ロッキングチェアに揺られて

再発乳がんとともに、心穏やかに潔く、精一杯生きる

2011.6.16 40代最後の日~額紫陽花(ガクアジサイ)のように

2011-06-16 21:06:07 | 日記
 今朝、プチ虹のサロンのSさんからメールが入った。
 「今日は40代最後の日ですね。色々な意味で大変な40代でしたね・・・。明日はひとつ歳を重ねられた事を喜んで、ご家族でお祝いして、頑張った自分を大いにほめてあげてくださいね。今日も良き日でありますように。」と。 
 そうだった。今日は記念すべき(?)40代最後の日だった。改めてちょっと立ち止まって考えるきっかけをくださったSさんに感謝である。

 そのSさんも来月早々にはお誕生日を迎えられる。同級生だ。プチ虹のサロンのメンバー5人は、4月末から7月初めに誕生日が集中している。40代も最後になって、こうしてともに闘病しながらもお互いの誕生日を祝い合える幸せを感じる。

 振り返れば、40代の3分の2は病気とともにあったわけだ。
 初発の時に初めて耳にした「5年生存率」などという嫌な言葉は、3年経たずして再発してもなお、無事クリアすることができた。そして明日は無事に年齢を重ねられたことに、まずは素直に感謝しなければ・・・と思う。

 そう考えれば、これから迎える50代も、そしてもし迎えることが出来るならば60代も・・・、以降は全て病気とともにある、ということになる。けれど、悪い細胞の宿主としては、既にタンポポの種のごとく全身に蒔かれているであろう数え切れない細胞は今更いかんともしがたい。病との共存を考えて、細く長くやり過ごしたい。

 40代最後の日、などと言ってはみても、何か特別なことがあった日でもなんでもなかった。
 朝、いつもどおりに起きて、朝食とお弁当を用意し、普通に夫と息子を送り出し、自分も出勤して、午後からの会議資料等を準備して、いつもどおり仕事をして帰宅し、普通に夕食を作り・・・という本当にこれといったことのない、極々普通のなんのことない一日だった。

 変わったことと言えば、義母から電話があり、「50歳になったね!」と。ふと去年の日記を見ると、去年も16日に電話を頂いている。「明日なんですよ。」と言ったけれど、一度記憶したものはなかなか訂正できないのだろう。 
 夫にそれを言うと、「5月に言ってきたわけじゃないし、覚えていてくれているんだからいいじゃない。」とのこと。
 そして、電車の人身事故でいつもより帰りが遅くなった夫は「誕生日の前夜祭だから」とケーキを買ってきてくれた。3人でメタボとおデブまっしぐら、である。

 だが、そんな何ということもない1日が送れることは、決して当たり前のことではない。
 こうして無事に今日という日が送れたことを感謝しながら、40代最後の日が終わろうとしている。

 今日も朝から雨が降ったりやんだりの不安定なお天気だった。梅雨真っ盛りだから仕方ないと言われればそうだけれど、団地の植え込みや大学の生け垣にも、紫陽花と額紫陽花がもうすぐ見頃を迎える。

 大きな手毬のように豪華な花をつける紫陽花も良いけれど、ちょっと地味かもしれないが、私は奥ゆかしさを感じる額紫陽花が好きだ。

 どんどん花の色が変わることから「移り気」。そのほかにも「高慢、 無情、 辛抱強い愛情、 冷淡」というちょっと気の毒な花言葉をもらっている6月の花である。一方、額紫陽花のそれは「謙虚」なのだという。

 歳を重ねても、額紫陽花のように生きたい、と思う。
コメント (2)
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