感じ取れる作品だと思います。
出て行こうとする江國さんに
「一時の気の迷いでそんなことをしちゃいけない」と、夫。。。。
「結婚は恒久的な気の迷いだわ」と、江國さん。。。。
「そんなことはない」と言い張る夫。。。。
夫婦と言ってもいつも気持ちが一緒で同じ風景を同じように見ているわけでも感じているわけでもない。そこで江國さんは考える。
「でも、考えてみれば、ちがう風景は素敵だ。出会ったとき、人はお互いが持っているちがう風景に惹かれるのだ。」と。
ちがう人間だから喧嘩もするが、違う人間だからこそ惹かれあう。。。これが夫婦なのでしょう。
夜中、激しく降っていた雨も早朝にはほとんどやみました。入梅を実感します。。。。
雨上がりの公園の緑がきれいでした。
海を眺めて梅干を買ってきました。
千葉の山々が霧に霞んできれいでした。ほとんど風のない海は静かに波の音を聞かせてくれました。
千葉の特産は落花生と琵琶。高いので買わなかったです。
【2006年】
タバコの値段を一箱1000円ぐらいにすれば、喫煙者も減るだろうというような言葉がまかり通っていて、喫煙者も、一箱1000円になったらやめるよと変に納得している。嫌煙にこだわるならそれでいいが、タバコを一箱1000円にするという言葉や意見は、商品の値段そのものや税金をある個人あるいは少数派の人間に対しての制裁的なものとすることではないか。これは陰険な違法行為と思う。
一部の人間に対して、制裁的にそれも社会的に売る商品の価格をその商品の価値以上に一方的に高くしたり、税金を高くするというのは、誰が考えてもおかしなことである。その上、喫煙者から取った税金の一部を児童手当に当てるとか、国や地方自治体の財源にしたり、今も行われているのか?旧国鉄債務の返済にあてるとかいう目的税にしたり、税金は取るけど個人への制裁的な意味合いでタバコの値段を上げるというならこんな理不尽な事はない。
税金は、嫌煙家のためと喫煙化のために使うべきである。分煙や灰皿の設置などに使うべきだ。同時に嫌煙家は、タバコをなくそうとするなら、タバコ税に換わる財源を示すべきである。
タバコだけを個人的なものとして差別的に攻撃をして、税金だけはちゃんと取ってタバコ(喫煙者)とは関係のないところに使う。喫煙者にとっては踏んだり蹴ったりである。
タバコの値上げがささやかれているが、その値上げの理由の中に、「値上げすれば喫煙者は減る」という嫌煙家の論理が入っているとすれば、相当非民主的である。
今夜は、アスパラとエリンギ、糸こんにゃくの明太子オオバ炒め和えを作りました。
アスパラ・エリンギ・下茹でした糸こんにゃくを炒め、塩コショウで少し味付けをし、火を止めてから明太子とオオバの千切りで合えます。仕上げに醤油少々。
おいしかったです。
【2007年】
日中は暑さを感じる一日でした。
スポーツジムに行き汗も流し暑いしあっさりしたものをと重い今夜はソーメン。でも、夜になったら少し涼しくなってしまった。やはりソーメンは蒸し暑い日に限りますなぁ。。。。
午前中、娘と駅まで買い物。
昼飯時になってしまい外食をと思ったのですが、僕はいつものとんかつ屋さん、娘はマック。。。。
「トンカツにしようよ」
「やだ」
「ここのトンカツうまいじゃん」
「やだ」
「じゃぁ、何がいいの(ムカ)」
「マック」
「うううう。。。。」
「まぁ、いいけど。。。トンカツのほうがうまいよ」
「やだ」
「ううう。。。」
娘の「やだ」に負けてしまった。
【2008年】
関東は梅雨入りしました。
平年よりも1週間ほど早い梅雨入りだそうですが、どうも異常な台風の接近で梅雨前線が押し上げられたそうです。梅雨入りが早まったからといって梅雨明けも早いとはいえないそうでして、今年はどんよりした日が長いかも。
