折々スケッチ

小さなスケッチブックやハガキに水彩と鉛筆ペン等で描いた絵を中心に、感じたこと等日記代わりに添えています。

私の自転車

2020年04月20日 | 身のまわりの物




自転車を買いました。電動アシスト20インチ、小さくコチョコチョ走る自転車です。
今まで乗っていたのは娘が孫をのせていたお下がりでした。ハンドルの安定感は抜群でがっしりとして頼りにはなりました。ですが重量が30キロ以上ととにかく重いのです。スタンドを立てる時も「ヨッ!」では立てられなくて気合を入れて「ドッコイショ!!!」長さも1・7メートルと長いので小回りが利かない。
少し古びてきて時折妙な音がします。電池の持ちも悪くなっているし、コロナの自粛休業にでもなって壊れたら私の足がなくなる。中国から部品が入ってこなくて自転車も足りないと新聞にあったし迷っていたら買えないかもしれない。これは必要な外出だ行かねば!と思って自転車屋さんへ。いちいち「要か不要か」考えながらの外出が続きます。

一応ネットで高齢者用自転車はどんなものかは調べて行きました。店に組み立ててあった実物を見て即、決めました。今回は重量は21・4キロ、長さは153センチ。たった17 センチ程短くなった車体ですが、まぁ小さい事、軽い事。沢山荷物を積んで走りたかったので前後に不釣り合いなほど大きなカゴも注文しました。その3日後には古い方を置いて新しい自転車で帰ることが出きました。走ってみるとどうもブレーキがかけにくい。戻って調整してもらい家まで乗ってみる・・・なれないせいかなぁ?まだ気になってまた翌日調整してもらいやっと私の自転車になった気がします。若い店員さんは何度もやってきては注文するババサンにもにこやかに応対してくれたので、自転車についていたアンケートはがきには「良」に丸をたくさん付けました。
「大事にに乗っていただければ8年から10年近く乗れますよ」
「10年・・・ですか・・・」
とすると私が乗る自転車はこれが最後になるのかな~・・・。
ですが10歳年上の兄嫁さんは今も元気に人力自転車に乗ってます。だから年齢で決めることはない。当分行けそう、注意だけはしながら乗ろうと思います。

あ~ぁ これに画材を積んで教室に走れる日はいつになるのかしら・・・



  ユリオプスデージー

旅の日記と黄砂

2020年04月19日 | 中国の想い出
  「内モンゴル草競馬」

昨日の天気予報で黄砂が降るかもしれないと言っていました。
春は黄砂の季節です。

普段は日記を書かない私ですが、外国へ行った時だけめったとできない体験なのだからとできるだけ書くようにしていました。と言っても出かけたのは20年前の娘とのスイス旅行、それ以後は中国へ7・8回、その日記を読み返すと書いてあること以上に思い出すことが多くて時間を忘れてしまいます。

2002年10月夫と出かけた内モンゴル、シラムレン草原のパオを体験して黄土高原を走りゴビ砂漠の東のはずれまで行きました。砂丘に上ろうとすると足元の砂はザザーッと崩れて行き、握ってみれば指の間からサラサラこぼれる細かな砂、これが舞い上がって日本までやってくるのかとながめました。この砂漠「響沙湾景区」は今では巨大なテーマパークになっているとか。当時も食事施設や土産店、ラクダの試乗で賑わってはいましたがまだ素朴なところでした。
それから数年後の5月に晴天続きの予報を見て安曇野に出かけました。ところがアルプスはかすかに見えるだけ、黄砂のせいでした。あぁあの砂がここまで来たのかーと思ったものです。


 「内モンゴルの砂漠」


日記の端には黄砂の別の言い方で「霾(つちふる)・胡沙来る(こさきたる)」などと書いてあり、ちょっと格好つけた俳句でも作ろうと思ったのか・・・できた記憶はありません。
日記があるからこんな古いことも思い出すこともできます。今ならブログを見返せばいい。だからずっとgooのブログがなくならないことを祈ってます。

