「野口英世は貧乏な生まれだから、
金の使い方を知らず、苦労した」
と、歴史の研究家だか誰かがそう言った。
確かに、金の使い方は、
ある種の環境にある人々にとって、
立ち塞がる壁であり、
越えられない壁だ。
先日、人と話していて、
「理解の出来ない相手と出会ってしまった」
と聞いた。
『お金がないから』と言って、
前歯が欠けたままだったり、
メガネが割れたままだったり、
とにかく、
「それは本当にそうなのか!?」
と、思わずにはいられないタイプの人々、
ということだ。
彼女は知らなかったのだ。
本当にお金がないのではなく、
『ギャンブルをやる金はあっても、
子供に食わすメシの金は惜しむ』種類の人の存在を。
『金を借りるのに、
タクシーで乗りつける人の存在を』
飲む金はあっても、
歯医者や床屋に行く金はなく
朝早くからパチンコ屋に並ぶ体力はあっても、
働くことは決して出来ない人々。
差別でも偏見でもない。
それは、私が子供の頃に、
たくさん見た人々だ。
(もちろん例外もいっぱいあるだろう)
「『知らなかった』と言うなら、
それはこれまで幸せな人生を歩んでいたってことだと思うよ」
と、私は言った。
裕福で幸せな家庭で育った彼女にとって、
その出会いは、よほど衝撃的だったようで、
相対した事で芽生えた感情をどう処理したらいいのか、
わからない様子だった。
冒頭で触れた『歴史家』の発言については、
当然、野口英世を馬鹿にしたものではなく、
だからこそ、金に対する教育が必要なのだ、
という主旨のものだったと記憶しているが、
逆にいえば、貧乏だったからこそ、
身を起すべく奮闘する人々も、
確かに存在するだろう。
金は天下の回りもの、だから、
使いどころを間違えないことが、
やっぱり肝心なのだろうが、
「あ、もう苦手なんで!
全部お任せしていいですか?」
と、パートナーに丸投げする私のようなやり方も、
リスクを回避する方法としては、
なかなか正しいような気がする(笑)
そして件の『ショック』を受けた、
裕福な家庭で育った彼女が、
やはりとても、金の使い方が上手いことには間違いがない。
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