【2023年】ツイッターつぶやき
2011年の東北大津波の時のニュースで、山を登ったところに小さな神社があり、言い伝えでは津波が来た時にはこの神社まで登れば安全だと。
民間の間でも神社は重要な位置づけになあっており、今もたくさんの祭りが残っている。
諏訪大社がありますが、諏訪は縄文時代から石器の材料黒曜石を採掘していた土地で、その時代からずっと諏訪は特別なところであり、そこに諏訪大社が残る。
出雲は、朝鮮半島との交易の場であったそうですが、出雲大社は巨大で高い神殿があったそうです。弥生時代から重要な神社だったようです。
奈良にはたくさんの神社がありますが、それはその土地の豪族の都でもあった。
こうした日本の歴史に深くかかわる神社は、歴史学でも重要な位置づけになっているようです。
もちろん侵攻の場でですから、その侵攻により今も残っている。
しかし、神社も明治になって大きく変わってしまいましたね。国家新道に傾いていく。
≪過去の記事≫
【2003年】
東京初雪。
早朝、外でバシャバシャと車が通る音がしたので雨かぁとお持ったら思ったら雪。。。
昨日は、千葉県での釣りのときも東京も暖かでしたので、びっくりしました。
我が家のボロ車にも雪が積もっていました。
日中は晴れていましたので雪もすぐに解けましたが寒い一日でした。
【2004年】
障子の張替えをしました。
しかし。。。。ううう・・・なさけない。
昨日ドライブにいって来、帰ったあと、腰に違和感があったのですが、障子の張替えをしていたらゴキっと。。。。
軽いぎっくり腰になってしまいました。
接骨院でマッサージをしてもらってきました。しばらくは車の運転もできません。
この後の大掃除や買出し。。。どうしよ。
【2005年】
(記事なし)
【2006年】
昨年買った正月用の梅の寄せ植えに一輪花が咲きました。
正月にはうまく咲きそろうと思います。
梅一輪一輪ほどの暖かさ
この句は初春の句かと思いますが、なんと今日は小春日和を通り越して春一番のような暖かさと風でした。昨夜はすごい風雨でしたが、被害は植木鉢が一つ倒れたぐらいでした。
今夜はスタミナ焼き。。。。
何をつくろうかな。。。と悩んだときは手ごろです。
【2007年】
(記事なし)
【2008年】
(記事なし)
【2009年】
(記事なし)
【2010年】
アンチという言葉をよく聞く。
大体が好きか嫌いかといった感情をむき出しにした「反」というものとなり、それが言動として現すことにより時には汚い言葉や誹謗中傷につながったり、時には「死ね」というような単純な言葉としてその幼児性にも似たものともなる。
この場合の「反」としてのアンチは単純なだけにだれでもがアンチの仲間に入れるわけです。
今の社会ではこのような意味でアンチという言葉が理解をされているように思う。
そうすると、言論の自由とかという自由にもかかわってくる。「アンチというものも言論の自由だ」となる。もちろん言論の自由は保障をされる。しかし「バカ」とか「死ね」とかといったアンチの言葉はもちろんですが、何の中身もない感情的な言葉を汚く表現をすることも表現の自由とされはじめる。しかしそこにある言葉は言論や表現といえるだろうか?値するものだろうか?
自由を間違った理解で受け取り、「反」というアンチそのものの乱用である。
わかりやすくするためによく聞く「アンチ巨人」という野球を例にとって見よう。
それぞれにひいきの球団は野球好きにはある。その中でも他の球団はともかく巨人だけは好きになれないし、対戦相手がどの球団でも巨人が負ければいいという「アンチ巨人」がいる。しかし野球場に行って巨人の応援席に行ってアンチ巨人だからとそして応援の自由だからといって他球団の旗を振って騒いでいるならこれをアンチといえるだろうか?野球には野球のマナーができていてこのような行為はマナー違反となり野球好きからすれば仁義に欠ける行為となる。
こういうアンチはアンチとはいえないだろう。ただ野球というスポーツとそれを応援するものとしてみれば、野球を冒涜する行為と見えるのではないか?
こう見るとアンチという言葉を変に曲解をして使われる場合が多いのではないか?
アンチという言葉がどこから出てきたのかはわからないが、どこから今のような曲解をされたアンチが定着してしまったのか?
