街角を曲がれば、美、美、美の渦。
プラハ滞在中にも書いたが、
今回チェコへ行ったことで、
ミュシャの絵が、どうしてああなったのか、
理解出来たような気がする。
ミュシャ以前の、
様々な教会やシナゴーグの内部装飾、
立ち並ぶ建物、
美しい少女たち。
訪れなければわからなかったことが、
『訪れてわかった』ということは、
これ以上ない収穫で、喜びである。
【シナゴーグ】に見られる、異なる文化の美の交錯。
淡い空、かすかに銀を吹き付けたような丘の緑、
ピンクのマーブル、カラフルな壁たち。
教会群に輝く、金色のラテン文字に、
少し翳った石畳。
オスマントルコとの、
戦に勝った城主が飾った生首を、
烏が啄ばむ意匠とか。
または、
狂ったように美しい、フルボカー城の内部。
人が畏れるもの、憧れるもの。
聳え立つ教会と、
白く、美しく、
どこかユーモラスな骨の世界は、
あちらの様子も、そうそう悪くはないような、
そんな気持ちにもさせてくれる。
「ああ、こりゃミュシャの絵もああなるわ」
歩き回って見とれて腑抜けて、
過ぎ行く車窓にため息をつけば。
「来てよかったねぇ」
「ありがとう」
...まさか本当に来られるとは思っていなかったから。
長い長い時を経て。
仮に、子供の頃の私に、今、何か伝えることが出来たとしても、
やはり、私は何も伝えないだろう。
旅は未来で未来は旅だ。
人生は驚きに満ちている。
ただ、「心配しないで」と。
チェコはミュシャの生まれた国。
小さくて大きい、またはその逆の、この世界。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます