諸行無常なる日々。或いは鬼渡神と神々の源流。

呪われた家系を生きる私の人生観や日常。それに立ち向かう為の神道的な考え。そして因縁の鬼渡神、神々の源流について考えます。

台湾で震度6強の大地震。沖縄では津波が到来。世界は直ちに中国による台湾侵略に備えよ。

2024年04月03日 10時47分47秒 | 東日本大震災
日本って地球の臍と言うか、不思議な地形をしていると思います。変だと思いませんか、日本列島は世界の大陸を縮小した形なのだから。

北海道は北アメリカ大陸。本州はユーラシア大陸。四国はオーストラリア大陸。九州はアフリカ大陸。地形も配置も気候も似ています。不思議なもんです。

「あれっ、南アメリカ大陸はどこに行ったんだ」っと思うでしょ。私的には配置は離れますが、台湾が南アメリカ大陸だと思えます。台湾程、日本に友好的な国はありませんから。

その台湾に本日午前9時頃、マグニチュード7.7で震度6強の直下型大地震が発生。沖縄にも3メートルの津波の到来が予想されています。沖縄の震度は最大で4だったみたいです。

付いていない時に付いていない事が起きましたね。今現在、中国共産党は台湾侵略を真剣に考えてている筈です。今が絶好のチャンスですから。

中国が台湾の侵略開始時にはアメリカ、イギリス、台湾、日本等の海軍が100艇の戦艦を並べてバリケードする計画になっていましたが、今、それを決行するのは難しい。

中国海軍が襲って来るかも知れない。でも、今回の地震で台湾軍も早急に対処するのは難しい。切羽詰まっている習近平は、ここをチャンスとばかり侵略開始するかも知れん。

取り敢えずは中国が侵略開始すると考えて、軍事的に対応準備するべき。

特に日本はこの機に乗じて沖縄にも侵略されるから注意しなければ。首長自体、中国の走狗となっている。あのバカが手引きするかも知れん。

日本は最重要警戒しなければならない。

津波よりも中国の侵略に。


ではでは。




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今、仙台は震度4。

2024年03月15日 00時36分06秒 | 東日本大震災
あっー、鬱が酷いのに今、震度4の地震が発生。3階だから結構揺れた。何時もの様に液晶テレビに走り手で押さえた。地震は45秒ほどだが長く感じた。

地図で震源地を見ると私の故郷、福島県いわき市沖じゃないか。震度5弱じゃないか。

分かっているんだよ。3.11以降、3月に地震が集中するのは。2年前も仙台に震度6強が来たし。

それにしても鬱+地震はキツイ。鬱Maxになる。また薬飲んじゃったよ。そして「止めてください、止めてください。止めてください、止めてください」と連呼。

こう声に出して連呼して地震の神にお鎮まりを願うと、収まると私は思っている。狂人と思って貰って結構だが。

何か、段々、震源地が下がってきている感じがする。次は茨城。その次は千葉。そして最後に関東大震災が来るのではないか。

これを知る人は少ないと思うが、関東大震災は長年、強弱を繰り返して発生している。

実は前回の関東大震災は弱だったのである。次に来るのは強なのである。

今の地震、余震じゃないよね。仙台は地震のメッカだから心配だよ。バッキィー、ガッシャン、ガッシャン、ガッシャンと来ないよねぇー。

地震は嫌だねぇー。

何かもう、寝られないよ。本当に地震は嫌だねぇー。


ではでは。


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震災は誰のせいでもない。能登半島大震災被災者は、イライラして人に当たってはいけない。人としての尊厳を持て。

2024年01月18日 18時56分07秒 | 東日本大震災
あっー、重度のHSPなので能登半島大震災の惨状を見ると、その場にいた人の状況が心に入って来て鬱が酷くなります。

今年は脱抗鬱剤を誓っていたのですが、私も東日本大震災の経験がフラッシュバックして、抗鬱剤を飲まなければ辛くて仕方がない。

悪い言い方ですが、能登半島大震災は他人事だと想えば鬱にならないと思うのですが、どうしても東日本大震災の絶望感が蘇る。こう言う時は抗鬱剤を飲むしかない。心がこれ以上駄目にならない為に。

さて、言いづらい事をまた言います。東日本大震災での出来事です。宮城県ではそこら辺から怒号が聞こえていました。

ガソリン5ℓを買う為に、ガソリンスタンドに5時間並んでいたのですが、決められた5ℓが少な過ぎるとスタンドの店員に暴言を浴びせる者。

スーパーに窃盗に入ろうとして警備員と喧嘩をする者。スーパーのレジでレジの店員に「計算が遅過ぎる」と言って怒鳴っている者。

暫くはスーパーで独り言を言い続けたり、クルマに乗っていて奇声を上げ続けていた者も多く見かけていました。

人に自分の怒りをぶつけたいと言う低レベルの人が大勢いたのです。仙台人が特にそんな資質があるのかも知れませんが、日本人も褒められた民族じゃない。人なんか大したことは無い。私は東日本大震災でそう思いました。

