夕螺の一言日記

毎日心に浮かんだことなどを書いてみたいと思います。。。(2014年3月13日開設)

「10月 3日という日」

2024年10月03日 08時06分14秒 | 「何を思ってた?」(旧ブログまとめ)
【2024年】ツイッターつぶやき
初夏の頃だったか?2羽の雀を見ました。
めずらしいなと思いしばらく見ていました。
ネットニュースを見ていたら、この雀が絶滅危惧種になりそうだとか。
子供の頃は東京でもよく見かけ、米粒を蒔いていたらお袋にもったいないと怒られました。
そういえば、昔は串刺しの「スズメ焼き」というのがあり喰った覚えがありますが今はないのでしょうね。
スズメは害鳥だそうですから駆除もされていたのでしょうか。みんなスズメ焼きにして食ってしまったわけではないでしょう。やはり農薬や環境の変化などがあるのでしょうね。
オナガも急激に減少しているそうです。数年前まではたくさん群れになって木にとまりけたたましい声を上げていましたが、今年は一時見かけただけでしたのでおかしいと思っていました。オナガの代わりに小さい小鳥が群れになってやってきました。
環境の変化は加速度的なのかもしれません。
そういえば、秋台風は紀伊半島から関東に上陸するのが当たり前に思っていましたが、今年も変な動きになっていますね。都市伝説に環境兵器だとか、宇宙人が動き出したとか。。。。。

≪過去の記事≫

【2003年】
秋晴れ!!
夏が終わったかと思うと毎日気持ちがよいほど晴れた日が続いています。2日ほど前、雲ひとつない青空が広がっていました。ほんと高い空でした。出たばかりの月は大きいし秋ですね。。。。。
はじめてHPの掲示板にお客様が!!うれしかったです。夏生ページのつれづれノートをまとめていると、出てくる物事や物からいろいろな関連したページを見るようになりました。今までは企業などへリンクしたのですが、同じ項目でも企業の決まりきった解説よりも、たとえばお菓子ならそれを食べた普通の人の感想というように、個人の意見が詳しくはいたHPのほうが楽しいです。
これからもいろいろな方のページにお邪魔して参考にさせていただきたいと思っています。
そういう中からお話ができる方が増えて楽しくなればと思います。
もう少しで夏生ページのつれづれノート1巻の年表が出来上がりそうです。また追加や修正もあるかと思いますが一応仕上げということになります。
つれづれ・・・・・・12巻まで・・・・・・・・
長い旅になりそうです(笑)

【2004年】
強い雨が一日中降っています。
買い物に行くのも面倒でした。昨日のうちに海へのドライブに行っておいてやはりよかったです。
久しぶりにイカと大根の煮つけを作ろうと思います。うまいんですよね。。。

