商品の価格が下がる中で物価が下がる続けることの定義からデフレが説明されて、それを貨幣の量が足りないからと説明されるときもある。貨幣量が足りないから消費も落ちるし消費も落ちれば企業間競争から価格破壊も起きる。消費をしないのは家計量が足りなのであるということでしょうか?
たしかに国民の消費が減るということは国民の懐にある貨幣量が足りないからである。この意味においてはデフレは貨幣量が足りないからという論理は正しい。しかし国内の貨幣量が絶対的に不足をしているのかといえばそうではなくて、国民の財布の中身は相対的に貨幣量が足りないということなのである。この絶対量においては貨幣量は有り余るほどあるが、国民の財布の中の貨幣量は相対的に不足をしていることがデフレの原因である。だからアベノミクス・量的緩和でもデフレからの脱却はできないのである。
物価の低下は貨幣量ではなくて資本主義の競争としての生産性の向上そのものからの商品価値の低下から起きる。より少ない労働力量(間違ってはいけない。低賃金化ではない)でより多くの商品を生産することから一つの商品を生産するための労働力量が減る中で価値は低下するのである。その価値低下した商品は市場においては価格の低下傾向を示すのである。価格低下、物価の低下は貨幣量という貨幣減少から起きているのではなくて価値論からの経済法則として起きているのである。
この勘違いから来るデフレの理解を貨幣量から説明することは間違いなのである。同時に今の低賃金化は労働力の再生産費を維持できないまでにひどくなっているわけで、労働力の価値という価値法則を無視することからのデフレなのである。
デフレは価値論として説明されなくてはならない。
もちろん物価が下がることは価値論から説明されるのだが、ただ物価が下がることがデフレではない。デフレはデフレ不況なのである。ただ物価が下がるだけではなくて上にも書いたように絶対量においては貨幣量は有り余るほどあるが、国民の財布の中の貨幣量は相対的に不足をしていることが不況を生むのである。こう見るとデフレは貨幣量が足りないどころか有り余っているという面を持つのである。貨幣量の問題ではない。貨幣の回転の問題なのである。
逆にインフレは貨幣量が足りない中に起きるのである。インフレによる物価高は労働者の実質賃金を引き下げる。やはりインフレ不況の原因となる。
たしかに国民の消費が減るということは国民の懐にある貨幣量が足りないからである。この意味においてはデフレは貨幣量が足りないからという論理は正しい。しかし国内の貨幣量が絶対的に不足をしているのかといえばそうではなくて、国民の財布の中身は相対的に貨幣量が足りないということなのである。この絶対量においては貨幣量は有り余るほどあるが、国民の財布の中の貨幣量は相対的に不足をしていることがデフレの原因である。だからアベノミクス・量的緩和でもデフレからの脱却はできないのである。
物価の低下は貨幣量ではなくて資本主義の競争としての生産性の向上そのものからの商品価値の低下から起きる。より少ない労働力量(間違ってはいけない。低賃金化ではない)でより多くの商品を生産することから一つの商品を生産するための労働力量が減る中で価値は低下するのである。その価値低下した商品は市場においては価格の低下傾向を示すのである。価格低下、物価の低下は貨幣量という貨幣減少から起きているのではなくて価値論からの経済法則として起きているのである。
この勘違いから来るデフレの理解を貨幣量から説明することは間違いなのである。同時に今の低賃金化は労働力の再生産費を維持できないまでにひどくなっているわけで、労働力の価値という価値法則を無視することからのデフレなのである。
デフレは価値論として説明されなくてはならない。
もちろん物価が下がることは価値論から説明されるのだが、ただ物価が下がることがデフレではない。デフレはデフレ不況なのである。ただ物価が下がるだけではなくて上にも書いたように絶対量においては貨幣量は有り余るほどあるが、国民の財布の中の貨幣量は相対的に不足をしていることが不況を生むのである。こう見るとデフレは貨幣量が足りないどころか有り余っているという面を持つのである。貨幣量の問題ではない。貨幣の回転の問題なのである。
逆にインフレは貨幣量が足りない中に起きるのである。インフレによる物価高は労働者の実質賃金を引き下げる。やはりインフレ不況の原因となる。
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