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「君が代」不起立処分大阪府・市人事委員会不服申立ならびに裁判提訴当該15名によるブログです。

累積加重処分の取り消し基準

2017-09-16 17:28:09 | 「君が代」裁判
東京の「君が代」訴訟の原告の一人である花輪紅一郎さんのメールをご本人の了承のもとに掲載します。

大阪の裁判でこの基準がなぜ活かされないのか?!

まさに、大阪の裁判官は、花輪さんが書かれているように、曲解したわけです!
「『控訴人の一存でこれを放棄し』、『自己の見解を優先し』、『意図的かつ積極的に職務命令違反を繰り返し』などのフレーズは、『倫理上の善悪の審判官』気取りの裁判長が、事実に基づかず、主観による憶測で、裁いてはならない原告の内面の『思想』を断罪したものであり、このような事実認定不能な判決文は、最高裁判決の曲解に当たることは余りにも明白なのではないだろうか。」



以下、メール全文〜

昨日(9.15)の、東京「君が代」四次訴訟地裁判決にについて、澤藤統一郎弁護士が、ブログにコメントを書いている。
http://article9.jp/wordpress/?p=9178

その中に、こんな一節がある。

---(引用始め)
 判決は、以上の一般論をQさんに適用すると次のようになると結論する。
 「原告Qが起立斉唱命令を拒否したのは,自らの信条等に基づくものであること,各減給処分の懲戒事由となった本件職務命令違反のあった卒業式等において,原告Qの不起立により,特段の混乱等は生じていないと窺われることをも考慮すると,原告Qの前記職務命令違反について、減給処分(10分の1・1月)を選択することの『相当性を基礎づける具体的な事情』があるとまでは認めがたい。」

 つまり、こういうことだ。
 減給や停職処分を選択するには、この重い処分を選択するについての「相当性を基礎付ける具体的な事情」が必要であるところ、被懲戒者の行為が、
  (1)自らの信条等に基づくものであること、
  (2)卒業式や入学式等に特段の混乱等は生じていないこと、
 という2要件を考慮すれば、「相当性を基礎付ける具体的な事情」は認めがたい、というのだ。
---(引用終わり)

 この裁判の1つの焦点は、2012年最高裁判決(累積加重処分原則取消判例確立)の後に、累積加重されたQさんの2つの減給処分は、都教委が主張するように「相当性を基礎付ける具体的な事実」があったので最高裁判例に合致すると言えるかどうか、であった。
 それに対する、佐々木宗啓裁判長の判定基準は、極めてシンプルなものだった、ということだ。

 すなわち、難しい理屈や解釈抜きに、2つの事実の存在だけ、
  (1)自らの信条等に基づくものであること、
  (2)卒業式や入学式等に特段の混乱等は生じていないこと、
この2つが、最高裁の示す、累積加重処分は許されない基準なのだ、という判示である。

 田中さんは、陳述書等で、自らの信条を真摯に語っている。
 (これは、2012年以前の不起立で減給処分を科せられた5人ももちろん同じだ)
 田中さんの学校の卒業式で、卒業式や入学式等に特段の混乱等は確認されていない。
 (これも、2012年以前の不起立で減給処分を科せられた5人ももちろん同じだ)
 つまり、2012年最判以降、減給取消に新たな基準が設定されたわけではなく、それ以前の取消事例も、それ以降も基準に何ら変更はない、従前の基準で判定して何の問題もない、という当たり前のことが確認されたのだ。
 都教委が想定したような、回数が一定限度を超えたら累積加重が許されるかのような解釈には全く根拠がないことが示された。

 当たり前ではあるが、これが判例として定着していけば、基準は極めてクリアになる。
 2つとも、「事実認定」可能なことで、裁判官の主観や推認が入る余地がないことだからだ。
 例えば、「控訴人の一存でこれを放棄し」、「自己の見解を優先し」、「意図的かつ積極的に職務命令違反を繰り返し」などのフレーズは、「倫理上の善悪の審判官」気取りの裁判長が、事実に基づかず、主観による憶測で、裁いてはならない原告の内面の「思想」を断罪したものであり、このような事実認定不能な判決文は、最高裁判決の曲解に当たることは余りにも明白なのではないだろうか。