しかし同時に注意しなければならないのは、アンチ「アンチ」といったものから批判という本来の言論や表現の自由を反「アンチ」の立場から国が規制をしていくというものもある意味アンチの規定を曲解するものとなる。
本来のアンチとは?あるいはどうあるべきを考える場合、このアンチという言葉は「アンチテーゼ」の略でなければならないだろう。
上の野球の例で言えば、「巨人は好きだ」という命題から「巨人は嫌いだ」という相反するものがぶつかる。これを互いに応援席に殴り込みをかけるようなアンチでは何の発展もない。しかし今サッカーなども盛り上がり野球ファン人口も減りある意味アンチ野球が増えている。その中で、巨人ファンもアンチ巨人ファンのも酒でも飲みながらこれからの野球をどう残していくべきかを話し合えばそれは発展である。矛盾からの発展であり止揚である。例としては変かも知れませんが、この相反する命題の建て方からより発展した矛盾の解決としてのアンチテーゼ。この視点でのアンチを考えなくてはいけないわけです。
巨人ファンもアンチ巨人も野球を語ればその発展を望んでいる。ヘーゲルやマルクスの近代弁証法といわないまでも、酒でも飲んで話し合いの中にその矛盾を明らかにしてその解決方法を見るという古代弁証法でもよいわけです。
【2011年】ツイッターつぶやき
朝日新聞朝刊に政府事故調中間報告の記事が載せられていた。
今までマスコミが報道してきたものや対応への疑問などが寄せ集められている中身でツイッターなどでも大きく取り上げられていた中身でもありそうは新鮮味がない。もちろんこれを政府事故調としてまとめられて正式な報告として出されたことは有意義である。
同8・9面では、「なぜ備えが十分でなかったのか」とこれまでの原発の安全性のための設備など原因をとらえ、「なぜ原子炉を冷やせなかったのか」として事故への対応と鎮静化への問題点をとらえている。事故調の中間報告をこの二つの側面から分析をしているのだろう。これは良い記事だと思う。
この二面性から事故調の報告がどのような意味を持つか?それは1面に乗せられている福島原発事故は「起こるべくして起きた」という言葉に集約をされるだろう。
こう見るとこれまでの安全神話というものがなんだったのかと改めて考えてみてしまう。
たしかに車でも電車でも飛行機でも、完璧な安全というものはなく事故は頻繁に起きている。しかしその利便性からこれらのものを失くそうとはならない。しかし原発となると大規模な事故は車や飛行機といった事故とは比較できない質的に違う事故となる。車や飛行機は完璧な安全はないという視点でその利便性を必要としているが、原発事故は今回のような大規模な事故はないとした安全神話を作り上げてしまった。安全神話が一度できると人はその神に額づいて神話が独り歩きをする。神官はもちろん専門家であったり政治家や経済人であったりした。神官の言うことを国民は信じていく。国民全体が車や飛行機は事故がつきものと考えているが原発は安全と信仰に近い信じ方をしてしまった。
今回の中間報告は、この安全神話がどんなに信仰に近いものだったかを明らかにしたものでその安全性への反省の糸口となるものにはなるだろう。
しかし中間報告は、まだ今回の事故を想定外の大地震や津波という自然災害に結び付けて終わっているのではないか?それへの備えが不十分だったとは言うが、なぜ備えがおろそかになったかの神官たちの人的なものの現象面しか浮き彫りにしておらず、これまでの政府の原発政策やそれを受けた関連省庁あるいは企業といったものの根底の行動が見えない。たとえばGoogleで「小泉政権 福島原発」を検索をしてみると当時の自民党内閣が何をしたかがいくつか出てくる。もちろんこれは様々な視点による「意見」的なものであるがある程度その当時の政府の原発政策が見える。このようなものをさかのぼって政府が何をしてきたかの中に今回の事故の基本的な人的原因があり、それこそが安全神話の神話的な実態であったわけです。
今回の報告書では、地震や津波への備えとかを行えばよいといった原発維持の方向が出るかもしれません。しかしそこにはまた新たな安全神話が生まれる可能性がある。原発の利便性を考えて政府や官僚そして企業がまた神官として国民の前に現れるかもしれない。そして経済優先を考えた政府による原発政策が行われる。
【2012年】ツイッターつぶやき
時間がないのでツイッターから。後日もう少しまとめます。
「デフレ脱却を拒む諸勢力」?政策インフレに反対するだけで、国民生活の安定からの不況脱出は願う。デフレ脱却=インフレは飛躍した論理です。
デフレからの脱却=インフレではない。
デフレからの脱却=消費不況からの脱却でしょう。賃金抑制からの商品価格の下落、消費者の懐にあるべき貨幣量の不足の解消。ここに、この経済法則から離れたインフレ論を持ち込むのはひどい認識不足です。
デフレからの脱却=インフレという大きな勘違いが流行る。。。。。
インフレとは、商品価値から離れた価格の引き上げで、商品価値に対する貨幣価値の低下でしかない。貨幣価値の低下からの価格の上昇は、新たな低下した貨幣価値におけるデフレの継続である。
【2013年】ツイッターつぶやき
26日に安倍総理が靖国を参拝した。
これに対して中国や韓国の非難が出ている。同時にヨーロッパやロシアからの関心(懸念)が示された。
アメリカは
「日本は大切な同盟国であり友好国だが、日本の指導者が近隣諸国との関係を悪化させるような行動を取ったことに、米国政府は失望している」
