「君が代」不起立戒告処分取消共同訴訟
昨日(9月13日)、証言した原告井前弘幸さんの陳述書を全文掲載します。長文ですが、ぜひご一読くださいますようお願いいたします。
陳 述 書
2017年5月17日
大阪地方裁判所御中
氏名 井 前 弘 幸
1 経歴
私は1983年に大阪府に数学の高校教員として採用され,現職で35年目を迎えています。初任校である大阪府A高等学校(1983年から1991年まで勤務)では同和教育推進委員を担当し,その後勤務した大阪府立B高等高校(1991年から2003年まで),大阪府立C高等学校(2003年から2014年まで)でも,ほとんどの期間で人権教育推進委員に就き,同委員会委員長も務めました。また,B高校では,困難を抱える生徒に寄り添って一緒に考えたり,スクールカウンセラーや外部機関との連携をコーディネートする教育相談委員会の発足に関わり,数年間は同委員長も務めました。また,B高校では生徒指導主事,C高校では入学式や卒業式を主担する総務部長や学年主任などにも,教職員の全員投票により選出されてきました。担任を持たない以外の期間は,クラス担任を何サイクルも持ち上がってきました。
現在勤務している大阪府立D高等学校では,異動初日の2014年4月1日に尾之上校長から人権教育推進委員長に就くよう命じられました。このとき,尾之上校長が,私に対して,「D高校の職場に,人権教育を通じて,民主的な風が吹き込むような仕事をして欲しい」と言われたことを鮮明に覚えています。2015年度以降は,担任としても人権教育には関わって行くことを希望していました。しかし,2014年度入学式での「君が代」斉唱時不起立による本件懲戒処分後の2015年度は,同校長から人権教育推進委員長と教育相談委員長の兼務を命じられました。これら2種の委員長兼務など,他校では聞いたことのない事例です。これは,卒業式や入学式に参列しなければならない担任や学年主任などの分掌から外すための人事であることは明らかです。2016年度は結果的に年度を通して病気休職でありましたが,尾之上校長から保健主事,人権教育推進委員長,教育相談委員長の役職を命じられていました。
今(2017)年度は,現校長より保健主事と人権教育推進委員長の2役を命じられています。
2 「君が代」斉唱では起立できない理由
(1)人権教育と関わって
私は,大阪府の教員として採用されて以来,人権教育と関わる中で,日本が「日の丸・君が代」を押し立てて,朝鮮をはじめアジア各国を侵略し,国内外で多数の市民
を死に追いやってきた歴史を繰り返し学ぶこととなりました。なお,このような,歴史の中で「日の丸・君が代」が果たしてきた役割について,正規の日本史等の授業では教えていないはずです。歴史を学ぶことは,日本に永住を余儀なくされた在日朝鮮・韓国の人々の現実や思いと向き合うことを抜きにして考えることはできず,人権教育の中で当該の生徒や保護者と,どう向き合えばよいのか,どのような教育実践が正しいのか,問い返しの連続でもありました。私は,教職に関わる中で,当該者や関係者の生きてきた歴史と現実の生活や思いに寄り添い共に学ぶこと無しに,人権教育は成り立たないものであることを学んできました。
私は,実際に生徒として高校に入学し目の前にいる在日朝鮮・韓国の生徒や保護者をはじめ,「日の丸・君が代」に違和感を持ち,それが強制されることによって人権を侵害される人々が確実に存在しているにもかかわらず,卒・入学式の参加者の意思確認もなく,一律に行動すべく強制することは,多様な価値観や少数者の立場を尊重すべき人権教育の根本を否定することであると考えています。そのような考えから,前任のC高校でも,卒入学式で「国歌斉唱」の号令がかけられても,教職員全員が「率先垂範して」起立する姿勢を生徒たちに示すことはできませんでしたし,すべきでもありません。そして,同校の職員会議において,教職員が憲法第19条により生徒の「思想・良心の自由」が保障されていることを生徒に伝える義務を負っていることを議論し,同校の教職員の総意として,同校人権教育推進委員会から生徒に対して,生徒にも思想良心の自由が保障されていること,日の丸や君が代について抵抗を持つ人が存在すること,起立斉唱の職務命令は教職員に対する命令であって生徒や保護者に起立斉唱を命じるものではないこと等を伝え(甲G10:本陳述書に添付させていただきます)る等の取り組みを人権教育の一環として行ってきました。
(2)国家主義的イデオロギーを教育に持ち込む政治の流れを許せないという信条
私は,大阪府教員採用試験を受ける前年に,父と戦争体験について語り合ったことがありました。父は,「国のために一命を賭して戦うこと」を唯一の正義として,「第一岡崎海軍航空隊」の飛行予科練習生(ここから「沖縄特別攻撃隊(特攻)」が送り出された)に志願入隊しましたが,辛うじて生きて敗戦を迎えたのです。その際,父は,自分は戦前の教育によって明らかに洗脳されたこと,農家の三男として生まれた自分には「お国のため」以外の選択肢はなかったことなどに触れて,教育への無念の気持ちを語りました。この経験から,私は,父の教育に対する「無念」の責任を1人の教員として負わなければならないと考えるようになりました。
私は,1983年4月に初任の大阪府A高等学校に赴任しました。この年,同校の体育祭で,生徒会役員4名の手で四隅を持たれた「日の丸」の旗が体育祭の入場行進の先頭を行き,整列後,グラウンドの旗掲揚台に全員が注目する態勢がとられ,生徒会役員が「日の丸」を掲揚するという儀式を目にしました。私は,旧日本軍や戦前の国家主義的な儀式を思い起こさせるような行為を当たり前のように生徒に行わせていたことに対し,強い抵抗感を持ちました。その体育祭の後に,同校に数年前から勤務する同僚教員に前記儀式について尋ねたところ,特に教員間で議論されたことはなく,慣例的に行われていたとの説明を受けました。しかし,私は,採用されたばかりの新人であっても,上記の信条から,その儀式のことを黙ってやり過ごすことは許されないと考えました。そこで,私は,体育祭での「日の丸」掲揚儀式がなぜ問題なのか,同校の教職員組合分会の会議で同僚教職員たちに訴えました。その場で,戦前の国旗掲揚儀式が学校の中で行われた意味について,父から聞かされた戦前の教育に対する思いについて同僚教職員に伝えました。
また,1982年に中曽根康弘内閣が誕生し,組閣直後に訪米した同首相が「日米両国は太平洋を挟む運命共同体」と表明し,「日本列島を不沈空母にし,日本周辺の四海峡を封鎖する」とレーガン米大統領(当時)に約束して大問題となったことなども指摘しました。中曽根首相は,首相になる前に,「行革をやった後はやはり教育でしょうね。これには,教育臨調みたいなものを作って,オーバーホールをやることが大事で,それが事実上,憲法問題を処理することになる。」(『週刊現代』1981年8月27日号)と発言しており,中曽根首相が日本をアメリカが行う戦争の最前線基地として機能させる戦略を打ち出し,改憲に向かう過程に「教育改革」を明確に位置づけているのではないか,との考えもありました。そのような状況も踏まえて,学校で「日の丸」に敬意を示すことが当たり前のように教えることが正しいのかどうか,同僚教職員達と時間をかけて議論しました。議論は同校の職員会議でも行われ,結果,教職員の総意で,1984年度以降は「日の丸」行進は行わないことになりました。
また,私は,この直後にあった1980年代の2つの出来事と,1990年代最後の1つの出来事によって,教員としての自身の振る舞い方について,さらに考えを深めることになりました。
1980年代の第1の出来事は,沖縄基地の固定化と機能強化に向けた在沖米陸軍第1特殊作戦部隊(グリーンベレー部隊)の再配備(1984年),嘉手納基地など未契約軍用地の20年強制使用(1985年),日米合同軍事演習の拡大と米軍・自衛隊機の相次ぐ事故と米軍による凶悪犯罪の中で行われた「1987年沖縄国体(海邦国体)開催決定」(1984年)です。当時,日本政府が,海邦国体の開催とさらなる軍事負担の沖縄への大規模な公共事業予算を投入していたことは周知の事実でした。そして,1986年春から,学校での「日の丸」掲揚をめぐって,沖縄県内を2分する大きな抵抗闘争が起こったのです。1987年3月の例だけでも,以下の通りです。
①北谷高校…卒業生400人が「日の丸」掲揚に抗議し,会場内に入らず外で待機。
学校側が掲揚を断念したことで,卒業生は会場内に入り大きな拍手の中で式が始まった。
②中部高校…全卒業生が「会場に『日の丸』があれば,舞台の菊の花を撤去して抗議の意思を表そう」と事前に申し合わせ,一人一人が菊の花を持って退場。さらに一人の卒業生が「日の丸」を舞台の下に放り投げた。教頭と生徒との言い合いの後,ついに卒業生が「もう式はやらなくていい」と一斉に退場。結局,掲揚は中止され卒業式が再開された。
③読谷高校…女子生徒が壇上から「日の丸」を引き下ろし,友人と共に3人で旗の撤去を訴える。その生徒に向かって教頭は「あんた,成人だったらこれは犯罪行為だ
よ」と叱りつけると,生徒は「誰が賛成しましたか!生徒は賛成しましたか!」と叫ぶ(卒業式の主役である生徒には掲揚について何の説明もなかった)。彼女は会場を飛び出すと,旗を体育館横のドブに突っ込んで塀の外に投げ捨てた。