まぁ、梅雨入りは仕方ないとしても5月から週末は毎週雨でした。さわやかな五月晴れという記憶があまりない。
日本の夏かぁ。。。
梅雨明けしてから本格的な夏らしさは、一ヶ月ぐらいですからね。暦のうえでは、梅雨明けしてあっという間に秋。。。ハハハ
どうにか梅雨も楽しみましょう。。。
梅雨の雨で好きなのは、公園などの狭い緑でもその色が濃くなり、雨を降らす雲に覆われた空からの光は薄暗い。そんな木々を見ることが好きです。
あと。。。休みの日にのんびりできる日の雨。。。まぁ、それも洗濯物がたまっていないという条件ですが。。。
今夜は、豚肩ロース肉と野菜のトマトに込みを作りました。
おいしかった。。。。
あと、「いわし明太」というのがあったので買ってみました。
イワシの干物の腹の中に明太子が入っているのですが、それを普通に焼いて食べます。珍しい味でした。博多の食べ物らしい。。。。
あとでネットで調べてみます。
【2009年】
(記事なし)
【2010年】
鳩山総理が辞任しましたね。。。。。
やっぱりかぁ・・・・とは思ったのですが、支持率も下がり普天間基地問題とそれに関連した福島大臣の解任と社民党の連立離脱。そしてご自身や小沢幹事長の金の問題と今後の政局運営や参議院選挙に向けて八方塞のような形になってしまいましたからね。
先日も書いたのですが、日本の今現在の二大政党制は保守による二大政党制です。表面的に見ても自民・民主のどちらが政権をとっても総理大臣をはじめ主だった顔ぶれは昔に自民党ですからね。単純に考えて見れば自民党が55年体制を崩壊させて自民党を分けて二大政党制という擬制の制度を定着させたと見ることができます。
55年体制化では、社会党が政権交代ができないというものもありましたが、国会内の緊張感は今の二大政党制よりも大きかった。この緊張感というのは大切でしてある意味自民党も社会党も国民世論に反応しながら自らの政策を貫こうとし、同時に妥協による発展的な政策が実現したわけです。
安保や平和問題にしても自衛隊の拡張と同時に平和主義の基本は残すという形で落ち着きました。国民生活や福祉制度は、官僚や財界そして労働組合(総評)そして市民団体を政治に結び付けて国会内だけではない緊張関係からの妥協としての日本的な雇用関係や環境問題そして生活と年金や健康保険制度などの福祉社会の実現として国民生活はあったわけです。
この日本的なあらゆる制度が国際社会に適応できないとして切り崩されてきたのが55年体制の崩壊と連立政権そしてその一つの結果としての保守二大政党制が出来上がり、国民生活も大きく様変わりをしました。悪いほうへ。。。。。。
55年体制のこの緊張感は、階級闘争というある意味国内の冷戦といってもよい状態に近いものがありました。この緊張感がさまざまな現実的な政策に国家を落ち着かせて国民生活も現実がよくわかるものとして見えました。この階級闘争的なものは、資本主義自体が最後の発展段階に(先進国といわれるいくつかの国家が出来上がるという意味においても)あった中に存在できるものでした。しかし現在は資本主義自体が老齢期に入り、維持させることに矛盾が出てきています。かといって資本主義がなくなるわけではない。ある意味先進国においては国民生活を犠牲にする方法でしかその競争は維持できなくなりつつあるということです。ですからこの今現在においては55年体制というような方法では階級闘争は共倒れをしてしまう危険性があります。しかし階級闘争自体は水面下に残ります。
では、今現在の社会において何が求められるか。。。。。