 今回の判決文は、憲法判断(思想良心の自由、教育の自由等)に目に見える前進が見られなかったと言われているが、累積加重処分取消の理由付けの部分については、収穫があったと言えるのではないか。
 というのが、澤藤弁護士のブログを読んでの感想です。

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明日の高作正博さん講演会について

2017-09-16 13:19:29 | 大阪ネット
【重要】

明日9月17日、大阪ネットでは、高作正博さん講演集会(14時~エル南734)を予定しておりますが、
台風のため、当日の11時の時点で「暴風警報」が発令中の場合は中止にします。

なお、中止の場合は、10月9日を予定していますが、改めてご連絡します。
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東京「君が代」裁判第四次訴訟・東京地裁判決

2017-09-16 12:53:22 | 「君が代」裁判
被処分者の会・東京「君が代」裁判原告団の近藤さんからです。今回の訴訟でも、戒告は取り消されませんでしたが、減給以上の処分はすべて取り消されました。

それなのに、なぜ、大阪では、取り消されないのでしょうか!?


「処分撤回を求めて(464)【速報】東京「君が代」裁判第四次訴訟・東京地裁判決~減給・停職6名・7件取り消し」を送信します。

◆東京「君が代」裁判第四次訴訟・東京地裁判決(9月15日)の傍聴・支援ありがとうございました。

東京「君が代」裁判第四次訴訟(原告14名。10~13年処分取消・損害賠償請求)は、2014年3月に提訴して3年半、9月15日に東京地裁判決(民事11部 佐々木宗啓裁判長)がありました。判決の概要奈は後述しますが、先ず持って傍聴支援・報告集会に駆け付けてくれた延べ100名を超える人たちに心からお礼申し上げます。

【一部勝訴、減給・停職処分全て取り消し~東京「君が代」裁判四次訴訟・東京地裁判(9月15日)】

卒業式・入学式の「君が代」斉唱時に起立せず処分された14名が処分取り消しを求めた事件の東京地裁判決。最高裁判決の枠組みの中で9名の戒告処分を容認した一方、6名・7件の減給・停職処分を取り消しました(戒告・減給重複者1名)。

減給1月・3名・4件、減給6月・2名・2件、停職6月・1名・1件。全て取り消し。連続不起立で4回目・5回目に減給処分を科されたTSさんの処分も取り消されました。都教委に対し来たる9月22日(詳細は下記参照)に命令と処分の教育行政の抜本的見直しを求めます。

旗出しは「一部勝訴」「減給・停職は違法」「回数加重処分を断罪」でした。

◆判決の概要

<原告数・件数 処分が重い順>
停職6月 1名・1件
減給10分の1・6月 2名・2件
減給10分の1・1月 3名・4件
戒告処分 9名・12件
 計  14名・19件

<判決結果>
減給・停職処分6名・7件をを全て取り消す。
しかし一次訴訟(2012年1月)、二次訴訟(2015年9月)の最高裁判決を踏襲し、戒告処分9名・12件を容認。

今次判決の大きな焦点であった原告TSさんの減給処分を取り消す。TSさんは2011年4月~2016年3月まで10回連続不起立で今回1回目~3回目の戒告処分、4回目・5回目の減給1月の処分取り消しを求めていたが、このうち2回の減給処分を取り消した。

<評価できる点と今後の課題>

●判決は、都教委による不起立の回数のみを理由とした加重処分を「裁量権の逸脱濫用で違法」と断罪。都教委の行き過ぎに歯止めをかけた点は評価できる。

●しかし、職務命令は思想良心の自由を「間接的に制約」するものの、「違憲とは言えない」として戒告処分を容認した点は、大きな問題で、今後乗り越えるべき課題である。とくに、一次訴訟、二次訴訟処分当時よりも戒告処分による経済的不利益が格段に増えていること、再発防止研修を質量共に強化して精神的苦痛を強いていること、担任にしないなどの人事での不利益を課していること、などに言及がない。

●損害賠償請求を棄却した。処分に伴う精神的苦痛は慰謝されるべきだ。

●三次訴訟の時のように、現職教員に関して減給処分を取り消した判決に対して都教委が控訴せず判決が確定した場合、改めて戒告処分(再処分)出すことが予想される。裁判に負けての「再処分」は断じて許されない。

原告団はこれからも違憲判断と戒告を含む全ての処分の取り消しを求めて粘り強く闘い続けます。変わらぬ絶大なるご支援をお願いします。


◆都教委は全ての処分を撤回せよ!「違法な処分」を謝罪せよ!再処分をするな!
 ~判決を受けての都教委要請行動に参加してください!