名城公園 ジョギングコースの脇で

2020年04月18日 | 名城公園
  「コース沿いのボタン」


土日は雨の予報だったので金曜日の午後に久しぶりに名城公園へ行きました。
自粛続きで気持ちが内向きになりそうな時、広い公園散策は「不要」ではなく「必要」です。などと自分に言い訳をする。三密を避ければよいだけのことなのに小心者の私はそんなことを考えながら出かけました。

名城公園までは自転車で、公園内の花を眺めてジョギングコースを歩きました。
コースは1・3キロ 内側が土の路面で外側が舗装されています。コースの周辺は燃えるような若葉のクスノキ、フラワープラザ周辺の花壇は満開。チューリップやパンジー、ボタン、本当なら5月の連休に多くの方を楽しませたはず。もったいないほどきれいです。







平日なのに芝生広場やジョギングコースにも結構人が多かった。けれど密になるほどではないので緑が多い外はやっぱりいい。
ひと回りしてちょっとスケッチ、ペンで描き終わるころにポツポツ降り出してしまい家で色付けしました。家で時間があると塗りすぎて…



名城公園は明治時代に名古屋城北側の沼地を埋め立てて陸軍の練兵場を作った場所です。
戦後に公園へと整備されてきました。明治生まれの私の母などはしばらくは「練兵場」と呼んでいました。終戦、戦後・・・75年も前のことなのにここが基準になることが多いです。そして今コロナとの戦いが終わると「コロナ以後は」などと語られることになるのかもと思います。
早く早くコロナが過去の話になってほしいです。



 
「犬友さんのおしゃべり」描き始めたら行っちゃったー

モミジの花かんざし

2020年04月17日 | 





庭の隅に新芽が赤いモミジがあります。モミジなのかカエデなのか名前もわからない木です。春の新芽は濃い紅色、葉が広がり陽を受ければ鮮やかな赤色に。今の時期は海老茶色の大き目の葉がそよいでいます。これが夏になり気が付くと普通の緑色に変わってしまい秋にはあまり鮮やかではないけれどちゃんと紅葉します。

この木が数年前からカミキリムシの幼虫テッポウムシの被害にあって枝がいくつか枯れました。それからは常に点検、スプレー式の殺虫剤片手にテッポウムシのすみかを探してシューッ!
昨年、枯れた枝の先を切った根元の枝に今年は重なり合うほどの花が咲きました。赤い竹トンボのような種もついて花かんざしにでもしたらよさそうな風情です。虫の被害にあって切られた枝が命の危機を感じて子孫を残そうとしているのかしら、なんて思います。

トンボのような種が飛んで飛び石の脇に芽が出た1本は3年過ぎて今年は一人前に赤い葉を広げています。しかしそのまま育てるわけには行かない場所。これも植木鉢かな・・・植木鉢ばかり増えてさぁ~どこに置く?





門なし塀なし

2020年04月16日 | 
 「八重のチューリップ」




昭和58年困ったことが起きて家を建て替えることになりました。
急なことでお金もなかったし考えるゆとりもなくて、とにかく住むところを造って他は後から考えようということにして門も塀も造らず車庫と玄関前はコンクリートを流しただけ。ほんの少し室内が見えないように目隠しの板塀は作りましたが、ほかは道路から丸見えです。車庫との間にとりあえず狭い花壇を作って・・・それ以来とりあえずのまま。
車庫とは名ばかり道路に面して単なる空き地のような作りは出入りが楽で門の必要を感じなくなりました。丸見えの玄関周りも慣れれば開放的だとさえ思えます。

このとりあえずの小さな花壇にいろいろ植えて楽しんでいます。
少し前まで30本余りのチューリップ、ビオラ、ムスカリ、ショカツサイなど賑やかに咲いていました。
「きれですねぇ。楽しみに見せていただいてます」と犬の散歩の方。
「だいぶん風で散ったねェ」とは近くの工事現場の方。いつも自販機の缶コーヒー片手にたちどまって。

門も塀もないおかげで皆さんに楽しんでいただけて花だって頑張って咲くでしょう。
あの時もう少し資金に余裕があれば、すっかり塀で囲んでしまい花壇の花を眺めるのは私一人。
カッコいい門扉や塀は作れないままでしたが今になるとこれでよかったなと思っています。