これは私は見ていません。聞いた話ですが、津波被害地では自衛隊の隊員に食って掛かる者が大勢いたそうです。

「こんなとこで休まずに作業をしろ。道路を確保しろ。潰れた家を何とかしろ。行方不明になっている者を探せ」等々。

自衛隊はしっかりやっていますよ。でも動き続ける事は不可能。休息も必要。それを許さない津波被害者。被害者だからと言ってた当たり散らすのは悪だと思います。

私、津波被害地にバイクを飛ばし現状を見たのですが、自衛隊員は横一列に並び、棒の様なものを持って土に突き刺して、埋もれた津波被害者を探していました。あの作業は見ている方も辛い。やっている方はもっと辛い。

辛いことをしている自衛隊には感謝しかありません。それなのに自衛隊に八つ当たりした者が大勢いた。

自衛隊員でも自分の家族が被災した人もいた。家族が行方不明になっている人がいた。其れなのに黙々と自分の仕事をしている。そんな自衛隊員にも罵声を浴びせた者がいた。

震災時は誰だって辛かった。自分だけが辛いのではない。全員が辛かった。

「それなのに自分だけが被害者だと想うんじゃねぇーよ。皆、辛いんだよ。甘えるんじゃねぇーよ」と思ったもんです。

そんな私でも東日本大震災での鬱を引きずっています。これからが大変ですよ、家や職を失った人達は。

最初はホテルや体育館での避難生活となるでしょうが、他県への移住する人も出て来る。

東日本大震災では東京電力から多額の補償金が出たとかで、移住先の人から悪意の目で見られたりもしました。

心が狭い日本人は大勢います。そんな輩との戦いの日々も経験します

辛いのはこれから。誰しも少なからず鬱が降ってきます。

それは自分の心が駄目なのではない。人として優しい心を持っているから鬱が降って来るのです。

私、大変後悔しています。早いうちから心療内科・精神科で治療していれば良かったと。

コロナ禍で日本中の心療内科・精神科では患者で溢れていると思いますが、私の住む仙台市の心療内科・精神科は、新規患者を普通に断っています。患者が多過ぎて治療が受けられないのです。評判の悪い心療内科・精神科でもです。

それは私みたいに、東日本大震災を引きづている人も多く居るからだと言えます。

心が辛ければ病院に行くべきです。早期治療していれば、私も鬱がこれほど酷くならなかったと思います。

それと優しい心を持った人との会話も心を救います。私の周りは心が腐った者だらけでしたが、そんな者とは付き合わず優しい人を友としてください。そして乗り切ってください。

薬も必要です。辛かったら薬の力も借りましょう。心が腐ってからでは遅いですので。


ではでは。






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震災後、怖いのは事故死と言う名の無意識の自殺。

2024年01月12日 19時32分04秒 | 東日本大震災
能登半島地震で家族7名を亡くした男性がいます。60代後半なのかと思ったら、私よりも若い52歳でした。

正月に妻の実家に帰省していて、妻の両親と妻、そして4人の子供が震災の犠牲となった。

こういうのに私、やられます。分かっているのです。鬱の人は他人事とは思えない。被害者の感情が自分の心に入って来てしまう。同情して鬱が深まる。

「所詮は他人事」と思えるようになると、鬱病は回復基調にあるらしいです。

それって人としてどうなのか。そんな冷たい心で良いのか。

良いのかも知れませんね。同情しても亡くなった人が戻って来る訳でもないし、何も進展しませんし。

「あの時、こうしていれば。その場所に行かなければ。帰省しなければ。瓦屋根を変えていれば。」等々、悩んでも仕方がない事を悩み続ける。それは生きながらの地獄だと思います。

だったらどうすれば良いのか。

宮城県の東松島市で「青い鯉のぼりプロジェクト」が毎年開催されています。

主催者の青年は3.11の津波で4人の家族を亡くした。

亡くなった末の弟は青い鯉のぼりが好きだった。それで毎年3月11日から5月5日まで、青い鯉のぼりを持ち寄って天空を泳がせようと言う企画です。津波で亡くなった人への鎮魂の想いが込められています。

この主催者の青年は祖父母と母親そして末弟を亡くした。残ったのは父親と直ぐ下の弟。しかし、新たな悲運が訪れた。震災から9年後、直ぐ下の弟がバイク事故で亡くなったのです。

臨床心理士は私に「事故死は半分自殺」と言いました。私も父を亡くしてから3度バイクで事故を起こしそうになり、2日続けてクルマをぶつけています。
私、半分死んでいる状態だった。だから事故を起こしたのだと思えます。

これは不味いと思い、暫く引き籠っていました。引き籠って考えていましたが、いくら考えても答えなんて出ません。何を考えているのかも分かりません。

私、こんな神道を冠したブログを書いていますが、その一番の理由は事故死した従兄弟を生き返らせたいとの思いがあったからです。でも、それは無理な話。

だったらこっちから死んで会いに行くか。

そう考える人も多いでしょう。其れも良いのかも知れません。人生の隅々まで知ったのなら、自ら死を選んでも良いのではないでしょうか。

私はまだ知らないことがあるから、苦しいながらも生きている。そんな感じですが、これ以上の苦しみや痛みが加わるのであれば、死を選ぶかも知れません。否、大抵の人は死を選ぶのではないでしょうか。

