10年前
織りが一段落して「さて、少し休んでお茶でもしようかな」と
リビングに来たところで家が突然大きく揺れました。
慌ててテレビを点けると、『地震速報』が出て、
「テレビを消さないでください。情報をテレビで観てください」というアナウンスです。
私は薄いテレビが倒れないように必死に押さえ、夫はキッチンに走って食器棚を押さえました。
「テレビが壊れたら大変、情報が入らなくなる」とテレビを押さえながらリビングに造り付けの食器棚を
何気に見たら食器がそれぞれ踊っていました。
終わらない大揺れに私は「あなた、もうダメよ。崩れるわ」と泣きそうになっていました。
やっと終わった揺れに、まず家の各部屋を確認しに行きましたが、
あの重い織り機が部屋の真ん中まで移動して、糸の棚が倒れ、本箱が倒れて本がバラバラ、
CD棚も崩壊していました。
娘の部屋はデスクが移動してPCが放り出され、本で足の踏み場もありませんでした。
リビングも重い本箱が移動し、60キロあると言われている大理石のテーブルが5センチほど移動していたのです。
テレビでは東北の被災地が出ていましたが、その時は私たちのことで精いっぱいで目から飛んでいきました。
「子供たちはどうしているのか・・」という心配がありました。
息子は金沢に単身赴任中、留守宅はどうなったのか、嫁は孫は?
そして仕事で出ている娘はどうなっているのか。
幸いなことに、息子はIP電話で連絡を寄越し、嫁も孫も無事だと確認でき、娘(彼には妹)に
IP電話を頼んだら、「家に向かって歩いている」と知らされました。
後で聞いたら、娘は帰ろうと思ったら目の前でJRのシャッターが降り、コミュニティバスに乗って
少しでも家に近づこうとしたとか。
驚いたのは歩くと決めた時、「体力がいる」とコンビニでチョコレートを買い、都内の地図も買ったとか。
「この娘のどこにそんな知恵があったのか」と感心したり驚いたりしました。
歩きながら「家も無くなり、両親も死んでしまったんじゃないか」と涙が止まらなかったそうです。
そこへ兄からのIP電話が来て、ひとまず安心して歩いたそうです。
途中で電話も通じて夫と区役所の前で会うことがきまり、家に帰ったのは日付が変わっていました。
なんと7時間も歩いたのです。
歩いている道ではケーキ屋さんが「どうぞ食べてください」ケーキをと出してくれたり、
飲み物を出してくれたお店もあったといいます。
娘には人に感謝できることって、そうそう経験もなく、親としてありがたく思います。
そんな私たちの3月11日でした。
当時、石原都知事が「これは天罰だ」と言って顰蹙を買いましたが、私は別の見方をしています。
後先考えることもなく土地の開発を進め、埋め立ててまで家を建てている、そんな自然の怖さを
石原都知事は言ったのだと思います。
また、JRの素早い運転中止にも都民の批判が出ましたが、後でJRが都知事に謝りに行く場面を
テレビで観ましたが、都知事が「僕に謝ったってしょうがないでしょう。都民に謝りなさいよ」
と言っている姿に溜飲が下がりました。
なにかと悪評があった知事でしたが、正しいことは言っている人だと思っています。
今日のテレビで10年前の映像を詳しく撮っている人の話が出ていました。
「昔、大津波がきた、と言う話を聞いたことがあるけど、誰もどんなものだったのか知らない。
こうやって映像で残しておくと、いつか参考になる」と仰っていました。
そうなのです。
海近くの土地には「これより前に家を建てるな」という石碑が建っていました。
それを守っていれば、10年前のような大きな被害は出ず、少ない被害で済んだのかもしれないのです。
先人の言うことを守ろうではありませんか!