「密やかな結晶」 小川 洋子  著
小説家の主人公の「私」が住む島は、物が次から次へと消えていく閉鎖された島です。島の外とを結ぶフェリーもすでに消滅をしてしまいました。
物が消滅をするだけではなく、人の記憶からもその消滅した物自体が消え去ります。たとえば、ライターというものが消滅をすれば、人々の記憶からもそのライターというそのものが消え、ライターという言葉自体も消え去ります。
しかしこの島の中においては特殊な遺伝子を持つ人々があり、その人々には消滅をした物の記憶が残ります。これらの人々を捕らえていくのが秘密警察です。「私」の母親もこの特別な遺伝子を持つ人であり、消滅をしたものを隠し持ち、思い出を語るために秘密警察に捕らわれ死亡をします。
作品は、最初から最後まで、この物の消滅と、記憶の消滅。そして記憶を持つ人々が捕らわれていくことが語られていきます。SF的なサスペンスといった感じがあります。
消滅は、バラの花が消滅をすると川に花びらが流れ、海に消えて行きます。これは自然的な消滅といってよい消滅です。しかしすべてのバラが自然に消滅をするのではなく、人々の育てたバラは人々によって花びらが川に流されます。隠し持つ人には残ります。そこで秘密警察が来てバラを消滅をさせて持ち主を捕らえます。この意味ではバラの消滅は自然的でもあり人的でもあります。
今消滅と人々の記憶の消滅がなぜ起きるのかも含め、最後までそれは謎のままで終わります。その点では、この作品はSF的なサスペンスといった読み物としては読めないような気がします。
「解説」を読むと、小川さんは、この作品のあとにドイツのユダヤ人収容所を訪れたそうです。
2年ほど前に、映画「戦場のピアニスト」のシナリオ本と、主人公のスピルマンの回想録を読みましたが、この小川さんの作品の雰囲気は、たしかに「戦場のピアニスト」にも書かれた雰囲気と同じものを僕も感じました。この作品は、小川さんがある程度はユダヤ人の収容所を島という形で意識して書かれたものかもしれません。
ガス室に送られるユダヤ人とレジスタンス運動。記憶を消し去られる人々と記憶をとどめるという意味でのレジスタンス。このように読むのは飛躍かもしれませんが、どこか意識した作品ではないでしょうか?
島の中でのものの消滅が、自然的でもあり、秘密警察の人的でもあると書きましたが、この自然的なものを宗教的に見ると神の与えた試練となります。その試練を具現化するのが秘密警察。ユダヤ人への迫害が神からの試練と宗教的にとらえてはならないと思うのですが、そこまで読むのは飛躍しすぎかと思います。しかし、作品の物の消滅の自然性と人為的なものがどうもしっくりときません。
物の消滅がどのような理由からかは、作品自体が明らかにしていないので深読みはいけません。
この理由はそのままにして作品の中に残るものは、打ちひしがれた運命をそのままに受け取ろうという人々の姿です。主人公の「私」は、小説を書きます。その中での主人公は、タイプの先生である男に言葉を奪われ時計塔の中に幽閉状態になります。その主人公は、積極的に助けを求めずに男のするがままになる。これと同じように、島に住む「私」もなすがままになる。両方ともに自分の力が及ばないものに対して消えていくそんな打ちひしがれたものを感じます。
しかしなんとなく消えてしまいゆく美しささえ感じます。
秘密警察も消えて生きます。そのとき「私」は、記憶を残しているかくまっていた男に言います。帰国を残すあなたたちはもう隠し部屋から出ても大丈夫だと。なんとなく私たちは消えていきますが、残されたあなたたちはこの島をまた生まれ変わらせてくださいねと言っているようです。ガス室に消えていったユダヤ人の方々も、生き残った人々やレジスタンスの人々にそのように声をかけたかったでしょう。
打ちひしがれた人々の心の中に残る唯一の希望ではないでしょうか?
僕がこの作品から受ける感想と唯一の温かみは、このようなものでした。
このような読後感を抱かされるような作品が小川さんの作品の特徴かもしれません。

【2005年】
きのうは暑かったです。
日中は31度とか。真夏に逆戻り状態でした。夜になっても熱く、寝ようかというときに妻が温度計を見て「お父さん、まだ部屋の中は30度あるよ。。。」と。
この前出した冬布団。。。。
ハムスターのスズにもこの前小屋に真綿を入れてやったのですが、さすがに邪魔なのか小屋の1階に下りて涼しいところで寝てました。

【2006年】
昨夜の残りご飯を朝に食べましたが、新米というのは残りご飯でもおいしいですなァ。。。。モチモチ感も残っているし、また違ったうまさがあります。
新米といわれるのは、収穫からどのぐらい日にちが過ぎた時までだろ?また買いに行きたいぐらいです。たぶん精米していない米も売ってくれると思いますが、自分の家で精米できるとなおおいしいでしょうね。東京には精米所(自販機みたいな)もないし。。。。水がきれいなせいか、那須のの新米は、埼玉や千葉の新米とはちと違う。
でも、高速代やガソリン代をいれると高い米になってしまう。数家族代表で買いに行けば安く付くのだが。新米購入ツアーでもやりたい感じです。

「デッドエンドの思い出」
      文春文庫
      よしもと ばなな  著
表題作の「デッドエンドの思い出「を含む5編からなる短編集です。
よしもとばななさんは、文庫版の「あとがき」に
「『これを書いてほんとうによかった』と思える本はなかなかないものです。そういう意味でも、やはりこの本は私にとって大切な本です。」
と、書き、単行本「あとがき」にも短編としての
「『デッドエンドの思い出』という小説が、これまで書いた自分の作品の中で、いちばん好きです。これが書けたので、小説家になってよかったと思います。」
と書いています。
それぞれの短編で描かれることはよしもとばななさんの実際の経験ではないようですが、
「私小説的な小説ばかりです。」とも書いています。
よしもとばななさんは、この短編集に書かれた物語は実際に経験したものではないが、私小説的というのがなぜなのだろう。
「出産をひかえて、過去のつらかったことを全部あわせて清算しようとしたのではないか?」
よしもとばななさんにとっては、この短編集はご自身の心の清算であると同時に「救い」ではなかったのではないか。その意味において私小説的なのではないか。
よしもとばななさんにどんな辛い過去があったかはわからないが、この短編集を読み通すとそこには温かみのある「救い」を感じるのである。一つひとつの細かな設定として書かれている事柄自体はよしもとばななさんの経験ではないが、短編集全体で描かれているものは、結婚や家庭である。もちろんその前提には恋愛がある。結婚にいたるものにはよしもとばななさんもいろいろあったようですが、結婚をし、妊娠をしたよしもとばななさんの過去の恋愛・結婚・家庭での出来事を清算する中での救いなのだろうと想像できる。
清算というのは、ある過去を自分自身で解決したりリセットするというようなものだが、救いというのは、他者の力によるものである。短編集全体から読み取れるものは、主人公が他者から救われるというものを読み取れる。不幸な過去を自身で解決して清算していくという力強さというようなものは少ない。だから作品自体としては「救い」ではないだろうか。
「ともちゃんの幸せ」(177ページ)には
「これを書いているのはともちゃんではなくて、ともちゃんの人生をかいま見た小説家なのだが、」
と、ある。
この作品自体を書いたのは、よしもとばななという小説家である。この作品を書いたことはよしもとばななという作家の自身の力であり、その意味では清算である。
しかしそのよしもとばななという作家は主人公の救いを描く。
よしもとばななという作家は、自身において清算するが、作品自体を読む読者は救いを読むこととなるのではないか。そしてゲラ刷りを読んで涙したというよしもとばななさんもその時点において救いを見たのではないか。
「幽霊の家」では、古いアパートに1室に、まだ霊として残る老夫婦が出てくる。その霊は時々現れてその部屋で平凡な一日の風景の中にいる。それを見た主人公は、夫婦というものの本質的なものを見つめることができた。
「おかあーさん!」では、母親から虐待され離婚した両親から離れておばあちゃんと暮らす主人公は、彼氏の愛や周りの人々の暖かさから、人というものを見つめなおす。見つめなおすことにより両親が自分にとってどのようなものであるのかというものを知る。「おかあーさん!」と呼べる主人公がそこに入る。
「あったかくなんかない」は、主人公が子供の頃に近所にいた少年の思い出である。裕福ではあるがその少年の生い立ちとその後は不幸である。家に灯りがともり明るいのは電灯の灯りではなくて人が放つ明るさである。家庭とは何か。。。主人公は平凡な我が家を見つめなおす。そして人の心にある明るさを見る。
「ともちゃんの幸せ」は、思春期にレイプを受けた主人公の小さな恋を描くが、その恋が成就するかはわからない。しかしともちゃんの心には暖かいものが常にある。そして終わりには、そのともちゃんの幸せを見つめる小説家が描かれる。神の存在ではない見つめてくれるものの暖かさ。
最後の「デッドエンドの思い出」は、婚約者にふられた主人公が傷心の中に居候することとなった「袋小路」という店とそこに働く男とのお話し。袋小路=デッドエンド。。。
過去に暗いものを持ちながらもやさしく包み込むような男の暖かさ。そして家族の暖かさ。世の中にはもっと不幸がある。その不幸に比べれば今の自分の不幸なんて小さなものかもしれない。今の袋小路に迷い込んだような心は開放される。
このように見てくると、どの主人公は、周りの人達の暖かさに救われているのである。
「ともちゃんの幸せ」の最後に
「いずれにしても神様は何もしてくれやしない」
と書いていますが、この人の世を見渡せば神も仏もないように写る。神は自然と同じであり、存在するとすればただの存在以上のものではない。それではなぜ人は神を見るのか?人の心の中に見るのである。しかし人の心には神と必ず一対をなすものもいる。悪魔である。人は人を傷つけるが、人はこの心の中の神を見たときに涙する。デッドエンド=袋小路に迷い込んだときに人の心に神を見るのである。
人は救われる。。。
よしもとばななさんもたくさんの人たちに救われてきたのだろうか?
よしもとばななさんの「日々の考え」というエッセイの感想に
『「日々の考え」のエッセイにある面白楽しくそしてその中にも鋭い見方をするばななさん自身の行き方でもあります。そしてどこか物悲しいような・・・・
ここにばななさんが好む人間像があるのではないかと思いますし、読んでいると自分の好む人には最大限の誉め言葉を送るというような僕から見ればどこか「身内意識」が強すぎると受け止められるのですが、ばななさんは、本物の人間を自分の主観において潔癖なのかもしれません。』
と書いたが、人に何を求めるかという意味においての「救い」は、よしもとばななさんから感じる人なつこさのようなものは、この人の心を通じた救いを求めることにあるのかもしれません。だから潔癖な人を求めるのかもしれない。
この短編集は、一番初めに引用したよしもとばななさんの言葉からしても、作家よしもとばななを動見るかということではおもしろい作品だと思います。
<追記>2006年11月8日 記
僕の読んだ文庫版にはあったかどうか覚えがないのだが、この作品は、藤子・F・不二雄に捧げられているという。
藤子・F・不二雄と言えばドラエモン。。。ううう・・・ん?
ドラエモンとのびたくん?
僕はドラエモンのテレビの漫画を見ていると、ドラエモンがのびたくんの「救い」の道具(ロボットだからねぇ。。。)に思える。
人とロボットは違うけど、「救い」の過程にある存在。。。。ばななさんにとっては、救いを与えてくれた人々は皆ドラエモンのような存在なのかな?
もう少し機会があれば考えます。。。。ううう・・・ん