うーん、何時もながらタイトルから逸脱しちゃいました。震災死に話を戻します。

大変酷な言い方だと思いますが、震災で家族を亡くした方は、どうせ人間、何れは死ぬのですから、「自分なりに納得して生きてたいから、もう暫くこっちにいるよ。死んで会える日を楽しみにしているよ」、っと言う気持ちが必要なのかも知れません。

何時までも死者の心に寄り添っていたなら、ボンヤリししてしまう。そして事故死してしまう。

そうなったら震災で亡くなった家族はあの世であった時に、「何やってんだ、馬鹿」とでも言いたくもなるでしょう。

人間、何れは死ぬ。もしかしたら死の国は現世よりも良い所かも知れない。楽しい所かも知れない。本当に天国なのかも知れない。

そう思って残りの人生を歩むしかないのではないか。また会える日が来ると思って。

急ぐことは無い。人は何れ死ぬのです。ゆっくりと死に向かって歩んでいきましょう。道端の花をめでり、山川の風景を楽しみながら。

亡くなった者はあの世で楽しくやっている。自分もその中に入る日を思い浮かべながら、ゆっくり歩いて行けば良い。

人生って案外、そんな感じなのかも知れませんよ。


ではでは。



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古くからの重い瓦を屋根から外していたのなら、能登半島大地震で亡くなる人も大幅に減った筈だ。。

2024年01月09日 13時58分05秒 | 東日本大震災
正月3日、友人の神社に初詣に行ってきた。友人の神社、何時の間にかリノベーションが完了していました。

それで今回の能登半島地震の話をして神社の施設を見る。黒い瓦が乗っている。

私は言いました。「よく東日本大震災の時、そんな重い瓦を乗せていてよく建物が持ったなぁー」と。

東日本大震災の時、重い瓦を乗せた古い家は多く潰れていました。神社だからしっかりとして造りなのでしょうが、耐震設計している訳ではない。仙台では珍しく地盤が強固な場所に神社は建立されていますが・・・・。

そしたら友人は言いました。「3.11東日本大震災の2ヶ月前、また宮城県沖地震が来ると言われていたので、軽量瓦に全部買えた。変えて直ぐに東日本大震災が来たから、本当に変えて良かった」と。

実は友人の神社、地震の神である鬼渡神を祀っています、そして兄弟神である火事を防ぐ釜神も。私はその御利益だと確信しました。

宮城県民は3.11東日本大震災の前に、宮城県沖地震を経験していた。その時も塀が崩壊して亡くなった人が出ていた。それで塀に鉄棒を入れたり、建物をリノベーションし耐震性を高めていた。

宮城県沖地震以降建設された建物は耐震設計になっていた。それでも被害は酷いものでした。

震災で潰れた家は多くあった。それは豪農が昔に立てた建てた豪華な屋敷です。

立派な木をふんだんに使って建てています。宮大工が建てたであろう家です。今の時代、あのレベルの家を建てたらとんでもない費用が掛かります。

しかも宮城県沖地震にも耐えた。大地震があっても十分耐えられると確信していたと思われます。

しかし、3.11は宮城県沖地震の比では無かった。私もあれ以上の大地震が来るとは思わなかった。津波も原発崩壊も考えられなかった。

3.11東日本大震災ではそれらの家々も潰れました。一番の原因は重い瓦です。

元々は田圃に建てられた家だったので地盤が悪い。重い瓦は上部に重心がある。東日本大震災には耐えられなかった。それで亡くなった人も多かったのてす。

人間、想像の範囲なら対応は出来ますが、それを超えたら脆いものです。

能登半島にも近年地震は来ていましたが、まさか震度7の大地震が来るとは思わなかった。それは仕方がないのかも知れません。

ただ、古くからの重い瓦を外していたのなら、助かっていたのかなぁーと思うと大変残念ですね。

多分、地震の専門家は能登半島に震度7の大地震が来る可能性は、知っていたと思えます。

行政はその面で注意喚起と,耐震に対する補助をしていなかったのでしょうか。

輪島市の萎びた町並みは風情があっても良いですが、軽量瓦にするなり、瓦を外しガルバリウム鋼板にしていれば、家が潰れて亡くなる人も助かった可能性があったと思います。行政が音頭を取って対応していればと思うと大変残念です。

まっ、今は50年の耐久性がある屋根も出ています。ガルバリウム鋼板に変えるのであれば、それほど費用はかかりません。

行政が積極的に動いていたら、全壊の家も少なかったと思います。亡くなる人もです。

東日本大震災から学んでいなかった。大変残念ではありますか、その点は行政の大失態だと思います。


ではでは。


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