ロッキングチェアに揺られて

再発乳がんとともに、心穏やかに潔く、精一杯生きる

2012.5.7 先月来の通院日に読んだ本―その3

2012-05-07 19:48:30 | 読書
 ようやくあと少しで読書日記も追いつきそうだ。残り3冊のご紹介。宿題と同じで貯めると辛い…反省。

 1冊目は豊島ミホさんほかの「文芸あねもね」(新潮文庫)。
 帯には「恋愛とか 孤独とか 未来とか R-18文学賞に由縁の作家10人が集結!震災復興チャリティ同人誌が待望の文庫化」とある。この著者印税は東日本大震災復興支援のために全額寄付されるという。裏表紙に「3.11の後、『今、自分たちができること』をしようとペンを執った10人の女性作家たち。2011年7月、その思いは全額寄付を目的としたチャリティ同人誌へと結実。電子書籍から生まれた、再生への希望きらめく小説集、待望の文庫化」とあり、あとがきには山本文緒さんが「女性として生きていく上での、底なし沼のような苦悩と、ほんのぽっちりでも確かに輝く北極星のような希望、そういうものがどの作品にも描かれているのではないでしょうか。」と書かれている。

 電子書籍はまだ未体験の私としては、こうしてアナログに紙の本を読み続けているが、表紙をめくって直ぐに「この本の一編一編が、まわりまわって遠く被災地で、誰かをあたためる毛布になり、川に架かる橋の手すりとなるよう、心から祈って。」の言葉に頷かされる。10人の作者のうち初めて出会う方が大方だったが、彩瀬まるさんの「23センチの祝福」、柚木麻子さんの「私にふさわしいホテル」、山本文緒さんの「子供おばさん」が特に印象に残った。また、巻末に収録されていたネットの掲示板でのメンバー間の連絡、制作進行に関する相談や賑わう雑談スレもいかにも今風、と面白く読んだ。

 2冊目は佐藤優さんの「功利主義者の読書術」(新潮文庫)。
 著者の硬軟併せた書評である。帯には「書物の海から使える叡智をつかみ出せ!資本論、新約聖書からタレント告白本まで 当代一の論客による、攻撃的読書指南。」とある。
 功利主義的読書とは、本の大海から、本当に使える叡智を抽出する技術だという。まえがきでいきなりノックアウトされる。「読書はいわば『他人の頭で考えること』である。従って、沢山の本を読むうちに、自分の頭で考えなくなってしまう危険性がある。娯楽のための読書ならばそれでもいい。それについては、楽しい本を自己流に読めばいいので、特に読書術など必要とされない。従って、本書が想定する読者は、娯楽を目的とする人々ではない。」と。・・・つまり私なんぞは想定外?「功利主義者の」というしばりが「役に立つ」ことを第一義的に考えたからだという。

 解説は酒井順子さんが書いておられるが、ご本人も書いておられる通り、「負け犬の遠吠え」をこんな風に読むなんて・・・、と目から鱗であった。
 石原真理子さんの「ふぞろいな秘密」、綿矢りささんの「夢を与える」からマルクス「資本論」まで・・・ここに挙げられた書は全部で30冊。いやはや凄い守備範囲である。
 恥ずかしながら既に読んだものは軟らか系が断然多かったが、門外漢である宗教本等も含めて読んでみたい・・・と思わせられるほど、いつもながらの圧倒的な筆致だった。

 3冊目は徳永進さんの「野の花ホスピスだより」(新潮文庫)。
 帯には「ホスピス医が語る看取りの風景 大切な人を静かに見送りますか?それとも叫びますか?『死んだらいけ~ん』と。」とある。
 いつだったか図書館で借りたハードカバーで読んだかな、とも思ったのだが、新刊の文庫にあったので手に取った。「鳥取市にある、わずか19床の小さなホスピスが『野の花診療所』。人の尊厳を大切にする穏やかで温かい看取りの実践がある。従容として死に向かう人生の最終章で人は何を思い、どのような言葉を口にするのか?家族はどんな心持で愛する人を見送るのか?カントリー・ドクター(田舎医者)の日々の診療風景から生きる哲学を導き出す医師の、軽やかにして深淵なるエッセイ集」と裏表紙にあるとおり、それぞれの最期のドラマは胸に迫る。 

 川上弘美さんが解説を書いておられる。「徳永先生は、沢山の文章を書いている、忙しいだろうに、なぜこんなにたくさん、と思うほどに。…少しでも多くの人に、伝えたいこと。それはたぶん、徳永先生自身の中から出てきた、わたくしごとではない。それはきっと、死にゆく人たちが、残したことなのだ。…驚くのは、一つも同じ死がないことだ。…ここには、死のことがはっきりと記されている。まるで、人の日常の生活を書くように、そうか。死は、日常にくっついているものなんだ。知っていたつもりだったけれど、やっぱり、わかっていなかった。だからきっと徳永先生は書くのだ。自分が見てきた死から与えられた、いくつものことを。生きていた人たちがいて、けれどその人たちは死んだのです、と。そして、それは決して特別なことではなく、けれどたいそうかけがえのない、けだかいことなのですよ、と。」
 本当に人の死は特別なことではないが、尊く、それぞれなのだ、と思う。

 通院日を挟んだので、連休明け6日ぶりの久しぶりの出勤。出勤して早速、窓を開ける。やはり空気がこもった感じ。こうして四季折々の風に触れられるのは、高層ビルではない恵まれた職場環境だからだろう。外は青空。ようやく5月らしい陽気だろうか。
 皆が出勤してくるまでの早番の時間、届いたメールをちゃっちゃと処理。予定されていた会議もなくなり、順調に仕事が進んでストレスフリーだ。

 毎回の繰り返しだが、こうして元気になると現金なもので、一昨日まで体調不良だったこともすっかり忘れる。かといってまた明後日通院すれば、また数日は苦虫を噛みつぶしたような冴えない顔をすることになるのだが。
 まあ、人間たるもの、こうして忘れられるからこそ、同じこと、辛いことも繰り返すことが出来るのだろう。神様は本当にうまくお創りになったものだ。

コメント (2)
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