55年体制の構図が水面下に残りつつ資本主義も残っていくわけですから、それを政策という形でより民主的な国会による社会民主主義が求められているということです。自民党が分裂したような保守二大政党制ではなく、保守と社会民主主義との二大政党制が構築です。先の選挙での民主党のマニフェストの実現は、社会民主主義的な方向に国家が向かわなければ実現できないでしょう。そこに国家の財政問題もあるわけですら、巨大企業が生き残ると同時にその成果が国家財政に関連されなくてはいけない。その意味では資本主義らしくない資本主義に向かわざるを得ない。国家座財政の企業向けの予算は、より国際競争の激しい部門に集中させる。研究費を出す。軍事の国家集権ではなくて経済的なある意味計画性のある集権国家。。。。。
このように書くと非現実的といわれますが、でも、今国民意識としては自民党も民主党も同じではないかという意識が強まっています。参議院選挙の候補に有名人がぞろぞろ、新党の立ち上げ。。。。。もう口をぽかんと開けて眺めるしかない状況です。この状況自体が保守二大政党制への疑念なわけです。何かしら根本的なものを考えなければいけない。。。。。今こういう時期に来ているわけです。実現には長い道かもしれませんが長期的な視点で日本を考えてみるというのも必要じゃないでしょうか?右往左往してあきらめる。。。。。もうこのような政治ではねぇ。。。。。。
気温28度
でも風はさらっとして気持ちがいい
何も考えないで植木の鉢に水をやった
植物は語りかけると元気になるらしい
でも、ごめん何も語りかけなかった
反対に植物たちに慰められた
夜になり涼しい風
詩を読んだ
何でそんなにあたたかいの
冷蔵庫からアイスコーヒーを出して飲んだ
1リットルで100円のアイスコーヒー
シロップを入れなくても甘かった
うまかったよ。。。。アイスコーヒー
本屋から電話があった
道の駅に梅干用の梅干を問い合わせる
声が明るくて暖かだった
涼しい風。。。。
あたたかな詩。。。。
あたたかな声。。。。。。
【2011年】ツイッターつぶやき
管総理の辞任時期についていろいろ言われているが、嘘をついたとか、明確に時期は言っていないとか。
でも全部政治的駆け引きでしょう。それも古い形の。
不信任案はいいが、管後の政権の見通しもなくこれといった政策も国民に見えないままに辞めてほしいというものだけが目に付いた。辞めさせるやり方は旧態依然の数の論理である。管総理はやめるでしょう。その時期は自分で決めるといっただけです。そして福島の低温停止という原発事故の終息後にやめると。そして日本の総理だけがコロコロ変わることの方が世界に恥ずかしいと。
これが不信任案可決前後の動きでしょう。
政治的駆け引きは国民不在である。その意味では今回の国会の混乱は日本政治そのものの矛盾が噴出したということである。それだけである。何も管総理だけを責める問題でもなんでもない。
一部には大連立なら菅中区でもいいというようなこれまたおかしな論理が出ていますが、管総理何をやめてほしくて何をやらせようとしているのか?これもまた中身がわからない。
中身がピーマンな不毛な管おろしや政権運営は、今よりも危ういだろう。
もっと政策を煮詰めるしかないでしょう。
【2012年】ツイッターつぶやき
用事があり出かけたついでに昼飯を食いました。
急に寿司が食べたくなった。。。。いや、近くに回転ずしの「がってん寿司」があることを思い出して寿司が食いたくなったのか。
久しぶりに行きました。店内には「九州うまかもん」の文字が。。。
九州のネタを食べられそうなのでなおさら食欲が。
回転ずしもいろいろな店がありますが、うまさでは僕の知る限り一番だと思います。ネタも豊富でそこら辺の本格的な寿司屋さんよりもいろいろなネタが楽しめますし、ネタも大きくてうまいように思います。
キビナゴや生のサバなど、そうは食えないネタもあり、みそ汁も具だくさん。その他のネタも脂がのって美味かったです。
値段は少々高いですが、腹いっぱい食べても他の回転ずし屋さんに比べても1000円までは変わらないような?
