不埒な天国 ~Il paradiso irragionevole

道理だけでは進めない世界で、じたばたした生き様を晒すのも一興

Moria Api Causata Da Riscaldamento Globale

2009-05-27 13:47:00 | 日記・エッセイ・コラム

地球温暖化がどうこうという話は
もう耳にたこができるくらい聞いていますが
毎日暑すぎて、毛むくじゃらたちは大変そうです。

イタリアはここ数年寒い春が終わると
突然暑い夏が前倒しにやってくるようになり
5月6月が最も暑くて
8月はもう夏の終わりという雰囲気になります。
今年もそんな感じかなぁ。
ヴァカンスの時期をずらさないといけませんね、イタリア。

3月に日本に帰国していたときに、
日本のミツバチが減っていて
温室育ちのイチゴやメロンの受粉もままならない
というニュースを耳にしましたが、
実は日本だけではなく、イタリアもミツバチ減少中。
というかこれは世界的な現象みたいですね。

この現象についての会議とシンポジウムが
5月のはじめにミラノで開かれ
世界的なミツバチ減少と
地球規模での温暖化の関係が発表されていました。
ミラノ大学の研究者を中心に2008年9月から調査開始。
国際的なレベルでの協力を得て
過去から現在に至るまでのミツバチの総数動向の分析、
過去10年間に蔓延したミツバチ伝染病などの
調査が行われたようです。
参考とされた資料は1880年から現在までの気象情報や
1978年から現在に至るまでの衛星からの情報などで
膨大な資料を基に、
特に過去20年間の地球温暖化を分析。
そしてこの温暖化現象が地球上の生物界にも
大いに影響を与えているという結果を導き出しています。
春が早く訪れて、各種の開花時期が早まったり、
渡り鳥の移動時期にずれが生じたり、
産卵時期がずれたり。

ミツバチに与えている影響はといえば。
冬が短くなっていることで
まじめなハタラキバチは
これまでに比べて
年に平均して20-30日余計に働かざるを得なくなっているとか。
これによってハタラキバチには今までにないストレスがかかり
健康状態に問題をきたすようになっているとか。
短い冬を終えて突然一気に花が咲き出すのと
ミツバチの活動の活性化に位相のずれが生じているのですね。

人間だって、季節の巡りが狂うと体調を崩しやすくなるのだから
地球上のほかの生き物、特に小さい生命体には
相当なストレスになっているのでしょうねぇ。

ミツバチ頑張れ。

まったく無関係のようで実はちょっと関係あるかもしれない話。
静岡でも新型インフルエンザ感染者が見つかったそうですね。
イタリアでは現在まで23人の感染者が見つかっていますが
いずれも既に完治、もしくは隔離され治療中。

友人と昨夜話していたのは
イタリアであまり思ったほど多くの感染者が出ていないのは
イタリア人だからだということ。
別に彼らが特別このウィルスに強いとかいうことではなく
彼らは日常的にちょっとでも不調を感じたら
仕事も学校も休むので、感染経路が断たれるのだということ。
その点日本人はちょっと具合が悪くても
仕事に行ったり学校に行っちゃうので
そこでウィルス撒き散らしちゃっているのではないかと。

一理あるような気がするんですよねぇ。
ハタラキバチみたいにストレス感じながら無理して出勤したり
学校で皆勤賞とか狙わなくてもいいんじゃないのかな。
ほどほどを知るべきなのかもなぁと。

ちなみにイタリアではマスクしている人いません。
まぁ、もともと「自分はウィルス保持者」といわんばかりの
マスクを敬遠するのがヨーロッパなのですが
この暑さでマスクなどしていると
口の周りに汗疹ができそうですよ。
今回の弱毒性のウィルスなら
うがい&手洗い奨励で十分効果あると
イタリアでは判断されているようです。


Girolamo Maria Francesco Matteo Savonarola

2009-05-26 13:16:23 | アート・文化

Girolamo Maria Francesco Matteo Savonarola
(ジローラモ・マリア・フランチェスコ・マッテオ・サヴォナローラ)は
1452年フェッラーラに生まれ
1498年にフィレンツェで処刑されたドメニコ会派修道士。
1997年5月にフィレンツェ大司教管区によって列福され、
Servo di Dio(功徳の高い信者)とされています。

商人の父と貴族出身(Bonacolsi家)の母の間に生まれ
7人兄弟の3番目。
医者であった祖父の時代にパドヴァからフェッラーラに移住。
この祖父が非常に熱心な宗教家でもあり、
ジローラモは少なからずその影響を受けたとされています。
この祖父から教育を受け、
文法、音楽、絵画を学んだといわれています。
父は彼が医者になることを望み、
そのための教育を受けさせますが
ジローラモは18歳のときに神学を探求するために
医学の道を諦める決心をしています。
20歳のときに書き残した詩文の中に
説教者としての資質を既に表し
1475年にはドメニコ会に入信し実家を離れています。
世の中の醜いことを憎悪し、
平和の中で生きるための選択だと
家族に手紙を書き残しています。

修道会の中で説教家としての教育を受け、
1482年Lorenzo de' Medici(ロレンツォ・ディ・メディチ)の時代の
フィレンツェのサン・マルコ修道院に着任。
着任当初イタリアの文化芸術の中心として評価しています。
しかし、フェッラーラ訛りの強かった彼の説教は
当時のフィレンツェ人にはあまりウケがよくなかったようです。

1485年サンジミニャーノで初めて預言者的な説教を行い
将来的に教会に災いが起こるという
内容の発言を繰り返すようになります。
それはすべて人類が犯している罪が原因であるとして
殺人、淫欲、男色、偶像崇拝、占星術、
聖職売買、聖人批判、不信仰などの
所業を攻め立てるようになります。

フィレンツェでの勤めを終え、
ボローニャを経て1488年にはフェッラーラに戻り
そこからロンバルディア地方の主要都市を周り説教を続けます。

1489年4月、Pico della Mirandola(ピコ・デッラ・メランドラ)の
アドヴァイスを受けたロレンツォ・ディ・メディチの要望で
フィレンツェに召還され、
1490年からフィレンツェでの活動を再開しています。

5月23日はサヴォナローラの命日。
フィレンツェのシニョリア広場の彼の処刑場所跡には
今も花崗岩の日が埋められていて
命日には献花式が行われます。

サヴォナローラの狂信的・預言的説教の影響を受けた
文化人や芸術家も少なくなく、
彼の思想が及ぼした影響は大きいと思います。
悪い部分の影響だけが気になり
サヴォナローラは悪い人というイメージが
私にはべったり埋め込まれているのですが
いいところのお坊ちゃんだったんだねぇ。

ということでサヴォナローラの終末は次回へ続く。