ロッキングチェアに揺られて

再発乳がんとともに、心穏やかに潔く、精一杯生きる

2020.10.27 エンハーツ5クール目 さらに減量初回投与20日後のこと 祝・ブログ開設11周年!新たな2年目へ

2020-10-27 22:48:40 | 日記

 自分で「祝!」もないものだが・・・、の書き出しで毎年書いてきた10月27日の記事。今日は11周年、新たな2年目への始まりの日である。

 開設からの日数は4,000日を超え、4,023日。その間、2,958の記事を書き続けてきた。今日で2,959番目の記事になる。もうすぐ3,000である。
 これまでに見て頂いた頁は延べ5,448,465頁、訪れてくださった方は延べ1,742,248名である。

 昨年の記事によると、10年間で記事の数は2,712だったので、この1年で書いた記事は247ということになる。更新ペースは相変わらず3日で2つ程度だ。何ら特別なネタもなく、治療を続けながら平々凡々な暮らしをしているアラ還女性だと考えれば、まずまずだろうと思う。

 12年半にわたる通院化学療法を続け、仕事も趣味も諦めることもなく、もちろん治療後の体調不良はあるけれど、私にとって普通の生活を送ることが叶っている。
 定年まであと1年半。再発当初、このブログを綴り始めた頃には到底叶うことのない希望だろうと思っていた。けれど、この大きな目標達成が射程距離に入ってきた。頑張ってくれている私の身体の底力と環境に、家族、友人、職場の方たちを含めた沢山の方たちに支えられてこれまで命を繋いでこられたことに、今年も素直に感謝したい。

 ブログを綴ってきたこの11年の間には、言葉には尽くせないこと、ブログには書けないことも多々あった。今はエンハーツが奏功してくれているけれど、その後について冷静に考えれば、まだ使ったことのない、使える可能性のある薬はタキソールだけではないか。現在これだけの手足の痺れがあって、果たしてタキソールを使えるのかもわからない。文字通り後がなくなってきている。

 同じ病の友人を今年もまた見送った。不謹慎な言い方を承知で誤解を恐れずに言えば、“そして誰もいなくなった”という状況である。深く付き合えば付き合うほど別れが辛くて、もう新しい再発仲間は作りたくない、と思った時期もあった。今もその気持ちは続いている。

 けれど、再発治療を始めた頃のような「何が何でも今はまだ死ねない」という切羽詰まった悲壮感はなくなっている。息子がなんとか自立してくれたことによる安堵と、ヨーガの智慧、そして私なりに私らしく日々精一杯生き切れていると体感出来ているからだろう。心は穏やかで、凪いでいる。有難いことである。
 今、自分が出来ることを精一杯やったら、後は世界に委ねる。あらゆることはなるべくしてなる、そして、それはきっと最善の結果になる、と信じるだけで良い。肩の力はふっと抜けてとても楽になっていく。

 今年は、コロナ禍のため、10年にわたり参加してきた母校の校友会音楽祭は中止となった。合唱は夏から秋にかけて期間限定の4か月間の活動だったからこそなんとか続けてこられたのだけれど、今年はすっかり遠ざかってしまった。
 それは関西在住で社会人合唱団に所属する息子も同じ状況のようだ。
 とはいえ、例年、先週あたりが本番だったことを考えると、7月からエンハーツの治療が始まり、その中で月2回程度コンスタントに都心に練習に通うのは体力的にも体調的にもおそらく難しかったと思う。
 来年こそはと思うけれど、果たして復活出来るだろうか。

 週末はGoToトラベルを利用して、近県に1泊ずつのショートトリップをして、すっかり英気を養った。
 今日は出勤、あれこれ仕事に追われ、夜は頑張って骨盤均整ヨガのクラスに参加した。夫と合流して夕食を摂り、明日の治療に備えて病院最寄り駅まで移動して前泊だ。
 2日間大きなお風呂で手足を伸ばせたので、今日は久しぶりに大浴場付きではなく、今秋オープンしたばかりの新しいホテルを予約。どこもかしこも綺麗で気持ち良い。素敵なレストランもあるのだけれど、コロナ禍で休業中とのこと。残念。
 
 ともあれ、今年もこうしてこの日が迎えられたことの喜びを改めて思う。11周年。ここまで続けてこられるとは思わなかった。
 昨年も書いているが10年一区切りとすれば、明日から2度目の2年目が始まる。頑張りすぎずに頑張って、ゆっくりとでもその歩みを止めない来年の干支、丑年の私らしく我慢強く地道に生きていきたいと心に誓い、全てのことに感謝する今日10月27日である。
 

コメント (3)
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