【2007年】
新しく出来た小さな中華屋さんの前を通ったら、弁当を売っていました。
どんな味なのかと買ってきましたが、いまいちかな?でも、値段はすごく安い。味を取るか値段をとるか。
こういう判断は常日頃持つものである。
安物買いの銭失いとは言うが、ない金を使うわけにもいかない。
かと言ってあまりにも節約も出来ない。出る金は出る。
まぁ、金は天下のまわりものというから何とかやっているけど。
でも、世の中はだんだんと住みにくくなる。
なんだか、最近愚痴が多くなってしまった。。。。ううう

【2008年】
(記事なし)

【2009年】
(記事なし)

【2010年】ツイッターつぶやき
9月24日から二日間

「読み間違えている」という文を書きました

一連の尖閣諸島問題です

今朝の新聞やテレビを見ると

やはり、どうも日本政府は地味 読み間違えていたようです

「読み間違い」という言葉が具体的に出ている

核問題での国際会議だったか?

日本の提案は受け入れられず

はじめは行かないと言っていた

ヨーロッパとアジアの国際会議に

菅総理がいきなり行くと。。。。。。。

日本のどのような考え方なり思想が

国際的には受け入れられなくなっているんだろ?

根深い歴史的なものが。。。。

そういう意味では自民党も人事ではない

そして日本的保守二大政党制の矛盾だろう
         (Am10:06)

夏生さんの新刊「銀色夏生ですツイッターはじめます」(幻冬舎)が発売になります。
発売日は10月なのですが5日、8日、10日と検索をしてみると情報が錯綜しております(笑)
ツイッターをはじめてたくさんの方に思いを投げかけ、その思いや本の感想を受け取る。読者やファンの中に入って行く夏生さんの姿がそこにあるのでしょうか。
ツイッターによると、何人かの方の書き込みを紹介されるようでそのことを了解しているようです。

どんなキャッチボールが読めるんだろ?

いつもの本屋さんで予約をしてきます。発売日が錯綜していても大丈夫でしょう!!(笑)

【2011年】ツイッターつぶやき
朝日新聞朝刊4面に「原発論議冷める自公」と題する記事があった。
菅総理が辞任後どうも原発に頼らない社会の方向性が薄らいできたかと思っていたのですが、自民や公明も民主党との原発を巡る議論が必要なくなったようでこれまでの党の考えもあまり出さないようになったようです。もちろん民主党も原発の話は薄まってきています。
しかし、この各党やその党が集まる国会の議論に原発問題がないがしろになってきていることは国民への背信行為ではないでしょうか?今まさに復興財源をどうすると問い、国民負担の増税を呼びかけ関係もない煙草税の増税を言う議論が始まっているのです。増税の話はどんどん進んでいく。もちろん原発事故の被害者の方の生活はひどい状態であり、ばかげた厚さの請求用紙を突き立てられているわけです。これを見たときに原発問題(もちろん国民のコンセンサスになっている原発に頼らない社会づくりという方向性ですが)を棚上げにした現状は先にも書いたように国民への背信行為でしょう。
政治が国民意識から乖離をしていくことは以前から見えましたが、原発問題までもが乖離していく。日本の政治はどこを向いて突っ走っていくのでしょうか。
増税ともなれば国民生活の疲弊はさらに強まるでしょう。この中で原発問題の議論もないがしろになっていく。これは結果的には日本の国家的損失をかっく題することになるでしょう。

【2012年】ツイッターつぶやき
昨夜書いたことの続きになりますが、動物は繁殖や生きるため食うための縄張りの確保を喧嘩とそれによる力の見せつけで行います。
社会に対して自然に対するがごとくその脅威に身を任せていた市民が3.11を境に考え行動し働きかけるようになったというのは、動物的人間が人になったという事です。
しかしこの社会への働きかけも今回の尖閣諸島問題での中国市民の暴徒化に見るように単なる「喧嘩」でカタをつけようとしたものはやはり縄張り争いに喧嘩を持ち出しただけですから動物的人間の行為となる。
韓国の竹島への行動や今回の尖閣諸島の国有化なども同じなのかもしれません。
社会全体がこの動物的人間化をしているのではないかと危惧をします。もちろん世界中で戦争やテロがなくなったわけでもありませんし、まだ力の見せつけにより優位な立場・国益確保を言う人々がたくさんいます。
しかしアメリカでさえ中東政策への軍事介入ではそうは解決できないものが見えますし、膨大な軍事費は経済を圧迫をし、金のかかるピンポイント攻撃から無差別攻撃をという論調も出ています。日本も中国も国としては戦争をやりたくない。やりたくないというよりもやれば国益に反する。もっとも軍需産業を言う人は別ですが。しかし喧嘩を売ったり買ったりの人々の声は大きい。
ここに動物的人間が出てしまう。
勇ましいことを云ったりやったりする人の方が国民受けはいいわけですが、いざ尖閣諸島の国有化をしても中国の暴徒の行動が出ても外交は相互に混迷を深めるばかりです。領土問題の解決を進めたかと言えばそうではなくて対立が深まったばかりです。もちろんこの対立こそが領土問題解決につながるといった人々もいるわけですが、その人たちも戦争をしろとは言わない。戦争は互いに破綻に導く。
果てしのない対立の継続という領土問題の解決。。。。。
これを動物的と見ることができないでしょうか。

【2013年】ツイッターつぶやき
以下1日から今日の脱原発関連のツイートのまとめです。

小泉元首相の脱原発は、アメリカのシェールガス輸入と廃炉利益の大きさでしょうか?
「原発維持の利益 < 廃炉による利益」という経済効果があれば脱原発は進むという論理も成り立つ。もちろんここにはスクラップ&ビルドの作用が働く。
もちろんどちらも国民負担の増加には変わりはないです。
廃炉というビルドの産業界はどういう業種でしょうか?
脱原発を掲げたとしても、その脱原発のやり方には相当温度差がある。即時廃止から10年20年…と徐々に減らすことでの脱原発と。今の現実はそうは多くの原発を再稼働できないでしょう。自民多数の中でも。そうするといくつかの原発を稼働させながらの机上の脱原発も出てきます。気をつけねば。。。
今必要な脱原発は、現実の稼働ゼロを続けさせるうんどうでしょう。何も脱原発という言葉を使わなくてもいいのです。すでに脱原発の入り口にいるのですから。
日本は島国ですから外国から電力自体を輸入するわけにはいかない。しかしこの夏は猛暑にもかかわらず電力は電力会社の努力と企業や家庭などにおける省エネのスタイルが定着することによって使用電力は賄えている。電力の供給量問題は使用料問題でもあることがわかる。
この意味において日本はまだ入り口の状態だが脱原発社会となっていることを確認しあおう。
問題なのは、電力会社の原発での利益追求(会計上の減価償却なども含めて)とそれに付帯する関連産業構造などや利権そしてエネルギー価格(電力料金体系)や自然環境と最後に自然エネルギー開発の遅れなどでしょう。これらのものを解決するのが今後の過大なわけです。
これらの問題を解決するということ自体はすでに脱原発の運動ではなくて脱原発をした社会の発展という形と認識に移っているのです。
この中で今更「脱原発」を口にすること自体必要ないのです。再認識する必要はないのです。原発の稼働していない社会をどう維持するのか。。。。もし日本がこの考え方で進むことができるなら日本はドイツを抜くことでしょう。省エネは日本の武器です。
自然エネルギーの活用の増大は発電設備ではあるが主要な発電方法となるには時間がかかるでしょう。技術の発達もなければならない。ですから当面自然エネルギーは省エネの道具ととらえるべきでしょう。すでに小さな発電を省エネとして役立てることが増えている
首都圏は電車で1時間ぐらい乗っても住宅が絶えない。その広大な面積の上に建つ家やビルに1枚でも2枚でも太陽光発電パネルの乗せたらどのくらいの省エネになるでしょうか?
最後に繰り返しますが、今は脱原発を改めて言うのではなくて、脱原発の入り口にある日本の脱原発状態をどう維持して発展させるのかが重要なのです。脱原発という言葉で一部再稼働を蒸し返してはならない。