1980年代の第2の出来事は,アジア侵略の歴史をなかったことにしようとする歴史修正主義,教科書攻撃及び靖国公式参拝問題です。アメリカとともに戦争する国家体制を作るために,中曽根首相は,沖縄問題と歴史認識問題を一挙に片付けようとする政策に打って出て,教育はまさに主要なターゲットの一つにされていました。1985年8月15日(南京虐殺紀年館開館の日),中曽根首相は靖国神社への公式参拝を強行しました。同じ年,文部省は戦後初めて,学校における「日の丸掲揚・君が代斉唱」の実施状況に関する全国悉皆調査を強行し,福岡県教委は,戦後初めて学校行事での「君が代斉唱時不起立」のみを理由に,29校16名の教員に戒告,49名に文書訓告という大量処分に踏み切りました。沖縄問題,靖国参拝,改憲,歴史修正,教科書問題,「日の丸・君が代」強制。これらが全て政治的に関連していることは明らかでした。
さらに,1990年代の出来事とは,1999年2月,広島県教委が,「君が代」ができないなら「退職か降格を覚悟せよ」と広島県立世羅高校の石川校長を脅し,同校長が自死に追い込まれた事実です。世論を二分する問題であるにもかかわらず,政府は,世羅高校の事件を口実に,十分な議論もないまま国旗国歌法を強行的に成立させました。参院審議のまっただ中に行われたJNNの世論調査で,君が代の法制化に反対する意見が58.0%であるのに対し,賛成は40.8%との結果が出され,1999年3月に行われた調査と賛否が逆転していることが明らかになり,政府・与党の「(「日の丸・君が代」は)国民の間に定着している」という主張に裏付けがないことが明らかとなりました。ところが,政府は,「定着していないからこそ法制化する」と主張を翻し,ごり押しで法案を強行的に成立させました。さらに,野中官房長官(当時)は,「靖国神社」の特殊法人化を打ち出し,閣僚の公式参拝の「合法化」と天皇と天皇制国家のために殉死した「英霊」慰霊の全国民への強制さえ口にし始めたのです。
(3)安倍政権による強権と教育現場の萎縮
小泉首相(当時)は,2001年以降毎年靖国神社への公的参拝を行い,退任直前の2006年には8月15日の参拝を強行しました。小泉氏は,2003年7月に「イラク特措法」を成立させ,12月には米軍を中心とする各国軍隊がイラク軍との戦闘を行っている同国内に自衛隊を送り込みました。小泉氏は,靖国参拝の目的を「戦争に行かざるをえなかった方々への敬意と感謝を捧げるため」だと語りました。イラクでの「戦死」を意識したものではないかとの批判もされています。このような緊迫した情勢の中で,石原慎太郎東京都知事と都教委が行動を起こします。東京都教委は,2003年10月23日,すべての学校の卒業式・入学式で都教委指示の通りに「国旗掲揚・国歌斉唱」を実施すること,教職員一人ひとり全員に職務命令を発して「国歌斉唱」時に起立させることを命ずる通達を発出しました。この通達によって,480名におよぶ東京都教職員への戒告・減給・停職処分が強行されていきます。
靖国神社は,戦前の国定教科書では,「ここに祀ってある人にならって君(天皇)のため国のため尽くさなければなりません」とあり,戦後に作られた靖国神社社憲でも戦死者を国に殉じたものと位置づけた上で「その御名を万代に顕彰する」(前文)ために祭祀を行なうことを目的とするとしています。「日の丸・君が代」は,戦前において子どもたちに「忠君愛国」を浸透させるための,現在においても「我が国と郷土を愛する心」を浸透させるための重要なツールです。「大阪府の施設における国旗の掲揚及び教職員による国歌の斉唱に関する条例」(2011年6月,国旗国歌条例)は,教員が子どもたちの前で,国家を象徴する「日の丸・君が代」に敬意を表する態度を見せることを通じて,子どもたちの「我が国と郷土を愛する意識の高揚に資する」ことを目的に掲げています。「国家のために殉ずる」ことをその内容の如何を問わず良しとするイデオロギーが,国家の「代表者」が靖国神社を公的に参拝する姿勢を国民に示すこと,子どもたちの前で教育者が公的な場で国家に従順なる姿勢を示すことで,国民への浸透がはかられています。
第1次安倍政権は,就任直後の所信表明で「憲法改正」に言及し,3ヶ月後には,戦前教育の反省の上に成り立ち戦後教育の基盤となった教育基本法の改悪を強行しました。第2次安倍政権は,自民党内に「自民党教育再生実行本部」(2012年10月)を立ち上げ,政府内に首相直属の諮問機関として「教育再生実行会議」(2013年1月)を設置しました。そして,安倍首相は靖国参拝を強行します。安倍氏は,参拝に際して,「国のために戦い,尊い命を犠牲にされた御英霊に対し,哀悼の誠を捧げるとともに,尊崇の念を表し,御霊(みたま)安らかなれとご冥福をお祈りした」と表明し,「(日本国の)リーダーとして手を合わせる,このことは,世界共通のリーダーの姿勢だ」とも強調しました。2014年には,「集団的自衛権」の行使を容認する閣議決定,2015年にはいわゆる「戦争法」(安保法制)を強行しました。安倍首相は,首相任期中の改憲を目指すとしています。
安倍首相による参拝強行に対する一連の靖国訴訟判決は,靖国神社が「その歴史的経緯からして一般の神社とは異なる地位にあること」や「行政権を有する内閣の首長である内閣総理大臣の被告安倍が本件参拝をすることが社会的関心を喚起したり,国際的にも報道されるなど影響力が強いこと」を認めるとしながら,「それが参拝にとどまる限度において,原告らのような特定の個人の信仰生活等に対して,信仰することを妨げたり,事実上信仰することを不可能とするような圧迫・干渉を加えるような性質のものでない」として,首相が靖国神社を公的に参拝する行為の憲法適合性の判断を避けました。しかし,首相による靖国神社への公的参拝が果たしてきた歴史的な経緯や現安倍政権による靖国参拝と学校教育の改編を含めた国民イデオロギーを誘導しようとする政治的目的のあからさまなこと,及びその影響・効果の甚大さは,首相個人の「参拝にとどまる限度において」憲法上の判断をしないでも済まされるというようなごまかしを許すものではありません。
安倍政権の下で,教え子がふたたび戦場へ送り込まれる危険が現実化しています。教員として,靖国参拝時に安倍首相が述べた「国のために戦い,命を犠牲にすること」を「尊崇」の対象とする思想に対して,子どもたちにどのように説明し判断を促すのか。教員一人ひとりに憲法に則った判断が迫られています。「戦死」をも厭わないような「愛国意識」を子どもたちに押しつけていくという目論見が,「日の丸・君が代」や教科「道徳」の強制をはじめとする教育への国家介入の向こう側に見え隠れしています。靖国神社への首相の公的参拝も同様の役割を果たしています。
しかし,安倍政権は「政権の見解」を批判する内容が子どもに伝わることへの弾圧を行っており,「日の丸・君が代」強制をはじめとする職務命令による教育が横行し,教員は萎縮して「沈黙」せざるを得ない状況に追い込まれています。
2014年4月の衆議院文部科学委員会で,自民党の義家弘介議員が,東京都立松が谷高校の「政治・経済」の学期末試験で,安倍首相の靖国参拝を報じた毎日新聞の記事を使って意見や説明などを求める出題をしたことを「イデオロギー教育だ」と批判し,下村文科相が「こういう教育が現在,行われていること自体,ゆゆしき問題だと思う。適切に対応しないといけないと思う。」と答弁しました。都教委や校長に,そして当該の教員に重大な圧力が加えられました。さらに,昨年の参院選後,自民党は党のホームページ(HP)に特設サイトを設け,「政治的に中立ではない」と思う教員の指導や授業があれば,学校・教員名,授業内容などを党に送信するよう呼びかけました。一方では,いわゆる「森友問題」の中で浮上した幼稚園や学校で「教育勅語」を教え込む教育の容認を閣議決定し,「教育勅語」の無効と排除を決定した国会決議を事実上反故にする決定を行いました。
ドイツでは,学校で政治教育を行う際の「ボイテルスバッハ・コンセンサス」という基本原則が確立しています。戦前のナチス政権とその行為に対する徹底した批判の上に立つ歴史認識を共有し,教育に「圧倒の禁止の原則」「論争性の原則」「生徒志向の原則」の3つを求めるものです。それは,教員が自分の意見を述べることを制限するものではありません。政権政党が個別の授業内容を国会で攻撃したり,ホームページで密告を奨励するなどの介入を行うなどということも当然考えられないことです。
首相の靖国参拝問題も,「日の丸・君が代」問題も,政権政党による教育への介入なしに,堂々と学校の中で議論されなければならない問題です。しかし,現に政治からの圧力が存在し,司法が「靖国参拝問題」でも「日の丸・君が代強制問題」でも,それそのものの憲法適合性の判断を避け,現場の教員が無防備な状態で攻撃にさらされているのが現状です。それが,公教育の中でも「空気読めよ」と,力あるものへの同調圧力を子どもたちに押しつける教育につながって行くことは明らかです。
このような現実に対して,私は,例えそれがささいな抵抗であったとしても,偏狭な国家主義的教育につながる恐れのある政治による教育への強制をその通りに実践することは許されないとの考えを変えることはできません。
(4)教員としての責任とは何か
国旗国歌条例の真の目的は,日の丸・君が代に対して教職員が敬意を表明している姿を生徒に見せることにより,「我が国と郷土を愛する意識」を高揚させること,即ち「日の丸」・「君が代」を利用した愛国心の高揚にあります。上記(3)に示した現情勢の下で,教職員が国家・行政による同調圧力になびいたり屈服する姿勢を示すことは,それ自体が,間接的に子どもたちにも同調を迫る行為です。やがて,抵抗そのものがなくなる過程で,間接的であった子どもたちへの同調圧力が,直接的な強制へとつながって行くことは明らかです。この誤った「愛国心」教育が,子どもたちを再び戦場に送り出す教育へとつながることを現憲法は厳しく制限しています。