たしかに地方の漁港に行けば地元の回転ずし屋さんもあり美味いのですが、チェーン店として味を楽しめるのはいいなぁ。。。。と。
【2013年】ツイッターつぶやき
1991年がバブル崩壊というのが定説でしょう。その後は「失われた10年」そしてその後も日本経済は落ち込んで「失われた20年」へと。そして民主党の政策の失敗から安倍内閣が発足して「失われた30年」に向かっている。今のアベノミクスが失われた20年からの脱却とも言われるが、現実の政治や経済は小泉内閣をそのまま継承するもので、自民党は変わったと自画自賛するがそうではなくて政策的には「失われた30年」に突入しようとしていると見た方がよいのではないか。それどころか下手をすればアベノミクスは劇薬と言われているが薬にはならずに毒であり、政治も経済もその中心になっている人々は上のために毒饅頭さえ食って国民はまさにその毒のために疲弊はさらに強まる危険性の中に置かれている。
バブルの崩壊は実体経済から離れた資産インフレへと進み好景気も国民生活の安定や国家剤ぜいの健全化には向かわなかった。すべては投資と資本の海外への輸出へと。国家財政危機と巨大企業・銀行救済のために消費税が導入されすぐに消費増税が行われた。国や企業を守るためにこの消費税とともに労働者の生活の切り捨てがはじまる。若い人の失業が増加をしてニートという人々も作られた。このような国際的な生き残り競争を国民生活の犠牲において行うという安易な方法がはじまる。
小泉政権では、一定の好景気が訪れた(株価の上昇など)と言われるが、それは国民生活の安定にはつながらずに逆に雇用の増加はあっても派遣法の改悪で正社員の数を減らす下地を作った。年金制度は積立方式式から賦課方式へ。その中で百年は大丈夫というふれこみはあったもののその後も現在も年金制度は安定をしない。社会全般の中には個人責任論(特徴的なのはイラクでの記者の人質問題でこの自己責任論が大きく取り上げられた)も現れてくる。その中に社会保障の公助から自助へという方向性も出たした。平和主義へは国際貢献が言われて超法規的処置や自衛隊の海外派遣がはじまる。
この中で小泉政権批判もくすぶりその後の自民党内閣は国民から見放されて、格差社会と言われるものや貧困化が問題になりそしてデフレが顕在化していく。民主党のコンクリートから人へ、国民生活が第一というスローガンが国民の要求を吸い上げて政権交代が起きる。
しかし民主党政権も官僚や経済界を動かすことができずに国家財政の危機の中で最後には自民党化をしていく。
そして消費増税が言われ始める。
衆議院選での民主党の敗北と安倍政権。安倍政権におけるアベノミクスへと。。。。
自由主義といっても、この自由主義は企業が儲けるときは自由であって、バブル崩壊のような危機になるといきなり全体主義的な経済体制となる。国民生活は切り下げられてすべては企業間競争での勝利のために動くのが社会システムとなる。
バブル崩壊後の経済の落ち込みはずっと続いてきたと見た方がよいでしょう。
ですからバブル崩壊は今も続いているのです。福島原発事故は終息されたと言われますが、終息どころかいまだに事故は続いているわけで、それと同じようにバブル崩壊というものは終息していないでいまだに続いているのです。
国民生活を切り下げたり自由をなくすような中で国や企業を守るというものから脱却をしなければ、このままでは失われた50年や100年になるでしょう。
【2014年】ツイッターつぶやき
スポーツジム・・・・いろいろと忙しくなってまた10日ぶりになってしまいました。忙しいといっても一日中ではないのですが、ちょこちょこと忙しさがやってきます。
歩いていると何となく梅雨のにおいがしますなぁ。。。。。
梅雨というとアジサイですが、僕はドクダミです。。。。
子供のころ住んでいた家の前に空き地がありました。東京も空地や原っぱがまだたくさんあったころです。その空地はほとんど手入れもしないままになっていて我が家の住人や子供たちが遊ぶときに踏みしめたところ以外草がたくさん生えていました。その片隅に日があまりあたらないところがありそこにドクダミがたくさん生えていました。梅雨の静かな雨にぬれるドクダミをよく窓から眺めていました。
筋トレの機械に爺様が座り込んでずっと動かない。。。。
ちょこっと足の運動をやるとぼうっと自分の世界に入り込んでいる。その世界に入り込んでどいてくれとも言えずに僕もぼうっと待っていた。
労働者は労働を売っているのか?