★四次訴訟判決を受けての都教委要請行動
 9月22日(金)
  16時45分都庁第1庁舎1Fロビー集合 17時~116会議室
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「君が代」不起立戒告処分取消訴訟陳述書(原告梅原聡)

2017-09-16 05:32:35 | 「君が代」裁判
覚えていらっしゃるでしょうか?「卒業生の声も聞いてください」と卒業式で自らビラをまいた卒業生のことを。本裁判で証人申請いたしましたが、裁判所は認めませんでした。彼女が在籍した高校は、大阪府会議員西田薫氏の「残念な卒業式」ブログ炎上事件があった高校でもあります。

引き続き、9月13日「君が代」不起立戒告処分取消共同訴訟で証言台に立った原告梅原聡さんの陳述書を掲載します。



           陳述書
2017年5月17日
大阪地方裁判所 御中

氏名 梅原 聡

1 経歴
 私は1981年に教員となりました。A高校(1981年~1990年)・B高校(1990年~2000年)・C高校(2000年~2007年)・D高校(2007年~2017年)の四校で,36年間にわたって理科の教員として勤務してきました。
2 起立できない理由
 私は,教職を開始した当初は,「日の丸」・「君が代」を卒・入学式に持ち込むことについて深い関心を持っていませんでした。しかし,その後,私は,同校において学級担任の立場で人権教育の授業を担当したことをきっかけに,その認識を改めるに至りました。
 すなわち,私は,人権教育の授業で在日韓国・朝鮮人の問題等を扱う中で,天皇主権の象徴である「日の丸」や「君が代」の下,日本が朝鮮を始めアジア諸国を侵略し,多数の国民を死に追いやった歴史を学び直すことになりました。また,日本国憲法が保障する基本的人権や個人の尊重の意義について生徒とともに学びました。
 このような教育実践に基づき,私は,卒業式で「日の丸」を掲揚し,「君が代」を斉唱することは,在日韓国・朝鮮人の生徒に精神的苦痛を与えることになるので,卒業式に「日の丸」・「君が代」を持ち込むべきではないと考えるようになりました。また,戦争遂行のために利用されてきた「日の丸」や「君が代」に対し嫌悪感を持つ人が社会に一定の割合で存在する以上,卒業式で「日の丸」掲揚や「君が代」斉唱を強制することは憲法が保障する思想良心の自由を侵害することにつながるだけでなく,多様な価値観を認めるという個人の尊重の原理を否定することになると考えるようになりました。
 私は,1990年4月に大阪府立B高等学校に異動となり,同校においても学年の人権教育を担当しました。私は,同校における人権教育の授業でも,在日韓国・朝鮮人等の差別問題や憲法の基本的人権,個人の尊重の意義について生徒とともに学びました。その経験を通じて,私は,卒・入学式に「日の丸」・「君が代」を持ち込むべきではなく,ましてや参加者の意思に反して一律に行動すべく強制することなどあってはならないという考えをより一層強めました。そのような考えに基づき,私は,同校で卒業式の前に行われる校長と教職員との交渉には必ず参加し,卒業式に「日の丸」・「君が代」を導入することに強く反対し続けました。
 私は,2000年4月に赴任した府立C高等学校においても,卒・入学式への「日の丸」・「君が代」の導入については従前と同じように強く反対してきました。
 私が2007年4月に異動した府立D高等学校では,当初から卒・入学式における「君が代」斉唱が行われていましたが,それ以降も,私は,卒・入学式に「日の丸」・「君が代」を持ち込むべきではなく,ましてや参加者の意思に反して一律に行動すべく強制することなどあってはならないという考えから,国歌斉唱時には起立をせず着席してきました。
 同校では,卒・入学式での「日の丸」・「君が代」の取り扱いについて教職員が学校との間で意見交換する場は設けられておらず,職員会議の報告で済まされていたため,特に私が意見を唱える機会はありませんでした。しかし,2008年末頃に私が同校校長から学年主任に就くよう打診を受けた際は,「私は入学式や卒業式の国歌斉唱時に起立しません。」と伝えています。それ以降毎年,私は,卒・入学式の前の職員会議で,「日の丸君が代の問題は思想信条の自由にもかかわる問題でもあるから,「日の丸」掲揚・「君が代」斉唱の実施についてはその点での配慮をしてほしい。」と発言していました。
私は,卒・入学式の「君が代」斉唱時に起立斉唱すれば,人権教育を通じて在日韓国・朝鮮人の問題を身近な問題として生徒とともに考えてきた教育者として,また,人権の尊重や少数者の意見を尊重することの大切さを強調する教育実践を続けてきた教育者として,これまで形成してきた教育上の思想・良心,すなわち,卒業式に「日の丸」・「君が代」を持ち込むべきではなく,ましてや参加者の意思に反して一律に行動すべく強制することなどあってはならないという教育者の魂ともいうべき信念の核心部分を否定することになる,という真摯な考えを持っていました。