また,本件「職務命令」は,「日の丸」・「君が代」が戦前のアジア・太平洋諸国への侵略戦争の歴史と密接不可分の関係にあると評価する歴史観ないし世界観から生じる教育上の信念を持つ者にとっては,愛国心の高揚をその目的として意味づけされた上で「日の丸」の面前で「君が代」の起立斉唱を強制されることは,まさに軍国主義下の戦前と同じように,「日の丸」・「君が代」の下に教え子を戦場に送り出すことに加担する行為を行うこととなり,私自身の「歴史観ないし世界観を否定することと不可分に結び付く」(最高裁2011年(平成23年)6月14日判決参照)ものです。
よって,本件「職務命令」は,私の歴史観ないし世界観それ自体を否定するものであり,私の思想良心それ自体を直接制約するものです。また,上記の通り,本件「職務命令」は,そもそも式典の円滑な進行を図るという価値中立的な意図で発せられたものではありません。本件「職務命令」は,上記のような教育上の信念を有する私たちのような教職員を念頭に置き,その信念に対する強い否定的評価を背景に,不利益処分をもってその信念に反する行為を強制することにあることは明らかであり,憲法第19条に違反し違憲無効であることは明らかです。
3 2014年入学式をめぐる事実 ~ 尾之上校長は,教育者として,敢えて「職務命令」を忌避した。
(1)入学式に至る経緯
ア 2014年4月1日の職員会議と会議前の校長との面談2014年4月1日,新着任者に対する辞令が校長より手渡されました。尾之上校長は,お互いに前任校であるC高校では教頭と教員として旧知の関係でした。そのため,尾之上校長は,私が「君が代」斉唱の強制に反対していたこと,C高校の卒・入学式でも一度も起立したことはないこと,その不起立をC高校の校長も教育に携わる者の忸怩として黙認してきた事実を熟知し,その行動の意義についても教育者として理解されていたと思います。辞令手交後,尾之上校長は,私との立ち話で,この日の職員会議に入学式の式次第が報告されることに対して,敢えて職員会議での本音での発言を促しました。
予定通り,この日の職員会議で,入学式担当分掌である総務部の職員が入学式の式次第及び役割分担表を資料として配布し報告したのに対し,私は,「日の丸・君が代」強制の政治的背景と強制の経過を批判し,校長に向けて「『君が代』での起立・斉唱に関する職務命令を発出しないよう」求める発言を行いました。尾之上校長は,私の発言に対して,「ご意見として聞き置きます」と発言したが,それ以上の発言をすることはありませんでした。
イ 同年4月4日の面談
同年4月4日,私は尾之上校長から呼び出され,校長室で二者面談を行いました。4月3日の府立学校校長会で中原教育長(当時)から卒業式・入学式における起立・斉唱の現任について訓話があったこと,その内容について意見交換を行いました。中原教育長は,上記校長会で,2013年度卒業式での不起立が6校6名という少数になったことから,今後は各校校長のガバナンスにおいて実施するように指示しまし
た。尾之上校長は,現認も校長の裁量に任されると受け取ったと説明しました。私も,いわゆる「君が代」を歌っているかどうかの「口元チェック」を指示した教育長が府民からの批判を受けて,府教委による強硬な態度を後退させたと受け取り,校長の認識を支持しました。そして,尾之上校長は,来る7日の職員会議では,平成24年(2012年)の教育長通達と式場の「内」「外」を明示した役割分担書を配布しての「式場内の職員は起立し斉唱すること。これは職務命令であり,これ違反した場合は,職務上の責任を問われます。」という命令を,今回は行わないつもりであると語りました。
しかし,尾之上校長は,同時に,私に対し,入学式の君が代斉唱時に起立斉唱する意向について「君が代斉唱は立てないでしょう。」と尋ねられたので,私は「立つ立たないを含めて,当日どのように行動すべきかを悩んではいる。」と回答しました。また,校長から,1年学年団ではあるが「国歌斉唱」終了後に入場するというのはできないかとの打診もありました。私は,学年団の役割は,他の副担任と共に,各クラス生徒が教室から式場に入場する際に,教室の施錠,最後の生徒とともに入場し着席することになっているため,その役割の自然の流れにしたがって行動すると返答しました。校長の「打診」については,式直前まで考えることはすると返答しました。
同面談での結論として,尾之上校長は,私に対し,「今回は,職務命令という文言を使うのはやめようと思っている。」「職員会議では,教育長通達も役割分担表も配るつもりはない。」と語り,私に対して「井前さんには起立してほしいが,実際にどうするかは井前さんに任せます。」などと伝えました。
ウ 同年4月7日の職員会議
同年4月7日,D高校で職員会議が開催されました。同職員会議で,尾之上校長は,「文書を新たに配布することはしませんが,平成24年1月17日の教育長通達のとおり,入学式においては,式場内の教職員は起立し斉唱するようお願いします。」と述べました。
この際,尾之上校長は,上記イの発言どおり,教育長通達及び役割分担表を配布しませんでした。(4月1日から7日の経過について,乙G15号証:尾之上校長「顛末書」参照)
(2)本件入学式当日
同年4月8日,D高校の入学式が開催されました。
私は,新入生全員が式場に入った後,施錠した各教室の鍵を持って式場に入り,開式直前ぎりぎりに同鍵を式場配置図(乙G3の2)記載の職員席の前列に着席する担任に手渡した後,同職員席の後列に着席しました。私が着席した座席は,大部分の参列者からは見えにくい場所でした。入学式開式に際して,開式宣言と同時に求められた「一同起立」の号令で私を含む多くの出席者が起立していたところ,「国歌斉唱」の号令と同時に,私は約40秒間ただ静かに自分の席に着席しました。
この際に,校長の指示により,「国歌斉唱」の最中に,事務長が自席からわざわざ移動し,私が起立していないことを確認しました。式後に,校長は府教委に私の不起立を報告したことを伝えました。
私のこの行為で「式典の円滑な進行」が阻害されたことはありません。そのようなことを誰からも言われたことはありません。
(3)本件不起立後の経緯 ~ 「処分」のための「事情聴取」ではなく,密室での取調べを前提とする「事情聴取」に拘泥
ア 同年4月14日頃,私は,尾之上校長から,本件不起立に関する事情聴取を同月18日に行うので出席するよう命じられました。それに対し,私は,弁護士の同席が認められなければ事情聴取に応じない旨回答しました。また,代理人弁護士を通じて,同月14日付で,事情聴取にあたっては弁護士の立会い及び録音録画を認めるよう申し入れを行いました(甲G3)。
しかし,尾之上校長は「府教委が事情聴取に弁護士の同席は認めない」との発言を繰り返し,弁護士の立会いを認めない態度に終始したため,私は適正手続を踏まない事情聴取に応じることはできないと考え,同月18日に予定されていた事情聴取には出席しませんでした。
イ 私は,事情聴取にあたっては代理人弁護士の同席及び録音録画が認められるべきだと考え,同年4月21日,代理人弁護士を通じて府教委に弁護士の同席及び録音録画を認めるよう求めたところ,担当の松好氏は「今までやっていないから。」と述べるだけで,具体的な弊害が生じるおそれ等を説明しませんでした。
そこで,私は,同月21日,代理人弁護士を通じて,府教委に対し,事情聴取書の信用性を担保するためにも弁護士立会い及び録音録画のうえ事情聴取を実施するよう求める書面を府教委宛に提出しました(甲G4)。
ウ 同年4月30日,府教委は,私に対し,事情聴取の実施について,同年5月13日から同年5月26日までの間で日程調整する旨を書面で通知しました。私は,代理人弁護士を通じて,府教委に対し,同年5月23日から同年6月13日までの間に,弁護士立会いのもと事情聴取を実施するよう求めたところ(甲G5),府教委は同年5月23日の実施を通告してきました。
同日,私は代理人弁護士を伴って府教委を訪れ3時間にわたって話し合いましたが,府教委は「代理人が立ち会うのであれば事情聴取を行うことはできない」とあくまで弁護士の立会を拒否し,最後は私たちに対して,会場からの退去を命じました。
エ 後日,代理人弁護士を通じて,府教委に対し,改めて事情聴取を行うよう申し入れましたが(甲G6,7),府教委は申し入れを完全に黙殺しました。
オ 結局,府教委は,同年6月17日,私に弁明の機会を一度も与えないまま,本件戒告処分を強行しました。
(4)本件職務命令が不存在であること
ア 尾之上校長の4月7日の職員会議における「お願い」は「職務命令」ではない尾之上校長は,同年4月7日に開催された職員会議において,入学式における君が代斉唱時の起立斉唱について,教職員に対し,「文書を新たに配布することはしませんが,平成24年1月17日の教育長通達のとおり,入学式においては,式場内の教職員は起立し斉唱するようお願いします。」と発言しました。
同発言は,末尾が「お願いします。」と結ばれており,「お願いします。」という文言は,一般的に,相手に任意の協力を求める意味を持つに過ぎません。したがって,尾之上校長の4月7日の職員会議における発言をもって,私を含む教職員全員に対する起立斉唱の職務命令があったということはできません。
