今日もまた似たような話題をしますが、
久保ミツロウ・能町みね子の
インタビュー記事を読んだ。
↓(これ。リンク先に飛びます)
ラジオは
『久保ミツロウ・能町みね子のオールナイトニッポン0(ZERO)』
といいます。
ラジオとっても面白いです。
何が面白いか
というと、
取り繕いがない。
そのままのふたりで
よく見せたいとか少しでも自分の得になるようにとかに
まったく重きをおかないところがいい。
そんなものは無価値だ
と思っているわたしの価値観にしっくりくるのです。
昨日ツイッターで
「ブスで女子力高いやつ、なんでだよ」(加筆修正あり)
といった呟きが流れてきて
モヤリとした。
そのあとにインタビューを読んで
能町さんが
(↓コピペ)
男性社会のラジオとかだと、私たちみたいな存在はほぼ無視されるんですよ。
世間的に女性は「かわいい・きれいな人」か「ネタにできるブサイク」しか存在しないことになってますからね。もうそれ飽きろよって思うんですよ。
↑
と言っていて
ああモヤっとしたことの答えだな。
と、すっきりした。
長らく自分のことをブスでデブだと認めることもしなかった私ではありますが、
「おばさん」になったという効果で
こんなおばさん、すごいたくさんいる
ってことに気がついたのです。
かわいいきれいなひと
と
笑えるブス
の間の女性がこの世の女性の大半なのです。
決して自分はキラキラしたほうではない(ブスとは認めないけど)
と気付いていた思春期のわたしは
ピンクのもの
かわいいもの
ふわふわしたもの
そんなものは嫌い(似合わないし)と
決め付けて、黒い服しか来ませんでしたし
アクセサリーはつけませんし、
口紅だって未だにつけません。
そうなることを自分で決めたのは
誰かに
「おめーみたいな、ブスでデブが可愛いもん持ってんじゃねーぞ!」
って言われないように自己防衛していたのかもしれません。
それってものすごい時間の無駄だしつまらないことだと自分で今思います。
服装を選ぶときは自分の意見よりも世間に溶け込むように気をつけるなど
未だにその習性が抜けないこともしばしばですが、
そんな卑屈なブスよりも
かわいいものまっしぐらのブスのほうが
ずっとずっと素敵だと思います。
中年女性の恥じらいとか
私は萌えます。
いろいろ考えて
先のツイッターの発言には
「ばーか!」って思える。
ふうスッキリ。