「日本と近隣諸国が過去からの微妙な問題に対応する建設的な方策を見出し、関係を改善させることを希望する」
「首相の過去への反省と日本の平和への決意を再確認する表現に注目する」
という声明を出した。(声明文引用部分は朝日新聞一面を参照しました)
中国と勧告からの非難そして日本側の見解についてはこれまでにも繰り返し行われてきたものですからここでは触れませんが、安倍総理の今回の靖国参拝はこれまでとは違った波紋を国際的に投げかけたことに間違いはないでしょう。それはアメリカの「失望している」という一歩進んだ批判やヨーロッパやロシアにも疑問の声が出ていることです。そして国際的にも安倍政権の右傾化が言われるようになっていることも含めて国際的な声が今後どう日本に影響を及ぼすか。
アメリカの声明に呼応するように(といってもこれまでの主張と違いはないのですが)安倍総理は談話の中で靖国参拝を慰霊に対して二度と戦争を行わないことへの誓いとも位置づけています。しかしなぜそれが千鳥ケ淵戦没者墓苑でないのか。戦争の犠牲者は二度の原爆投下と東京大空襲・沖縄戦を見ても多くの国民が戦争の犠牲となりました。兵士は確かに戦場でなくなりました。しかし一般国民そして子供たちも本土決戦として戦争に参加させられてなくなりました。だとするならば千鳥ケ淵戦没者墓苑がもっとも二度と戦争を行わないという誓いを立てる場所としては適切でしょう。靖国ではどうしても軍隊そして兵士への誓いとして見られるでしょう。アメリカのように本土で市民の死者がなかった(少なかった?)国とは違いがあります。戦没者=軍人と見ることが強くなります。しかし日本での先の戦争の悲惨さは、多くの市民が戦争によってなくなったという特徴があります。そうすると戦没者は多くの市民でもあったわけです。平和と不戦の誓いはこの国民に向けるべきでしょう。亡くなった兵士も残した家族の死という無念があるかもしれません。この意味においてもアメリカの声明にある「過去への反省」でもあるはずです。
今の安倍政権の政策を見ても軍人ではありませんが企業や富裕層への景気対策でそこに国民の生活の安定が見えません。この点から見ても安倍総理の基本的な国民と国家の関係が見えるわけです。それが靖国参拝ともダブって見えてしまうのです。
そして近隣諸国との関係改善では、26日は中国は毛沢東生誕120年という日でした。こういった配慮もないところに国際世論はどのように動くでしょうか?下手をすれば挑発とも言われかねません。そして平和と不戦は積極的平和主義というといった概念に変わりました。これを見ても国民や国際世論の言うこれまでの「日本の平和主義」と「積極的平和主義」の乖離から安倍総理の談話での平和と不戦の中身が検討されていくでしょう。
中国や韓国はこれまでとは違って経済発展もありました。国際的な発言力や影響力もついてきました。その中でアメリカのアジア思索にも変化が出てきて中国や韓国との関係は日本と同等のものになっています。もちろん安保はありますが。その中で今の日本が安倍路線でよいのでしょうか?それとも今回の靖国参拝はこれらのことも踏まえて日本の一人歩きの決意だったのでしょうか。どちらも国際関係においては危ういといわざるを得ないでしょう。
最後になりますが、国内世論へのメッセージとしては
安倍総理の靖国参拝は、国内への「国を愛する心」という精神論のためでしょう。アメリカも含めて批判が出れば出るほどこういう精神論は強く国民にアピールする力も出るしそれに共感する国民も増える。そこに積極的平和主義も。貧乏でも我慢して働く国民も。こういった非近代政治の手法でしょう。
それはもちろん内向きな政治の中からの経済の強化を言うわけですが、グローバル経済も相互の関係性からの発展という本来の意味合いから離れたものとなるのではないか。その意味でも非近代的政治といえる。
(今日のツイートからの転載)
【2014年】ツイッターつぶやき
(記事なし)
【2015年】ツイッターつぶやき
(記事なし)
【2016年】
(記事なし)
【2017年】ツイッターつぶやき
アベノミクスはその失敗を総括しないで積極財政を打ち出した。積極財政は社会保障などの国民生活に直結する支出ではなくて公共事業である。日銀の金融緩和も限界に達し、あるいはその副作用が懸念されはじめている。そして銀行の利潤率を低下させている。
この中でロイターに「科学技術立国は経済再生と安保強化への確かな道」という記事があった。
この記事では日銀緩和の更なる強化と積極財政を言い、サイバー攻撃に対処するとしながらも安全保障・安保の強化が言われている。
出口のはっきりした見通しもない金融緩和の更なる強化と積極財政は、財政ファイナンスの色合いを深める。この財政ファイナンスを回避するためあるいは積極財政を高めるには国民生活の低下を引き起こす。これは最近の増税と社会保障の低下に見える。これがアベノミクスと日銀緩和の失敗の証でしょう。上記リンクサイトでは「アベノミクスに効果がなかったという無効論は実証に基づいていないから論外である」と書かれているが、アベノミクスが物価目標を達成できずいつまでたっても道半ばを言い続けること、これは経済の好転がなされずに国民生活を圧迫させている事実からして失敗であることは明らかである。
積極財政が安保強化にも結び付けられるが、確かに防衛費は突出した伸びを示している。財政ファイナンスの危険とその財政の使い道が安保強化に結びつけられることは危険でもあるし経済の好転には結びつかないものであることをしっかり見なければならないでしょう。
【2018年】ツイッターつぶやき