3 私の過去の勤務状況
 私は,D高校において,生徒が主体的に物事を考え,行動できる教育を熱心に行ってきました。D高校の元教員であるMさんは,私が生徒の主体性を尊重する教育を熱心に行っていたと証言してくれています。
具体的には,私は,2009年の新入生対象の合宿では,初めて卒業生にピア・サポーターとして参加してもらい,「自立」や「共生」という学校目標を楽しく感じながら学ぶためのファシリテーター役を担うことを提案しました。また,生徒の委員が中心になって行った合唱コンクールを開催したり,進路指導でも,各自が自分の目標に向かって何をすべきか自分で考えて取り組めるように,学習マラソンや勉強合宿という企画を組んだり,自習室を利用しやすくしました。
さらに,私は,2012年3月の卒業式では卒業生の一人一人が壇上で卒業証書を受け取る形態を提案しました。創立以来の試みですが,1人1人を大事にしたいという思いが伝わる形にしたかったので,提案しました。
また,私がとても信頼のおける教諭であることは,D高校の校長も認めるところでした。D高校校長であるS氏作成の「平成23年度卒業式のおける国歌斉唱時の不起立について」と題する,教育長宛の報告書には,次のように記載されています。「国歌斉唱時の不起立以外は非常に信頼のおける教諭で,3年の学年団を非常にうまくまとめてきた。リーダー型の学年主任ではなく調整型の人で,担任団の教諭も信頼をおいている。」
そして,私が学年主任として行った自立を重んじる教育に対し,生徒の一人のTさんは私に対して感謝の気持ちを述べています。

4 府立高校卒業式での日の丸・君が代の取扱いの変遷
私の最初の赴任地のA高校では,卒業式で君が代は流れておらず,日の丸は卒業式会場内にありませんでした。同高校長は私に対し,君が代斉唱も求めないどころか,起立も求めませんでした。校長から式会場にて日の丸を掲揚し,君が代を流したいという提案はありましたが,教員は反対する者が多く,実際に会場で日の丸が掲揚されることもなく,君が代が流されることもありませんでした。
次の赴任地のB高校でも,赴任当初は大東高校と同様でした。しかし,君が代については,赴任期間の後半には,式に先だって流されていた時期がありました。しかしながら,起立や君が代斉唱を強制されたことはありませんでした。
その次の赴任地のC高校では,赴任当初から,君が代が卒業式次第の中で流されるようになっていました。ただ,毎年職員会議で,卒業式・入学式の前には「君が代」斉唱に反対する声があり,強制するものではないという確認が行われていましたので,教員にも生徒・保護者にも立つ者・立たない者がありましたが、それによって式の進行に水が差されたと感じたことはありませんでした。
そして,本件のD高校では,赴任当初から,卒業式において,日の丸が壇上にあり,式次第の中で君が代が流れされていました。生徒に対し,強制するものではないことが伝えられていなかったので,ほとんどの生徒が立っていました。私は,学年主任をするようになってからは,職員会議で,君が代,日の丸に関してはいろいろな考え方があるので配慮してほしい旨発言し,また,卒業式や入学式で君が代が流れても立たないことを校長に伝えていました。これに対し,校長は,いろいろな考え方があることですからと答えていました。
2012年の3月前の卒業式以前に,私は,卒入学式において,君が代斉唱時に起立しなかったことが原因で処分されたことはありません。
また,これまでの全ての赴任地における卒入学式で,君が代斉唱時に起立しなかったことで,生徒・保護者から,不起立・不斉唱について不快だと言われたり,批判をされたこともありませんでした。むしろ,「私も立ちません」,「先生の言っていることはよくわかる」と言って応援した生徒や保護者もいました。
そして,2011年の国旗国歌条例成立後,校長の態度が変わりました。条例成立前は,校長は,不起立・不斉唱があっても,それを見ていなかったか,見たとしても報告していませんでした。しかし,校長は,2012年の卒業式の前に「今回は条例もできたことなので,もし立って歌わないというようなことがあれば報告しなければならない」と言いました。私は,自分の信念があるので,今までと同じように起立しないし斉唱しないと思っていました。