【2014年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2015年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2016年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2017年】ツイッターつぶやき
じみちに地方選において4野党共闘の力が見えるようになった矢先、民進党の代表が突如として希望の党へ議員を売ってしまった。いくら4野党協議に反対する人でもこのようなやり方はひどいですね。
希望の党ができて衆議院選では保守支持層の票を自民・希望に分散されることになりました。そうすると4野党共闘のチャンスが広がったという事になります。自民・希望・4野党の三つ巴となれば多くの議席を獲得できたはずです。民進党の低迷が出ていましたが、選挙となり反自民希望での共闘の重要性から民進党もそうは議席を減らさずに済んだでしょう。
今回の前原さんの判断は、野田元総理の解散以上に保守を助けることになりました。まぁ、野田さんも前原さんも超保守だと言えばそれで終わりですが。。。。。
民進党は、希望に行った議員と立憲民主党に参加する議員と民主党内に残る議員と無所属に分断されました。しかし、野党共闘の必要性はなくなったわけではありません。
以前からこのブログでは統一戦線という言葉を使ってきました。
政党だけではなくて国民的な統一戦線です。国民生活や社会保障はますますひどくなっていくでしょう。平和が脅かされて改憲により自由や民主主義が蔑ろになり、国は国民のものから国家主義という国の国民統治が優先される社会になります。この中で不平や不満は高まるばかりです。
この中で自暴自棄になったり、曲がった保守意識に走ったりせず、実態を見つめ合うことを目指しましょう。それには議席数は少なくなったとしても国民の目線で政策を考えられる政党が必要なのです。それが野党共闘必要性なのです。

【2018年】ツイッターつぶやき
台風24号の接近によりJR東が初めて「計画運休」というものを行った。
どうも失敗の面が多く出たようです。「そうだったのか!?計画運休」(NHK)
まだ日曜日でしたから混乱も少なくて済んだのでしょうが、平日だったらどうなっていたのか?
でも、台風で車内の閉じ込められたり、帰宅の途中駅までしか帰れなかったという状態を避けるという実においては実験的な計画運休も考えるべきものだったのかもしれません。しかし私鉄は動いていたわけですがどのような混乱が生じたのか?これについての報道は見ませんね。
利用客にしてみれば、8時で運休となれば、自宅の駅までの途中で8時になったらもう動かないのかといった混乱が生じますね。しかし計画運休で8時に電車が止まるとすれば早めに帰宅するぐらいの考えは持つべきでしょう。まぁ、日曜日ですから都心では多くのイベントなどが開催されていますからそうもいかないというものもあるでしょう。
今はネット時代ですから各駅の時刻表をスマホで見ることができます。計画運休で柔軟に書き換えるプログラムをつくり、各駅の時刻表に運休を時刻表に表示できる準備ぐらいは必要でしょう。
簡単に計画運休といったものをやってしまった付けは残るでしょう。
計画運休という言葉を聞くと、東北の地震そして原発事故時の計画停電を思い出します。計画停電もいろいろと問題になりましたが、一面では国民をどう統制するかの実験に使われては大変です。国の危機への国民の協力は必要でしょうが、国民だけに負担を負わせるものであったら大変です。