年末といえども花たちはゆっくり~ゆっくりと花を咲かせています。
ゼラニウムも秋には次から次へと花を咲かせては散っていましたが、今はゆっくりと咲いてゆっくりと満開になります。ナデシコはもっとのんびりと花を咲かせていて、久しぶりにじっくり眺めると花が増えていることに驚きます。
花たちはこのままのんびりと新しい年を迎えるのでしょうね。
花を見ていると僕ものんびりした気持ちになります。
しかし・・・・・
人はそうものんびりとできないですなぁ。。。。。
クリスマスが終わり、先日冷蔵庫とキッチンの大掃除をして今日から正月の支度です。
大掃除も正月自宅も手抜きですがそれでも気が焦りますなぁ。
今年も手抜きおせち料理8品を予定しています。
スーパーは何でも高くなっていますし正月用品ばかりが並んでいます。
車でのスーパーの帰り、右折のウインカーを出して右折車線に止まっていた車がいきなり直進車線に入ってきて前の右折の車を追い越して右折していました。僕は急ブレーキ・・・・危なかったです。年末は皆さんなぜか急ぐ。。。。。
アベノミクスは株の乱高下。。。。投資家の皆さんの年末もあわただしいようです。
花たちとのんびりと・・・・・・
よい年末を過ごしたいですね。
【2019年】ツイッターつぶやき
毎日遊歩道を少し歩いています。
4000歩から5000歩歩きますが、体も軽くなる気がします。
買い物やら家でちょこちょこと歩いていれば1日7000歩ぐらいは歩くことができそうです。
なぜ歩きはじめたかというと、夏のはじめごろからよく足がツルようになり、ある国も足が重いような気がしてました。
血行が悪いのかと思い風呂に入ってマッサージなどもしていましたが治りませんでした。
一番つらいのが寝ているときに足がつって眼が覚めることでした。
運動不足はわかっていたのですが、足のつりもその運動不足からきているのかと思い歩きはじめました。
まだ10日ぐらいですが、足のつることもなくなりました。
やはり歩くことで結構もよくなりますし、筋肉も柔らかくなるんでしょうね。
よく1日1万歩と言われていますが、まぁ、そうは張り切らないでぼちぼちと歩くのがいいかなと思ってます。
冬でも速足で5000歩ぐらい歩くと体が温まってきますし、寒くて冷たくなった手もぽかぽかしてきます。本来は体が温まってからジョギングなのでしょうが、ウォーミングアップぐらいの散歩でもいいかなと思っています。
顔なじみもできて挨拶もするようになりました。これもまた楽しいのかもしれません。
【2020年】ツイッターつぶやき
東京の都営地下鉄大江戸線の運転士職場でクラスターが発生したようです。
社会は経済活動で動いていますから働く人たちが働けなくなれば経済を維持する歯車が狂ってきます。大江戸線は運行本数を減らして営業できるようですが、これから年末年始の休日ダイヤですからどうにか混乱は避けられるでしょうが、正月休みが明けて続くようなら平日ダイヤがどうなるか。本数が減ればラッシュ時間帯の社内の人の密はひどくなるでしょう。するとそこからの感染拡大の心配も出ます。
電車ばかりではなくてトラックの輸送が減れば流通に大きな混乱が起きます。
まだ一つの営業所ですからどうにか人員のやりくりもできるでしょうが、今後感染が爆発的拡大したらっ社会の維持が難しくなるでしょう。今すぐにそうなる危険性は少ないでしょうが、イギリスの変異種が日本にも入りはじめています。
今年の武漢からのウィルスをどう防ぐかでは水際作戦が行われましたが、経済をまわすという面から水際作戦は失敗をして感染が急拡大しました。変異種は感染力が大きいといいます。
陽性になって職場に出ていけないことがあるでしょうが、今心配されている一つに後遺症があります。ひどければ職場復帰が遅れます。
菅内閣の支持率が急降下しています。その理由はコロナ対策にあるとされています。
本気でコロナ対策を考えているのかという不安からですね。実際に第三の波の収束は見えません。
明日は御用納めで多くの企業は休みになります。しかし年末年始も働く人たちがいます。だからGo Toも成り立つわけですが、そこで感染が拡大する危険性があります。1週間でどこまで感染拡大を防げるかですね。しかし政府や都はのんきです。自己責任に任せています。
【2021年】ツイッターつぶやき
最近生乳が余ってしまい廃棄するようになるかもしれないというニュースが多くなっています。
しかし2019年ごろは生乳が足りずに輸入をしています。
日本という国は生乳が足りないのか余っているのか?
日本の畜産の現状から日本で生産される生乳が余っているのか、足りないのか?
現実は生乳も含めて加工乳製品は輸入に頼っていて国産だけでは足りないのではないか?
現在の生乳が余ってしまい廃棄せざるを得ないというのは、コロナ下においての特殊的な事情なのかもしれない。その中で、輸入生乳も含めて過剰になっているのか。
日本の生乳よりも輸入の生乳の方が価格競争に勝っているのか。あるいはPTTによる自由化により日本は輸入せざるを得ないのか。
単純に生乳が過剰で国内の畜産課が困っているという一面だけでこの問題を見ないほうがいいのかもしれない。
生乳が余っているならこの際マーガリンを禁止してバターに切り替えるとか加工品を国産にすることを考えないと。
でも価格競争に負けるのか?
しばらくすると過剰から不足に転じるかもしれない。
【2022年】ツイッターつぶやき
安倍政権時からどのくらいの大臣や要職に就く政治家が、政治とカネの問題や失言などで辞任(更迭)しただろ?