 「ショカツサイ」


忘れられていたクロッキー用の黄ばんだ紙使用。裏打ちしないとダメ見たいですね。


新芽が伸びる

2020年04月15日 | 
  「ノブドウの芽」



2日続きの強風に花壇のチューリップは半分以上散ってしまいました。その強い風に飛ばされてきた桜の花びらが玄関から庭にも散ってメダカの鉢にも小さな花筏。向こう三軒両隣に桜の木はないのに強い風のせいです。







花びらが舞い込んだ狭い庭にも春が来て新芽が伸びてきました。
冬の間は枯れたのかと思うほどだった植木鉢のノブドウに赤い新芽が勢い良く伸び始めました。ノブドウは伸び始めたらもう止まらない。この先はカーポートの柱に沿わせて秋の実りと黄葉まで長い楽しみです。
これも植木鉢のキイチゴやブラックベリーも今目を覚ましたといった感じで若々しい葉を広げて、これで実がなればよいのですが小さな鉢で期待通りにゆくかどうかわかりません。


春なのに・・・コロナが・・・ぼやいてばかりいても始まらない。私が思っていたより長い付き合いになりそうなコロナ、この良い季節に中止休止で出来た時間を有効に、コロナペースではなく自分のペースで計画的に過ごそうとやっと決めました(できれば~~・・・の話)。
すること、しなければならないことは山ほどありますから時間が余ることはないはずです。





☆ しばらくの間「フォロー」「いいね」を閉じさせていただき「コメント」は
  事前承認とさせていただきます。
  意図不明のフォローが連日多数続いているので、これからは静かにブログの記事だけ
  アップすることにしました。どうぞよろしく。

ねぎぼうず

2020年04月14日 | 
「ねぎぼうず」



3月下旬、実家の庭で話をしていてふと見ると家庭菜園のネギにネギボウズが出来かけていました。
「ネギボウズが大きくなって開いたら欲しいから捨てないでね」と言うと「もうあのネギは終わりだから抜いて捨てるところだよ」と、次の野菜のために耕すのですって。「絵のモデルに欲しいの」「だったら抜いて行って植えたら」と言われて力任せにドッコイショ!と一抱え引っこ抜いてきました。空いていた植木鉢に植えておいたらネギボウズは大きく育ち薄い皮を破って花がツンツンでてきました。なぜかこの姿が好きなのです。

昭和20年代のこと、一番上の姉が里帰りすると到来物などをすっかりさらって帰って行きました。
「昔っから嫁に行った娘が里帰りしたら竈の下の灰までさらっていくと言ったもんだ」と父が言っていたことを思い出します。嫁に出た私は薹が立った畑のネギまで引っこ抜いて・・・と、兄嫁さんはあきれているかな。菜園は兄嫁さんの担当なのです。
昭和30年代に入っても食生活はそんなに豊かではなくて、上の兄嫁さんが里帰りすると「かしわ・鶏肉」を下げて戻ってくるのが楽しみでした。「兄が一羽つぶしてくれたので・・・」そのすき焼きが美味しかった。
いつでもどこでも娘の里帰りには親は気を使ってその度に小屋から一羽消えたのでしょう。

ネギボウズをスケッチしながら思い出はいろいろと・・・懐かしいことばかりです。




中止ばかりの中で・・・

2020年04月13日 | 
   「紫の花-1」



新型コロナのために教室は3月も4月も休み、5月の教室展覧会も中止にしました。2001年に第1回の展覧会、それから毎年5月に開催を続けて今年2020年で20回目の展覧会になるはずでした。残念!
オリンピック選手や高校野球の選手のように一生に一度の機会を奪われるというほどの悔しさとは次元が違いますが、それでも残念なこと。出品者も来場者にも何かあってはいけないので自粛です。
「また来年やろう」と言えば「来年収まってもコロナ以後は今までと同じとはいかないかも」という声もあって先行きは霧の中のようです。