被告側は,尾之上校長が職員会議において「役割分担表・会場図にしたがって,式場内の教職員は,国歌斉唱にあたっては起立のうえ斉唱して下さい。」と発言した旨主張するが,同日の職員会議において,尾之上校長が「府教委マニュアル」(甲10,11)に従った校長名による役割分担表や会場図を配布しなかったこと及び個人宛の職務命令も発出しなかったことは,尾之上校長「顛末書」(乙G15)にも明示されています。
イ 4月4日に尾之上校長が私に対し,職務命令を発しない意思を明確にしていたこと
教育長は,同年4月3日に開催された「平成26年度当初府立学校長会」(以下,「本件校長会」という)の教育長あいさつにおいて,入学式での国旗・国歌の指導について言及し,その中で,参列する校長らに対し,「校長先生の方で,自分の学校は大丈夫だということであれば,事前に職員会議で確認するということにとどめてもいいでしょうし,ちょっとうちの学校は心配だというのであれば,これまでと同じような形で確認してい頂いても結構です。」「皆さんの裁量において,確認の方法を考えていただければと思います。」と発言していました(甲G8)。
私は,翌4月4日,尾之上校長から校長室に呼び出され,「今回は,職務命令という文言を使うのはやめようと思っている。」「職員会議では,教育長通達も役割分担表も配るつもりはない。」「井前さんには起立してほしいが,実際にどうするかは井前さんに任せます。」などと伝えられました。この事実は,上記校長「顛末書」に記された通り,中原教育長訓話に基づく校長判断であることが明らかにされています。
尾之上校長の発言は,後にその判断が校長としては不適切であったと反省していたとしても,その内容を客観的にみると,職員会議で教職員に対して起立斉唱の職務命令を発出しない旨の意思表明に他ならないものです。
このような経緯で,尾之上校長は同年4月7日の職員会議で,「文書を新たに配布することはしませんが,平成24年1月17日の教育長通達のとおり,入学式においては,式場内の教職員は起立し斉唱するようお願いします。」と述べているのですから,この発言が職務命令でないことは明らかです。
ウ 尾之上校長に対して訓戒処分が出されたこと
2014年6月17日,府教委は,府教委が指示したとおりに君が代斉唱の職務命令を発出しなかったという理由で尾之上校長を訓戒処分としました。
同訓戒処分理由書(甲G9)では,①配布された役割分担表が校長名で作成されておらず,式場内外の役割も明記されていなかったこと,②尾之上校長が原告井前(名前は出ていませんが,内容から私を指していることは明らかです)に対して職務命令書を発出しなかったこと,③職員会議において,職務命令を発出する際,府教委から指導されている手続きに従わず,教育長通達を配布せず,職務命令は発したものの府教委からの指導通りの内容の発言を行わなかったこと等を認定した上で,尾之上校長に対して訓戒する旨記載されています。
なお,同訓戒処分理由書には「職務命令は発したものの大阪府教育委員会からの指導どおりの内容の発言を行わなかった。」と記載されていますが,もし,「国歌斉唱にあたっては起立の上斉唱してください」との文言が職務命令であるならば,尾之上校長を訓戒処分に行う理由は存在しないことになります。あるいは校長が発する文言の一字一句まで府教委のマニュアルに従わなければ服務上の措置が科されることになるのであれば,各校の教育課程に関わる校長の裁量権を府教委が剥奪したことが明らかです。また,大阪維新の会一会派による強行可決により「大阪府国旗国歌条例」が施行される以前から,府教委通達及び府教委「指示事項」に基づき大阪府立学校の校長は,2000年度以降,「国歌斉唱にあたっては起立の上斉唱してください」と発言してきたのであり,この発言が「職務命令」であるとする被告側主張を肯定するならば,2000年以降の校長によるお願いは全て「職務命令」が成立していたということとなり,すべて服務上の措置が問われることになります。
エ これらの事情に照らして,私に対する起立斉唱の職務命令が存在していなかったことは明らかです。
4 処分によって受けた損害と精神的苦痛
(1)戒告処分による直接の経済的損失
本件戒告処分により,昇給額が抑制され,勤勉手当も削減されました。とりわけ昇給の抑制は.定年まで引き続き削減が続き,退職金にも影響します。
これら損失額を合計すると,定年までに少なくとも27万6919円の給与上の不利益を受けることになります。
(2)処分後1年半以上を経た「研修命令」と「意向確認」という踏み絵による精神的苦痛
府教委は,2016年1月6日付けで,2014年4月の本件事案に関する「研修」
を命ずる「研修命令」書を突然発出しました。「研修命令」は,研修目的さえ明示さ
れず,ただ,「貴方は地方公務員法第32条に規定する上司の職務上の命令に従う義務
に違反するものであり,同法第29条第1項第1号及び第3号に該当するものとして,平
成26年6月17日に戒告処分を受けた。ついては,貴方に対して大阪府職員基本条例第
29条に基づき,下記のとおり研修を実施するので,受講すること。」とあるだけで
す。しかも,本命令書は「この研修命令に従わないときは,職務命令違反行為になる
ことを申し添えます。」と締めくくり,従わない場合,再度の「職務命令違反」によ
る2度目の処分を行うことを明示しています。対象事案発生から1年8月,処分強行
からさえ1年6月が経っています。これは,およそ「研修」と呼べるものではなく,
「国歌斉唱」時に起立しなかった教職員に対する「思想転向」の強制または「いじ
め」に相当するという他ない不当きわまるものです。
さらに,本研修当日,標記のない1通の文書が手渡されました。文書には,「今後,
入学式や卒業式等における国歌斉唱時の起立斉唱を含む上司の職務命令には従いま
す。」の文面と署名・捺印欄と期日記載欄があらかじめ印刷されていました。口頭で
「意向確認書である」と言われましたが,「提出は任意である」とも言われました。
しかし,この文書は,本件訴訟の他の原告の訴えにもある通り,この文言の通りに,
「国歌斉唱時の起立斉唱の職務命令に従う」との「意向」を府教委に伝えない限り,
定年退職後の再任用を認めないという排除のための踏み絵として利用されています。
私は,この「意向確認書」に疑問を持ち,今現在まだ提出をしていませんが,尾之上
校長から2度,現校長からも1度,「意向確認」への態度を問われ続けています。
研修目的の明示のない「研修命令」,その後の定年退職後の生活を人質にとった脅し
とも言える「意向確認」の圧力は,「思想転向」の強要以外の何ものでもありませ
ん。
これら何度もの「転向」強制によって,長期にわたって精神的苦痛を受けています。
(3)処分後のクラス担任からの完全排除,教員としての苦悩と苦痛
本件処分を受けた後,2014年度の卒業式の役割分担は「来賓受付及び救護」担
当とされ,業務場所は卒業式会場から最も離れた校舎玄関及び保健室とされました。
そして,2015年度分掌は前記の通り人権教育推進委員長と教育相談委員長の兼務
を命じられ,2016年度はこの両委員長に加えて保健主事を命じられました。この
ような人事は他校では通常考えられない人事です。しかも,保健主事は学校保健研究
会(府立学校の保健主事全体の協議・連絡会)の幹事校に当たることが決まってお
り,保健主事の業務だけでも多忙を極めることが明らかでした。
このような無理な人事の理由のひとつが,私を担任や学年主任など,入学式や卒業
式に関わる業務から外すためであることは明らかです。
教員として,クラス担任であることは,私にとって教員としての柱であり,教員で
あることの証とも言える業務でした。教員として採用されてD高校に赴任するまでの
31年間の内27年間は,分掌長か担任の業務にあたってきました。D高校では,完
全にクラス担任から外されています。
これは,私の教員としての存在意義を問うものであり,現在の状況に対する大きな
苦悩とストレスを感じるものです。
5 おわりに
大阪では,本件処分のあった同じ2014年秋,中原教育長(当時)によるパワハラ
が,一人の教育委員の勇気ある告発によって明らかにされ,第三者委員会(大阪弁護
士会)はその事実を認定しました。さすがに,陰山教育委員長(当時)も,中原教育長
による府教委事務局員に対する「戦慄すべき」パワハラ,橋下徹大阪市長の率いる
「大阪維新の会」の政治目的を達するための職権濫用を批判し,大阪府知事及び府議
会による罷免決定を呼びかけるに至りました。結果,大阪維新の会を除くすべての会
派による教育長罷免要求決議案が府議会に提出され,中原氏は辞任に追い込まれまし
た。ここに至るまでの数年間に,いったいどれほどの理不尽が強いられてきたでしょ
うか。その最大の被害者は,子どもたちです。それでも,当時の橋下徹大阪市長も松
井大阪府知事も,中原徹氏を擁護し続け,パワハラされた職員の方を攻撃していまし
た。
私の「不起立」と懲戒処分に対する裁判への訴えは,ささやかなものです。教育の国
家支配の危険性,大阪の「学校教育基本条例」「国旗国歌強制条例」や同一職務命令
違反3回でクビという「職員基本条例」の理不尽さに対して,その理不尽さをただ
黙って「懲戒処分」を飲み込んでしまう訳にはいかないのです。
裁判官のみなさん。どうか私たちのささやかな行為に対して,日本国憲法に基づく公
正な判断をお願いいたします。