5 2012年卒業式
⑴ 本件通達及び2012年職務命令
教育長は,2011年度の卒業式の実施について,2012年1月17日に,府立学校の全教職員宛に「式場内の教職員は,国歌斉唱に当たっては,起立して斉唱すること。」と命じる通達を発出しました。
私は,2012年1月26日に開かれた職員会議において,校長から2011年度卒業式における君が代斉唱にあたっては起立して斉唱する旨口頭で受け,同年3月7日には,校長から2011年度卒業式の君が代斉唱に当たっては日の丸に向かって起立して斉唱する旨の職務命令を書面で受けました。
⑵ 卒業式の行動の選択
私は,卒業式は,日の丸・君が代を掲揚斉唱するための式ではなく卒業生の卒業を祝う場であり,自分がD高校の8期生の学年主任として3年間,一所懸命に教えた教え子の巣立つ姿を見て,卒業を心から祝福したいと強く思っていましたので、卒業式に出席せず,外で式進行を待つという選択はできませんでした。教員として関わった生徒たちを、卒業式の場で見送りたいという気持ちは,自分が担当した学年であろうとなかろうと、変わるものではありません。
私は,自身の教育上の信念に従って行動するためには,2012年の卒業式において君が代斉唱が始まるとともに着席するという手段を選択せざるを得ませんでした。
⑶ 卒業式の前日
2012年の卒業式の前日,私は君が代斉唱時に起立しないことを生徒たちに伝えました。これは,生徒達を動揺させないための配慮として行ったものです。また,君が代の起立斉唱をしたくないと考える生徒の気持ちを支えたいという思いもありました。
⑷ 卒業式の当日
ア 私の着席
2012年3月8日に実施された卒業式当日,私がいた位置は,卒業式会場前方の左側の端でした。会場内の中央部分にブロックごとにいた卒業生と在校生,さらにその後ろにいた保護者からは,前方の一番左側の卒業生を除いては,私は見えませんでした。君が代斉唱前に,司会者の誘導により,卒業生と在校生,保護者は起立して正面を向いており,多くの卒業生と在校生,保護者がいるので,私は大部分の参列者から見えない位置にいたのです。甲A11-1の映像でもわかります。
卒業式開式に際して私を含めた全出席者が起立していたところ,私は,君が代が会場に流れたときに,ただ静かに自分の席に着席しました。私が着席した様子は,物理的に周りから見えにくい状況であり,殊更目立つような態様ではありませんでした。
君が代斉唱が始まってから,来賓や保護者が着席するまで,私は,君が代斉唱の約1分間,座っていました。私がただ静かに座っていたのは,卒業式は卒業生を祝う場であり,その場に水を差すようなことはしたくなかったからです。
 実際に,君が代斉唱時,斉唱終了後,卒業式終了時も,大部分の参列者は私が君が代斉唱時に着席したことを知りませんでしたし,式は滞りなく終了しました。
イ 大阪府議会議員西田薫の発言
大阪府議会議員の西田薫氏(以下,「西田氏」といいます)は,2012年の卒業式に来賓として参加して私の不起立を目撃したことから,来賓挨拶の際に「本日は,皆さん本当にごめんなさい。学校は社会常識・社会のルールをしっかりと取得させる。しかし,ルールを守れない教職員,えー,教職員がいたこと,お詫び申し上げます。本当にごめんなさい。」と言いました。映像のとおりです。
 この西田氏の発言に対し,前日に私から不起立の旨を聞いていた一部の卒業生を除いて,ほとんどの生徒や保護者は私の不起立を見ていなかったため,その場では何のことを言っているか理解できませんでした。保護者のIさん,教員のMさん及び生徒のTさんの言うとおりです。
⑸ 卒業式後―卒業生,保護者の反応
ア 生徒の反応
