ロッキングチェアに揺られて

再発乳がんとともに、心穏やかに潔く、精一杯生きる

2024.3.30 フェスゴ2回目8日後のこと 旅は5日目 40年ぶり花の都、フィレンツェへ これまたリベンジ大成功!

2024-03-31 06:59:59 | 

 昨夜は、レストランから戻ったらもうヘトヘト。入浴後はバタンキューで、今回の旅で初めて夫の鼾を聞かずに先に眠りについた。そして夜中3時半過ぎまで一度も目覚めなかった。初の5時間連続睡眠。
 ちょうどその時間は夫も目が覚めていたようでガタガタしていたけれど、そのまま二度寝に成功して、プラス2時間。睡眠負債を若干返上出来た。部屋の空調がまともに働かず何やら空気がよどんで暑苦しく寝苦しかったわりには、合計7時間近くの睡眠がとれた。

 今朝、スマホアラームですんなり目が覚める。6時起床、7時スーツケースの部屋出しと朝食、8時20分集合のスケジュールだ。ポーターさんに大きな荷物を運んでもらえるのが有難い。とにかく手指が痺れて痛み、寝ている時にも手袋を外していない。
 ベッドにいる間は手を休ませていられるので、痛みが和らぐ。が、いざ、起きてちょっとスーツケースのベルトを触ったりするだけでいきなり辛くなる。今回はパッキングも全て夫任せの使えない私である。

 レストランに降りて朝食。ぼちぼち私達のグループの方たちが下りてくる。オープンとともにレストランに入り、今日はワッフルとパンケーキをリクエスト。アツアツで美味しかった。添乗員のTさんとお隣のテーブルであれこれお喋り。コロナが始まった頃、シチリア島でロックダウンに遭い、4日間ホテルに缶詰めにされた話などを伺う。今は昔、のような3年間だったようだ。コロナ前とコロナ後で海外ツアー料金は5割増しだそう。なるほど、息子を連れて2回旅した時の3人分と今回の2人分が同じということだ。

 今日は水上タクシーがホテルに横づけしてもらえるとのこと。迷路のようなびしょびしょの小径を、傘を差して寒さに震えながらとぼとぼと歩いた一昨日とは打って変わった快適な出発だ。一足先にスーツケースだけが別ボートでバス駐車場まで送られるとのこと。6人乗り一艘目のボートに乗り、揺られること20分ほど。寒くなく暑くなく快適な船旅だった。
 さようなら、ヴェネツィア。中央駅の電車やモノレールを見ながら、新しいバスに乗り込む。

 今日は午前中にフィレンツェまで移動する。およそ3時間半、250㎞の旅だ。ミラノからヴェネツィアまでは東に進んだが、これからはどんどん南下していく。
 1時間半ほどでお手洗い休憩を兼ねてお土産店に立ち寄る。一人の日本人男性が案内してくれる。主にチョコレート等お菓子やパスタ等の扱いだったが、なかなか触手を動かされるほどのものが見つからず、30分ウロウロしただけで売り上げには貢献せず、申し訳ない。

 それから2時間弱、またしても眠くてたまらなくなって、船を漕ぎつつフィレンツェに到着した。窓の外の景色は糸杉、ブドウ畑、オリーブの木。この3つがトスカーナ地方の特徴だそう。イタリア人は都会で働き、こちらに別荘を持ってバカンスを過ごすのが憧れだという。
 ミラノとヴェネツィアの最初の日の寒さと雨は去り、こちらは20℃を超える気温だ。曇っているけれど、日中はコートも要らない感じ。それにしても実に人が多い。

 フィレンツェを訪れたのも卒業旅行以来のこと。その日は楽しみにしていたウフィツィ美術館が急遽休館になって鑑賞できずじまいだった。そのため、今回はゴンドラ乗船に続くリベンジである。
 
 まずは宿泊するホテルに観光に不要の手荷物を置き、身軽になってレストランへ向かうという、ヴェネツィアと同じパターンだ。宿泊客以外は市街地に車で入ることが出来ずに、遠い駐車場から延々と歩かなければならないそうだ。なるほど市内を流れるアルノ川沿いの道を歩いている人が退きも切らない。
 美術館入館でセキュリティチェックがあるので水は置いていきましょう、と言われ、後に喉の渇きでかなり苦しむ羽目になる。

 歩いてお昼のレストランまで。メニューはトスカーナ郷土料理でトマトとパンの濃いスープ、牛肉のタリアータ、クリームのケーキ。スープだけでお腹が一杯になり、苦手な牛肉攻撃に閉口し、ケーキも甘すぎて完食できず。
 ここで午後の市内観光を担当されるガイドYさんがお迎えに来る。訊けばコロナ後、レストランの料金は4割増し位になり、普通のイタリア人はほぼ外食をしなくなったそうな。道端でサンドイッチやパニーニを頬張る人たちが多い。

