ロッキングチェアに揺られて

再発乳がんとともに、心穏やかに潔く、精一杯生きる

2013.2.19 「私たちだって皆、生身なんだから・・・」という温度差

2013-02-19 20:35:07 | 日記
 先日プチ虹のサロンで話をしていた時のこと。
 健康な方たちとお喋りをしていて「私たちだって皆、生身なんだから、明日のことなんかわからない。だから(何年先のことが分からないというのは、癌患者だって健康人だって)同じよ。」と言われた時の、私たち患者の微妙な気持ちはやっぱり解ってもらえないよね・・・ということに、メンバー一同頷いた。

 確かに人間は皆、生身。生老病死は紛れもない事実だ。アンチエイジングが叫ばれても、iPS細胞で再生医療が進化する、万能薬も夢ではないと期待されても、やはり“不老不死”はあり得ない。(第一、人が誰も死ななくなったら地球は間違いなくパンクするではないか!)人は生まれてきたら必ず老いて、もしくは病気等で死んでいかなければならない。

 先般のトンネル落盤のような不慮の事故に僅か数秒差で巻き込まれることもあるし、地震や津波で本当に突然、命を断ち切られることがある。
 確かに、そうした事故や天災に巻き込まれる可能性と、私たち患者が抱く、この薬が効かなくなったら、がん細胞がいきなり暴れ出したら・・・という不安を比べるのが果たして賢いことかどうかは判らない。 
 けれど、いかにも自然に「私たちは皆、同じ」と言われてしまうと、(わかってないなぁ、そんなこと言いつつも笑顔で10年後のことを具体的に話題にしているではないの・・・)と、思わずひがんでしまうのが、我ながら情けない。

 もちろん健康な人たちとお付き合いする時は、対等でありたい。自分だけの不安を解ってほしいと思うことは甘え過ぎだし、(なぜ解らないのかしら、想像力がない人ね。)と思うのは自己中心的かつ傲慢なことだろう。所詮、同じ立場にならなければ同じ気持ちにはなれないだろうから。

 突き詰めて言えば、患者同士だって当然ながらその病状に個人差がある。再発治療中の身と初発で治療が済んでいる身では全く立場が違う。さらには再発治療と一口に言っても様々な状況がある。何年もホルモン剤の内服だけでがんと共存出来ており、抗がん剤治療すら未経験、脱毛も未経験という人もいれば、何年にもわたり抗がん剤投与を続け、多剤耐性で次の薬が認可されなければ個人輸入を考えなければ・・・という人もいる。不安の度合いは、それこそ人様々だ。

 だから無理に話を合わせなくていいんだな、と最近の私は思う。
 軽々しく頷いて判ったふりはしなくて良い。お互いに黙って話を聞いているだけで良いのではないだろうか。

 今日は予報通り朝から冷たい雨だった。そして気付けば雪に変わっていた。今朝は息子と同じお弁当を作り(夫も誘ってみたがお弁当を入れられる大きなカバンに変えるのが面倒臭いということで断られた。)、外に出ることなく自席で済ませた。
 帰宅する時はすっかり雪が止んでいてほっとしたが、本当に寒い一日だった。

コメント (2)
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