私は,2012年の卒業式後,卒業生に対して,自分が君が代斉唱時に起立斉唱しなかった事情を説明する内容の手紙を送りました。そして,生徒は,私に対して返信をしました。
 そのうちの1通には,「私は,先生の行動にとても勇気をもらえた気がします。物事が知らぬ内に当り前になりおかしい事をおかしいというと罪せられる世の中になってしまったような気がします。きちんとおかしい事をおかしいと行動できた先生をとても尊敬します。私も,おかしい事をおかしいを言える大人になりたいです。」などと書かれていました。もう一通には,「私も目に見えない大きな力に流されずに,自分の意志で人生を選び取れる人になります。」と書かれていました。
 さらに,Tさんも,「梅原先生が,いろんなプレッシャーの中で起立しなかったことに勇気をもらいました。梅原先生と卒業式の前に話ができていたら,私も,嫌々起立することはなかったと振り返って思います。」などと述べていました。
さらにTさんは,「職員には,先生方の組合のニュースが貼ってあり,それを見て,大阪で,先生達に対する起立斉唱の強制がされていることを知りました。何で強制されることなんかな?というのも,すごく疑問に思いました。」,「私が小学生の時は,立っても立たなくても良いと言ってもらいました。本当だったら,高校生になったら,自分で判断できる分,もっと自由でいいはずです。でも高校ではそう言ってくれる人は居ませんでした。立たなあかん,というこの流れはおかしいと思いました。」,「先生への命令は,先生を通じて,生徒にも伝わっています。だから,生徒の自由もないのだと感じました。」と述べていました。
イ 西田氏発言の保護者及び生徒への影響
 卒業式の4日後,西田氏のブログによって,上記の西田氏の挨拶の意味を知ることになった卒業生や保護者たちは,西田氏が,卒業生を祝うための卒業式に不適切な発言をしたことに対して怒り,ブログにコメントを載せたり,保護者一同が西田氏に対し,抗議の手紙を渡すに至りました。保護者Iさんの陳述書のとおりです。
 ブログ10頁の17のコメントは,卒業生のTさんが書いたものです。そこには,「卒業式を残念だというのは私達卒業生に対しての侮辱です。非常に怒りを覚えます。私たちをここまで大きく育ててくださった恩師を悪く言われ黙ってはいられません。そして卒業式におめでとうの一言もないあなたに残念に思います。」「卒業生が主人公である卒業式を侮辱したあなたに非常に腹立たしく,悔しさでいっぱいです。」と書かれていました。
 ブログ3頁の2のコメントでは,「今日の卒業式に参加した保護者です。こんな失礼な挨拶をされた人を見たのは初めてです。あなたの意見は,式後,校長に言えばいいのではありませんか。卒業生は三年間,先生方にお世話になり,今日感謝の気持ちでいっぱいだったと思います。」「あなたは,子供たちの三年間,先生たちほど関わったのですか。『皆さん,ごめんなさい』とあなたに謝っていただく筋合いはありません。先生方はあなたの部下ではありません。部下の間違いをあなたが謝っているつもりですか。子供たちを直接教育された人を公の場で辱めていいんですか。祝いの席で言うべき言葉だったのでしょうか。」と書かれていました。
 その他にも,2012年3月10日,本件高校のPTA役員会・実行委員会終了後,3年生の保護者たちが中心に集まり,「卒業式そのもの,そして卒業生に直接迷惑をかけたのは,西田府議の発言,ブログであったことを確認」して,PTA会長のI氏がPTA役員会・実行委員会有志一同の代表として,西田氏に対し,卒業生への謝罪をすること及び卒業生に対して改めて祝辞を述べることを求め,西田氏の事務所に赴き面会して抗議文を渡しました。井上さんの陳述書のとおりです。
これに対し,西田氏は前記ブログ上で「卒業生の皆さん,本当にごめんなさい」と謝罪しました。