買い物と散歩以外は自粛暮らし。孫との接触も極力避けて会わずにいましたが、孫の小学校は7日の始業式の後5月10日まで休校になりました。急なこと、娘の仕事の都合で我が家で預かることになりました。
新3年生になってあまり手はかかりません。ちょっと勉強して後はシャボン玉、紙風船、お手玉、工作、トランプ・・・おばあちゃんとの遊びはそんなもの。子供たちが昔読んでいた本を納戸から出してきて寝る前のひと時に朗読すると喜んで聞いてくれました。「おおかみ王ロボ」「ぎざ耳うさぎ」や「ジャングルブック」私も大好きだった話です。孫が眠ってしまってもワクワクした気持ちを思い出してちょっと小声にして最後まで読んでいました。懐かしく幸せな時間でした。

土曜日の夜孫は帰ってゆき、日曜はボーっと過ごしてブログを書く頭には戻らないまま。
月曜日になってやっとそろそろブログ再開しようかと思ったのです。ですが外は雨、どこか気持ちはスッキリしません。みんなコロナのせいです。


「紫の花ー2」 

今年も筍

2020年04月07日 | 野菜
 「筍」



今日にも緊急事態宣言が発令されるとか。なんとしても恐ろしい事態になる前に収まって欲しいものです。「三密」を避けてデパートも地下街も展覧会へも行かず買い物もササッと済ませる暮らしはいつからかだったか。いつまで続くのか・・・コロナに負けないよう我慢です。
愛知県は緊急事態宣言の7府県には含まれてはいませんが、注意して暮らします。


スーパーの野菜売り場で見かけるようになった筍「まだ高いなぁ」と待っていたら三重県産が少しお値打ちに並びはじめました。太くて柔らかそう。早速ぬかを入れて茹でました。皮をむくと思ったよりも中身は小さく筍ご飯と煮物にと思うとチョット少ないかな。続いて出かけた安い八百屋さんには安いタケノコがありました。どうせ煮るならこれも一緒に煮物にしようと買いました。でも、安いタケノコはかたかった。
タケノコのかたい部分を塩コショウだけで味をつけたキンピラが好きだった夫。それだけではなくとにかく筍好きで酒の肴にもご飯のおかずにも弁当にも毎日でも飽きずに食べていました。ずっとそうだったのでいなくなっても筍を見かけると鍋一杯の煮物を作りたくなるのです。今年も鰹の出しをきかせて油揚げと一緒に煮ようと思います。




 「かたかった…」

堀川沿いの桜

2020年04月05日 | 風景
   「名城公園」



桜の見ごろが続いています。ちょうど満開の土曜、日曜に晴天続きはなかなかないこと。
今年はそのなかなかない時、なのにコロナに邪魔されて浮かれていられない春です。
私はバスにも電車にも乗らずそっと一人での桜見物、コロナは関係なくこうしたお花見も好きです。

堀川は江戸時代の初め伊勢湾から名古屋城まで物資の運搬のために作られた運河です。明治になって北を流れる庄内川から取水を開始して堀川に水を流すようになりました。取水と言っても庄内川の南側にある矢田川の地下をくぐるトンネルを通って流れてきます。当時の県の技師さんが黒川さんだったから新しくできた部分を今も「黒川」と呼んで地名にもなっています。



  「清水わくわく水」






 

  「堀川と名古屋城」




この川の両側の桜並木がきれいです。川の近くに遊歩道が設けられて「北清水親水ひろば」には地下水が湧きだす「清水のわくわく水」、澄んだ水がトクトクと湧いていました。そう言えばこのすぐ近くの小学校の名前も清水小学校。そんなに遠くは無いのに今までは通り過ぎてしまい立ち寄ったのは初めての事でした。桜は見頃、良い天気で三々五々と人が通ります。川を覗き込むように咲く桜、川岸から見上げる桜、青空に美し過ぎてスケッチ忘れて見とれていました。


  「運河の曲がり角」
東北から来た堀川が左に折れて名古屋城の方向へ向かう場所



ここから川沿いを自転車で名古屋城近くの名城公園まで行き、ちょっとスケッチ。
自粛が呼びかけられてはいても屋台も何軒か出て・・・お客さんは見かけなくて暇そう。
この日は何も買わず、誰とも話さず、「三密」無しのひとり桜を楽しんで来ました。



  「名城公園」

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