諸行無常なる日々。或いは鬼渡神と神々の源流。

呪われた家系を生きる私の人生観や日常。それに立ち向かう為の神道的な考え。そして因縁の鬼渡神、神々の源流について考えます。

日本のど真ん中に鎮座する鬼渡神。その15

2024年03月20日 11時46分54秒 | 神道
続きます。

っと言う事で地震、津波、災害の有る所、鬼渡神社有りだと私は考えています。

鬼渡と言いましても仁和多利、二渡、三輪渡、根渡、荷渡、三渡の神社、権現、観音として祀られていますが・・・・。

私、震災後、宮城県の南三陸から福島県の勿来まで、海岸線の神社の参拝旅行をしたことがあるのですが、大抵の神社は津波を逃れています。

数社、津波の被害を受けた神社も存在しますが、それは移転されたケースが大半。

東北では日本三大稲荷に数えられている竹駒神社などは、鳥居前まで津波が迫りましたが全然大丈夫。

それだけではない。古代からの街道とされて、仙台市から東京都までの海岸線を走る国道6号線もギリギリで被害が無かった。

それだけではない。太白山や鹿狼山の頂上に座して、長い手を海まで伸ばし貝を拾って食べていた手長の伝説があります。

太白山や鹿狼山の麓には山なのに貝塚が存在します。そこから太白山の手長は閖上の貝を。鹿狼山の手長は新地・松川浦の海から採っていたと考えられた。

これは古代の人は海と山に別れて住み往来があった。或いは海で漁をして魚介類を、山まで運んでいたと考えられます。

理由はやはり津波が考えられます。閖上も松川浦も津波の被害は甚甚大でしたから。

東日本大震災では岩手から千葉までの海岸線に津波が押し寄せました。その津波に合わせるかのように、手長足長、そして鬼渡系の神社が祀られている。

ここまでくると偶然には思えません。

そして日本のど真ん中、皇居、江戸城にも鬼渡神は祀られている。祀ったのは太田道灌だと思われますが、地震、そして津波を恐れて祀っていた可能性は有り得ます。

そして気を付けて欲しいのですが、大正12年に発生した関東大震災は古代から強弱を繰り返して発生しています。前回の関東大震災はあれで弱なのです。次に来るのは強なのです。

前回の関東大震災は東日本大震災程では無いですが津波が到来し、かなりの被害を出しています。

次来るのが強だとしたら、東日本大震災級の津波が来る。そう考えていた方が良いです。

日本のど真ん中東京に、震度6強、震度7の地震が来る。大変な事になりますよ。

現に鎌倉の街にも大津波が押し寄せています。津波が大仏殿まで流したと言う話は俗説みたいですが、本当に注意すべきです。

東日本大震災級の津波が来たら、死者2万人程度では済みませんから。


ではでは。

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日本のど真ん中に鎮座する鬼渡神。その14

2024年03月19日 08時30分27秒 | 神道
続きです。

志波彦神社・塩竃神社、鹿島神宮、香取神宮に植えられている桜。桜は疱瘡神の眷属を意味する。何故、これらの神社に桜が植えられているのか。

昔から怖いものと言ったら「地震、雷、火事、親父」なんて言われてますが、古代人は知っていたと思います。地震が来たら津波が起こる。津波が通ったら疱瘡が蔓延すると。

つまり、地震や津波で亡くなった人々の遺体がそそまま放置されて腐り、病原菌が発生。それが蔓延し死者が出る。それに古代人は恐怖していたと思えます。

先に縄文時代、日本で一番人口が集中していた地域は鹿島神宮、香取神宮がある千葉県、茨城県。次いで現在の仙台市、多賀城市、塩竃市と申し上げましたが、大地震と津波により多くの人が死んだ。

その遺体から病原菌が発生し、疱瘡が蔓延。人が住める場所ではなくなった。それて古代人は西に下ったとも考えられます。

今、新手の強力な麻疹が日本に発生していますが、桜の季節は病原菌の季節。疱瘡の季節。

桜が一斉に咲くが如く、広範囲に疱瘡が発生し、桜の花びらが散る如く疱瘡が撒き散らされ、多くの人々が死ぬ。

昔から「桜の木の下には死体が埋められている」と言われてますが、桜は疱瘡で亡くなった人の墓標の様に人々に受け止められた。そんなところからこの様な話が出たのかも知れませんね。