その度に総理大臣が説明責任やら任命責任という言葉でお茶を濁してきた。
国民が納得するような説明責任を果たした政治家がいただろうか。任命責任で責任をどのような形で総理大臣は責任を取っただろうか。
国民はそのうち忘れて選挙では勝つ。
こういう自民とでありながら国民には痛みのある政策を強行してきた。
これを許す社会的な力が働きはじめているのでしょう。総理大臣と会食をするマスコミ。。。。。。
野党も自民党政治を後追いしはじめている。
自民党政治は盤石である。
しかしそこが腐りはじめるのですから国も国民も疲弊していく。しかし腐りながらも企業や富裕層の社会的富を維持する。
日本はアリジゴクにはまる。
2011年の東北大津波の時のニュースで、山を登ったところに小さな神社があり、言い伝えでは津波が来た時にはこの神社まで登れば安全だと。
民間の間でも神社は重要な位置づけになあっており、今もたくさんの祭りが残っている。
諏訪大社がありますが、諏訪は縄文時代から石器の材料黒曜石を採掘していた土地で、その時代からずっと諏訪は特別なところであり、そこに諏訪大社が残る。
出雲は、朝鮮半島との交易の場であったそうですが、出雲大社は巨大で高い神殿があったそうです。弥生時代から重要な神社だったようです。
奈良にはたくさんの神社がありますが、それはその土地の豪族の都でもあった。
こうした日本の歴史に深くかかわる神社は、歴史学でも重要な位置づけになっているようです。
もちろん侵攻の場でですから、その侵攻により今も残っている。
しかし、神社も明治になって大きく変わってしまいましたね。国家新道に傾いていく。
≪過去の記事≫
【2003年】
東京初雪。
早朝、外でバシャバシャと車が通る音がしたので雨かぁと
昨日は、千葉県での釣りのときも東京も暖かでしたので、びっくりしました。
我が家のボロ車にも雪が積もっていました。
日中は晴れていましたので雪もすぐに解けましたが寒い一日でした。
【2004年】
障子の張替えをしました。
しかし。。。。ううう・・・なさけない。
昨日ドライブにいって来、帰ったあと、腰に違和感があったのですが、障子の張替えをしていたらゴキっと。。。。
軽いぎっくり腰になってしまいました。
接骨院でマッサージをしてもらってきました。しばらくは車の運転もできません。
この後の大掃除や買出し。。。どうしよ。
【2005年】
(記事なし)
【2006年】
昨年買った正月用の梅の寄せ植えに一輪花が咲きました。
正月にはうまく咲きそろうと思います。
梅一輪一輪ほどの暖かさ
この句は初春の句かと思いますが、なんと今日は小春日和を通り越して春一番のような暖かさと風でした。昨夜はすごい風雨でしたが、被害は植木鉢が一つ倒れたぐらいでした。
今夜はスタミナ焼き。。。。
何をつくろうかな。。。と悩んだときは手ごろです。
【2007年】
(記事なし)
【2008年】
(記事なし)
【2009年】
(記事なし)
【2010年】
アンチという言葉をよく聞く。
大体が好きか嫌いかといった感情をむき出しにした「反」というものとなり、それが言動として現すことにより時には汚い言葉や誹謗中傷につながったり、時には「死ね」というような単純な言葉としてその幼児性にも似たものともなる。
この場合の「反」としてのアンチは単純なだけにだれでもがアンチの仲間に入れるわけです。
今の社会ではこのような意味でアンチという言葉が理解をされているように思う。
そうすると、言論の自由とかという自由にもかかわってくる。「アンチというものも言論の自由だ」となる。もちろん言論の自由は保障をされる。しかし「バカ」とか「死ね」とかといったアンチの言葉はもちろんですが、何の中身もない感情的な言葉を汚く表現をすることも表現の自由とされはじめる。しかしそこにある言葉は言論や表現といえるだろうか?値するものだろうか?
自由を間違った理解で受け取り、「反」というアンチそのものの乱用である。
わかりやすくするためによく聞く「アンチ巨人」という野球を例にとって見よう。
それぞれにひいきの球団は野球好きにはある。その中でも他の球団はともかく巨人だけは好きになれないし、対戦相手がどの球団でも巨人が負ければいいという「アンチ巨人」がいる。しかし野球場に行って巨人の応援席に行ってアンチ巨人だからとそして応援の自由だからといって他球団の旗を振って騒いでいるならこれをアンチといえるだろうか?野球には野球のマナーができていてこのような行為はマナー違反となり野球好きからすれば仁義に欠ける行為となる。
こういうアンチはアンチとはいえないだろう。ただ野球というスポーツとそれを応援するものとしてみれば、野球を冒涜する行為と見えるのではないか?
こう見るとアンチという言葉を変に曲解をして使われる場合が多いのではないか?
アンチという言葉がどこから出てきたのかはわからないが、どこから今のような曲解をされたアンチが定着してしまったのか?