6 2014年処分
 ⑴ 卒業式前の出来事
  ア 卒業生
2014年の卒業式を迎えるにあたり,私は,ある卒業生から,君が代斉唱時に起立したくないという思いを聞かされていました。他人からどういう風に見られるのか不安だけれど,頑張って不起立したいと思いつめた様子で話す卒業生の顔を見ていると,その卒業生を見捨てることはできない,気持ちをわかっている私が側で見守って,その卒業生が自分の気持ちをまっとうできるように支えたいと考えるようになりました。
  イ 同僚
   また,私の同僚の中に,君が代の起立斉唱を強制することに反対している教員がいました。その教員は,3年生の担任だったのですが,校長から,起立斉唱をすると明言しなければ卒業生の担任であっても式場外での勤務を命じるという理不尽な指示を受けていました。
   このように,校長や府教委が教員を脅すような方法で起立斉唱を強制している様子を目の当たりにして,日の丸・君が代を卒入学式に持ち込むべきでないという私の信念はますます強くなりました。
 ⑵ 卒業式当日
   卒業式前日の予行で校長が卒業生への指導として述べた内容は,「君が代」斉唱の目的を国際的なマナーの問題にすり替えた欺瞞的なもので,「君が代」斉唱に疑問を感じる生徒はマナー違反のダメな生徒だと決めつけているように感じられました。生徒たちに,卒業式での「君が代」斉唱に対してさまざまな態度を表明できることを示すべきだと強く感じ,2014年3月6日に実施された卒業式でも,「君が代」斉唱時に静かに式場内で着席しました。私が相談を受けていた卒業生も,彼女自身の意思で着席していました。その後も粛々と卒業式は進行し,何の混乱も起きませんでした。
 ⑶ 処分を受けるまで
   翌7日,私は,大阪地方裁判所に処分の差し止め,及び仮の差し止めを求める訴訟を提起しました。
同日,私は代理人弁護士を通じて,府教委及び芦間高校の大西校長に対し,処分に関する連絡等は弁護士を通じて行うこと,及び懲戒処分に先立って行われる事情聴取の際に弁護士による立会とビデオ撮影・録画を求めました。同月10日に,代理人弁護士からO校長に対し,電話でも重ねて申入れをしてもらっています。この時は,O校長は,代理人弁護士に対し,「連絡が遅くなってすいません。」「今後,府教委の指示を受けて私の方で対応します。」と述べたそうです。
同月12日には,代理人弁護士からO校長に対し,事情聴取の日程調整と,手続に関する内規の事前開示を求める書面を提出しました。しかし,O校長は,代理人弁護士に返答しませんでした。O校長は,同月14日,私に対し,直接17日午後に事情聴取を行うと述べました。私は,17日午後は,担当していた部活の都合で事情聴取に行くことができませんでした。また,代理人弁護士も他の仕事の予定があり,差支えだということでした。そこで,同月15日,代理人弁護士はO校長に対し,17日午後は差支えであるため,別の日程の調整を求めるよう記載した書面を提出しました。同月17日,19日にも,代理人弁護士は,大西校長や府教委に対し,重ねて意見陳述の機会を早急に設けることを要請しました。私は,大西校長が近寄ってくると,申入れに対する回答がない限り,事情聴取に関する話をすることはできないと述べていました。大西校長からメールが送られてきた場合にも,まずは代理人弁護士に対して連絡をするよう伝えました。
私は,事情聴取の機会を放棄したことはありません。かえって,代理人弁護士の立ち会いの下での事情聴取を強く望み,私自身の意見を述べたいと考えていました。
   しかし,同月27日,私の家のポストに戒告処分の辞令と理由説明書が投函されていました。結局,府教委は,私に一度も意見陳述の機会を与えないままに戒告処分を出したのです。