以上
昨日(9月13日)、証言した原告井前弘幸さんの陳述書を全文掲載します。長文ですが、ぜひご一読くださいますようお願いいたします。
陳 述 書
2017年5月17日
大阪地方裁判所御中
氏名 井 前 弘 幸
1 経歴
私は1983年に大阪府に数学の高校教員として採用され,現職で35年目を迎えています。初任校である大阪府A高等学校(1983年から1991年まで勤務)では同和教育推進委員を担当し,その後勤務した大阪府立B高等高校(1991年から2003年まで),大阪府立C高等学校(2003年から2014年まで)でも,ほとんどの期間で人権教育推進委員に就き,同委員会委員長も務めました。また,B高校では,困難を抱える生徒に寄り添って一緒に考えたり,スクールカウンセラーや外部機関との連携をコーディネートする教育相談委員会の発足に関わり,数年間は同委員長も務めました。また,B高校では生徒指導主事,C高校では入学式や卒業式を主担する総務部長や学年主任などにも,教職員の全員投票により選出されてきました。担任を持たない以外の期間は,クラス担任を何サイクルも持ち上がってきました。
現在勤務している大阪府立D高等学校では,異動初日の2014年4月1日に尾之上校長から人権教育推進委員長に就くよう命じられました。このとき,尾之上校長が,私に対して,「D高校の職場に,人権教育を通じて,民主的な風が吹き込むような仕事をして欲しい」と言われたことを鮮明に覚えています。2015年度以降は,担任としても人権教育には関わって行くことを希望していました。しかし,2014年度入学式での「君が代」斉唱時不起立による本件懲戒処分後の2015年度は,同校長から人権教育推進委員長と教育相談委員長の兼務を命じられました。これら2種の委員長兼務など,他校では聞いたことのない事例です。これは,卒業式や入学式に参列しなければならない担任や学年主任などの分掌から外すための人事であることは明らかです。2016年度は結果的に年度を通して病気休職でありましたが,尾之上校長から保健主事,人権教育推進委員長,教育相談委員長の役職を命じられていました。
今(2017)年度は,現校長より保健主事と人権教育推進委員長の2役を命じられています。
2 「君が代」斉唱では起立できない理由
(1)人権教育と関わって
私は,大阪府の教員として採用されて以来,人権教育と関わる中で,日本が「日の丸・君が代」を押し立てて,朝鮮をはじめアジア各国を侵略し,国内外で多数の市民
を死に追いやってきた歴史を繰り返し学ぶこととなりました。なお,このような,歴史の中で「日の丸・君が代」が果たしてきた役割について,正規の日本史等の授業では教えていないはずです。歴史を学ぶことは,日本に永住を余儀なくされた在日朝鮮・韓国の人々の現実や思いと向き合うことを抜きにして考えることはできず,人権教育の中で当該の生徒や保護者と,どう向き合えばよいのか,どのような教育実践が正しいのか,問い返しの連続でもありました。私は,教職に関わる中で,当該者や関係者の生きてきた歴史と現実の生活や思いに寄り添い共に学ぶこと無しに,人権教育は成り立たないものであることを学んできました。
私は,実際に生徒として高校に入学し目の前にいる在日朝鮮・韓国の生徒や保護者をはじめ,「日の丸・君が代」に違和感を持ち,それが強制されることによって人権を侵害される人々が確実に存在しているにもかかわらず,卒・入学式の参加者の意思確認もなく,一律に行動すべく強制することは,多様な価値観や少数者の立場を尊重すべき人権教育の根本を否定することであると考えています。そのような考えから,前任のC高校でも,卒入学式で「国歌斉唱」の号令がかけられても,教職員全員が「率先垂範して」起立する姿勢を生徒たちに示すことはできませんでしたし,すべきでもありません。そして,同校の職員会議において,教職員が憲法第19条により生徒の「思想・良心の自由」が保障されていることを生徒に伝える義務を負っていることを議論し,同校の教職員の総意として,同校人権教育推進委員会から生徒に対して,生徒にも思想良心の自由が保障されていること,日の丸や君が代について抵抗を持つ人が存在すること,起立斉唱の職務命令は教職員に対する命令であって生徒や保護者に起立斉唱を命じるものではないこと等を伝え(甲G10:本陳述書に添付させていただきます)る等の取り組みを人権教育の一環として行ってきました。
(2)国家主義的イデオロギーを教育に持ち込む政治の流れを許せないという信条
私は,大阪府教員採用試験を受ける前年に,父と戦争体験について語り合ったことがありました。父は,「国のために一命を賭して戦うこと」を唯一の正義として,「第一岡崎海軍航空隊」の飛行予科練習生(ここから「沖縄特別攻撃隊(特攻)」が送り出された)に志願入隊しましたが,辛うじて生きて敗戦を迎えたのです。その際,父は,自分は戦前の教育によって明らかに洗脳されたこと,農家の三男として生まれた自分には「お国のため」以外の選択肢はなかったことなどに触れて,教育への無念の気持ちを語りました。この経験から,私は,父の教育に対する「無念」の責任を1人の教員として負わなければならないと考えるようになりました。
私は,1983年4月に初任の大阪府A高等学校に赴任しました。この年,同校の体育祭で,生徒会役員4名の手で四隅を持たれた「日の丸」の旗が体育祭の入場行進の先頭を行き,整列後,グラウンドの旗掲揚台に全員が注目する態勢がとられ,生徒会役員が「日の丸」を掲揚するという儀式を目にしました。私は,旧日本軍や戦前の国家主義的な儀式を思い起こさせるような行為を当たり前のように生徒に行わせていたことに対し,強い抵抗感を持ちました。その体育祭の後に,同校に数年前から勤務する同僚教員に前記儀式について尋ねたところ,特に教員間で議論されたことはなく,慣例的に行われていたとの説明を受けました。しかし,私は,採用されたばかりの新人であっても,上記の信条から,その儀式のことを黙ってやり過ごすことは許されないと考えました。そこで,私は,体育祭での「日の丸」掲揚儀式がなぜ問題なのか,同校の教職員組合分会の会議で同僚教職員たちに訴えました。その場で,戦前の国旗掲揚儀式が学校の中で行われた意味について,父から聞かされた戦前の教育に対する思いについて同僚教職員に伝えました。
また,1982年に中曽根康弘内閣が誕生し,組閣直後に訪米した同首相が「日米両国は太平洋を挟む運命共同体」と表明し,「日本列島を不沈空母にし,日本周辺の四海峡を封鎖する」とレーガン米大統領(当時)に約束して大問題となったことなども指摘しました。中曽根首相は,首相になる前に,「行革をやった後はやはり教育でしょうね。これには,教育臨調みたいなものを作って,オーバーホールをやることが大事で,それが事実上,憲法問題を処理することになる。」(『週刊現代』1981年8月27日号)と発言しており,中曽根首相が日本をアメリカが行う戦争の最前線基地として機能させる戦略を打ち出し,改憲に向かう過程に「教育改革」を明確に位置づけているのではないか,との考えもありました。そのような状況も踏まえて,学校で「日の丸」に敬意を示すことが当たり前のように教えることが正しいのかどうか,同僚教職員達と時間をかけて議論しました。議論は同校の職員会議でも行われ,結果,教職員の総意で,1984年度以降は「日の丸」行進は行わないことになりました。
また,私は,この直後にあった1980年代の2つの出来事と,1990年代最後の1つの出来事によって,教員としての自身の振る舞い方について,さらに考えを深めることになりました。
1980年代の第1の出来事は,沖縄基地の固定化と機能強化に向けた在沖米陸軍第1特殊作戦部隊(グリーンベレー部隊)の再配備(1984年),嘉手納基地など未契約軍用地の20年強制使用(1985年),日米合同軍事演習の拡大と米軍・自衛隊機の相次ぐ事故と米軍による凶悪犯罪の中で行われた「1987年沖縄国体(海邦国体)開催決定」(1984年)です。当時,日本政府が,海邦国体の開催とさらなる軍事負担の沖縄への大規模な公共事業予算を投入していたことは周知の事実でした。そして,1986年春から,学校での「日の丸」掲揚をめぐって,沖縄県内を2分する大きな抵抗闘争が起こったのです。1987年3月の例だけでも,以下の通りです。
①北谷高校…卒業生400人が「日の丸」掲揚に抗議し,会場内に入らず外で待機。
学校側が掲揚を断念したことで,卒業生は会場内に入り大きな拍手の中で式が始まった。
②中部高校…全卒業生が「会場に『日の丸』があれば,舞台の菊の花を撤去して抗議の意思を表そう」と事前に申し合わせ,一人一人が菊の花を持って退場。さらに一人の卒業生が「日の丸」を舞台の下に放り投げた。教頭と生徒との言い合いの後,ついに卒業生が「もう式はやらなくていい」と一斉に退場。結局,掲揚は中止され卒業式が再開された。
③読谷高校…女子生徒が壇上から「日の丸」を引き下ろし,友人と共に3人で旗の撤去を訴える。その生徒に向かって教頭は「あんた,成人だったらこれは犯罪行為だ
よ」と叱りつけると,生徒は「誰が賛成しましたか!生徒は賛成しましたか!」と叫ぶ(卒業式の主役である生徒には掲揚について何の説明もなかった)。彼女は会場を飛び出すと,旗を体育館横のドブに突っ込んで塀の外に投げ捨てた。
