ロッキングチェアに揺られて

再発乳がんとともに、心穏やかに潔く、精一杯生きる

2019.7.17 練習が待ち遠しい・・・

2019-07-17 22:14:04 | 合唱

 毎日新聞で愛読しているコラムの最新号で、膝を打った。と同時に、次の日曜日からまた練習に参加出来そうなことに今からワクワクしている。
 以下、転載させて頂く。

※   ※   ※(転載開始)

あした元気になあれ 合唱指揮者という生き方=小国綾子(毎日新聞2019年7月16日 東京夕刊)

 青空が無性に恋しいのは、先日、不思議な体験をしたからかもしれない。日本合唱指揮者協会の演奏会で、こどもとおとなのための合唱曲集「ゆずり葉の木の下で」(作曲・信長貴富)から3曲を、合唱指揮の第一人者である清水敬一さんのもとで歌った。1曲目の「あおいあおい」の歌詞は、親子のこんな会話で始まる。
 <空があおいよ/ほんとうだね/どこまで続くの/わからない>
 公募合唱団に集まった大人と子どもたちに向かって、清水さんは生物学者の福岡伸一さんの著書「動的平衡」を紹介し、熱っぽく語りかけた。「空の青は、青い色素が溶けているわけではなく、青い光が選び出されているだけ。つまり“物質としての青”ではなく“現象としての青”なんだね」
 こんな小難しい話が小学生に分かるかなあ、と思ったら驚いた。次の瞬間、子どもたちの<空があおいよ>という歌声が、きらめきと深みを増した。すかさず大人も子どもたちの変化に反応する。<ほんとうだね>と答える大人の歌が我が子を包み込むかのように、ふっと温かくなった。
 「青」という色をめぐる清水さんの豊かな言葉が、人の心を動かし、歌声を変えてゆく。そこに大人も子どももない。言葉と音楽は、かくも深く響き合うものなのか!
 清水さんは最近、エッセー連載などを「合唱指揮者という生き方 私が見た『折々の美景』」にまとめ出版した。作曲家、三善晃さんのエピソードが印象的だ。
 三善さんは、素晴らしく精密な演奏をする中高生の合唱団の演奏を聞いたあと、こう語りかけたという。「皆さんが美しい声で歌うだけではだめなのです。音楽は、皆さんが演奏した音の中で、聴いている人たちが、生きられなければならないのです」
 その場に居合わせた当時、まだ23歳の清水さん。相手が中高生でも容赦なく本質に切り込む三善さんの姿勢に驚きつつ、何十年間もこの言葉を胸にあたため続けてきた。そして還暦を迎えた今、<(この言葉は)音楽家として生きていく私の、これからを磨き続けてくれる大切な路標です>と同書に書いている。
 音楽が言葉を生み、色を与える。言葉が音楽の色を豊かに、あざやかにする。合唱は、音楽と言葉の幸せな“出会い”に満ちているのだと、あらためて清水さんに教わった。(オピニオングループ)

(転載終了)※   ※   ※

 不思議なくらい、合唱は生き物である。
 指揮者によって同じ人たちが歌っているとは信じられないくらい、変わる。そんな現場にいられること、身を委ねられること、というワクワク感が何よりの魅力であり、それを知ってしまうと止められないのだろうと思う。イチ+イチが2どころか無限大になる。
 指揮者がタクトを上げた時にさっと変わる空気がたまらない。

 もちろんこれは合唱だけに限らず、管楽器でも弦楽器でもどんな演奏でも言えることだろう。ブラバンを経験した私はそのことも重々承知している。けれど、こと合唱にはメロディに言葉がつく。言葉を音に載せて伝えることの醍醐味がある。

 若い時に比べて高い声はそうそう出なくなっているけれど、アラ還になった今、それなりに人生経験を積んで、言葉にこめられた様々な情感、情景の共感力は増したように思う。そして、指揮者から伝えられる言葉の解釈についても。若いことは素晴らしいけれど、齢を重ねるのも悪くない、そう思える瞬間だ。

 楽器は楽器がなければ演奏できない。一方、歌はいくつになっても、身体が楽器だ。身体さえあればどこででも歌うことが出来る。病とともにありながら、世代を超えた仲間たちとともに歌える幸せに思いを馳せながら、体調を整えて練習に向かいたいと思う。

 さて、体調のこと。相変わらずお腹は緩いし快腸というにはちょっと苦しいけれど、水様便が午前中ずっと・・・ということはなくなってきた。地道に3度3度ミヤBMを飲んでいるからだろうか。軟便から泥便くらいで留まることが多くなってきた。
 手足の痺れや痛みについても目立った改善は、ない。けれど悪化もしていないと思う。大分今の状態(腿等の違和感等)に慣れたということかもしれない。低空飛行なら低空飛行なりに折り合いをつける。そのやり方を身体が学んだらしい。本当に人間って上手く出来ていると思う。これも漢方2種とビタミン剤を諦めずに飲んでいるからかもしれない。

 美味しく食事が出来て(ちょっと油断すると、あっという間に酷い下痢になるので腹八分目、これを徹底しているのが良いのかもしれない。)、良く眠れて(涼しいせいか寝ても寝ても眠い。)、普通に仕事に出かけて帰ってくる(座っているだけで気持ちが悪くてだるくて、午後からほうほうの体で帰宅する・・・ということがなくなった。)ことが出来る。しかも合唱の練習まで行きたい、待ち遠しいという気分になっている。治療を続けられること、普通の日が送れること。本当に有り難いことである。

 青空が恋しい、と思っていたら今日のお昼休みは少し陽射しが出た。ずっと梅雨寒に慣れていた身体に蒸し暑さは堪えた。雨ばかりだと文句を言い、暑くなれば暑いと文句を言い・・・ではいけないのだけれど。

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