電網郊外散歩道

本と音楽を片手に、電網郊外を散歩する風情で身辺の出来事を記録。退職後は果樹園農業と野菜作りにも取り組んでいます。

ドヴォルザーク「交響曲第3番」を聞く

2006年09月02日 17時12分13秒 | -オーケストラ
ラファエル・クーベリック指揮ベルリンフィルによるドヴォルザークの交響曲全集から、交響曲第3番変ホ長調Op.10を取りだして聞いています。若い時代の作品ですが、クーベリックの指揮により、とても魅力的な音楽になっています。

第1楽章、アレグロ・モデラート。出だしの若々しい印象的な主題が、前向きに次々と変奏される、力のこもったソナタ形式の音楽になっています。
第2楽章、アダージョ・モルト、テンポ・ディ・マルチア。やや悲劇的な音楽。行進曲というよりも、むしろ葬送の音楽の風情。この楽章の長さは「エロイカ」を意識したのでしょうか、それとも民族的な、あるいは何か個人的な感情でしょうか。
第3楽章、アレグロ・ヴィヴァーチェ。前の楽章から一転して、ティンパニが決然と晴れやかに楽章を開始し、舞曲のような軽やかな展開。「栴檀は双葉より芳し」という言葉がありますが、双葉と言うにはすでに充分に経験を積んだ30代の音楽家です。ドヴォルザークらしさがいたるところに現れています。

Wikipedia「ドヴォルザーク」(*)によれば、作曲年代は1873年頃だそうで、長年の国民劇場ヴィオラ奏者としての生活を打ち切り、教会のオルガニストとなった最初の結婚の時期の作品とのこと。その後1875年に、本作品等の提出によって、ドヴォルザークは年収の数倍にのぼる奨学金を受け、創作に力づけられたといいます。技術の研究開発にあたる若い人が、企業や学会等の奨励金を受けることを思うと、涙が出るほどありがたいものです。若いドヴォルザークも、きっと発奮したことでしょう。

後年の作品と比較すると、緊密感の面では様々な指摘もできるのでしょうが、むしろそれ以上に、30代のドヴォルザークの精進ぶりが思われます。かつて出稽古でピアノを教えた金細工商の娘のうち、失恋を経験した姉のほうではなく、八年ぶりに再会したとき19歳のアルト歌手となっていた妹が新妻として寄り添います。スメタナの指揮で初演されたこの作品が、ワーグナーの影響の強い時代に、作曲者本人の個性や美質よりも、誰か先人の影響を探されてしまうという不幸に遭遇しなければならなかったことは、やむをえないことかもしれません。ノーベル賞級の研究や独創的な技術開発でさえ、その時代には理解されるとは限らないのですから。それを思うと、若く貧しく才能のある音楽家ドヴォルザークにとって、作品を評価し推薦し励ましてくれたブラームスの存在は実に大きかったと思います。

■クーベリック指揮ベルリンフィル (独グラモフォン 453 161-2)
I=11'56" II=17'55" III=8'13" total=38'04"

(*):Wikipedia 「アントニン・ドヴォルザーク」
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