現象面からすれば労働をして賃金を得ているのですから労働を売っているように見えます。しかし実際は労働力を売っているんです。
企業だってそうでしょう。一人の労働者を雇うとき、この仕事をしてもらいたいと思い雇うわけです。ではこの仕事をしてもらいたいというときにその仕事ができるかあるいはより優秀な形でできるかを見る。それは労働する力を見るわけです。すなわち労働力がその労働者に備わっているかということです。そして企業はその労働者の労働力を買うわけです。
労働力を企業が買って生産手段と結び付けて初めて労働力を消費して労働がはじまります。
ですから労働は売れないんです。労働力を売っているんです。
たとえば労働者は一日8時間労働力を売ったとする。この時に労働者が勘違いをして労働を売ったと意識したら、その8時間の間にどのくらいの労働力を支出されるかわかりません。同じ8時間でも労働密度や強度があります。それによって労働力の支出度は異なってくるでしょう。8時間労働を売ったら今の社会のようなブラック企業が当たり前になってきます。逆に労働力を売ってその密度や強度から労働力の支出度を見るとやはりきついのだから賃金を上げろとなります。賃金を上げろという意識には8時間働いたからとは別に、その8時間の間により多くの労働力を使わされたのだから上げろといえます。こうしてみると賃金は労働力をどのくらい売ったかによって決まる面が見えるでしょう。
労働力の消費度が高くなれば、それは労働時間とその労働時間内の労働の密度や強度によって決まると先に書いたようにその労働力を再生産しなければ次の日も次の月も定年になるまでも働けないわけです。そうするとその労働力の再生産は消費度が高くなれば多くの再生産するための費用や時間が必要になります。それ生活費と休日の時間です。生活費はもちろん賃金額ということになります。
労働力の再生産は、次の世代の労働力を育てることでもあります。今のように少子化になれば労働人口が減って困るということが起きます。ですから自分の体だけではなくて結婚したり子育てしたりする費用も労働力の再生産に必要な額=賃金額ということになります。子供の教育も次の世代の優秀な労働力を育てることですから教育費も大きな再生産費の一部となるでしょう。
この労働力の再生産が追い付かないほど低賃金や長時間労働で休む暇もないということが現れたらどうなるでしょうか。先ほども書いたように少子化やそれ以前に結婚できないということが男女ともに現れます。疲れ切って会社を辞めてしまうというものも出るでしょう。働きすぎて過労死したり自殺したりするという悲惨なことも現れます。労働者の使い捨て状態です。。。。
このように「労働力と労働の違い」を混同してしまうと今のような労働力の再生産もできないような労働力(労働者)の使い捨て社会が正当化されて労働者自らが当たり前と思ったり競争に負けたやつが悪いとなってしまいます。
【2015年】ツイッターつぶやき
為替も125円に手が届きそうである。
日銀の量的緩和は貨幣価値の低下をもたらす。
名目的なものの値段は高騰していく。
物価の高騰はある額の貨幣量で購入できる商品量が減るわけだから、そのある商品に対する貨幣価値は低下をする。
悪性の物価高は消費を縮小させる。賃金額が一定の場合労働者の懐の中にある貨幣量の価値も低下をする。
しかしその労働者にとって1万円という金の価値は低下するだけだろうか?
労働者の生活に対する1万円はその価値を上昇させるでしょう。より少ない商品しか買えなくなった1万円であることから大切に使わなければ生活ができなくなるから。この大切に使うことが生活に対する貨幣価値を上昇させるのである。大切にするならばその使い方を節約する。
日々の生活の中でその1万円をどこに使うか?
