不埒な天国 ~Il paradiso irragionevole

道理だけでは進めない世界で、じたばたした生き様を晒すのも一興

Santa Maria Maddarena de' Pazzi

2007-06-12 07:29:30 | アート・文化

Maria Maddalena de' Pazzi
(マリア・マッダレーナ・デ・パッツィ)は
Papa Clemente IX(教皇クレメンテ9世)によって
1669年4月22日に列聖された
カルメル会修道派に属する修道女。
日常的に天空もしくは神と交信する、
いわゆる脱魂状態にあったといわれ
彼女の精神性は1600年代のフィレンツェの社会に
大きな影響を与えたといわれます。

1566年4月2日にフィレンツェに生まれた
Lucrezia de' Pazzi(ルクレツィア・デ・パッツィ)は
Camillo di Geri de' Pazzi
(カミッロ・ディ・ジェリ・デ・パッツィ)を父にもち
Maria Buondelmonti(マリア・ブオンデルモンティ)を
母にもつ貴族の出身。
洗礼名はルクレツィアですが
幼少の頃は俗称のCaterina(カテリーナ)と呼ばれて育ちます。
非常に裕福な家庭で恵まれて育ち、
幼い頃は美しいものや煌びやかなものを好んだと
本人もコメントしていますが
非常に内気で気難しい性格だったようで
若い頃からイエズス会士についてキリスト教を学び、
祈りの日々を送っていたようです。
1581年からは父親がコルトーナの総督に任命されたため
かの地のサン・フランチェスコ会派である修道院で
教育を受けている形跡も残っています。
この経験が後に大きく影響して
貧困・貞潔に傾倒する要因となったようです。

1582年11月27日わずか17歳のときに
当時としても非常に若くしてカルメル会に入信し
Santa Maria degli Angeli(サンタ・マリア・デリ・アンジェリ)
現在のSan Frediano in Cestello
(サン・フレディアーノ・イン・チェステッロ)
での厳粛な生活に入ります。
ここは一時期サヴォナローラ派の
女性信者が集まっていた場所でもあります。
入信して最初の5年で既に陶酔、
恍惚状態に陥ることが多く周囲の修道女を驚かせ
そのため数々の証言や文書に、
そうした彼女の精神活動が記されています。
その後、神からの声は「教会革命」を彼女に告げ
時期的にはトレント公会議以降続いた
教会の自己改革とも重なるため
数々の手紙を通じて教会上層部に
その必要性を訴えかけたともいわれています。

約20年間祈りと日々の仕事に専念し
巡礼で訪れる若者たちの面倒を熱心に見て暮らしますが
やがて病に伏せ、最後の3年間は
肉体的にも精神的にもひどく苦しんで
1607年5月27日に41歳の生涯を閉じました。

存命中に既に周辺からは「聖人」として扱われ
1611年には列福の手続きが始められ
1669年に列聖され、公式に聖人となります。
彼女の遺体はBorgo Pinti(ボルゴ・ピンティ)に移され
その後修道院全体もそこに移転し
Chiesa di Santa Maria Maddalena dei Pazzi
(サンタ・マリア・マッダレーナ・デ・パッツィ教会)と
彼女の名を冠した教会もできました。
1888年には再び修道院がカレッジに移転となり
現在も
Monastero di Santa Maria Maddalena dei Pazzi a Careggi
(サンタ・マリア・マッダレーナ・デ・パッツィ・ア・カレッジ修道院)で
彼女の遺志を継ぐカルメル会修道女たちが
厳粛な生活を送っています。

没後400年を記念して現在特別展開催中。
彼女がカルメル会に入信したときの
誓願書のオリジナルや身の回りの品々、
彼女の陶酔状態をテーマにした絵画作品など
多数が展示されています。

Maria Maddalena de' Pazzi
Santa dell'Amore non amato
会場:Seminario Arcivescovile
   Lungarno Soderini 9 Firenze
会期:2007年5月19日から2007年7月20日
開館時間:平日10:00-12:30、16:00-18:00
     土日祝日10:00-13:00
入場料:無料

Mariamad
展覧会を見ていて
この人は本当に常に脱魂状態だったのだろうと思うほど
そういうテーマの絵画が多くて驚き。
それからオリジナルの手書きの誓願書も達筆で
彼女の几帳面な性格が滲み出ているようでありました。
実在した聖人を身近に感じるよい機会。

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