 観光は3時間コースで全て徒歩である。まずはベッキオ橋まで歩く。左右とも宝石やアクセサリーのお店が軒を連ねている。ここは40年前も歩いたけれど、こんなに綺麗だったかしら、と記憶がかなり曖昧だ。橋から望むバラ色の綺麗な街並みに改めて唸る。

 予約済のウフィツィ美術館へ。荷物のセキュリティチェックを終えて、音声ガイドのイヤホンをセットし、3階までエレベーターで上がって、鑑賞スタート。ウフィツィとはフィレンツェ王国の行政局(オフィス)が置かれていたのでついた名前という。メディチ家の財力を結集したルネッサンス美術の宝庫だ。
 ボッティチェッリの「ヴィーナスの誕生」、レオナルド・ダ・ヴィンチの「受胎告知」、ラファレロの「ひわの聖母」等美術の教科書に載っている絵画が本当にごくごく近くまで寄って観ることが出来る。さすがにあまり近づきすぎると赤外線が反応し、あちこちでブザーが鳴っていたけれど。

 2階に降りると、カラヴァッジョの作品が集中している。ちょっと悪趣味な「メドゥーサ」なども間近に。
 この見学を1時間半ほどで、というのに大分無理がある。だんだん疲れてきて階段を下りながら顎が出る。 階下のブックショップでポストカードを数枚買い求め、お手洗いを済ませて外で再集合。

 賑やかな通りをスリに注意しながら歩き、明日の自由行動のために美味しいジェラート屋さんやレストラン等を教えて頂く。ほどなくフィレンツェの象徴、花の聖母教会ドゥオーモに到着。
 明日は復活祭で、教会内ではその準備が行われているということで入場はなし。復活祭は、春分の日の後の満月の後の最初の日曜日。移動性の祝日で、今年は大分早くに当たるようだ。明日からは夏時間ということで、早朝の2時から3時の間が1時間飛び、日本とは7時間の時差になる。そんなタイミングを旅の間に迎えるのも何かのご縁だろう。

 ゆるゆると歩きながらシニョーリア広場へ。かつて、そして今もフィレンツェの地行政の中心だ。広場はヴェッキオ宮と沢山の彫刻が並ぶ彫刻廊から成り、さながら屋外美術館の趣だ。ダビデ像はコピーだというが、その存在感はかなりのもの。
 水分補給も出来ず、スリに注意しながら石畳を歩き続け、足裏の痺れはだんだん膝の上まで上がってくる。

 最後に皮革店に案内されて30分。もう店内を物色する元気はなく、2階に上がってソファに座ってがっくりするだけ。夫とは「東南アジアだったら、お店に入ると冷たいお茶のサービスがあるよね」、などと憎まれ口を叩く始末。今回は11日間の長めのツアーだから、現役で働いているとなかなか参加しにくい。そのため、参加者は殆どがリタイア組のシニアである。5組の夫婦のうち、女性ではどうも私が一番若い、というレベル。
 なので、皆さんかなりお疲れのご様子だ。そうはいうものの買い物をしておられる2組の方を待ってホテルに戻る。

 既に部屋にはスーツケース等が運ばれ、手荷物だけ持って部屋にチェックイン。川沿いのホテルなので見晴らしを期待したけれど、残念ながら窓の外はパティオしか見えなかった。
 1時間もない休憩時間でざっと荷ほどきを済ませ、夕食へと繰り出すため、ロビーで再集合。
 今夜は地元で人気のレストランで、こだわりディナーフルコース。アンティパストのブルスケッタだけでその量にのけぞり、プリモピアットのタリアテッレトマトパスタでもうお腹一杯の中、さらにセコンドピアットに牛肉の煮込みが出てきてノックアウト状態。

 牛肉は夫が茄子のようだというのでトライしたが、一口食べて終了し、付け合わせのローズマリーポテトだけもそもそと頂く。デザートにはアップルマフィン、食後はカプチーノ。やはり体力がないと食事は出来ないと改めて思う。私達は7時スタートだったが、周りは8時、8時半からスタートするグループが多かった。今日は土曜日、明日は祝日とはいえ、なかなか夜更かしである。

 再び歩いてホテルに戻ってきた。本日も軽く1万歩を超えた。
 明日も体調管理のためには貴重な自由行動日。特に予定もなく、ゆっくり起きてゆっくり朝食。界隈を散策するだけで十分だと思っている。

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