【2019年】ツイッターつぶやき
初夏のころの杏ジャム作りから、最近ジャムにこっています。
毎朝ヨーグルトを食いますが、そこにジャムを少し乗せるとおいしいですね。
市販のジャムは甘さ控えめとは言ってもだいぶ甘さがきついです。
その点手作りジャムは甘さを加減できますからいいです。その代わり数日中に食べてしまわないと心配ですが。熱いうちに瓶詰をしますから蓋を取るまでは日持ちがするかもしれません。
ずっとリンゴジャムを作っていましたが、今日は梨ジャムに挑戦。
細かくスライスして適量の砂糖と塩少々。
水分が出ますがこの水分がなくなるまで焦がさないように煮詰めました。
香辛料は入れません。
熱いうちは梨の風味も弱いですが、粗熱が取れたら一晩冷蔵庫で冷やせばうまいと思います。

【2020年】ツイッターつぶやき
トランプ大統領が感染をして陽性反応が出た。即刻入院をしたそうです。
感染経路ははっきり報道されていませんが、ホワイトハウスで開催されたイベントに参加した人々に感染が広がり大統領の側近にも体調不良が出ているようです。今後感染者が多くなればホワイトハウス クラスターにもなるでしょう。
イベントでは抱擁や握手も交わされ、屋外の解錠ではあってもソーシャルディスタンスは取られていなかったようです。そして多くの人がマスクをしていなかったとも。
トランプさんといえば、マスク拒否者に近い存在でした。
ホワイトハウスの危機管理も問題となるでしょうが、大統領がマスクをしないという強く勇気のある大統領というイメージ向崩れるでしょう。またアメリカだけではなく日本やヨーロッパにもマスクは強制だ自由を奪っているといった運動が広がったことがありました。トランプさんの感染はもう一度感染防止の必要性を確認することにもなりますね。
日本では著名人の連れがノーマスクで飲食店に入ろうとして店主に入店を断れた。それを著名人がネット上に。。。。現在その飲食店は深刻な状態になっているようです。マスクはエチケットだといった言い方をする人が多くいるが、エチケットならばエチケット違反でマスクをしなくてもそうは問題になりませんが、飲食店からすればコロナ対策は死活問題となります。今夜のニュースで来店者間で感染が広がり、それに対するひどい言葉がネット上に流されているようです。日本は感染者を助け合うような「絆」の国では一部なくなっています。感染すれば石を投げられかねない国になっています。原発事故での被害者への仕打ちと同じようなものがあり、その一方では絆を言う。虚構の国ニッポン。。。。。

【2021年】ツイッターつぶやき
台風が過ぎて気温も上がりました。
でも、朝晩はさすがに涼しくて風は秋の風。
秋晴れらしい晴れ。。。。。
そろそろ高い山では紅葉がはじまるでしょうねぇ。。。。。
我家の近くの公園でも桜や欅が黄色くなってきました。
我家のベランダに赤とんぼが飛んできて、僕が近づいても羽をたらしてぼうっとしていました。
ヒガンバナも終わりました。
1カ月が早く感じます。すぐに立冬ですなぁ。。。。

【2022年】ツイッターつぶやき
岸田首相が所信表明演説で「前例のない思い切った対策」を打ち出した。
なんだろと思ったら、電気料金の負担軽減、円安を活かした外国観光客の呼び込み、日本型年功制度をなくすための支援策。
これを何んと来年6月までに取りまとめるという鬼も笑うようなものでした。
電力料金の負担軽減はよいのですが、円安をどう食い止めるのかという具体策もない。
外国人呼び込みもコロナウィルスの水際対策の廃止。
日本型の雇用形態をなくすために企業へ助成するということでしょう。賃上げはこの中で能力重視で行うと。結局低賃金化をさらに進めることになるでしょう。
足元では、10月からも値上げが加速している。年末にかけてさらに値上げはひどいものになるでしょう。
結局国民生活を支えるような政策はゼロです。
前例のない国民生活切り捨て対策が進む。

【2023年】ツイッターつぶやき
朝、半袖で出かけようとしたらなんかさみしい。。。。
何となく肌寒さを感じて長袖を出しました。箪笥の匂い。。。。
やはり10月ですなぁ。
公園の前を通ったら欅がだいぶ黄色くなりところどころに赤い葉が。
桜もそろそろですね。
その内に長野県の効用紅葉を見に行きます。

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