しかし同時に注意しなければならないのは、アンチ「アンチ」といったものから批判という本来の言論や表現の自由を反「アンチ」の立場から国が規制をしていくというものもある意味アンチの規定を曲解するものとなる。
本来のアンチとは?あるいはどうあるべきを考える場合、このアンチという言葉は「アンチテーゼ」の略でなければならないだろう。
上の野球の例で言えば、「巨人は好きだ」という命題から「巨人は嫌いだ」という相反するものがぶつかる。これを互いに応援席に殴り込みをかけるようなアンチでは何の発展もない。しかし今サッカーなども盛り上がり野球ファン人口も減りある意味アンチ野球が増えている。その中で、巨人ファンもアンチ巨人ファンのも酒でも飲みながらこれからの野球をどう残していくべきかを話し合えばそれは発展である。矛盾からの発展であり止揚である。例としては変かも知れませんが、この相反する命題の建て方からより発展した矛盾の解決としてのアンチテーゼ。この視点でのアンチを考えなくてはいけないわけです。
巨人ファンもアンチ巨人も野球を語ればその発展を望んでいる。ヘーゲルやマルクスの近代弁証法といわないまでも、酒でも飲んで話し合いの中にその矛盾を明らかにしてその解決方法を見るという古代弁証法でもよいわけです。
【2011年】ツイッターつぶやき
朝日新聞朝刊に政府事故調中間報告の記事が載せられていた。
今までマスコミが報道してきたものや対応への疑問などが寄せ集められている中身でツイッターなどでも大きく取り上げられていた中身でもありそうは新鮮味がない。もちろんこれを政府事故調としてまとめられて正式な報告として出されたことは有意義である。
同8・9面では、「なぜ備えが十分でなかったのか」とこれまでの原発の安全性のための設備など原因をとらえ、「なぜ原子炉を冷やせなかったのか」として事故への対応と鎮静化への問題点をとらえている。事故調の中間報告をこの二つの側面から分析をしているのだろう。これは良い記事だと思う。
この二面性から事故調の報告がどのような意味を持つか?それは1面に乗せられている福島原発事故は「起こるべくして起きた」という言葉に集約をされるだろう。
こう見るとこれまでの安全神話というものがなんだったのかと改めて考えてみてしまう。
たしかに車でも電車でも飛行機でも、完璧な安全というものはなく事故は頻繁に起きている。しかしその利便性からこれらのものを失くそうとはならない。しかし原発となると大規模な事故は車や飛行機といった事故とは比較できない質的に違う事故となる。車や飛行機は完璧な安全はないという視点でその利便性を必要としているが、原発事故は今回のような大規模な事故はないとした安全神話を作り上げてしまった。安全神話が一度できると人はその神に額づいて神話が独り歩きをする。神官はもちろん専門家であったり政治家や経済人であったりした。神官の言うことを国民は信じていく。国民全体が車や飛行機は事故がつきものと考えているが原発は安全と信仰に近い信じ方をしてしまった。
今回の中間報告は、この安全神話がどんなに信仰に近いものだったかを明らかにしたものでその安全性への反省の糸口となるものにはなるだろう。
しかし中間報告は、まだ今回の事故を想定外の大地震や津波という自然災害に結び付けて終わっているのではないか?それへの備えが不十分だったとは言うが、なぜ備えがおろそかになったかの神官たちの人的なものの現象面しか浮き彫りにしておらず、これまでの政府の原発政策やそれを受けた関連省庁あるいは企業といったものの根底の行動が見えない。たとえばGoogleで「小泉政権 福島原発」を検索をしてみると当時の自民党内閣が何をしたかがいくつか出てくる。もちろんこれは様々な視点による「意見」的なものであるがある程度その当時の政府の原発政策が見える。このようなものをさかのぼって政府が何をしてきたかの中に今回の事故の基本的な人的原因があり、それこそが安全神話の神話的な実態であったわけです。
今回の報告書では、地震や津波への備えとかを行えばよいといった原発維持の方向が出るかもしれません。しかしそこにはまた新たな安全神話が生まれる可能性がある。原発の利便性を考えて政府や官僚そして企業がまた神官として国民の前に現れるかもしれない。そして経済優先を考えた政府による原発政策が行われる。
【2012年】ツイッターつぶやき
時間がないのでツイッターから。後日もう少しまとめます。
「デフレ脱却を拒む諸勢力」?政策インフレに反対するだけで、国民生活の安定からの不況脱出は願う。デフレ脱却=インフレは飛躍した論理です。
デフレからの脱却=インフレではない。
デフレからの脱却=消費不況からの脱却でしょう。賃金抑制からの商品価格の下落、消費者の懐にあるべき貨幣量の不足の解消。ここに、この経済法則から離れたインフレ論を持ち込むのはひどい認識不足です。
デフレからの脱却=インフレという大きな勘違いが流行る。。。。。
インフレとは、商品価値から離れた価格の引き上げで、商品価値に対する貨幣価値の低下でしかない。貨幣価値の低下からの価格の上昇は、新たな低下した貨幣価値におけるデフレの継続である。
【2013年】ツイッターつぶやき
26日に安倍総理が靖国を参拝した。
これに対して中国や韓国の非難が出ている。同時にヨーロッパやロシアからの関心(懸念)が示された。
アメリカは
「日本は大切な同盟国であり友好国だが、日本の指導者が近隣諸国との関係を悪化させるような行動を取ったことに、米国政府は失望している」
「日本と近隣諸国が過去からの微妙な問題に対応する建設的な方策を見出し、関係を改善させることを希望する」
「首相の過去への反省と日本の平和への決意を再確認する表現に注目する」
という声明を出した。(声明文引用部分は朝日新聞一面を参照しました)