鬼渡系の神社は福島県、宮城県に集中しています。そして鬼渡神は鶏の神とも呼ばれている。

それは疱瘡に掛かり咳き込むの姿が鶏に似ているから。それを裏付ける話として鶏が描かれた絵馬を逆さに釣るし、上から水をかける風習があります。
です。

そして宮城県の白石市の人々は鳥を先祖の姿として恐れていた。鳥を食べることもしないどころか、羽に触れる事も恐れています。

それらは皆、疱瘡を恐れての事です。

他には七五三が疱瘡神への信仰と考えられます。昔は麻疹で子供が多く亡くなっていた。それで3歳、5歳、7歳の度に疱瘡神に参拝して生きながらえたお礼をしていた。

それどころではありません。神社の注連縄は七五三縄とも言います。神社の全てが疱瘡を防ぐ為に鎮座している事も考えられる。子供の麻疹治癒の為に神社に参拝していた。そこから七五三縄と呼ばれるようになったとも考えられます。


続く。






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日本のど真ん中に鎮座する鬼渡神。その13

2024年03月18日 11時43分13秒 | 神道
震度4の地震にぴっくらこいて中断しちゃいましたが、続きます。

さて、そろそろ総括にします。

鬼渡神・阿須波神とは何者なのか。

両親は大歳神・天知迦流美豆姫。

そして兄弟は阿須波神、波比岐神共に屋敷神。

釜神である奥津彦神・奥津姫神。庭神となる庭津日神・庭高津日神。

山神となる大山咋主・香山戸臣神・羽山戸神。

そして土の神である大土神の10神となります。

私的にはこの10兄弟の神々は、同質の神。同神と言っても良いと思っています。

阿須波神・波比岐神は境界線の神。屋敷神、庭神、山と麓の境の神、釜神、大地の神。そして境界線の神ですから岐神。関所の神。そして古代の境界線は川。つまり川神・水神だとも言える。

その点も考えると、坐摩五座神の仲間である御井神、つまり生井神、福井神、綱長井神の三神も井戸の神故、水神。共通点はある。

そして阿須波神・波比岐神共に「波」の字が使われている。

「ハ」の発音は蛇を意味するが、「波」の字が使われているのであれば海神だとも言える。

阿須波神(アスハ)・波比岐神(ハヒキ)。この二神を重ねると発音のニュアンスから荒脛巾神(アラハバキ)となる。

阿須波神は旅立ちの神だから、足には脛巾を付ける。この二神が荒脛巾神を指すのは、先ず間違いないのではないでしょうか。

更に多賀城の荒脛巾神社には塩土老翁・塩土老女が祀られている。

つまり市志波彦神神社・塩竃神社も荒脛巾神社であり、祀っている神は阿須波神・波比岐神ではないかと思えます。

何故、蝦夷達は塩竃の地に阿須波神を祀ったのか。

鹿島神宮、香取神宮の要石によって阿須波神が調伏されているとしたら、それは地震を防ぐ為です。そして3.11の東日本大震災の時、塩竃の街も大地震により津波が発生。街が飲み込まれた。

志波彦神と阿須波神は共に「波」の字が付いている。

古代から塩竃も鹿島、香取の地も地震による津波が発生していた。蝦夷達は恐怖した。

阿須波神の両親である大歳神、天知迦流美豆姫は疱瘡神でもある。

「疱瘡は桜の花が咲くが如く発生し、散るが如く蔓延する」。つまり桜は疱瘡神の象徴。

古代人は疱瘡を目に見えない程小さい鬼と考えた。それは疱瘡神ではない。疱瘡神の眷属である。眷属が疱瘡神の命で疱瘡を撒き散らす。

つまり桜の花びらは疱瘡を振り撒く眷属を示している。

実は香取神宮、鹿島神宮も境内では桜の花が咲き乱れている。

一般的には桜の花びらは眷属。眷属が多ければ多いほど御利益があると考えられている。

だが、塩竃神社、香取神宮、鹿島神宮の桜は疱瘡神の眷属であるなら、何故、その地に疱瘡神が祀られているのか。


続く。




続く。


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日本のど真ん中に鎮座する鬼渡神。その12

2024年03月13日 20時59分28秒 | 神道
計画性の無いまま続きます。

話を塩竃神社に戻します。塩竃神社にはも境外末社として多賀城市に荒脛巾神社が鎮座しています。

祀っている神様、気になるでしょ。何と塩土老翁と塩土老女となります。塩土老女って神道に詳しい人でも聞いた事無いでしょ。私もビックリしました。

荒脛巾神社は福島県の会津にもありまして、やはり塩土老翁や金山彦神・金山姫神が祀られています。

金山彦神・金山姫神を祀ると言えば、宮城県では金華山黄金神社が有名です。仏号は弁才天となります。これ、「荒脛巾神=弁才天」と考えて良いと思います。

実は関東にも荒脛巾神社はあります。氷川神社の境内社としてです。

そして祀られている神は手名稚尊・足名稚尊。手っ取り早く言えば、手長足長と言って良いでしょう。

阿須波神・波比岐神を祀る鬼渡神社は会津に集中します。

そして会津と言えば磐梯山。1800年代に大噴火して490名が亡くなっている厄役山と言えますが、その頂上には磐梯明神として手長足長が祀られています。

そう、鬼渡神は厄が多い地に祀られているのです。

鬼渡神である阿須波神と波比岐神ですが、荒脛巾神は波比岐神を示していると思います。

阿須波神が志波彦神であるなら、塩竃神社では波比岐神は荒脛巾神として離して祀っている。一緒に祀ったらより強力になると考えたのでしょうか。

鬼渡神社は福島県にのみ存在しますが、宮城県には二渡神社として存在します。仏号は仁和多利権現。仙台では縁結びの神として有名な二柱神社も神仏習合時代は仁和多利権現と呼ばれていました。