1980年代の第2の出来事は,アジア侵略の歴史をなかったことにしようとする歴史修正主義,教科書攻撃及び靖国公式参拝問題です。アメリカとともに戦争する国家体制を作るために,中曽根首相は,沖縄問題と歴史認識問題を一挙に片付けようとする政策に打って出て,教育はまさに主要なターゲットの一つにされていました。1985年8月15日(南京虐殺紀年館開館の日),中曽根首相は靖国神社への公式参拝を強行しました。同じ年,文部省は戦後初めて,学校における「日の丸掲揚・君が代斉唱」の実施状況に関する全国悉皆調査を強行し,福岡県教委は,戦後初めて学校行事での「君が代斉唱時不起立」のみを理由に,29校16名の教員に戒告,49名に文書訓告という大量処分に踏み切りました。沖縄問題,靖国参拝,改憲,歴史修正,教科書問題,「日の丸・君が代」強制。これらが全て政治的に関連していることは明らかでした。
さらに,1990年代の出来事とは,1999年2月,広島県教委が,「君が代」ができないなら「退職か降格を覚悟せよ」と広島県立世羅高校の石川校長を脅し,同校長が自死に追い込まれた事実です。世論を二分する問題であるにもかかわらず,政府は,世羅高校の事件を口実に,十分な議論もないまま国旗国歌法を強行的に成立させました。参院審議のまっただ中に行われたJNNの世論調査で,君が代の法制化に反対する意見が58.0%であるのに対し,賛成は40.8%との結果が出され,1999年3月に行われた調査と賛否が逆転していることが明らかになり,政府・与党の「(「日の丸・君が代」は)国民の間に定着している」という主張に裏付けがないことが明らかとなりました。ところが,政府は,「定着していないからこそ法制化する」と主張を翻し,ごり押しで法案を強行的に成立させました。さらに,野中官房長官(当時)は,「靖国神社」の特殊法人化を打ち出し,閣僚の公式参拝の「合法化」と天皇と天皇制国家のために殉死した「英霊」慰霊の全国民への強制さえ口にし始めたのです。
(3)安倍政権による強権と教育現場の萎縮
小泉首相(当時)は,2001年以降毎年靖国神社への公的参拝を行い,退任直前の2006年には8月15日の参拝を強行しました。小泉氏は,2003年7月に「イラク特措法」を成立させ,12月には米軍を中心とする各国軍隊がイラク軍との戦闘を行っている同国内に自衛隊を送り込みました。小泉氏は,靖国参拝の目的を「戦争に行かざるをえなかった方々への敬意と感謝を捧げるため」だと語りました。イラクでの「戦死」を意識したものではないかとの批判もされています。このような緊迫した情勢の中で,石原慎太郎東京都知事と都教委が行動を起こします。東京都教委は,2003年10月23日,すべての学校の卒業式・入学式で都教委指示の通りに「国旗掲揚・国歌斉唱」を実施すること,教職員一人ひとり全員に職務命令を発して「国歌斉唱」時に起立させることを命ずる通達を発出しました。この通達によって,480名におよぶ東京都教職員への戒告・減給・停職処分が強行されていきます。
靖国神社は,戦前の国定教科書では,「ここに祀ってある人にならって君(天皇)のため国のため尽くさなければなりません」とあり,戦後に作られた靖国神社社憲でも戦死者を国に殉じたものと位置づけた上で「その御名を万代に顕彰する」(前文)ために祭祀を行なうことを目的とするとしています。「日の丸・君が代」は,戦前において子どもたちに「忠君愛国」を浸透させるための,現在においても「我が国と郷土を愛する心」を浸透させるための重要なツールです。「大阪府の施設における国旗の掲揚及び教職員による国歌の斉唱に関する条例」(2011年6月,国旗国歌条例)は,教員が子どもたちの前で,国家を象徴する「日の丸・君が代」に敬意を表する態度を見せることを通じて,子どもたちの「我が国と郷土を愛する意識の高揚に資する」ことを目的に掲げています。「国家のために殉ずる」ことをその内容の如何を問わず良しとするイデオロギーが,国家の「代表者」が靖国神社を公的に参拝する姿勢を国民に示すこと,子どもたちの前で教育者が公的な場で国家に従順なる姿勢を示すことで,国民への浸透がはかられています。
第1次安倍政権は,就任直後の所信表明で「憲法改正」に言及し,3ヶ月後には,戦前教育の反省の上に成り立ち戦後教育の基盤となった教育基本法の改悪を強行しました。第2次安倍政権は,自民党内に「自民党教育再生実行本部」(2012年10月)を立ち上げ,政府内に首相直属の諮問機関として「教育再生実行会議」(2013年1月)を設置しました。そして,安倍首相は靖国参拝を強行します。安倍氏は,参拝に際して,「国のために戦い,尊い命を犠牲にされた御英霊に対し,哀悼の誠を捧げるとともに,尊崇の念を表し,御霊(みたま)安らかなれとご冥福をお祈りした」と表明し,「(日本国の)リーダーとして手を合わせる,このことは,世界共通のリーダーの姿勢だ」とも強調しました。2014年には,「集団的自衛権」の行使を容認する閣議決定,2015年にはいわゆる「戦争法」(安保法制)を強行しました。安倍首相は,首相任期中の改憲を目指すとしています。
安倍首相による参拝強行に対する一連の靖国訴訟判決は,靖国神社が「その歴史的経緯からして一般の神社とは異なる地位にあること」や「行政権を有する内閣の首長である内閣総理大臣の被告安倍が本件参拝をすることが社会的関心を喚起したり,国際的にも報道されるなど影響力が強いこと」を認めるとしながら,「それが参拝にとどまる限度において,原告らのような特定の個人の信仰生活等に対して,信仰することを妨げたり,事実上信仰することを不可能とするような圧迫・干渉を加えるような性質のものでない」として,首相が靖国神社を公的に参拝する行為の憲法適合性の判断を避けました。しかし,首相による靖国神社への公的参拝が果たしてきた歴史的な経緯や現安倍政権による靖国参拝と学校教育の改編を含めた国民イデオロギーを誘導しようとする政治的目的のあからさまなこと,及びその影響・効果の甚大さは,首相個人の「参拝にとどまる限度において」憲法上の判断をしないでも済まされるというようなごまかしを許すものではありません。
安倍政権の下で,教え子がふたたび戦場へ送り込まれる危険が現実化しています。教員として,靖国参拝時に安倍首相が述べた「国のために戦い,命を犠牲にすること」を「尊崇」の対象とする思想に対して,子どもたちにどのように説明し判断を促すのか。教員一人ひとりに憲法に則った判断が迫られています。「戦死」をも厭わないような「愛国意識」を子どもたちに押しつけていくという目論見が,「日の丸・君が代」や教科「道徳」の強制をはじめとする教育への国家介入の向こう側に見え隠れしています。靖国神社への首相の公的参拝も同様の役割を果たしています。
しかし,安倍政権は「政権の見解」を批判する内容が子どもに伝わることへの弾圧を行っており,「日の丸・君が代」強制をはじめとする職務命令による教育が横行し,教員は萎縮して「沈黙」せざるを得ない状況に追い込まれています。
2014年4月の衆議院文部科学委員会で,自民党の義家弘介議員が,東京都立松が谷高校の「政治・経済」の学期末試験で,安倍首相の靖国参拝を報じた毎日新聞の記事を使って意見や説明などを求める出題をしたことを「イデオロギー教育だ」と批判し,下村文科相が「こういう教育が現在,行われていること自体,ゆゆしき問題だと思う。適切に対応しないといけないと思う。」と答弁しました。都教委や校長に,そして当該の教員に重大な圧力が加えられました。さらに,昨年の参院選後,自民党は党のホームページ(HP)に特設サイトを設け,「政治的に中立ではない」と思う教員の指導や授業があれば,学校・教員名,授業内容などを党に送信するよう呼びかけました。一方では,いわゆる「森友問題」の中で浮上した幼稚園や学校で「教育勅語」を教え込む教育の容認を閣議決定し,「教育勅語」の無効と排除を決定した国会決議を事実上反故にする決定を行いました。
ドイツでは,学校で政治教育を行う際の「ボイテルスバッハ・コンセンサス」という基本原則が確立しています。戦前のナチス政権とその行為に対する徹底した批判の上に立つ歴史認識を共有し,教育に「圧倒の禁止の原則」「論争性の原則」「生徒志向の原則」の3つを求めるものです。それは,教員が自分の意見を述べることを制限するものではありません。政権政党が個別の授業内容を国会で攻撃したり,ホームページで密告を奨励するなどの介入を行うなどということも当然考えられないことです。
首相の靖国参拝問題も,「日の丸・君が代」問題も,政権政党による教育への介入なしに,堂々と学校の中で議論されなければならない問題です。しかし,現に政治からの圧力が存在し,司法が「靖国参拝問題」でも「日の丸・君が代強制問題」でも,それそのものの憲法適合性の判断を避け,現場の教員が無防備な状態で攻撃にさらされているのが現状です。それが,公教育の中でも「空気読めよ」と,力あるものへの同調圧力を子どもたちに押しつける教育につながって行くことは明らかです。
このような現実に対して,私は,例えそれがささいな抵抗であったとしても,偏狭な国家主義的教育につながる恐れのある政治による教育への強制をその通りに実践することは許されないとの考えを変えることはできません。
(4)教員としての責任とは何か
国旗国歌条例の真の目的は,日の丸・君が代に対して教職員が敬意を表明している姿を生徒に見せることにより,「我が国と郷土を愛する意識」を高揚させること,即ち「日の丸」・「君が代」を利用した愛国心の高揚にあります。上記(3)に示した現情勢の下で,教職員が国家・行政による同調圧力になびいたり屈服する姿勢を示すことは,それ自体が,間接的に子どもたちにも同調を迫る行為です。やがて,抵抗そのものがなくなる過程で,間接的であった子どもたちへの同調圧力が,直接的な強制へとつながって行くことは明らかです。この誤った「愛国心」教育が,子どもたちを再び戦場に送り出す教育へとつながることを現憲法は厳しく制限しています。