中国と勧告からの非難そして日本側の見解についてはこれまでにも繰り返し行われてきたものですからここでは触れませんが、安倍総理の今回の靖国参拝はこれまでとは違った波紋を国際的に投げかけたことに間違いはないでしょう。それはアメリカの「失望している」という一歩進んだ批判やヨーロッパやロシアにも疑問の声が出ていることです。そして国際的にも安倍政権の右傾化が言われるようになっていることも含めて国際的な声が今後どう日本に影響を及ぼすか。
アメリカの声明に呼応するように(といってもこれまでの主張と違いはないのですが)安倍総理は談話の中で靖国参拝を慰霊に対して二度と戦争を行わないことへの誓いとも位置づけています。しかしなぜそれが千鳥ケ淵戦没者墓苑でないのか。戦争の犠牲者は二度の原爆投下と東京大空襲・沖縄戦を見ても多くの国民が戦争の犠牲となりました。兵士は確かに戦場でなくなりました。しかし一般国民そして子供たちも本土決戦として戦争に参加させられてなくなりました。だとするならば千鳥ケ淵戦没者墓苑がもっとも二度と戦争を行わないという誓いを立てる場所としては適切でしょう。靖国ではどうしても軍隊そして兵士への誓いとして見られるでしょう。アメリカのように本土で市民の死者がなかった(少なかった?)国とは違いがあります。戦没者=軍人と見ることが強くなります。しかし日本での先の戦争の悲惨さは、多くの市民が戦争によってなくなったという特徴があります。そうすると戦没者は多くの市民でもあったわけです。平和と不戦の誓いはこの国民に向けるべきでしょう。亡くなった兵士も残した家族の死という無念があるかもしれません。この意味においてもアメリカの声明にある「過去への反省」でもあるはずです。
今の安倍政権の政策を見ても軍人ではありませんが企業や富裕層への景気対策でそこに国民の生活の安定が見えません。この点から見ても安倍総理の基本的な国民と国家の関係が見えるわけです。それが靖国参拝ともダブって見えてしまうのです。
そして近隣諸国との関係改善では、26日は中国は毛沢東生誕120年という日でした。こういった配慮もないところに国際世論はどのように動くでしょうか?下手をすれば挑発とも言われかねません。そして平和と不戦は積極的平和主義というといった概念に変わりました。これを見ても国民や国際世論の言うこれまでの「日本の平和主義」と「積極的平和主義」の乖離から安倍総理の談話での平和と不戦の中身が検討されていくでしょう。
中国や韓国はこれまでとは違って経済発展もありました。国際的な発言力や影響力もついてきました。その中でアメリカのアジア思索にも変化が出てきて中国や韓国との関係は日本と同等のものになっています。もちろん安保はありますが。その中で今の日本が安倍路線でよいのでしょうか?それとも今回の靖国参拝はこれらのことも踏まえて日本の一人歩きの決意だったのでしょうか。どちらも国際関係においては危ういといわざるを得ないでしょう。
最後になりますが、国内世論へのメッセージとしては
安倍総理の靖国参拝は、国内への「国を愛する心」という精神論のためでしょう。アメリカも含めて批判が出れば出るほどこういう精神論は強く国民にアピールする力も出るしそれに共感する国民も増える。そこに積極的平和主義も。貧乏でも我慢して働く国民も。こういった非近代政治の手法でしょう。
それはもちろん内向きな政治の中からの経済の強化を言うわけですが、グローバル経済も相互の関係性からの発展という本来の意味合いから離れたものとなるのではないか。その意味でも非近代的政治といえる。
(今日のツイートからの転載)
【2014年】ツイッターつぶやき
(記事なし)
【2015年】ツイッターつぶやき
(記事なし)
【2016年】
(記事なし)
【2017年】ツイッターつぶやき
アベノミクスはその失敗を総括しないで積極財政を打ち出した。積極財政は社会保障などの国民生活に直結する支出ではなくて公共事業である。日銀の金融緩和も限界に達し、あるいはその副作用が懸念されはじめている。そして銀行の利潤率を低下させている。
この中でロイターに「科学技術立国は経済再生と安保強化への確かな道」という記事があった。
この記事では日銀緩和の更なる強化と積極財政を言い、サイバー攻撃に対処するとしながらも安全保障・安保の強化が言われている。
出口のはっきりした見通しもない金融緩和の更なる強化と積極財政は、財政ファイナンスの色合いを深める。この財政ファイナンスを回避するためあるいは積極財政を高めるには国民生活の低下を引き起こす。これは最近の増税と社会保障の低下に見える。これがアベノミクスと日銀緩和の失敗の証でしょう。上記リンクサイトでは「アベノミクスに効果がなかったという無効論は実証に基づいていないから論外である」と書かれているが、アベノミクスが物価目標を達成できずいつまでたっても道半ばを言い続けること、これは経済の好転がなされずに国民生活を圧迫させている事実からして失敗であることは明らかである。
積極財政が安保強化にも結び付けられるが、確かに防衛費は突出した伸びを示している。財政ファイナンスの危険とその財政の使い道が安保強化に結びつけられることは危険でもあるし経済の好転には結びつかないものであることをしっかり見なければならないでしょう。
【2018年】ツイッターつぶやき
年末といえども花たちはゆっくり~ゆっくりと花を咲かせています。
ゼラニウムも秋には次から次へと花を咲かせては散っていましたが、今はゆっくりと咲いてゆっくりと満開になります。ナデシコはもっとのんびりと花を咲かせていて、久しぶりにじっくり眺めると花が増えていることに驚きます。
花たちはこのままのんびりと新しい年を迎えるのでしょうね。
花を見ていると僕ものんびりした気持ちになります。
しかし・・・・・
人はそうものんびりとできないですなぁ。。。。。