どの商品を消費するか。
人為的な悪性の物価高の中で貨幣価値の低下を起こすとともに、同じ貨幣は労働者の生活に対して価値を高めていく。
人為的な物価高はその人為的な貨幣の価値低下という自己矛盾の中にはまり込んでいくだろう。
労働者の生活費は労働力の再生産費であり、この再生産がうまくいかなければ労働力の価値低下を起こすでしょう。それを防止するには労働者の生活に対しての1万円の価値低下を起こさねばならない。それには物価の下落が必然である。
【2016年】ツイッターつぶやき
(記事なし)
【2017年】ツイッターつぶやき
少子高齢化による労働力不足は、「客だぞっ!」というモンスター消費者を撲滅するかもしれない。お客様は神様として何でも有りの客自体が自然消滅するかもしれない。
そもそもモンスター消費者というもの自体が間違った存在だったのですから。
もちろんこれは一般庶民が生活する場としての社会で、高額の商品やサービスルの世界においては例外的にのころ続けるでしょう。
警察も今後は「おい、こらっ!」警察になるかもしれない。お役人も。
しかしこの現象は、カネや力に支配される中での人間同士の摩擦ですから、モンスター消費者の時代と変わり映えのしない殺伐とした社会になるでしょう。
労働力不足による社会の中の現象は、この社会も人の労働により成り立っていることをあらためて理解できる。
ここから人の労働を大切にするという発想が出てこなければならないのですが、今後はますます労働力というものはないがしろにされ続けるでしょう。
社会は殺伐として人と人とが摩擦を強くして行くでしょう。
多くの国民はこの殺伐さの外にいて普通の人間として生活しているのですが、限られた階層や考え方や思想を持つ人々が社会をかき回していくのです。
【2018年】ツイッターつぶやき
愛煙家という言葉はあまり好きではない。というよりも愛煙家と言うほどのものではなくて煙草を好きですっているというぐらいの言葉があればいいと思う。
まぁ、愛煙家でもいいけど『愛煙家通信』というサイトがある。多くの文化人の方が参加をしている。今の禁煙運動に対する反対意見をいろいろな形で書かれている。
ネットで「タバコ」という言葉を検索すると、肺がんをはじめたばこと健康についてや禁煙の推進に関したものが多くヒットするが、禁煙運動に反対する意見のサイトはそうはお目にかかれない。愛煙通信というのは貴重なサイトなのかもしれません。何も喫煙を広めようとする意図があるわけではなくて、現在の禁煙運動に対して疑問を投げかけるだけです。
過激化する禁煙運動は社会の中で危うさを持っていますね。その危うさを喫煙を守るという事だけではなくて喫煙を守ることを通して社会の危うさを批判する。こういった言論も必要と思います。
【2019年】ツイッターつぶやき
(ハッシュタグというのが出てきましたので、初めて使ってみます。どう表示されるのでしょ?新バージョンじゃなくてはダメかな?)
だいぶ昔、ある国で銀行の窓口に並んでいたら、夕方しめる時間になって客が並んでいた。しかしその銀行員は時間ですからと窓口を閉めた。ひどいではないかという意見が多数でしょう。
また、ツイッターだったか、飲食店に入って魚に骨があったので店員に文句を言ったら、その店員は「魚なんだから、当たり前だろ」と答えた。店員の態度はけしからんという意見が多数となるでしょう。
これが今の日本人です。
カネを払っている客だぞ!
これが今の多くの日本人です。
人の労働よりも金の方が大切にされる思考回路が出来上がってしまった。
ですからご無理ごもっともと客が大切にされる企業体質も生まれる。
社会全体あるいは経済活動全体が人の労働を蔑ろにしています。バイトなお低賃金で働かせて莫大な利益を得ることが当たり前になっている。株式会社の株主から見れば優れた経営者で、銀行から見れば健全な経営をする企業となる。
しかし労働を蔑ろにした社会である日本は大きな矛盾に陥っていますね。
賃上げがマイナスかという国は成員申告や途上国ではほとんど他にはない。そして働き方改革がずっと長く続いて労働条件も悪くなる。ブラック企業も現れる。
カネ(賃金)を払っているのは会社だぞ!
これが今の日本社会です。
社会は人の労働なしには崩壊をしてしまいます。
これを忘れているわけです。
労働力不足が社会問題化されるのがそれを証明しています。そして労働力不足は人の労働を蔑ろにする中で生まれた。生活費(賃金)や労働条件そして女性労働蔑視の中から。
日本社会は崩壊の一面を示しています。
【2020年】ツイッターつぶやき
オリンピックの開催まで50日を切りました。
去年3月末に延期を決めましたが、なぜ1年延期なのかの根拠はわかりませんが「コロナに打ち勝った証として」「完全な形として」と国民に期待を持たせた中での延期でした。
しかしこの1年間を見ればコロナに打ち勝つようなコロナ対策があったでしょうか?