また,本件「職務命令」は,「日の丸」・「君が代」が戦前のアジア・太平洋諸国への侵略戦争の歴史と密接不可分の関係にあると評価する歴史観ないし世界観から生じる教育上の信念を持つ者にとっては,愛国心の高揚をその目的として意味づけされた上で「日の丸」の面前で「君が代」の起立斉唱を強制されることは,まさに軍国主義下の戦前と同じように,「日の丸」・「君が代」の下に教え子を戦場に送り出すことに加担する行為を行うこととなり,私自身の「歴史観ないし世界観を否定することと不可分に結び付く」(最高裁2011年(平成23年)6月14日判決参照)ものです。
よって,本件「職務命令」は,私の歴史観ないし世界観それ自体を否定するものであり,私の思想良心それ自体を直接制約するものです。また,上記の通り,本件「職務命令」は,そもそも式典の円滑な進行を図るという価値中立的な意図で発せられたものではありません。本件「職務命令」は,上記のような教育上の信念を有する私たちのような教職員を念頭に置き,その信念に対する強い否定的評価を背景に,不利益処分をもってその信念に反する行為を強制することにあることは明らかであり,憲法第19条に違反し違憲無効であることは明らかです。
3 2014年入学式をめぐる事実 ~ 尾之上校長は,教育者として,敢えて「職務命令」を忌避した。
(1)入学式に至る経緯
ア 2014年4月1日の職員会議と会議前の校長との面談2014年4月1日,新着任者に対する辞令が校長より手渡されました。尾之上校長は,お互いに前任校であるC高校では教頭と教員として旧知の関係でした。そのため,尾之上校長は,私が「君が代」斉唱の強制に反対していたこと,C高校の卒・入学式でも一度も起立したことはないこと,その不起立をC高校の校長も教育に携わる者の忸怩として黙認してきた事実を熟知し,その行動の意義についても教育者として理解されていたと思います。辞令手交後,尾之上校長は,私との立ち話で,この日の職員会議に入学式の式次第が報告されることに対して,敢えて職員会議での本音での発言を促しました。
予定通り,この日の職員会議で,入学式担当分掌である総務部の職員が入学式の式次第及び役割分担表を資料として配布し報告したのに対し,私は,「日の丸・君が代」強制の政治的背景と強制の経過を批判し,校長に向けて「『君が代』での起立・斉唱に関する職務命令を発出しないよう」求める発言を行いました。尾之上校長は,私の発言に対して,「ご意見として聞き置きます」と発言したが,それ以上の発言をすることはありませんでした。
イ 同年4月4日の面談
同年4月4日,私は尾之上校長から呼び出され,校長室で二者面談を行いました。4月3日の府立学校校長会で中原教育長(当時)から卒業式・入学式における起立・斉唱の現任について訓話があったこと,その内容について意見交換を行いました。中原教育長は,上記校長会で,2013年度卒業式での不起立が6校6名という少数になったことから,今後は各校校長のガバナンスにおいて実施するように指示しまし
た。尾之上校長は,現認も校長の裁量に任されると受け取ったと説明しました。私も,いわゆる「君が代」を歌っているかどうかの「口元チェック」を指示した教育長が府民からの批判を受けて,府教委による強硬な態度を後退させたと受け取り,校長の認識を支持しました。そして,尾之上校長は,来る7日の職員会議では,平成24年(2012年)の教育長通達と式場の「内」「外」を明示した役割分担書を配布しての「式場内の職員は起立し斉唱すること。これは職務命令であり,これ違反した場合は,職務上の責任を問われます。」という命令を,今回は行わないつもりであると語りました。
しかし,尾之上校長は,同時に,私に対し,入学式の君が代斉唱時に起立斉唱する意向について「君が代斉唱は立てないでしょう。」と尋ねられたので,私は「立つ立たないを含めて,当日どのように行動すべきかを悩んではいる。」と回答しました。また,校長から,1年学年団ではあるが「国歌斉唱」終了後に入場するというのはできないかとの打診もありました。私は,学年団の役割は,他の副担任と共に,各クラス生徒が教室から式場に入場する際に,教室の施錠,最後の生徒とともに入場し着席することになっているため,その役割の自然の流れにしたがって行動すると返答しました。校長の「打診」については,式直前まで考えることはすると返答しました。
同面談での結論として,尾之上校長は,私に対し,「今回は,職務命令という文言を使うのはやめようと思っている。」「職員会議では,教育長通達も役割分担表も配るつもりはない。」と語り,私に対して「井前さんには起立してほしいが,実際にどうするかは井前さんに任せます。」などと伝えました。
ウ 同年4月7日の職員会議
同年4月7日,D高校で職員会議が開催されました。同職員会議で,尾之上校長は,「文書を新たに配布することはしませんが,平成24年1月17日の教育長通達のとおり,入学式においては,式場内の教職員は起立し斉唱するようお願いします。」と述べました。
この際,尾之上校長は,上記イの発言どおり,教育長通達及び役割分担表を配布しませんでした。(4月1日から7日の経過について,乙G15号証:尾之上校長「顛末書」参照)
(2)本件入学式当日
同年4月8日,D高校の入学式が開催されました。
私は,新入生全員が式場に入った後,施錠した各教室の鍵を持って式場に入り,開式直前ぎりぎりに同鍵を式場配置図(乙G3の2)記載の職員席の前列に着席する担任に手渡した後,同職員席の後列に着席しました。私が着席した座席は,大部分の参列者からは見えにくい場所でした。入学式開式に際して,開式宣言と同時に求められた「一同起立」の号令で私を含む多くの出席者が起立していたところ,「国歌斉唱」の号令と同時に,私は約40秒間ただ静かに自分の席に着席しました。
この際に,校長の指示により,「国歌斉唱」の最中に,事務長が自席からわざわざ移動し,私が起立していないことを確認しました。式後に,校長は府教委に私の不起立を報告したことを伝えました。
私のこの行為で「式典の円滑な進行」が阻害されたことはありません。そのようなことを誰からも言われたことはありません。
(3)本件不起立後の経緯 ~ 「処分」のための「事情聴取」ではなく,密室での取調べを前提とする「事情聴取」に拘泥
ア 同年4月14日頃,私は,尾之上校長から,本件不起立に関する事情聴取を同月18日に行うので出席するよう命じられました。それに対し,私は,弁護士の同席が認められなければ事情聴取に応じない旨回答しました。また,代理人弁護士を通じて,同月14日付で,事情聴取にあたっては弁護士の立会い及び録音録画を認めるよう申し入れを行いました(甲G3)。
しかし,尾之上校長は「府教委が事情聴取に弁護士の同席は認めない」との発言を繰り返し,弁護士の立会いを認めない態度に終始したため,私は適正手続を踏まない事情聴取に応じることはできないと考え,同月18日に予定されていた事情聴取には出席しませんでした。
イ 私は,事情聴取にあたっては代理人弁護士の同席及び録音録画が認められるべきだと考え,同年4月21日,代理人弁護士を通じて府教委に弁護士の同席及び録音録画を認めるよう求めたところ,担当の松好氏は「今までやっていないから。」と述べるだけで,具体的な弊害が生じるおそれ等を説明しませんでした。
そこで,私は,同月21日,代理人弁護士を通じて,府教委に対し,事情聴取書の信用性を担保するためにも弁護士立会い及び録音録画のうえ事情聴取を実施するよう求める書面を府教委宛に提出しました(甲G4)。
ウ 同年4月30日,府教委は,私に対し,事情聴取の実施について,同年5月13日から同年5月26日までの間で日程調整する旨を書面で通知しました。私は,代理人弁護士を通じて,府教委に対し,同年5月23日から同年6月13日までの間に,弁護士立会いのもと事情聴取を実施するよう求めたところ(甲G5),府教委は同年5月23日の実施を通告してきました。
同日,私は代理人弁護士を伴って府教委を訪れ3時間にわたって話し合いましたが,府教委は「代理人が立ち会うのであれば事情聴取を行うことはできない」とあくまで弁護士の立会を拒否し,最後は私たちに対して,会場からの退去を命じました。
エ 後日,代理人弁護士を通じて,府教委に対し,改めて事情聴取を行うよう申し入れましたが(甲G6,7),府教委は申し入れを完全に黙殺しました。
オ 結局,府教委は,同年6月17日,私に弁明の機会を一度も与えないまま,本件戒告処分を強行しました。
(4)本件職務命令が不存在であること
ア 尾之上校長の4月7日の職員会議における「お願い」は「職務命令」ではない尾之上校長は,同年4月7日に開催された職員会議において,入学式における君が代斉唱時の起立斉唱について,教職員に対し,「文書を新たに配布することはしませんが,平成24年1月17日の教育長通達のとおり,入学式においては,式場内の教職員は起立し斉唱するようお願いします。」と発言しました。
同発言は,末尾が「お願いします。」と結ばれており,「お願いします。」という文言は,一般的に,相手に任意の協力を求める意味を持つに過ぎません。したがって,尾之上校長の4月7日の職員会議における発言をもって,私を含む教職員全員に対する起立斉唱の職務命令があったということはできません。