クリスマスが終わり、先日冷蔵庫とキッチンの大掃除をして今日から正月の支度です。
大掃除も正月自宅も手抜きですがそれでも気が焦りますなぁ。
今年も手抜きおせち料理8品を予定しています。
スーパーは何でも高くなっていますし正月用品ばかりが並んでいます。
車でのスーパーの帰り、右折のウインカーを出して右折車線に止まっていた車がいきなり直進車線に入ってきて前の右折の車を追い越して右折していました。僕は急ブレーキ・・・・危なかったです。年末は皆さんなぜか急ぐ。。。。。
アベノミクスは株の乱高下。。。。投資家の皆さんの年末もあわただしいようです。
花たちとのんびりと・・・・・・
よい年末を過ごしたいですね。
【2019年】ツイッターつぶやき
毎日遊歩道を少し歩いています。
4000歩から5000歩歩きますが、体も軽くなる気がします。
買い物やら家でちょこちょこと歩いていれば1日7000歩ぐらいは歩くことができそうです。
なぜ歩きはじめたかというと、夏のはじめごろからよく足がツルようになり、ある国も足が重いような気がしてました。
血行が悪いのかと思い風呂に入ってマッサージなどもしていましたが治りませんでした。
一番つらいのが寝ているときに足がつって眼が覚めることでした。
運動不足はわかっていたのですが、足のつりもその運動不足からきているのかと思い歩きはじめました。
まだ10日ぐらいですが、足のつることもなくなりました。
やはり歩くことで結構もよくなりますし、筋肉も柔らかくなるんでしょうね。
よく1日1万歩と言われていますが、まぁ、そうは張り切らないでぼちぼちと歩くのがいいかなと思ってます。
冬でも速足で5000歩ぐらい歩くと体が温まってきますし、寒くて冷たくなった手もぽかぽかしてきます。本来は体が温まってからジョギングなのでしょうが、ウォーミングアップぐらいの散歩でもいいかなと思っています。
顔なじみもできて挨拶もするようになりました。これもまた楽しいのかもしれません。
【2020年】ツイッターつぶやき
東京の都営地下鉄大江戸線の運転士職場でクラスターが発生したようです。
社会は経済活動で動いていますから働く人たちが働けなくなれば経済を維持する歯車が狂ってきます。大江戸線は運行本数を減らして営業できるようですが、これから年末年始の休日ダイヤですからどうにか混乱は避けられるでしょうが、正月休みが明けて続くようなら平日ダイヤがどうなるか。本数が減ればラッシュ時間帯の社内の人の密はひどくなるでしょう。するとそこからの感染拡大の心配も出ます。
電車ばかりではなくてトラックの輸送が減れば流通に大きな混乱が起きます。
まだ一つの営業所ですからどうにか人員のやりくりもできるでしょうが、今後感染が爆発的拡大したらっ社会の維持が難しくなるでしょう。今すぐにそうなる危険性は少ないでしょうが、イギリスの変異種が日本にも入りはじめています。
今年の武漢からのウィルスをどう防ぐかでは水際作戦が行われましたが、経済をまわすという面から水際作戦は失敗をして感染が急拡大しました。変異種は感染力が大きいといいます。
陽性になって職場に出ていけないことがあるでしょうが、今心配されている一つに後遺症があります。ひどければ職場復帰が遅れます。
菅内閣の支持率が急降下しています。その理由はコロナ対策にあるとされています。
本気でコロナ対策を考えているのかという不安からですね。実際に第三の波の収束は見えません。
明日は御用納めで多くの企業は休みになります。しかし年末年始も働く人たちがいます。だからGo Toも成り立つわけですが、そこで感染が拡大する危険性があります。1週間でどこまで感染拡大を防げるかですね。しかし政府や都はのんきです。自己責任に任せています。
【2021年】ツイッターつぶやき
最近生乳が余ってしまい廃棄するようになるかもしれないというニュースが多くなっています。
しかし2019年ごろは生乳が足りずに輸入をしています。
日本という国は生乳が足りないのか余っているのか?
日本の畜産の現状から日本で生産される生乳が余っているのか、足りないのか?
現実は生乳も含めて加工乳製品は輸入に頼っていて国産だけでは足りないのではないか?
現在の生乳が余ってしまい廃棄せざるを得ないというのは、コロナ下においての特殊的な事情なのかもしれない。その中で、輸入生乳も含めて過剰になっているのか。
日本の生乳よりも輸入の生乳の方が価格競争に勝っているのか。あるいはPTTによる自由化により日本は輸入せざるを得ないのか。
単純に生乳が過剰で国内の畜産課が困っているという一面だけでこの問題を見ないほうがいいのかもしれない。
生乳が余っているならこの際マーガリンを禁止してバターに切り替えるとか加工品を国産にすることを考えないと。
でも価格競争に負けるのか?
しばらくすると過剰から不足に転じるかもしれない。
【2022年】ツイッターつぶやき
安倍政権時からどのくらいの大臣や要職に就く政治家が、政治とカネの問題や失言などで辞任(更迭)しただろ?
その度に総理大臣が説明責任やら任命責任という言葉でお茶を濁してきた。
国民が納得するような説明責任を果たした政治家がいただろうか。任命責任で責任をどのような形で総理大臣は責任を取っただろうか。
国民はそのうち忘れて選挙では勝つ。
こういう自民とでありながら国民には痛みのある政策を強行してきた。
これを許す社会的な力が働きはじめているのでしょう。総理大臣と会食をするマスコミ。。。。。。
野党も自民党政治を後追いしはじめている。
自民党政治は盤石である。
しかしそこが腐りはじめるのですから国も国民も疲弊していく。しかし腐りながらも企業や富裕層の社会的富を維持する。
日本はアリジゴクにはまる。
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