そして二渡神社は南三陸や牡鹿半島に六社もある。祀られている神は二柱神社同様、伊弉諾尊・伊弉冉尊となりますが、これは田村麻呂時代、或いは源平時代に変えられたと考えます。

田村麻呂の戦も源氏の戦も侵略戦争したのでしょう。です。それでは悪者となってしまう。そこで蝦夷が祀っていた神々を伊弉諾尊・伊弉冉尊に変え、侵略戦争は国産みの儀式だったと苦しい言い訳をしたのでしょう。

ってな事を書くと二柱神社や二渡神社の関係者には申し訳ないですが、私はそう考えております。


続く。



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日本のど真ん中に鎮座する鬼渡神。その11

2024年03月12日 23時21分27秒 | 神道
鬱が酷いですが続きます。

志波彦神とは何者なのか。

宮城県には大崎市と栗原市に二社の志波姫神社が鎮座しています。

大崎市の志波姫神社の祭神はアメノウズメ命。栗原市は木花咲耶姫尊となります。不思議な事に志波彦神とは並んで祀られている神社は存在していません。

アメノウズメ命の夫は猿田彦尊。実は以前、大崎市の志波姫神社のホームページで祭神・アメノウズメ命(猿田彦尊)と記載していたと記憶しています。

どう言う事かと悩みましたが、私が記事にしてから(猿田彦尊)は何故か落とされました。

実は塩竃神社の伝承では塩土老翁は猿田彦尊であるとされています。

そして元塩竃神社と言える鼻節神社は猿田彦尊を祀っているのですが、以前に木花咲耶姫を祀っていた時代があります。

何故、似ても似つかない猿田彦尊と木花咲耶姫命が入れ替わったのか謎です。鼻と花しか共通点は無いです。

それ以上にアメノウズメ命と木花咲耶姫命との共通点も謎。

一つ考えられるのは塩竃神社の神紋・塩竃桜でしょうか。木花と言えば桜ですから。

そして「志波(しわ)」の意味は「皺、塩、柴、島」の説がある。柴神は道祖神と言えるし、猿田彦尊の道祖神となる。本来は岐神信仰の神社だったと言えるのではないか。

これは全部、塩竃神社に関連する。塩土老翁だから塩、老翁で皺、志波彦神が阿須波神であるなら柴、そして塩竃神社は松島に面しているので島。

ここでふと変な事を考えたのだが、木花咲耶姫命を主祭神とする栗原市の志波姫神社は以前、伊豆権現と呼ばれていた。

伊豆権現と言えば伊豆大権現を祀る伊豆山神社。北条政子と源頼朝の縁結びの神社。

そこから考えると似ているのである。アマノウヅメ命・猿田彦尊の夫婦神と、北条政子・源頼朝夫婦との関係が。

これは記紀では稀なケースですが、嫁のアメノウズメ命は天津神、夫の猿田彦尊は国津神となります。通常は天津神に侵略された国津神は政略結婚的に花嫁になるのが主流です。

そして北条政子は平家。源頼朝は源氏。

猿田彦尊は比良夫貝にてを挟まれて溺死した。比良夫貝はタイラキ、つまり平貝の一種。

私はかねてから源頼朝は北条氏、つまり北条政子に暗殺されたと考えているが、比良夫貝が平貝であるのであれば、平家の北条政子に殺されたと言える。

アメノウズメ命の場合、天孫降臨で猿田彦尊に会った時、帯が解け胸と性器が露わになっていた。天岩戸の前では性器を露わにして踊っている。

猿田彦尊の鼻は男性器を示しているとするならば、猿田彦尊は色仕掛けでアメノウズメ命に殺された。北条政子・源頼朝の場合も色仕掛けで殺された可能性は十分にある。

源氏は東北を制圧した。田村麻呂同様、源頼朝は神格化されるべき人物である。しかし、北条政子に殺されたとあっては哀れであり滑稽。

これはもしかしたら北条政子と源頼朝を祀る意味合いで、アメノウズメ命(猿田彦尊)としたのではないか。

うーん、やっぱり鬱だ。変な事を考えてしまった。私のHSPも限界に来た様だ。

今日、またクルマをぶつけちゃったし。


続く。












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