被告側は,尾之上校長が職員会議において「役割分担表・会場図にしたがって,式場内の教職員は,国歌斉唱にあたっては起立のうえ斉唱して下さい。」と発言した旨主張するが,同日の職員会議において,尾之上校長が「府教委マニュアル」(甲10,11)に従った校長名による役割分担表や会場図を配布しなかったこと及び個人宛の職務命令も発出しなかったことは,尾之上校長「顛末書」(乙G15)にも明示されています。
イ 4月4日に尾之上校長が私に対し,職務命令を発しない意思を明確にしていたこと
教育長は,同年4月3日に開催された「平成26年度当初府立学校長会」(以下,「本件校長会」という)の教育長あいさつにおいて,入学式での国旗・国歌の指導について言及し,その中で,参列する校長らに対し,「校長先生の方で,自分の学校は大丈夫だということであれば,事前に職員会議で確認するということにとどめてもいいでしょうし,ちょっとうちの学校は心配だというのであれば,これまでと同じような形で確認してい頂いても結構です。」「皆さんの裁量において,確認の方法を考えていただければと思います。」と発言していました(甲G8)。
私は,翌4月4日,尾之上校長から校長室に呼び出され,「今回は,職務命令という文言を使うのはやめようと思っている。」「職員会議では,教育長通達も役割分担表も配るつもりはない。」「井前さんには起立してほしいが,実際にどうするかは井前さんに任せます。」などと伝えられました。この事実は,上記校長「顛末書」に記された通り,中原教育長訓話に基づく校長判断であることが明らかにされています。
尾之上校長の発言は,後にその判断が校長としては不適切であったと反省していたとしても,その内容を客観的にみると,職員会議で教職員に対して起立斉唱の職務命令を発出しない旨の意思表明に他ならないものです。
このような経緯で,尾之上校長は同年4月7日の職員会議で,「文書を新たに配布することはしませんが,平成24年1月17日の教育長通達のとおり,入学式においては,式場内の教職員は起立し斉唱するようお願いします。」と述べているのですから,この発言が職務命令でないことは明らかです。
ウ 尾之上校長に対して訓戒処分が出されたこと
2014年6月17日,府教委は,府教委が指示したとおりに君が代斉唱の職務命令を発出しなかったという理由で尾之上校長を訓戒処分としました。
同訓戒処分理由書(甲G9)では,①配布された役割分担表が校長名で作成されておらず,式場内外の役割も明記されていなかったこと,②尾之上校長が原告井前(名前は出ていませんが,内容から私を指していることは明らかです)に対して職務命令書を発出しなかったこと,③職員会議において,職務命令を発出する際,府教委から指導されている手続きに従わず,教育長通達を配布せず,職務命令は発したものの府教委からの指導通りの内容の発言を行わなかったこと等を認定した上で,尾之上校長に対して訓戒する旨記載されています。
なお,同訓戒処分理由書には「職務命令は発したものの大阪府教育委員会からの指導どおりの内容の発言を行わなかった。」と記載されていますが,もし,「国歌斉唱にあたっては起立の上斉唱してください」との文言が職務命令であるならば,尾之上校長を訓戒処分に行う理由は存在しないことになります。あるいは校長が発する文言の一字一句まで府教委のマニュアルに従わなければ服務上の措置が科されることになるのであれば,各校の教育課程に関わる校長の裁量権を府教委が剥奪したことが明らかです。また,大阪維新の会一会派による強行可決により「大阪府国旗国歌条例」が施行される以前から,府教委通達及び府教委「指示事項」に基づき大阪府立学校の校長は,2000年度以降,「国歌斉唱にあたっては起立の上斉唱してください」と発言してきたのであり,この発言が「職務命令」であるとする被告側主張を肯定するならば,2000年以降の校長によるお願いは全て「職務命令」が成立していたということとなり,すべて服務上の措置が問われることになります。
エ これらの事情に照らして,私に対する起立斉唱の職務命令が存在していなかったことは明らかです。
4 処分によって受けた損害と精神的苦痛
(1)戒告処分による直接の経済的損失
本件戒告処分により,昇給額が抑制され,勤勉手当も削減されました。とりわけ昇給の抑制は.定年まで引き続き削減が続き,退職金にも影響します。
これら損失額を合計すると,定年までに少なくとも27万6919円の給与上の不利益を受けることになります。
(2)処分後1年半以上を経た「研修命令」と「意向確認」という踏み絵による精神的苦痛
府教委は,2016年1月6日付けで,2014年4月の本件事案に関する「研修」
を命ずる「研修命令」書を突然発出しました。「研修命令」は,研修目的さえ明示さ
れず,ただ,「貴方は地方公務員法第32条に規定する上司の職務上の命令に従う義務
に違反するものであり,同法第29条第1項第1号及び第3号に該当するものとして,平
成26年6月17日に戒告処分を受けた。ついては,貴方に対して大阪府職員基本条例第
29条に基づき,下記のとおり研修を実施するので,受講すること。」とあるだけで
す。しかも,本命令書は「この研修命令に従わないときは,職務命令違反行為になる
ことを申し添えます。」と締めくくり,従わない場合,再度の「職務命令違反」によ
る2度目の処分を行うことを明示しています。対象事案発生から1年8月,処分強行
からさえ1年6月が経っています。これは,およそ「研修」と呼べるものではなく,
「国歌斉唱」時に起立しなかった教職員に対する「思想転向」の強制または「いじ
め」に相当するという他ない不当きわまるものです。
さらに,本研修当日,標記のない1通の文書が手渡されました。文書には,「今後,
入学式や卒業式等における国歌斉唱時の起立斉唱を含む上司の職務命令には従いま
す。」の文面と署名・捺印欄と期日記載欄があらかじめ印刷されていました。口頭で
「意向確認書である」と言われましたが,「提出は任意である」とも言われました。
しかし,この文書は,本件訴訟の他の原告の訴えにもある通り,この文言の通りに,
「国歌斉唱時の起立斉唱の職務命令に従う」との「意向」を府教委に伝えない限り,
定年退職後の再任用を認めないという排除のための踏み絵として利用されています。
私は,この「意向確認書」に疑問を持ち,今現在まだ提出をしていませんが,尾之上
校長から2度,現校長からも1度,「意向確認」への態度を問われ続けています。
研修目的の明示のない「研修命令」,その後の定年退職後の生活を人質にとった脅し
とも言える「意向確認」の圧力は,「思想転向」の強要以外の何ものでもありませ
ん。
これら何度もの「転向」強制によって,長期にわたって精神的苦痛を受けています。
(3)処分後のクラス担任からの完全排除,教員としての苦悩と苦痛
本件処分を受けた後,2014年度の卒業式の役割分担は「来賓受付及び救護」担
当とされ,業務場所は卒業式会場から最も離れた校舎玄関及び保健室とされました。
そして,2015年度分掌は前記の通り人権教育推進委員長と教育相談委員長の兼務
を命じられ,2016年度はこの両委員長に加えて保健主事を命じられました。この
ような人事は他校では通常考えられない人事です。しかも,保健主事は学校保健研究
会(府立学校の保健主事全体の協議・連絡会)の幹事校に当たることが決まってお
り,保健主事の業務だけでも多忙を極めることが明らかでした。
このような無理な人事の理由のひとつが,私を担任や学年主任など,入学式や卒業
式に関わる業務から外すためであることは明らかです。
教員として,クラス担任であることは,私にとって教員としての柱であり,教員で
あることの証とも言える業務でした。教員として採用されてD高校に赴任するまでの
31年間の内27年間は,分掌長か担任の業務にあたってきました。D高校では,完
全にクラス担任から外されています。
これは,私の教員としての存在意義を問うものであり,現在の状況に対する大きな
苦悩とストレスを感じるものです。
5 おわりに
大阪では,本件処分のあった同じ2014年秋,中原教育長(当時)によるパワハラ
が,一人の教育委員の勇気ある告発によって明らかにされ,第三者委員会(大阪弁護
士会)はその事実を認定しました。さすがに,陰山教育委員長(当時)も,中原教育長
による府教委事務局員に対する「戦慄すべき」パワハラ,橋下徹大阪市長の率いる
「大阪維新の会」の政治目的を達するための職権濫用を批判し,大阪府知事及び府議
会による罷免決定を呼びかけるに至りました。結果,大阪維新の会を除くすべての会
派による教育長罷免要求決議案が府議会に提出され,中原氏は辞任に追い込まれまし
た。ここに至るまでの数年間に,いったいどれほどの理不尽が強いられてきたでしょ
うか。その最大の被害者は,子どもたちです。それでも,当時の橋下徹大阪市長も松
井大阪府知事も,中原徹氏を擁護し続け,パワハラされた職員の方を攻撃していまし
た。
私の「不起立」と懲戒処分に対する裁判への訴えは,ささやかなものです。教育の国
家支配の危険性,大阪の「学校教育基本条例」「国旗国歌強制条例」や同一職務命令
違反3回でクビという「職員基本条例」の理不尽さに対して,その理不尽さをただ
黙って「懲戒処分」を飲み込んでしまう訳にはいかないのです。
裁判官のみなさん。どうか私たちのささやかな行為に対して,日本国憲法に基づく公
正な判断をお願いいたします。
以上