7 戒告処分により受けた不利益
  府教委が,2017年,定年退職後の私の再任用を拒否しました。「君が代」斉唱時の不起立に対する戒告処分に基づいてに再任用を拒否したことは明らかで,再任用拒否という職務上の不利益を受けました。
  また,2012年戒告処分によって総額15万1046円の給与上の不利益も受けました。
  私は,違憲の本件職務命令,戒告処分によって,思想・良心の自由,教師の教育の自由を侵害され,心身とも深く傷つきました。現実に減給,再任用拒否という重大な経済的不利益を被りました。さらに、再任用を「否」とするという形で、長年にわたる教員としての経歴を全否定され,大きな精神的苦痛を受けました。

8 大阪弁護士会への人権侵害申立て
  同年7月1日には,私と,D高校の教員2人,卒業生1人,それから卒業生の父親が申立人となり,大阪弁護士会に人権救済の申し立てをしました。話しあい,D高校で行われた君が代を巡る一連の出来事を何とかして世に訴えたいと考えて行ったものです。
  2016年3月18日,大阪弁護士会は,府教委と芦間高校校長に対し,今後,学校における「君が代」の斉唱の実施及びその指導にあたり,教育現場の管理者,教職員,生徒,保護者らの思想良心の自由を尊重し,「君が代」の起立斉唱を教職員及び生徒に強制してその思想良心の自由を侵害することのないこと等を求める勧告を出しました。
  しかし,その後も府教委やO校長は,この勧告を守っていません。

9 最後に
 大阪府のいわゆる「君が代条例」・「職員基本条例」では「卒業式や入学式では教師が国歌に対して起立斉唱せねばならない,そして,繰り返しその命令に従わない教員はやめさせる」ことを明示しています。しかし,国旗・国歌法の制定に際して,政府は何かを強制したり,義務づけたりすることはないと明言していました。大阪府のこれらの条例は明らかにその説明に反するものです。
また,最高裁は不起立の行為が個人の思想や世界観に基づくものであることを認めているのですから,私の行為は憲法の保障する「思想・良心の自由」あるいは「表現の自由」に属するものとして認められなければならないはずです。
さらに,最高裁が不起立に対する処分を一律に行うことや不起立という行為のみで戒告以上の処分を科すことを否定していることにも,これらの条例は反しています。私の行為をルール違反だとする人はいるかもしれませんが、一部の派閥の議員によって強引に作られた無法な条例に基づく命令に従えない,不起立したい卒業生を守らなければならない,そう考えての行動でした。
 君が代条例では,国旗掲揚や国歌斉唱は,「日本の国への所属感と国を愛する心を育て、国旗国歌を尊重する態度を培う」となっています。私はふるさとである大阪を,そして,日本を愛しています。しかし,やはり卒業式という場で「君が代」を歌うという気持ちにはなれません。愛国心は国歌の斉唱を強制するようなことで決して育ちはしません。そのような教育は、戦前の日本のように無批判に国の方針を受け入れ、国を破滅に導くのに手を貸す国民を増やすだけであることを,私たちは学んだはずです。真の愛国者は、国が国民一人一人の自由をきちんと保障することによって育つのです。
私が望むことは,私自身が育ってきたように,それぞれが自分の考えに正直に生きていくことのできる普通に自由で普通に平和な社会を取り戻すことです。
 世の中,とりわけ学校には,いろいろな人がいていろいろな考え方が存在することが,精神的な豊かさを生み出します。私たち教員は,生徒に対して,様々な立場や考え方の違いを認め合うことの大切さを教えます。しかし,教員に対してそのような寛容さが無い中では,個性を大切にする教育など絵に描いた餅でしかありません。生徒は教師のいうことを鵜呑みにするのではなく,教師の様々なはたらきかけを自分たちで吸収し,消化して成長していきます。学校は上からの命令に従順に従うロボットの生産工場になってはいけないのです。
今,大阪の教育は数字を上げることにのみ汲々として萎縮しきっています。教育に活力を与え,大阪の伸びやかな教育を取り戻すため,裁判所には,戦前の教育の反省にたって作れられた教育委員会制度の根幹を思い起こし,教育への政治介入から学校を護ることを強く願います。
 2012年の戒告処分も2014年の戒告処分も,まじめに教育を考え真摯に生徒と向き合ってきた私の教育活動をないがしろにする不当,違法なものです。これらの戒告処分は決して許されないものと考えます。
以上

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