オリンピックも経済効果が優先されて湯水のごとく税金をつぎ込みましたが、コロナ対策もGo Toという最悪の経済政策が出され、相も変わらず検査人数は抑えられ医療の改善もないままに1年が過ぎたのですから、結果、コロナは抑えきれずに第二波、第三波、第四波へ。。。。。
ですから結果として「完全な形で開催」というのも反故にされました。
そして現在は開催できる条件ではないにもかかわらず「安心安全」という抽象的な言葉で開催に向かっています。
大阪に見る医療崩壊をはじめ医療体制の脆弱性から死亡者数が増加をしています。これはオリンピック開催が直接的な原因ではないですが、オリンピックありきの流れの中にコロナ対策も流された結果ではないでしょうか。
「ニッポンすごい」はここ数年いろいろなところで言われている。
安倍総理は
日銀は金融政策フル稼働で株価維持に躍起である。
news week誌に「日本よ、縮小を恐れるな・・・・・」という記事があった。
現実を直視すればV字回復どころか経済は縮小していくということなのかもしれません。
それはコロナ対策を見ても、消毒剤エタノールの現状もブラジル頼みでマスクも中国頼み。
ITとは言われていますが、だいぶ遅れているようで、給付金の給付の遅さに現れているようです。医療崩壊が言われていますが医師の人数はドイツの半分だそうです。
日本は経済的に余力がなくなっているのだそうです。
でも、こうした日本経済の脆弱性はコロナ以前から現れておりGDPはマイナス傾向を示していました。そのうえでのコロナですから。
経済の脆弱性は日本企業の脆弱性ですが、安い労働力を求めて海外に資本をもっていき、国内の雇用や賃金を抑えて労働者の状態の悪化を伴うところから利益を得ることに慣れすぎてしまいました。それを行わせたのはアベノミクスです。アベノミクスという毒団子に満腹感を得ていましたが、そろそろ毒が体に回りはじめています。
日本経済の示寂性を指摘すると、「ニッポンすごい」という人から誹謗中傷が起きるのもまた日本の現状で、こうした凝り固まった思考や行動がまた経済自体を凝り固まったものとするでしょう。
【2021年】ツイッターつぶやき
オリンピックの開催まで50日を切りました。
去年3月末に延期を決めましたが、なぜ1年延期なのかの根拠はわかりませんが「コロナに打ち勝った証として」「完全な形として」と国民に期待を持たせた中での延期でした。
しかしこの1年間を見ればコロナに打ち勝つようなコロナ対策があったでしょうか?
オリンピックも経済効果が優先されて湯水のごとく税金をつぎ込みましたが、コロナ対策もGo Toという最悪の経済政策が出され、相も変わらず検査人数は抑えられ医療の改善もないままに1年が過ぎたのですから、結果、コロナは抑えきれずに第二波、第三波、第四波へ。。。。。
ですから結果として「完全な形で開催」というのも反故にされました。
そして現在は開催できる条件ではないにもかかわらず「安心安全」という抽象的な言葉で開催に向かっています。
大阪に見る医療崩壊をはじめ医療体制の脆弱性から死亡者数が増加をしています。これはオリンピック開催が直接的な原因ではないですが、オリンピックありきの流れの中にコロナ対策も流された結果ではないでしょうか。
【2022年】ツイッターつぶやき
商品のマーケティングでロングテールという言葉がある。
売れ筋の商品が高い棒グラフとして現れるが、そうでもない商品がその高い山の後に続く。このグラフと東京(全国)の1日当たりの新規感染者数のグラフが似ているような気がする。
新規感染者数は減少していくのですが、下げ止まり状態でなかなかゼロに近づかない。
2月の初めに急激に増加をしてピークとなりそれから4カ月。徐々に減少しているがしっぽを残しながらロングテール状態です。マーケティングでのロングテールは商機の考え方ができる。コロナの場合は減少していかない状態を示す。ピーク時の新規感染者数よりもしっぽのほうの合計人数が大きくなる可能性があります。これまでの波の形とは明らかに違いますね。
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